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2021年4月17日 (土)

奥州街道4日目後半

今、境の明神ポケットパークで昼食を食べたところです。時刻は10時17分。

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ここから先は2年ほど前山歩会の仲間と一寸だけ歩いています。すぐに今回初めて奥州街道を歩いていそうな人に出会いました。声を掛けるとやはりそうでした。これから逆方向で芦野で泊まるそうでした。

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10時半頃、左手に石仏石塔が並んで居ます。

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ここに白河の関の案内があります。右折していくのが芭蕉が歩いた奥の細道です。2年前私もそちらへ歩いたので、興味ある方は見てください。一寸だけ奥の細道

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またここは白坂宿の入り口でもあります。

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白坂宿は白河宿から芦野宿があまりにも遠いので、途中で作られたのだそうです。案内板以外何も残っていません。観音寺の前に宿場の説明板がありました。10時40分。

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白坂宿の北入口を越え、白坂駅への交差点を越えます。

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この頃には黄砂の影響も完全に消えて、西の上空には白い峰が見えました。那須連峰の茶臼岳とか朝日岳でしょうか?

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もう一度、白坂駅への交差点があります。それを越えて少し行くと石仏や石塔の群れと共に、金売り吉次の墓の案内があります。義経を奥州に案内した商人ですね。11時10分です。

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すぐ傍に大きな地蔵さんもあります。

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吉次の墓から5~5分でセブンがあり、更に5分ほどで朝日屋さんというラーメン屋さんがあります。この辺で昼食と考えたこともありました。朝日屋から15分、左側のため池を過ぎる頃、街道は右に入ります。11時37分。

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すぐにまた国道に復帰して、今度は東北新幹線、新白河駅への大きな交差点を渡りました。11時45分。

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そこから7~8分、国道が大きく右に曲がる所に戦死墓という大きな石碑があります。戊辰戦争で新政府軍と旧幕府軍が戦いましたが、この辺りでも戦いがあったようです。その結果両軍に多くの死傷者を出しながら、白河藩の小峰城は落城しました。

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街道は徐々に市街地に入って行きます。12時10分頃、谷津田川でしょうか南湖橋を渡りました。すぐに藤屋という味噌醤油の旧家があります。Dscn7040jpgc

その角に那須道との追分道標がありました。

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12時17分に月夜見の庭という案内の有る三叉路に来て右折しました。

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この辺り中町と言って、過っては白河の街の中心部だったと思われますが、今は一寸寂しくなりかけていますね。

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12時28分、白河駅前に到着しました。ここからまだ終着点の女石までは2キロあります。

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突き当りの鍵型を曲がる辺りに本陣跡や脇本陣跡があります。脇本陣柳屋はまだ現存しているようです。明治天皇碑もありました。

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12時40分に四ツ辻道標の有る大きな交差点に来ました。この道標は複製だそうですが「左へんだい・・・」のような文字が見えます。

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ここを左折して仙台方向へ向かいます。そしてJRの高架を潜ります。

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12時52分、阿武隈川でしょうか、田町大橋を渡りました。少し上流に新しい橋を工事中でした。

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橋から10分弱、国道4号線まで500mの道路案内有る峠を越えました。もう少しですね。

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女石集会所の表札を見て、いよいよだなと思うと左側に馬頭観音群がありました。

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そして待望の追分が見えました。勿論当時の追分ではないでしょうが。

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左側に仙台藩の戊辰の役戦没者の慰霊碑があります。

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13時07分。江戸幕府の道中奉行の管轄はここまでだったそうです。私もここから引き返します。

引き返す途中、白河らーめんの美味しそうな店が有って考えましたが、やはり白河そばにすることにしました(笑)。

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白河駅到着は13時36分。新白河行きの列車は1時間に1本です。15時25分と思っていましたが、早く着いたので、新幹線の切符も1時間早めて、白河は14時25分に乗ることにしました。駅前を探すと手ごろなそば屋さんがありました。

まずそば前ということで、会津若松のお酒を一杯。良いですねえ。

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次いで、お蕎麦は冷たいのと暖かいのをセットで。わんこそばが良かったかな(笑)。

