奥州街道1日目 氏家宿へ
正式には奥州道中が正しいそうですが、今回呼び慣れた奥州街道に統一します。
江戸時代の五街道は、ご存知の東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道ですね。その四街道は既に歩いたので、奥州街道だけ残して置くわけにもいかないなと思って出かけてきました。
その奥州街道ですが、長らく勘違いしていました。宇都宮で日光街道から分かれることは知っていましたが、最終は仙台だろうと思っていました。それで長いので行きそびれていました。でも調べたら白河までで、その先は仙台松前道と会津越中道に分かれると知りました。それなら距離も100キロほどだし、腰痛押してでも歩けるかなと出かけた訳です。3泊4日の予定です。
奥州街道というと芭蕉の奥の細道を思い浮かべる人も多いと思います。私もあの「白河の関越えんと・・・・・」という冒頭の文章に惹かれて歩いた口です。今回の計画に当たっては、下の2冊を参考にしました。
左の「ちゃんと歩ける」は本当に詳しいガイドブックですね。大いに助けられました。奥の細道については他にも2~3冊読みましたが、この本が地図も有って、一番解りやすかった。それで調べてみると、芭蕉一行は殆ど奥州街道を歩いていないことが解りました(笑)。図で示すとこんな感じです。
日光東照宮を参詣した芭蕉は宇都宮には戻らず日光北街道を通って黒羽へ、そして那須湯本へと奥州街道は横断するだけです。最後に芦野の遊行柳を見て、白河の新関までは奥州街道、そしてまた白河の古関を見に行ってしまいます。
2021年3月31日(水)
朝7時頃のひかりで東京へ。この日の空は黄砂に覆われていました。昨日は名古屋でしたが今日は関東に移動のようです。富士山も全く見えません。
10時過ぎに宇都宮到着です。日光街道以来ですね。
駅前の大通りを西へ2キロ程、日光街道との追分に向かいます。今日は20キロ先のさくら市、氏家宿までの予定です。
追分までの途中に二荒山神社があるので道中の無事を祈りました。日光ではお参りしたのですが。宇都宮二荒山神社、気になっていました。
宇都宮駅周辺の地図です。
10時48分に分岐の標識に到着しました。
そのまま引き返して10分ほど歩き、野村證券の角を右折します。
右折すると商店街のアーケードに入りますが、そこを左折、駅方向にオリオン商店街を歩きます。
突き当りの筑波銀行で左折、大通りの1本手前を右折して宇都宮駅前の通りに出ます。左折して大通りを渡り、田川の幸橋を渡ります。
すぐに県道125号線にぶつかるので、そこを左折して白沢宿へ向かいます。角に重厚な旧篠原家住宅があります。この道は白沢街道と呼ぶようです。
この辺で11時25分です。しばらくは広い県道歩きですが、歩道も完備しているので助かります。10分ほどで東北新幹線の下を潜ります。
潜って10分一寸で立派な長屋門があります。豪農岩淵家の家だそうです。
更に30分、12時20分頃、国道119号線を潜りますが、手前に海道という中華屋さんがあります。そこで昼食にしました。途中に首切り地蔵があるはずでしたが見当たりませんでした。この辺り海道町というようです。
宇都宮餃子かどうか知りませんが、ラーメンと餃子を頼みました。
30分ほどで店を出ました。5キロほど先の白沢宿を目指します。店を出て桜並木など見ながら15分ほど歩くと、右側の塀の傍に馬頭観音の石仏が有りました。馬頭尊と刻まれています。この旅では今後何百と言う馬頭観音さまを見ることになります。
13時35分頃、稚ヶ坂というバス停辺りです。前方は王子板紙の工場でしょう。この坂道も桜がきれいでした。
バス停から15分ほどで歩道橋がありますが、その辺りから白沢宿という案内が出始めます。江戸から三十里だそうです。
14時頃右手に白沢地蔵のお堂がありました。鎌倉時代の建立だそうです。
5分歩くと江戸時代の公衆便所跡というのがありました。いろいろ街道歩きしていますが、公衆便所跡というのは初めてです。
本陣跡は説明板だけです。
道なりに街道は2回曲がって、鬼怒川へ向かいます。小川を渡ったこの石標が宿場の端かもしれません。
石標から10分ほどの左手に白沢の一里塚跡がありました。
更に10分弱で鬼怒川の堤防に登りました。普段は流れが穏やかなので絹川と呼ばれたそうですが、一たび荒れると鬼が怒るのですね。
10分弱堤防を歩いて、右に川原へ下ります。
川原と言っても林の中を3分歩くと鬼怒川の渡し跡がありました。
土手に登って阿久津大橋を渡り始めたのが14時55分です。この橋は車の通行量も多いのに歩道がありません。設計はどこか知りませんが、歩行者は無視されています。
橋を渡ってすぐ右折、渡し場の有ったであろう旧道へ向かいます。
適当に土手を下って旧道らしき所に出て、再度県道125号線に戻ってきます。
道端に2体の道祖神がありました。
15時37分、右手に将軍地蔵のお堂がありました。八幡太郎義家に由来するそうで、随分歴史があります。そうめん地蔵と呼ばれる逸話もあるそうです。
勝山城址への案内と逆に右折して県道と分かれます。
道なりに歩くとすぐ国道4号線を横断します。車も多く、広い国道を、信号も無く横断するのは気持良くありません。なんとか車の合間を縫って横断しました。
国道からすぐ、「お伊勢の森」というのがあります。はるか昔、村の誕生と同時に伊勢神宮を勧請したとか。
16時、東北本線の旧奥州街道踏切を渡りました。
16時8分、大谷街道とかとの追分に着きました。ここを左折すると今日の目的地氏家宿です。
左折する道が県道181号線、すぐに国道293号線と交差します。
この辺りが一番にぎやかです。渡るとすぐ氏家駅の傍を通過しますが、この辺りが氏家宿の中心のようです。本陣や脇本陣跡が有るはずでしたが、見逃して、上町交差点を右折していくのが街道です。
交差点から5分、16時28分に今日の宿BHサンヒルに着きました。餃子工場とお店がホテルを経営しているのかな。
親切な管理人さんにいろいろ教わって、近くのドラッグストアーで食料品を買い込み、部屋でテレビを見ながら食べました。
明日は今日より4キロ長い26キロなので、早く寝ました。
« 郡上街道 | トップページ | 奥州街道2日目 太田原宿へ »
「街道歩き」カテゴリの記事
- 大和街道4回目 新堂から加太(2022.05.16)
- 九里半街道その3 美濃高田から烏江(2022.05.08)
- 九里半街道その2 今須から美濃高田駅(2022.05.08)
- 九里半街道(2022.05.07)
- 大和街道3回目 上野市駅から新堂駅(2022.04.10)
コメント