奥州街道4日目後半
今、境の明神ポケットパークで昼食を食べたところです。時刻は10時17分。
ここから先は2年ほど前山歩会の仲間と一寸だけ歩いています。すぐに今回初めて奥州街道を歩いていそうな人に出会いました。声を掛けるとやはりそうでした。これから逆方向で芦野で泊まるそうでした。
10時半頃、左手に石仏石塔が並んで居ます。
ここに白河の関の案内があります。右折していくのが芭蕉が歩いた奥の細道です。2年前私もそちらへ歩いたので、興味ある方は見てください。一寸だけ奥の細道。
またここは白坂宿の入り口でもあります。
白坂宿は白河宿から芦野宿があまりにも遠いので、途中で作られたのだそうです。案内板以外何も残っていません。観音寺の前に宿場の説明板がありました。10時40分。
白坂宿の北入口を越え、白坂駅への交差点を越えます。
この頃には黄砂の影響も完全に消えて、西の上空には白い峰が見えました。那須連峰の茶臼岳とか朝日岳でしょうか?
もう一度、白坂駅への交差点があります。それを越えて少し行くと石仏や石塔の群れと共に、金売り吉次の墓の案内があります。義経を奥州に案内した商人ですね。11時10分です。
すぐ傍に大きな地蔵さんもあります。
吉次の墓から5~5分でセブンがあり、更に5分ほどで朝日屋さんというラーメン屋さんがあります。この辺で昼食と考えたこともありました。朝日屋から15分、左側のため池を過ぎる頃、街道は右に入ります。11時37分。
すぐにまた国道に復帰して、今度は東北新幹線、新白河駅への大きな交差点を渡りました。11時45分。
そこから7~8分、国道が大きく右に曲がる所に戦死墓という大きな石碑があります。戊辰戦争で新政府軍と旧幕府軍が戦いましたが、この辺りでも戦いがあったようです。その結果両軍に多くの死傷者を出しながら、白河藩の小峰城は落城しました。
街道は徐々に市街地に入って行きます。12時10分頃、谷津田川でしょうか南湖橋を渡りました。すぐに藤屋という味噌醤油の旧家があります。
その角に那須道との追分道標がありました。
12時17分に月夜見の庭という案内の有る三叉路に来て右折しました。
この辺り中町と言って、過っては白河の街の中心部だったと思われますが、今は一寸寂しくなりかけていますね。
12時28分、白河駅前に到着しました。ここからまだ終着点の女石までは2キロあります。
突き当りの鍵型を曲がる辺りに本陣跡や脇本陣跡があります。脇本陣柳屋はまだ現存しているようです。明治天皇碑もありました。
12時40分に四ツ辻道標の有る大きな交差点に来ました。この道標は複製だそうですが「左へんだい・・・」のような文字が見えます。
ここを左折して仙台方向へ向かいます。そしてJRの高架を潜ります。
12時52分、阿武隈川でしょうか、田町大橋を渡りました。少し上流に新しい橋を工事中でした。
橋から10分弱、国道4号線まで500mの道路案内有る峠を越えました。もう少しですね。
女石集会所の表札を見て、いよいよだなと思うと左側に馬頭観音群がありました。
そして待望の追分が見えました。勿論当時の追分ではないでしょうが。
左側に仙台藩の戊辰の役戦没者の慰霊碑があります。
13時07分。江戸幕府の道中奉行の管轄はここまでだったそうです。私もここから引き返します。
引き返す途中、白河らーめんの美味しそうな店が有って考えましたが、やはり白河そばにすることにしました(笑)。
白河駅到着は13時36分。新白河行きの列車は1時間に1本です。15時25分と思っていましたが、早く着いたので、新幹線の切符も1時間早めて、白河は14時25分に乗ることにしました。駅前を探すと手ごろなそば屋さんがありました。
まずそば前ということで、会津若松のお酒を一杯。良いですねえ。
次いで、お蕎麦は冷たいのと暖かいのをセットで。わんこそばが良かったかな(笑)。
丁度適当な時間で終わって白河駅に戻りました。駅のホームからは小峰城がよく見えます。この石垣も東北地震で被害に遇ったそうですが、今は復旧していました。
東北新幹線、東海道新幹線共に空いていて、午後7時過ぎには我家へ帰宅しました。
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