郡上街道
久しぶりに街道歩きです。今回も山歩会メンバーと一緒に歩きます。郡上街道は下図のように、中山道の加納宿(岐阜市)から分かれて関市・美濃市などを経て長良川沿いに郡上八幡に至ります。さらに北上して美濃白鳥、そして長良川鉄道の最終駅北濃から山越えして石徹白まで、100キロ程の街道です。
街道沿いの長良川鉄道は旧国鉄の越美南線です。JR北陸線の福井駅から高山線の美濃太田駅までを結ぶよう計画されたと思いますが、福井からは九頭竜湖駅までで止まっています。つまり九頭竜湖から北濃までの30キロほどが繋がっていないのです。
それで我々は石徹白まで郡上街道を歩いた後、更に20キロ弱歩いて九頭竜湖に至り、越美南線と越美北線を繋いだ後、福井から北陸線で名古屋に帰ろうと計画しています。歩きとしては130キロほどを、5回延べ6日間で歩く計画です。
ところでこの郡上街道ですが参考資料が少ないです。ようやく古本屋さんで以下の資料を見つけました。貴重ですね。
昭和57年の岐阜県教育委員会の歴史の道調査報告書です。よく見つかったと思っています。でも40年前の報告書なので、その後、高速道路が出来たり、電車が無くなったり、団地が出来たりとか、いろいろ変わってしまったみたいです。でもなんとか歩けそうです。
2021年3月14日(日)
郡上街道歩きの1回目です。今日は加納宿の加納城址を出発して関市の関下有知駅まで24キロほどの予定です。
8時15分に岐阜駅に集合しました。駅の南側、加納口方面に出ます。いつも北側の正面に出ているので南側は初めてでしたが、こんなプロムナードが有ってびっくりしました。
駅のすぐそばにこんな光景、すごいですね。今回のメンバー8人です。
まず駅近くの加納八幡宮に旅の安全を祈願しました。立派な神社ですね。
天満宮の謂れを読むと加納城の謂れもよく解ります。
天満宮を出るとすぐ旧中山道です。ここは何回か歩いています。
その中山道を東に少し歩くと歩道橋があり、袂に加納城大手門跡の石碑と中山道加納宿などの案内があります。
その歩道橋を渡って南に5~6分歩くと加納城址公園です。
関市に向けて8時55分頃出発しました。先ほどの歩道橋を越え、少し歩くと名鉄の踏切を渡ります。その手前で中山道は右折するので、そこに大きな道標があります。
郡上街道は踏切を越えて直進ですが、郡上街道の案内は無く、御鮨街道の案内があります。
御鮨街道は長良川で穫れた鮎を馴れ鮨にして尾張藩が将軍家に献上した道です。2017年に歩いています。興味のある方はホームページをご覧ください。しばらくは郡上街道と御鮨街道は同じ道です。
JRの高架を潜ると道はややこしく変化しながら名鉄の各務原線の踏切を渡ります。そして国道248号線に出るのですが、その手前の三叉路を振り返っています。
248号線で郡上街道は右折しますが、御鮨街道は直進して金華橋へ向かいます。街道は248を直進でも良いと思いますが、梅林公園に寄るため1本北の道に出ました。後ろへ直進すると有名な柳ケ瀬に出ます。
梅林公園に入るとイノシシ注意の看板がありました。こんな街中にイノシシが出るんですね。金華山も近いですからね。
この梅林公園はなかなか広大で梅の種類や本数も多いですね。梅とD51が一緒に見られるのも珍しいですね。
トイレ休憩を済ませて9時50分頃出発しました。一寸遅れ気味です。国道に戻り東へ進みます。左手に金華山の岐阜城が見えます。
10時10分頃国道156号線の高架を潜りました。10時20分頃北一色の道標を通過しました。右善光寺道、左せき上有知とか刻まれているみたいです。
曹洞宗なのに美濃四国の全超寺や白山神社を過ぎると、琴塚古墳があります。時間が無いので寄りませんでした。
この辺りは名鉄美濃町線が通っていたみたいです。駅も有ったようですね。10時44分。