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丁度適当な時間で終わって白河駅に戻りました。駅のホームからは小峰城がよく見えます。この石垣も東北地震で被害に遇ったそうですが、今は復旧していました。

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東北新幹線、東海道新幹線共に空いていて、午後7時過ぎには我家へ帰宅しました。

 

 

 

 

 

 

 

奥州街道4日目 白河の関を越えて

2021年4月3日(土)

ホテルの朝食が8時からなので、自室で昨日買っておいたお握りと夕食時残して置いた総菜を食べる。

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支払いも昨夜済ませているし、朝早く目覚めていたので、6時5分には宿を出た。今日は白河の関を越えて、白河駅まで22キロだが、2キロ向こうの女石の追分まで往復するので、26キロの行程です。

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そんなに早く出なくてもま15時25分の列車には間に合うが、白河で白河ラーメンか白河そばが食べたいので、ぎりぎりはまずい(笑)。それで早出しました。芦野宿まで20分弱ですが、長閑な田園を歩きます。

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国道294号線が走っていますが、芦野宿は国道を横断して川を渡った旧道にあります。

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奈良川を芦野橋で渡ると大きなお地蔵さんがあります。川原町地蔵尊で、片足投げ出して座る「座り地蔵」と呼ばれているそうです。

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左折すると芦野宿です。6時25分頃です。家々の前には小さな常夜燈を模した屋号が飾られています。

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ゆっくり歩いても10分ほどで通り過ぎます。そして田園を5~6分歩くと、左手国道の向こうに桜が見えますが、それが有名な遊行柳です。Dscn6826jpgc

すぐに左手に1712年に作られたという新町地蔵尊があります。

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そこで左折して国道を横断します。街道は国道を北に向かいますが、国指定の名勝遊行柳を見に行かない訳には行かないでしょう。遊行柳は時宗開祖の一遍上人(遊行上人)の杖が芽吹いたものとされています。

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西行や芭蕉の句碑があります。

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その一寸奥に神社があり、立派なイチョウの古木がありました。

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15分ほど遊行柳の見学に使って、7時前に出発しました。白河の関まで11.7キロの道標がありました。3~4分で国道を離れます。そこに石碑がありますが、岩倉右大臣歌碑だそうです。明治天皇の巡幸に随行してきた岩倉具視の歌碑です。写真左端。

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集落に入ると石仏が多く、昔の生活が思いやられます。

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集落が終わるころ、べこ石の碑がありました。べことは牛のことです。牛のような大きな石に刻まれた碑ですね。

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街道はもう一度国道を小さく左に外れた後、7時17分に今度は右に国道から分かれました。ここもいろいろ道端に石仏が並んでいます。

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7時半頃、坂道の途中に板屋の一里塚がありました。道の両側高台に残っているそうですが、よくは見えません。

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小休止などしながら進みます。相変わらず、いろんな石仏・石塔・石碑が散在しています。

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白河の関まで8.9キロの道標を見ながら歩くと、7時54分お堂がありました。横にお地蔵さんもあります。高徳寺ですね。1567年の創建というから古いですね。

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高徳寺から10分ほどで街道はまた国道と合流します。

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その手前にも石仏が無数にありました。小さな仏様ですが馬頭観音と刻まれているのが多いようです。旅にも農耕にも馬は大事な存在だったのでしょうね。

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しばらくは国道歩きです。

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ときどき旧道が残っているようですが、国道を歩いても変わらないでしょう。20分ほど歩くと右側に旧道があり、その旧道と国道の間にまたべこ石がありました。この辺、べこ石が多い。

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べこ石から5分、石仏群を過ぎると、街道は国道から左に分かれます。県道166号線だそうです。

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県道に入りますが、県道は東北本線の豊原駅に向かうようで、街道は右に分れてまた国道に戻ります。国道に戻るとすぐ泉田の一里塚が国道沿いにあります。8時42分。

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一里塚を過ぎると旧道があったので右に入って見ました。古道と言う訳では無いので、情緒はありません。

