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2019年12月23日 (月)

西国街道2日目

2019年12月20日(金)

今日は石橋から神戸の三宮駅まで30キロほどの予定です。

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昨晩は久しぶりにFさんと逢って一寸飲みすぎ食べ過ぎたので、朝はまだお腹も空いていなかった。それで朝食抜きで7時15分位に宿を出発しました。

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宿を出てしばらくすると阪神高速の下をくぐりますが、下の道路のさらに下を階段で2度も潜りました。

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潜ってすぐ右手に受楽寺というお寺が有り、大きな石碑があるので眺めてみると、落語家の桂春団治の碑でした。

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受楽寺を出て軍行橋へ向かうと、手前の国道171号線に浄源寺というお寺があり、境内に大きな銀杏の木がありました。そこに西国街道の案内があり、ここ下河原の目印になっていたようです。

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7時45分、猪名川を軍行橋で渡りました。

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渡ってすぐ堤防道路を南下するのですが、歩道が無く、車も多いので嫌な道です。堤防を右に降りると歩道があり、西国街道の案内も有ったのでほっと一息です。

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この辺り、伊丹空港からの飛行機が、ひっきりなしに飛んでいます。

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工場地帯を抜けて行くと県道13号線にでます。その手前右側に多田街道という案内がありました。説明では、ここ北村は多田街道(多田村に多田院というお寺があったみたい)の交差点、辻だそうです。

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県道を越えると急な登り坂です。伊丹坂と呼ぶようです。今回私が辿った京都から三ノ宮では、唯一ここだけが急坂でした。

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坂の途中に和泉式部の墓120mの案内が有ったので見に行きました。8時頃です。

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短い伊丹坂を登り、少し行くと大鹿という地域に入ります。坂上田村麻呂が狩りで大鹿を射止めたのにちなむそうです。大鹿は西国街道と有馬道の交差点だそうです。先に西国街道は豊臣秀吉の朝鮮出兵のとき整備されたと書きましたが、ここの説明では、平安時代に京都と大宰府を結ぶ道として整備されたそうです。

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また大鹿は清酒剣菱の里だそうです。8時20分頃、兵庫県伊丹庁舎のまえを通りました。これから昆陽宿へ向かうのですが、その間にもいろいろ西国街道の案内や道標があります。

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8時40分頃、また国道171号線に合流しました。西天神社入口とあります。

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左折して少し行き、県道と合流する辺りで地下道を潜りました。また左折して一旦国道と分かれるのですが、その前に近くの昆陽寺へ行くことにしました。昔は昆陽寺山門は西国街道に面していたそうですが、道路工事などで変わったのでしょうか。

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境内を一渡り参詣していると空腹になってきました。境内の東屋をお借りして、昨日Fさんが今日のお弁当に呉れたバッテラを食べることにしました。

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食べ終わって昆陽寺を出たのが9時10分頃です。一寸引き返して寺本東から街道に復帰しました。

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この道でいいのかなと思いながら行くと、小公園に閼伽井の井戸の案内がありました。

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一旦国道に出て、すぐまた国道と分かれます。街道は直進して武庫川の堤防にぶつかります。昔はここから渡し船で対岸に渡った訳ですが、今は無いので、下流の甲武橋を渡ります。ふと思いついて堤防を登り、堤防道路に出てみました。するとやはり髭の渡しの案内がありました。

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髭をはやした老人が営む茶屋があったので、髭の渡しと呼ばれたのだそうです。朝のウオーキングを楽しんでいる地元の人に混じって、河川敷を歩いて甲武橋まで下り、橋を渡りました。

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対岸でも河川敷に降りると自転車道路がありました。9時35分です。

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先ほどの髭の渡しの説明まで遡った辺りに階段があり、堤防道路を渡って下に降りました。一寸引き返すと、そこは報徳学園でした。甲子園でよく聞く学校でしょうか。その北側の道を行くと、西国街道の案内がありました。無いと見逃しそうな細い道です。

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ここからも解りにくく曲がりますが、要所に案内があるので助かります。

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新幹線の下を潜り、街道は門戸厄神駅へ向かいますが、途中に昔の道標が2基。甲山観音と厄神明王への参道を示します。聖徳太子ゆかり厄神さんは昔から参詣が多かったのでしょうね。

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門戸厄神駅からは多勢の若い女性が下りてきます。何があるんだろうと思いましたが、神戸女学院があるのでした。

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10時15分頃、再度国道に合流しました。

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右折して少し進み、青木町という辺りで左折して、海岸方面へ進みます。阪急電車を潜り、国道2号線を渡って、阪神高速の手前を右折して神戸方面に向かいます。

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西宮神社に着いたのは10時43分です。資料によっては東寺からここまでを山崎道、ここから下関までを山陽道と呼んでいます。

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お酒の神様ということで、丁寧に参詣しました(笑)。余談ですが、ここのトイレは素晴らしいですね。