東海学院大学を右手に見ながら歩きます。日野権現の道標が有るというので探しながら歩きましたが、多分これでしょう。
11時頃、国道156号線に接する広い交差点を過ぎました。やや登り坂を岩田坂へ向けて登って行きます。
登り切ると岩田坂の歩道橋があります。11時15分です。ため池があり、御嶽の白い峰が見えました。岩田東で国道から左に分かれるのですが、下芥見の道標と言うのを探しましたが見当たりませんでした。11時25分。
左に入って20分ほど、御即位記念と彫られた道標がありましたが、大正4年なので芥見の道標ではないようです。
八幡宮を越えると田園が開けます。
田園を過ぎるとローソンがあり、右手に秋葉神社が祀られていて、その向かいあたりに芥見の道標が有るはずでしたが、見当たりませんでした。そのまま歩くと左から長良川の支流津保川が近寄ってきます。
そろそろ空腹ですが食堂などありません。でも御嶽の白い峰が慰めてくれました。
津保川を渡るリバーサイド大橋へのとり付き道路の下を潜って堤防に登ったのが12時半です。すぐに桐谷川と言う小川を渡りますが、そこから関市になるようです。
花丸うどんの看板で右折して昼食に行きました。結構混んでいました。
13時10分頃店を出ました。店の裏手の道を北上して、十五社神社の手前を左折、街道に復帰しました。すぐに桜橋で津保川を渡ります。
桜橋を渡ったところに馬頭観音が有るはずでしたが見当たりませんでした。津保川沿いに歩くと、ここも御岳山がきれいでした。13時35分頃、上白金で156号線に合流しました。そしてすぐの小屋名南で街道は左に分かれます。
歩いて行くと前方に石垣が見え、その上に役行者が祀られていました。謂れは不明です。
更に進むと県道に出ますが横断します。すると六部の供養碑や石仏がありました。小屋名の石仏と呼ばれているのでしょうか。
過ぎるとすぐ156号線に合流します。小屋名の追分と言って、飛騨街道が分れます。司馬遼太郎の「街道を往く」に、交通取り締まりの看板が括りつけられた道標が紹介されているので、見回しましたが見当たりませんでした(笑)。13時57分。
国道沿いに歩いて行くと、刃物屋さんの看板があり、刃物の街へ来たなと思わせます。
30分ほど国道歩きをすると小瀬に入ってきます。この辺りで左に入るはずなのですが、なにせこの郡上街道は道案内が一つもありません。調べた地図を頼りに歩くのですが、目印の無い小道ではなんともなりません。適当に左折したので確証はありません。
その後も曲がりくねって、とても地図を辿れないのですが、鮎之瀬橋の袂目指して歩きました。
14時45分に長良川を背にした永昌寺に着きました。
小瀬の石仏は見当たりませんでしたが、小瀬の鵜飼はありました。今年は鵜飼ができるといいですね。
長良川沿いの細い遊歩道に入ったのが14時50分頃です。対岸にはホテルが見えます。3~4分歩くと、岩をくりぬいた洞窟を潜ります。
10分位歩いた辺りの長良川です。
15時03分、遊歩道が終わり東海北陸道の下を潜りました。一寸高速沿いに歩いた後、右折して国道156号線にでました。左折して国道沿いに歩きます。下有知小学校を過ぎて15時27分、道沿いに下有知の石仏らしきお堂がありました。
ここを右折すると長良川鉄道の下有知駅です。一つ先の松森駅も考えましたが、今日はもう充分歩いているので、ここで止めることにしました。12~13分歩いて15時42分に下有知駅に到着しました。3分後の45分に電車が来ます。グッドタイミングです。
美濃太田駅までは30分弱です。反省会は美濃太田の回転すしになりました。
皆さん、お疲れ様でした。
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