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国道に戻り、すぐまた左に分かれます。ここは初花清水という歌舞伎の演目に出て来る清水があるそうです。その手前の石仏です。

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初花が化粧した清水はよく解らないまま通り過ぎて、また国道に帰ってくる所に瓢石という、その歌舞伎ゆかりの史跡があります。Dscn6930jpgc

5分ほど国道を歩いて、今度は右に国道を離れました。9時6分でした。

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3分も歩くと、右側邸内に明治天皇小休所の石碑があった。

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15分ほどで国道に戻った。一寸小休止して国道を歩くと、道は登りになった。

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道端で何やら摘んでいるご夫婦がおられたので一寸訊いてみた。セリを摘んでおられるとか。おひたしか天ぷらが美味しいと。

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9時40分頃、左高台に大きな石仏が見えた。明神の地蔵様です。ここまで来ると白河の関は近いです。

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9時48分、白河の関跡に到着しました。写真は玉津島神社です。

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関跡には境の明神と呼ばれる二つの神社があります。那須側が玉津島神社、白河川が住吉神社です。玉津島は女神、住吉は男神だそうです。

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境界には「従是北白川領」の石碑があります。

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白河側の住吉神社です。

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所で、白河の関は新旧二つあることはご存知でしょうか? 5世紀頃、蝦夷の南下を防ぐため作られたのが古関で、平安時代中頃まで続いたそうです。その所在地は不明でしたが、江戸時代、寛政の改革で有名な、白河藩主松平定信が調査して特定し、現在国の史跡になっています。

新関がいつ出来たか知りませんが、玉津島神社は1053年に紀州から勧請されたそうですから、その頃には有ったのでしょう。その関跡の碑が道路の反対側にあります。

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住吉神社の白坂側に最近ポケットパークが作られたようです。

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時刻も10時前、一寸空腹になったので、ここで例の残り物で昼食にしました。

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後半はここからスタートします。

 

 

 

 

 

 

 

2021年4月14日 (水)

奥州街道3日目後半

今、下図中央、那珂川を渡って越堀宿へ入ったところです。時刻は11時05分です。

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ここも特に宿場らしき雰囲気は少ないです。芦野まで8キロなので、もう近いですね。ただここからが二十三坂七曲りとか。

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右手に浄泉寺というお寺があります。その入口に道標や説明板があったりするので、一寸入って見ました。

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境内には黒羽領境界石や明治天皇碑、宝篋印塔などがありました。

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11時半頃、公民館の敷地内に伊勢神宮遥拝所の石碑がありました。

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時間も良いので公民館の空地で昼食休憩にしました。昼食と言ってっも、昨日酒のあてに買ったお惣菜を食べるだけですが。

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それでものんびり25分以上休憩して出発しました。少し登り坂を20分位登ると富士見峠のようでした。標高は295mとか。昔はここから富士山が見えたのですかね。

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10分ほど下った左上に温泉神社がありました。この街道筋には温泉神社が多いですね。でも大概は小さな祠だけですが、ここは立派です。

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すぐに寺子の一里塚があります。

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1604年に築かれたと推定され、少し離れた場所に有った。ここは公園でそれを復元したとか。他に富士見峠の馬頭観音碑もある。

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12時30分に公園を出た。道はすぐ余笹川に向けて下って行く。展望公園にもなっています。

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橋を渡ってすぐ階段で左堤防に降りる。旧道の橋が昔はそこに有ったらしい。べこ石という大きな岩がある。べことは牛のことです。牛のような石ということですね。

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10分ほどで旧道は終わりますが、そこに「弁慶の足踏み石」があります。左端の馬頭観音碑の横に草鞋の跡のような凹みがありますが、それが弁慶のものだそうです。12時50分。

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ここからは一寸登りです。丘陵地帯に何本か流れる川を横断して街道があるため、何度もアップダウンがあるわけです。と言っても、清川八郎が言うほどひどくはありません。改良されたのかな。10分ほどでサーキット前というバス停。そして下ったり愛宕坂を登ったり、13時25分には那須町に入りました。

