熊野街道松坂道
一寸聞きなれない名前ですね。松坂道は仮称です。下図見てください。上から伊勢神宮へ向かう参宮道(伊勢街道)、大阪からの伊勢本街道、そして和歌山別街道や熊野詣でに向かう熊野街道伊勢路です。まあこの松阪から多気町付近は街道のメッカですね。
全ての街道は伊勢に向かい、又は伊勢から出ていますが、これは一生に一度は伊勢参りと言う、江戸時代の庶民の願望でしょうか。でも熊野の物産を松阪に運ぶことを考えた場合、これは遠回りです。図の左下栃原辺りから上端の松阪へ直接向かう道も有ったに違いありません。
と言うことで、5年ほど前、この松坂道を探して歩いて見たことがありました。(参照)
ただこの時は独自の調査で歩いたため、勿論調査も充分でなく、多分こんな道だっただろうなと言う程度でした。ところが最近、私が常々お世話になっている熊野体験企画の内山さんが、この松坂道を詳しく調査され、「熊野歴史研究」という専門誌に発表されました。そしてそのコピーを送って頂きました。
そこで、その調査結果と私が前回歩いた道を比較してみました。その結果下図の青線が内山さんの調査で正しいとされる道筋。赤線が前回私が歩いた道。
ということで、大体は合っていたのですが、薄緑の〇で囲んだ辺りだけが間違っていたようでした。それで今回、その部分を歩いてみることにしました。
2021年5月3日(月)憲法記念日
9時50分過ぎ、JR紀勢線佐奈駅に到着しました。佐奈から松阪へ向けて北上する予定です。
駅前の案内地図に前回私が歩いた道が熊野道として載っています。
ところが内山さんの調査では、その道ではなく別の道が松坂道だっただろうということなので、今回そちらを歩こうと思います。
いずれにせよ佐奈駅前の道は和歌山別街道で、その道を右折して一寸戻ります。9時55分頃の出発です。
4分ほど歩くと太峯越えへの分岐点です。角に小さな地蔵さんが祀られています。
道標地蔵さんで「右いせ道・・・左松坂道・・・」と彫られているそうです。
10時03分、ここを左折して太峯越えに入りました。
5分でこんな分岐に出ますが、ここは右です。地形図で調べておきました。
すぐに田畑も途絶えて山中に入ります。
分岐から3分で、左手に小さな祠がありました。余り古そうな石仏ではありませんが、青面金剛尊と書かれた札がありました。
道標地蔵から12~3分、10時15分頃の切通しです。しっかりした道が続きます。
ただ周囲は竹林が多くなり、道の中央にも芽がでているので、手入れしないと遠からず竹林になるかもしれませんね。
10時21分、右手の展望が開けました。多気方面でしょうか?
また竹林に入りました。
途中、仁田方面への分岐らしき道があって、10時半頃、多気町美化センターが見えてきました。30分弱で道標地蔵さんから峠を越えたことになります。
美化センター前で道が二つに分かれました。私は広い左の道を下ったのですが、右の狭い道が旧道ですね。まあ、200mほどですが。
坂を下ったところで、私が前回私が歩いた道に合流しました。神坂道ですね。
十字路の向こうに自然石の道標があります。
ここには「右神坂金剛座寺道、左平谷柳原観音道」と刻まれているそうです。
天啓池に来ました。前回はここで弁当を食べました。右上に経塚があるので、それを見に行って、引き返して直進しました。
内山さんの調査では直進でなく、一寸右折して入って行く旧道が正解のようでした。写真中央の登り道です。
取り敢えず今回も経塚を見に行きました。10時43分です。
狭い階段を登ると山道です。
天啓池公園全体が見えます。
5分で経塚です。6万9千個余りの白石に1個1字を記して書いた法華経が収められているそうです。
前回はここから引き返したのですが、今回はここから例の旧道へ降りる道が無いか探してみました。結局無くて、引き返すのが正解ですが、しゃくなので、すぐ下の旧道へ滑り降りました(笑)。皆さんは止めてください。滑り降りた斜面です。
歩いて来るはずだった道です。この道が森の中を抜けていきます。
5分歩くと森を抜けて田園地帯です。その手前にお地蔵さんの祠がありました。牟山神社跡らしい。11時04分です。
田園の中をまっすぐ進む道があります。
道の先には長盛寺らしい屋根が見えます。
相可の集落に近づくと、相可高校の総合農場がありました。相可高校の高校生レストランは有名ですよね。
11時15分、長盛寺の横を通りました。
3分で札の辻です。伊勢本街道とここで交わります。
伊勢本街道の大阪側です。角のお菓子屋さんの「まつかさ餅」というのが相可名物と聞いたので、お土産に一寸買いました。結構流行っているお店みたいで、お客が次々と来ていました。
櫛田川の川辺に来てみました。過ってはここが渡し場だったそうです。右手の両郡橋は3代目ですが、明治21年に初代の橋が架けられるまで、使われたそうです。
対岸の射和側です。
11時28分、両郡橋を渡りました。手前は多気町、対岸は松阪市射和町です。過っては多気郡と飯野郡だったそうです。
渡る途中、川面を見ると、石仏が並んでいました。ほんとに石仏みたいに見えるんです。
渡ってすぐ左折して1本目の交差点左側に大きな道標が建っていました。右指さし「久ま野みち」左指さし「満つ坂みち」と彫られている。この先が渡し場や初代の両郡橋が有ったのかな。
その先へ行ってみたが、川岸までは行けなかった。
引き返して、最初の道をさらに西へ200mほど行って左折すると、浄土宗伊箙寺がある。往時は相当なお寺だったと思わせます。
その先にも渡し場が有ったというので川原に降りてみた。変な橋?が掛かっていたので、河原へ行かず引き返した。
引き返して射和の交差点に来ると、ファミマが有ったので、弁当を買って一休みした。11時55分です。
12時13分、店を出て射和交差点へ。前回はここを直進しましたが、右奥の道が旧道なので、今回はそこへ行きます。
旧道の前に道標地蔵さんがあります。台座に「みぎまつさかみち、ひだりくまのみち」と刻まれています。
旧道に入って行くと、すぐ左奥に石積みと祠があった。遠いのでズームで写真だけ撮っておいたが、よく見ると「役行者」云々の文字が見える。もっと近寄るべきだったか。
すぐに経金塔という石塔があったが詳細は不明。すぐそばに石標もあったが、これも詳細不明。
そしてすぐ、道標地蔵から5分、伊佐和神社の前を通る。
そのまま道なりに6~7分歩くと、前回直進した道に合流して、すぐ前が国道42号線になる。
松坂道は42号線を横断していきますが、今回はここで終わり。松阪市中万町で、中万団地のバス停があるので、ここで終了としました。12時半の到着で、バスは12時55分です。松阪駅前までは17分です。歩くと8キロかな。お疲れ様でした。
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