美濃街道最終 養老~関ヶ原
2021年10月9日(土)
今日は養老から関ヶ原の15キロ弱、下図の丸の線内です。養老鉄道は離れてしまうので、どうしても関ヶ原まで歩かないといけません。
今日は思うところあって、車じゃ無く電車で養老駅に9時半頃着きました。
築100年の養老駅の駅舎は、いつ見ても趣がありますねえ。
駅前通りが街道で、右にとるとすぐ上多度橋です。こころ旅で火野正平がここまで来ていましたね。
大桑国道を横断するとひょうたん屋さんがありました。養老の滝は酒抜きでは語れないし、酒は昔はひょうたんに入れたのですね。近くにひょうたん会館もありました。
この後一寸判り難いですが、なんとか地図を辿ります。柏尾新田を過ぎると境松跡という新しい石碑がありましたが、謂われは不明です。
そこから2分で小さな十字路で右折するのですが、そこに道標がありました。いせ道、たき道と刻まれています。関ヶ原方面から来た人に対する道案内のようです。この後もたき道の案内はよくあります。養老の滝が昔から人気なのでしょう。
右折して下って行くと、途中に常夜灯がありました。
この辺りは非常に立派な家が多いです。お寺の傍に地蔵堂があり、周りに石仏が並んでいます。説明に長島一向一揆守縁の石地蔵、南北朝から室町時代の石仏、などと書かれていました。10時05分です。
右手に通称焼肉街道と言われる道が見えます。写真は多分、養老ミートです(笑)。
この先も解りにくいですが、焼肉街道から離れ気味に左の山手に進みます。神明神社があります。
その左側の林の中を抜けて行く道を行きます。10時36分に六社神社に来ました。
一寸休憩したかったのですが、珍しく子供が遊んでいたので、そのまま先へ歩きました。
10分程で上方を通過。
この先の桜井という集落に真源寺と常夜灯があるという情報がありました。集落の端の道には何も無さそうなので、1本中に入って見たらありました。道標もあり、左せきがはら右ようろうとか刻まれていました。
その常夜燈は木製で、きっと往時は素晴らしい飾りがしてあったなと思われます。
桜井を過ぎ、しばらく直線で進んだ街道は本郷の集落へ左折して回り込みます。その集会所のそばに、同じような常夜灯がありました。
そのそばの道標は東海自然歩道で、関ヶ原方面の案内がありました。思わず、その方向に歩きかけましたが、いやいや私は美濃街道を歩いているんだと引き返しました。
直ぐに真泉寺というお寺があります。昔はこの辺りで牧田川を渡っていたそうです。
現在は渡しも橋も無いので、この先の広瀬橋を渡るしかありません。そちらへ歩きます。
11時45分頃、堤防を走る県道56号線に合流しました。この道は車では十回以上走っている道です。
11時50分に広瀬橋を渡ります。前方には伊吹山が大きくなり、関ヶ原近しを思わせます。
橋を渡り切ると九里半街道という道案内がありました。車で走っていると気が付かない標識です。
九里半街道は知らなかったのですが、伊勢湾の荷物を京・大坂へ送るため、揖斐川を遡って、牧田川に入った辺りの湊で下ろし、この九里半街道で烏江ー牧田ー関ヶ原ー米原と繋いで琵琶湖の舟運で京都を目指したらしい。ともかく、ここから関ヶ原までは美濃路より九里半街道として案内があるようです。
11時57分に素戔嗚神社にきたので、ここの境内で昼食休憩とさせてもらうことにしました。
今日も手作り弁当です。美濃路は3回とも手作り弁当でした。コンビニ弁当より美味いですね(笑)。
20分ほどで出発しました。九里半街道です。道は直線で続いているのですが、二又の馬頭観音で左折するらしいので、探しながら歩いたのですが見つからず、適当に左折しました。再度直線の道に合流しました。牧田郵便局があり、小学校があります。小学校の前には、卒業記念の焼き物のオブジェが並んでいました。
12時45分頃、大きな石の常夜灯がありました。ここを右折するのが街道らしいのですが、通り過ぎて突き当りを右折しました。
間違いに気づいて再度引き返したりしました。常夜燈は近くにもう一基ありました。
少し行くと五井家という旧家があります。問屋や郵便局を務めた家柄だそうです。
この先が九里半街道の牧田宿です。
13時10分、牧田宿の端でしょうか、木曽神社があります。
その先に、芭蕉句碑がありました。
下って行くと馬頭観音のお堂があります。
お堂の前を通って登りになりますが、この坂が「うとう坂(鳥頭坂)」と言って、関ヶ原の合戦で、敗れた西軍の島津藩が奮戦して薩摩へ逃れた有名な戦場だそうです。藩主の弟島津豊久の墓碑があります。
13時22分、名神高速の下を潜りました。
すぐに追分地蔵がありますが、左側の道が旧道です。
13時35分に新幹線の下を潜ります。
ここから駅の間に本多忠勝陣跡があるはずなので、注意しながら歩いたのですが、見過ごしてしまいました。13時44分に国道21号線に出ました。ここが中山道と美濃街道の追分です。
13時51分に大垣行の列車が来るので、急いで駅に向かいました。駅前の土産物店も入る時間がありません。
13時46分に駅に着きました。
関ヶ原の西軍・東軍です。
大垣迄15分、ここで養老鉄道に乗り換えます。その時間を利用して、冷たい飲み物を買いました。
ちびちび飲みながら電車に揺られる。これが至福の時間ですね。
今度は九里半街道を歩こうかな。
« 美濃街道 駒野~養老 | トップページ | 越美南線と越美北線を繋ぐ »
「街道歩き」カテゴリの記事
- 竹鼻街道修正(2024.04.13)
- 奈良街道2回目(2024.01.07)
- 奈良街道1回目(2023.12.26)
- 初瀬街道最終回 榛原から長谷寺(2023.11.21)
垂井から宮の渡しまでの美濃街道は昨年自転車で走ったが桑名から大垣までの街道も美濃街道というとは知りませんでした。
美濃に行くのだから美濃街道。伊勢街道と同じことですね。
NHKBSでやっている火野正平のこころ旅で、9月に南濃町の山の上の公園から養老までは知りました。この時走ったのもたぶん美濃街道。
いい道ですね。
投稿: 渡邉一平 | 2021年10月11日 (月) 04時28分