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こんどは黒川に向けて下って行きます。川の手前で一寸旧道があります。

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13時40分、黒川を渡ります。前方に芦野温泉の案内看板があり、左を差しています。でもそれは芦野温泉の案内で、奥州街道は右です。

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一寸登って県道72号線と分かれ、左に入るのが旧道です。でもまたすぐに合流します。道が下りになった頃、夫婦石の一里塚がありました。珍しく道の両側に残っています。13時54分です。

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一里塚から5分で旧道が左に分かれます。ただ、この新道というか県道が地形図に載っていないのですね。

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旧道に入って、芦野温泉への道が解らず、一寸迷いました。結局マップで検索して進みました。旧道にはいろいろ石仏があります。

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また県道と合流するのですが、その手前に温泉への道が左折します。ここから600mとか。14時12分です。

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本当はもう少し先へ進んで、明日の行程を減らしたいのですが、芦野には旅館がありません。少し前までゲストハウスが有ったようですが、現在、休業中のようです。10分ほど登って到着しました。

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芦野温泉さんは朝食付きで9400円ほど。私の予算は4000円~5000円なので、2倍です。でも部屋は良いですね。シングル館と言って、一人部屋があるので助かります。なければもっと高くなるのでしょうね。

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朝食はやはり、危惧していたように8時からでした。これでは駄目なので朝食は食べないことにしました。でもチャージは変わらないそうです。まあ、いいか。一休みした後、温泉に行きました。ポンプの故障とかで野天風呂が使えません。それで1000円引いてくれたのはラッキーでした(笑)。

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夕食は食堂で、自分で好きなものを食べるシステムです。これも良いですね。一寸多い目に頼んで、部屋に持ち帰って、夜食と明日の朝食に廻すことにしました。

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明日はいよいよ白河の関を越えます。

 

 

 

 

 

 

 

2021年4月13日 (火)

奥州街道3日目 芦野宿へ

2021年4月2日(金)

今日の行程は太田原宿から鍋掛・越堀宿を経て、芦野宿手前の芦野温泉まで22キロ弱で、そう遠くありません。ただ、鍋掛と芦野の間は二十三坂七曲りと言われた難所だったそうです。幕末の志士清川八郎も、その日誌に、苦労したと書いているそうです。

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朝は宿のご主人が6時半に朝食を準備して頂けたので、久しぶりにまともな朝食を食べて、7時過ぎには出発しました。

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一寸離れた街道に復帰したのは7時15分頃です。

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この辺りは国道461号線です。

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街道に出るとすぐ金燈籠交差点があります。金燈籠とは石じゃなく金属つまり鋳造の燈籠と言う意味ですね。ゴールドではありません。渡ると芦野まで21キロの道路標識がありました。今日の行程ですね。

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すぐの通りを左折し、すぐまた右折します。右折するホテルの角に旧奥州道中という新しい道標があります。龍泉寺という立派なお寺がありますが、その隣に鱗屋という歴史ありそうな店があり、五月人形が飾られていました。

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太田原神社でまた国道に戻ってきました。蛇尾(さび)川という珍しい名前の川を渡ります。さびとは禊の意味だとか、暴れ川の意味だとか説があるそうです。

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橋を渡ると国道は右へ黒羽方面に向かいますが、街道は左に分かれて県道72号線となります。富士電機を過ぎると平家豪族瀬尾家の館跡があります。7時48分頃です。

更に10分一寸、8時頃に左手に中田原の一里塚があります。道路拡張工事で1基は取り壊され、これは半分削られた状態で移設されたそうです。

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一里塚から1キロ弱、棚倉道との追分に道標があります。この追分は紫衣を禁じた江戸幕府に抗議した沢庵和尚や高僧を、幕府が流罪にしたさい、この追分で分れたとの史実があるそうです。

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追分から10分ほど、8時26分に、この地方の名木高野槙がありました。

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すぐに如意輪観音の像があるというので探していたのですが、それらしい像がありません。ひょっとしたらこれかな。

