甲州街道ポタリング2日目後半
今、図の上方、大武川を渡り富士山を眺めた辺りです。
渡ってすぐ左に入った辺りに旅館の近江屋さんがあると思ったのですが見当たりませんでした。国道沿いなのかな。しばらく走って小武川の手前で再度国道に出ますが、振り返ると八ヶ岳がきれいでした。
また左に入って気持ちよく走り、穴山橋の近くで国道に出たのですが行きすぎでした。
右折して街道に合流しました。付近に日本三大堤随一という徳山堤の説明がありました。この付近にあるようです。いや、その堤の上が街道になっているのかな。
この付近からは前方に富士山、後方に八ヶ岳と絶景です。
左下に県道12号線があり、それが旧甲州街道と言う人も居るようですが、山裾の道を走ります。その県道に近づいた所に小公園があったので昼食休憩しました。下円井バス停付近です。12時10分頃です。
20分の休憩で出発しました。まだ県道に入らず山裾を行きます。円井逆断層とか有るようです。予定のコースが通行止めになっていて、一寸引き返しながら県道にでました。ここからしばらくは県道を出入りしながら釜無川に架かる桐沢橋を目指します。13時に桐沢橋を渡りました。
渡ると国道ですが、それも横断して旧道に入ります。旧道の左手にも岸壁が続きます。七里岩と言って、溶岩台地を釜無川や塩川が削ってできたそうです。武田家ゆかりの新府城も、この台地の上に築かれました。
この旧道は正面に富士山を見ながら走りました。なかなか良い感じです。
国道に出て、また左に入って13時20分頃韮崎駅前の本町交差点にきました。一橋陣屋跡や本陣跡があるかと探しましたが見当たりませんでした。
そのまま走って13時35分に塩川橋を渡りました。
渡るとすぐ甲斐市です。
甲斐市もなかなか昔の風情が残る街並みがあります。12~13分走った所に舟形神社の石鳥居というのがありました。説明を読むと、室町時代前期の建造だとか。
塩崎駅前付近を13時55分に通過しました。近くに泣石という巨岩があります。勝頼夫人が新府城を去る際、涙を流したとか。
14時頃、高速の下を潜りました。
その後街道は登り坂になって進みますが、道なりに迷うことなく進めました。下り坂になった辺りからは眼下に甲府の街を見渡せます。
14時28分、竜王駅付近の線路を渡りました。そして国道52号線に合流します。高速の下を潜ると甲府市に入ります。
美術館通りと呼ぶようですね。美術館がありました。公園はなかなかの人出です。今日は日曜日なんですね。
荒川橋の手前に上石田のサイカチとかがありました。樹齢300年、本来は湿地に生える樹木だとか。
荒川橋を渡り、問屋町付近には15時頃来ましたが、それらしいものはありませんでした。
本陣跡付近のNTT交差点も特に何もなかったなあ。
そのまま石和温泉方面に向かうことにしました。石和温泉駅まで多分6キロ弱、電車は16時11分、現在15時02分なので充分時間はありそうです。ところが少し走って善光寺駅付近で右足太ももに痙攣が起きました。昨日は左足、今日は右足かと思いながら一寸休憩します。
一寸落ち着いたのでまた走り出しました。
15時22分頃、山梨学院の前を通過。駅伝を思い出しました。
この辺までは良かったのですが、この後、車道から歩道へコースを帰る際、小さな車輪が段差を登り切れず転倒してしまいました。傷は大したこと無いのですが血が止まりません。しっかり止血している時間も無いので、そのまま石和温泉駅まで走りました。
自転車を畳み、片手でタオルで傷口を抑えながら乗車しました。土産物屋さんにも入れませんでした。
甲府で特急に乗り換え、1時間ほど傷口を抑えながら塩尻に着く頃に、ようやく血が止まりました。やっと売店に行って必要物資を買い整え、小宴を開きながら帰りました。お疲れ様でした。
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