古座街道3日目後半
地図を再掲しましょう。今、右下、大附分岐へ来たところです。これから山道に入り、法師峠を越えます。
ここからは古川谷というのを遡るようです。最初はまずまずの林道です。
15分ほど歩くと金比羅宮です。11時です。
ここから法師峠まで、ガイドマップでは2キロ65分となっています。あと2キロか、まあ30分ちょっとだなあ。法師峠は意外と楽だったなあ。と、何故65分なのかを考えず、峠で弁当を食べようと、さきを急ぎました。
少し歩くと道が荒れてきました。
そしてここで右折しました。11時11分です。ガイドマップの右折して小川を渡るという説明が頭にあったからです。
でも結局間違いで、一寸早すぎました。10分ロスしました。3分進むと土砂崩れで道が無くなってきました。さっきの道が正解だったのかなと辺りを見回すと、倒れた道案内が見つかり、ほっとしました。
ここで小川を渡り、右側の尾根を登るのでした。よく見ると要所に道案内もありました。
でもまだまだ楽はさせてくれません。険しく、細く、荒れた道を進みます。
小川を渡ってから40分、険しい登りの末、ようやく峠に着きました。12時3分でした。2キロ65分はピッタリだったなと苦笑いです。
ここで25分、昼食休憩しました。
ところで、昼食後出発してすぐ、大きな失敗をしそうになりました。
峠から10mほど下った所に上の写真のサインがありました。なにげなく踏み越えようとして、はっと気づきました。通行止め。
通常なら当然気付きますが、倒木ばかりの荒れた道を歩いていると見分けがつかなくなります。幸い気付いて右折し、事なきを得ました。通り過ぎていたら、道なき道を荒れているなあと思いながら悪戦苦闘していたでしょうね。
この後は良い道悪い道ありますが、大きな間違いも無く、出口まで降りて行きます。
上の写真が法師峠出口でしょう。13時06分。40分弱の下りでした。 石仏地蔵まで20分一寸。
大泉寺の前が丁度14時でした。
ところで今日は夕方5時ごろから雨の予報でした。それも早く着きたい理由でした。それがどうも空模様が怪しい。左の道を登ります。
登ると福田家住宅です。明治から大正期に建てられた山林家の住宅です。昔は林業は儲かったのですね。
家の前で出会った地元の奥さんに話を聞くと、ここから見えている山は全てこの家の主のものだそうです。すぐ近くの役行者像。
パラパラ降ってきました。14時30分に栗垣内口バス停です。
ここのバスは周参見駅から来ています。この道を司馬遼太郎は登ってきたわけです。今晩の大雨が明日も続くようなら、バスで周参見へ出ようと思っていました。
バス停から10分ほどで、佐本です。酒屋など商店はすべて廃業していて、唯一農協の店だけが開いて居ました。
今夜の宿、COCOゲストハウスさんから、食料品店もなにも無いから自炊の食料は持ってくるようにと言われていたので準備はしてきました。でも少し心配はお酒が足るだろうかということでした(笑)。
それで、農協の店で聞いてみると、免許が無いので酒類は売っていませんと。免許制度なんて何の理由があるのかしら。近くの中山神社の参道の石橋です。
道は県道38号線に変っています。その県道から右に入って、小中学校跡の前を通って臨泉寺というお寺を見に行きました。
それから、こんな道が街道かとも思うが、畦道を通ります。
お地蔵さんにぶつかって右折します。
そして県道に出会ったところがCOCOゲストハウスさんでした。お父さんに、明日の行程に関し、いろいろ教えてもらい、手書きの地図までもらえたのは望外の幸せでした。
好物の焼きそばを作って食べましたが、冷蔵庫に缶ビールを準備して頂いたのは感激でした(笑)。
明日は雨があがりますように。
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