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さらに10分ほど歩いた郵便局の手前に弘法大師碑があるので探しましたが、よく解りませんでした。弘法大師も奥羽を訪れているのですね。更に10分歩いて8時51分。左手田圃の一寸奥に、麻疹地蔵堂がありました。

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境内には他にも宝篋印塔など石仏も多々ありました。県道182号線を越えて、麻疹地蔵堂から17・8分、9時10分頃、那須湯道追分道標があります。一緒に十九夜塔などがあります。隣は愛宕神社です。

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那須湯本温泉は那須七湯の一つで芭蕉も訪れています。ここからコンビニの有る十字路を過ぎ、10分ほど歩いた左手に明治天皇碑があります。ここで休息されたそうです。

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疲れてきたので道端で小休止しました。この道筋は原野が多いのですが、所有者の表示も有るので、別荘地か何かに分譲されたみたいですね。原野商法でなければ良いんですが。

9時50分頃、道端左に、新しい台座に載せられた小さな石仏がありました。

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この石仏から25分、10時15分頃、樋沢のお不動さんがあります。

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このお不動さんは1656年の作だそうで、寄木造りお不動さんです。この辺りからは鍋掛宿の範囲になるようです。

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伝説の大うなぎの看板を見ながら10分ほど歩くと、道の左上に鍋掛の一里塚がありました。

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その奥には鍋掛神社もあります。

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ここから5分で、いよいよ鍋掛宿です。コンビニの有る交差点です。鍋掛宿の先に那珂川がありますが、その川止めのとき、宿場の住民総出で炊き出しの鍋を掛けたので鍋掛宿だそうです。

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今日の宿は芦野温泉ですが、一寸気になっています。というのは、ビジネスや工事関係者がお客の宿は、朝食も早いのですが、観光客主体の宿は朝食が遅いのです。明日の行程は26キロあるし、三重県まで帰ることを考えると早立ちしたい。でも朝食が遅いと困るなあということです。

それで、ここから先コンビニは無いようなので、ここでお握りを2個買いました。明日の朝食と昼食用です。今日の昼食は昨日スーパーで買った夕食の食料が余っているので、それを食べます。要は明日の朝食が遅い場合の備えです。

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交差点を渡ると清川地蔵尊があります。ここは立派なお堂に祀られています。10時50分です。

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鍋掛宿は一寸宿場の面影は薄いですが、こんな感じです。本陣跡とかも残っていないのかな?

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芭蕉句碑が公園みたいになっていました。芭蕉はとおったのかな。

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11時過ぎに那珂川を渡りました。勿論昔は渡し場が有ったのですが。橋を渡ると越堀宿です。那珂川が荒れたとき、その両岸に旅人が渋滞するわけで、鍋掛宿の対岸に出来た越堀宿と一体で宿場をなしようです。

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後半は越堀宿から始めます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年4月 8日 (木)

奥州街道2日目後半

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ほほえみ仏を見て太田原市に入ったのが10時55分です。5分ほどでコンビニのある交差点に来ました。

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朝早かったので、そろそろ空腹です。イートインコーナーでもあれば何か買ってたべようかと覗いてみましたが、無かったので止めました。交差点を過ぎて、道路際の高台に登り、田圃の横で買い置きのお握りで昼食にしました。持ち歩いている携帯の椅子が便利です。今回、何回も使いました。

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20分ほどで休憩を終わり、11時半に出発すると、道端の土手の草を抜いている人が居ました。訊くと、畑の持ち主で、草が成長して歩道を邪魔しないよう抜いているそうです。道路管理者は管理区域外だそうで、やってくれないそうです。有難うございます。

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15分ほど歩くと坂道に差し掛かりますが、右手丘の上に木の股地蔵堂がありました。観音坂とかつぶれ坂と呼ぶそうです。

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坂を登って10分ほど歩くと、右手に農産物直売所があり、そこで県道と分かれて直進します。11時58分です。

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5分でまた県道に出ますが横断します。するとすぐ左手奥になかなか立派な観音堂があります。参道に石仏が並んでいました。

