高野街道2日目後半
2020年1月6日(月)
地図を再掲します。現在11時半。紀見峠から下ってきて、国道371号線の橋本バイパス入口、図の中央付近、不動堂の一寸下あたりに居ます。
7分ほど歩くとお寺の旗がはためいていました。街道はこの辺に降りてくるのが正解でしょう。さらに7分、11時44分に五里石を見つけました。
さらに5分、清恭寺というお寺の向こうで右折し、高架道路の下を潜ります。11時50分頃です。
街道は少し登りながら御幸辻駅の方へ進んでいきます。
御幸辻という場所があるならこの辺りだなという場所、駅の近くです。12時10分。
すぐに牛頭天王がありますが、ここで一寸間違えました。
牛頭天王の手前を左折してすぐ右折が正解で、すぐ国道に合流します。12時20分です。もう少し行けば食堂があったはずだと国道を歩きます。
12時半過ぎ、自動車道の少し手前に目当てのラーメン屋さんがありました。人気の店みたいです。
13時に店を出ました。自動車道の下を潜る道を探しましたが裏道は無く、引き返して国道を歩きました。20分ほど歩くとJR和歌山線の高架を潜ります。ここに高野街道の大きな看板があります。
実は昨年4月、大和上市~和歌山城まで和歌山街道を歩きました。そのときここを通っています。潜るとすぐに分岐があり、高野街道の道標があります。
ここは右へ行きましたが、必ずしも正解で無いかもしれません。ここに四里石があるとの情報でしたが見当たりませんでした。13時30分国道24号線に出ました。
直進して紀ノ川の土手に出て、当時は渡しが有ったのでしょうが、今はありません。左折して橋本橋を渡るのが現代の高野街道です。一応直進してみましたが土手に登る道が無く、国道に戻りました。橋本橋の手前堤防に、東家渡し場大常夜燈がありました。
四里石もここに移されていました。13時35分です。
橋本橋の手前に高野七口の一つ黒河道の案内があり、平成28年に世界遺産になったと書かれていました。
我々が進んでいる高野街道は学文路から不動坂道になるのですが、ここはまだ世界遺産ではないような。有吉佐和子の小説紀ノ川を思い出しながら紀ノ川を渡ります。
渡ってすぐ右折し、紀ノ川から離れかけた所に三軒茶屋大常夜燈があります。
そこから5分一寸、13時56分に西行庵とも言われる六地蔵堂があった。13時56分です。
国道371号線の下を潜ると鎌不動明王のお堂があります。謂れは解りません。
14時18分、左側に学文路天満宮の鳥居がありました。学文路天満宮は左手の山の中腹にあるようです。
14時30分、かむろ地蔵尊がありました。聖徳太子ゆかりの学問の地蔵さんだそうです。
その前に三里石があります。
もう学文路駅はすぐです。14時40分に電車がありますが、無理しないことにしました。14時34分国道370号線を渡ります。郵便局の前に国境の碑がありました。紀州藩の領地と寺領の境だそうです。
再度国道に帰ってきたのが14時37分。今回の我々の行程はここで終わりです。
ここから高野七口の一つ不動坂の登りが始まります。右へ国道を200m進めば学文路駅です。
走れば間に合いそうですがやめました。学文路駅に着いた時、丁度電車が出ていきました。
13時15分の電車で難波に向かいました。橋本乗り換えです。途中、昨晩泊まった紀伊見荘がみえました。
16時25分に難波について、お疲れ様と反省会は、いつものことです。
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