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道なりに歩いていくと再度県道に合流し、佐久山宿に入って行きます。

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余り宿場の雰囲気は残っていないが、ここが本陣跡らしい。日本で初めてフランス語を修めた村上英俊翁の顕彰碑がある。

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宿場を過ぎると県道は二つに分かれる。右の太田原方面、48号線に入る。正浄寺という立派なお寺の前を通って5分も歩くと、箒川です。

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渡って15分ほど歩くと小川がありますが、左側の中州に聖徳太子碑があります。この川にはイトヨも生息するそうです。12時50分。

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その後はしばらく淡々と歩きました。コンビニを過ぎた辺りです。

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左折気味に歩いて13時25分頃、左手に小公園がありました。蒲盧碑(ほろのひ)という蜃気楼の伝説に関する石碑があります。

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その向かい側には、これも珍しい「町初碑」という、この村が作られた記念碑があります。

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百村川というのを渡って、しばらくは川沿いに歩きます。2時頃、右手にコンビニがありました。その反対側に馬頭観音碑がありました。

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そこから5分、コンビニの有る交差点に来ました。今日の目的地太田原宿までは後2キロ程です。でも疲れていたので、コンビニで缶ビールを買って、一休みしました。

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10分一寸休んで出発しました。15分ほどで日光北街道との合流点です。この辺りからは太田原宿なのでしょう。

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右折して今日の宿「こめや旅館」の案内が無いか、探しながら歩きます。本陣跡の案内は気付きませんでしたが、太田原信金の前に銅像がありました。那須与一にしては馬に乗っていないなと良く見ると、孝矢の与一像だという。一寸知らないですね。

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マップで調べると、こめや旅館さんは、ここから右折して、一寸外れた所にありました。14時50分頃です。

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宿のご主人にお聞きして、自転車も貸してもらって、近くのスーパーに買出しに行きました。お客が多いときには2食付にするそうですが、今は少なくて、朝食のみなのです。事実、この日は私だけだったか。

まあ私は慣れているし、その方が好きな物食べられて気楽です。

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問題は飲みすぎ注意だけですね(笑)。明日は芦野まで22キロほどなので気楽です。

 

 

 

 

2021年4月 7日 (水)

奥州街道2日目 太田原宿へ

2021年4月1日(木)

今日は氏家宿から喜連川宿・佐久山宿を経て大田原宿まで26キロほどです。距離が長いのと、今日からは東北本線から離れるので、途中で止めることができません。そこが一寸つらい所ですね。

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今日は自分で朝食を食べるので、昨日買っておいたお握りとカップ麺で済ませて6時40分頃ホテルを出ました。

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出るとすぐ望楼のある立派な家がありました。紡績業で財を成した瀧澤家だそうです。明治天皇も休憩されたとか。

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この付近もそうですが、この街道筋は大谷石を使った建物が多いですね。塀や蔵は殆どそうですね。関西では見られない光景です。大谷石は宇都宮近郊で採れるらしいですね。

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十九夜塔など見ながら歩くと7時頃国道293号に合流しました。国道を20分ほど歩くと、右側の住宅に一里塚の案内が邸内に向いていました。狭間田の一里塚跡だなと思って、黙って庭に入りましたが、よく解りませんでした。

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7時40分頃、国道は右にカーブしますが、街道は直進します。

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入ると5分ほどで古戦場跡です。那須・喜連川軍と宇都宮軍が1549年に戦ったとか。

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早乙女温泉を過ぎて、ニッカウヰスキーの裏門も過ぎる。8時頃に古道の入り口がありました。勉強不足で古道が残っていることを知らなかったので喜びました。

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古道は10分ほどですが、途中に歌人・高塩背山とかの墓がありました。

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古道を出るとすぐ右手に石仏群があります。

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この辺りはなかなかの雰囲気です。

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集落を抜けると右手に桜並木の道が見えました。

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街道は荒川に突き当たります。右折して先ほどの桜並木へ向かいます。

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連城橋の袂に1748年建立の道標があり、桜並木もきれいです。

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橋を渡ると喜連川(きつれがわ)宿です。ここは室町時代の鎌倉公方の流れをくむ足利公方喜連川氏の居城があり、明治以後まで続いているそうです。

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本陣跡は警察署になり、大正時代の建物が残っていた。8時40分頃です。

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金竜橋の手前で旧道に入りますが、追分道標跡は気が付かなかった。9時に金竜橋を渡り、15分ほど歩くと大きな双体道祖神があった。

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更に10分ほど、菖蒲沢公園入口付近で馬頭観音を探したが見当たらなかった。9時35分頃、県道に分れて地道に入ります。ここは古道の案内も無いので、一寸心配です。

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まあなんとか道は続いていきます。

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南和田の一里塚跡があるはずですが解りませんでした。

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20分ほど歩いて9時57分に通り抜けました。交差する舗装された小道の傍に、埋もれた馬頭観音がありました。

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そこから5分でまた県道に合流しました。

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10時15分、太田原方面の県道114号に右折しました。すぐ右手に双体道祖神と明治天皇碑がありました。

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更に15分、幼稚園を越えた辺りに、また明治天皇碑がありました。休憩しすぎのような気もしますが。

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この辺りも長閑な道で、まったり楽しみます。やはり大谷石の建物が多いですね。関西なら土塀に土蔵なんですが。

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10時55分、道端に小さな石仏があります。ほほえみ仏と言われているそうです。近くに下河戸の一里塚跡があるはずですが、判りませんでした。

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この辺りで大田原市に入りました。

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後半はここからスタートします。

 

 

 

 

 

 

2021年4月 6日 (火)

奥州街道1日目 氏家宿へ

正式には奥州道中が正しいそうですが、今回呼び慣れた奥州街道に統一します。

江戸時代の五街道は、ご存知の東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道ですね。その四街道は既に歩いたので、奥州街道だけ残して置くわけにもいかないなと思って出かけてきました。

その奥州街道ですが、長らく勘違いしていました。宇都宮で日光街道から分かれることは知っていましたが、最終は仙台だろうと思っていました。それで長いので行きそびれていました。でも調べたら白河までで、その先は仙台松前道と会津越中道に分かれると知りました。それなら距離も100キロほどだし、腰痛押してでも歩けるかなと出かけた訳です。3泊4日の予定です。

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奥州街道というと芭蕉の奥の細道を思い浮かべる人も多いと思います。私もあの「白河の関越えんと・・・・・」という冒頭の文章に惹かれて歩いた口です。今回の計画に当たっては、下の2冊を参考にしました。

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左の「ちゃんと歩ける」は本当に詳しいガイドブックですね。大いに助けられました。奥の細道については他にも2~3冊読みましたが、この本が地図も有って、一番解りやすかった。それで調べてみると、芭蕉一行は殆ど奥州街道を歩いていないことが解りました(笑)。図で示すとこんな感じです。

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日光東照宮を参詣した芭蕉は宇都宮には戻らず日光北街道を通って黒羽へ、そして那須湯本へと奥州街道は横断するだけです。最後に芦野の遊行柳を見て、白河の新関までは奥州街道、そしてまた白河の古関を見に行ってしまいます。

2021年3月31日(水)

朝7時頃のひかりで東京へ。この日の空は黄砂に覆われていました。昨日は名古屋でしたが今日は関東に移動のようです。富士山も全く見えません。

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10時過ぎに宇都宮到着です。日光街道以来ですね。

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駅前の大通りを西へ2キロ程、日光街道との追分に向かいます。今日は20キロ先のさくら市、氏家宿までの予定です。

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追分までの途中に二荒山神社があるので道中の無事を祈りました。日光ではお参りしたのですが。宇都宮二荒山神社、気になっていました。

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宇都宮駅周辺の地図です。

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10時48分に分岐の標識に到着しました。

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そのまま引き返して10分ほど歩き、野村證券の角を右折します。

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右折すると商店街のアーケードに入りますが、そこを左折、駅方向にオリオン商店街を歩きます。

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突き当りの筑波銀行で左折、大通りの1本手前を右折して宇都宮駅前の通りに出ます。左折して大通りを渡り、田川の幸橋を渡ります。

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すぐに県道125号線にぶつかるので、そこを左折して白沢宿へ向かいます。角に重厚な旧篠原家住宅があります。この道は白沢街道と呼ぶようです。

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この辺で11時25分です。しばらくは広い県道歩きですが、歩道も完備しているので助かります。10分ほどで東北新幹線の下を潜ります。

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潜って10分一寸で立派な長屋門があります。豪農岩淵家の家だそうです。

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更に30分、12時20分頃、国道119号線を潜りますが、手前に海道という中華屋さんがあります。そこで昼食にしました。途中に首切り地蔵があるはずでしたが見当たりませんでした。この辺り海道町というようです。

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宇都宮餃子かどうか知りませんが、ラーメンと餃子を頼みました。

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30分ほどで店を出ました。5キロほど先の白沢宿を目指します。店を出て桜並木など見ながら15分ほど歩くと、右側の塀の傍に馬頭観音の石仏が有りました。馬頭尊と刻まれています。この旅では今後何百と言う馬頭観音さまを見ることになります。

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13時35分頃、稚ヶ坂というバス停辺りです。前方は王子板紙の工場でしょう。この坂道も桜がきれいでした。

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バス停から15分ほどで歩道橋がありますが、その辺りから白沢宿という案内が出始めます。江戸から三十里だそうです。

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14時頃右手に白沢地蔵のお堂がありました。鎌倉時代の建立だそうです。

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5分歩くと江戸時代の公衆便所跡というのがありました。いろいろ街道歩きしていますが、公衆便所跡というのは初めてです。

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本陣跡は説明板だけです。

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道なりに街道は2回曲がって、鬼怒川へ向かいます。小川を渡ったこの石標が宿場の端かもしれません。

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石標から10分ほどの左手に白沢の一里塚跡がありました。

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更に10分弱で鬼怒川の堤防に登りました。普段は流れが穏やかなので絹川と呼ばれたそうですが、一たび荒れると鬼が怒るのですね。

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10分弱堤防を歩いて、右に川原へ下ります。

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川原と言っても林の中を3分歩くと鬼怒川の渡し跡がありました。

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土手に登って阿久津大橋を渡り始めたのが14時55分です。この橋は車の通行量も多いのに歩道がありません。設計はどこか知りませんが、歩行者は無視されています。

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橋を渡ってすぐ右折、渡し場の有ったであろう旧道へ向かいます。

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適当に土手を下って旧道らしき所に出て、再度県道125号線に戻ってきます。

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道端に2体の道祖神がありました。

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15時37分、右手に将軍地蔵のお堂がありました。八幡太郎義家に由来するそうで、随分歴史があります。そうめん地蔵と呼ばれる逸話もあるそうです。

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勝山城址への案内と逆に右折して県道と分かれます。

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道なりに歩くとすぐ国道4号線を横断します。車も多く、広い国道を、信号も無く横断するのは気持良くありません。なんとか車の合間を縫って横断しました。

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国道からすぐ、「お伊勢の森」というのがあります。はるか昔、村の誕生と同時に伊勢神宮を勧請したとか。

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16時、東北本線の旧奥州街道踏切を渡りました。

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16時8分、大谷街道とかとの追分に着きました。ここを左折すると今日の目的地氏家宿です。

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左折する道が県道181号線、すぐに国道293号線と交差します。

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この辺りが一番にぎやかです。渡るとすぐ氏家駅の傍を通過しますが、この辺りが氏家宿の中心のようです。本陣や脇本陣跡が有るはずでしたが、見逃して、上町交差点を右折していくのが街道です。

交差点から5分、16時28分に今日の宿BHサンヒルに着きました。餃子工場とお店がホテルを経営しているのかな。

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親切な管理人さんにいろいろ教わって、近くのドラッグストアーで食料品を買い込み、部屋でテレビを見ながら食べました。

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明日は今日より4キロ長い26キロなので、早く寝ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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