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10時55分、神社を出ました。三宮までは、後15キロ位でしょう。ここからしばらくは阪神電車に沿って進みます。香露園駅、打出駅と通ります。打出駅前で一寸道を間違えました。

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芦屋駅付近で国道2号線に合流すると、まもなく神戸市に入ります。11時半頃です。

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一寸判り難いのですが、本山中町を過ぎた辺りに天上川と言う小さな川があります。そこを右折して、田中公会堂の前を左折するのが街道みたいです。

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少し行くと右手にくび地蔵という変わったお地蔵さんがあります。

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一寸坂を登って再度国道に合流します。住吉川を渡り、住吉駅前付近を左折します。一寸南下すると住吉公園があるので、そこを右折して、公園に沿って進みます。すると阪神電車の御影駅です。この付近は灘五郷の一角で、菊政宗など酒蔵が多いのです。今年3月に酒蔵巡りをしたので懐かしい場所です。12時05分頃です。

御影駅を過ぎ、学校の横で右折すると前方に立派な黒松があります。近づくとやはり街道の案内がありました。ここを左折します。

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石屋川にかかる小さな橋は一里塚橋です。昔は一里塚が有ったのですね。写真は振り返っています。

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一寸南の阪神沿いの道を行きます。新在家駅を過ぎ、学校で右折します。ここは学校の正門の前に、烏帽子地蔵という小さなお堂があります。学校の名前も烏帽子中学です。

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大石駅付近の都賀川という小さな川で右折、一旦国道2号線にでます。国道は麻耶駅付近で左折していきますが、街道は直進です。道なりに進むと前方に神戸市役所のビルが見えてきます。住友ゴムビルのポケットパークで小休止しました。ビルを越えた辺りに西国街道の案内があります。12時50分です。

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大安亭市場とかがあり、その前にも西国街道の案内があります。さらに進みます。

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もう三宮は目の前ですが、生田川を渡る雲井橋にも西国街道の看板が掛かっています。

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繁華街を通り抜け、13時丁度に三宮駅到着です。そこにも西国街道の案内があります。

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二日間お疲れ様でした。三ノ宮付近を一寸ぶらぶらして、新大阪に行き、そこから新幹線で帰りました。

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2019年12月22日 (日)

西国街道1日目その2

地図を再掲します。左下です。

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12時半頃店を出て、少し行くと芥川の一里塚です。当時の木かどうか解りませんが、木も残っています。

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この一里塚は芥川宿の東口に有ったと説明されているので、ここから先が芥川宿なのですね。すぐに芥川でしょうか、小さな川を渡ります。その袂に橋詰地蔵とか、2.3の道標がありました。ここまでが芥川宿です。

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橋を渡り、氷室町に入ると妙見道の道標があります。更に進むと藍野大学があります。その先の東太田4丁目の交差点を右折すると、継体天皇陵があります。

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更に先へ進むと右手の公園の中にも継体天皇陵がありました。二つの関係はどうなっているのでしょう。

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疑問は解明せず先に進みます(笑)。この辺りは既に茨木市に入っています。茨木市でも西国街道の案内が随所に有り、心強いです。名神を潜り耳原に入ります。何か由緒ありそうな地名ですね。

茨木川を渡ると中河原です。ここは戦国武将中川清秀の生誕地で、西国街道と亀岡街道が交差する、交通の要衝だったそうです。

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13時33分に、このポケットパークを出発、郡山宿本陣に向かいます。10分ほどで着きましたが、工事中でした。大阪北部地震とやらで崩壊の危険ありと判断されたようです。

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更に3キロ、15分ほどで大阪モノレール豊川駅の下を通過します。14時頃です。

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ここを越えると、すぐ箕面市に入ります。14時25分頃、勝尾寺参道の鳥居を通過しました。

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今宮の交差点を渡り、14時40分頃、国道171号線に合流しました。

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国道423号線との交差点を過ぎ、適当に左折して萱野三平旧宅を目指しました。一寸道に迷って引き返したりしましたが、なんとか14時55分には辿りつきました。

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萱野三平は赤穂義士外伝で有名な話です。一寸邸内を見学しました。無料です。再度国道に合流して、牧落の交差点で、今度は右に入ります。

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高札場跡は説明だけです。そこは西国街道と箕面道の交差点でもあります。石橋のある池田市はもうすぐですね。

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この先の半町や瀬川付近は昔の馬駅や本陣の有る宿場だったそうです。

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ここを過ぎると池田市で、すぐ阪急の石橋阪大前駅です。宝塚線と箕面線がここで分かれます。ホテルは駅のすぐ近くです。

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この近くに、私の母の代から家族ぐるみでお付き合いしていたFさんが居られるので、今夜一杯やりましょうと連絡してありました。

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Fさん、いろいろ有難うございました。

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2日目に続きます。

 

 

 

 

 

西国街道1日目その1

西国街道は京都から下関まで瀬戸内海に沿って伸びる577キロの街道です。豊臣秀吉の朝鮮出兵の折に整備され、江戸時代には西国大名が大阪や京都の街中を通らず参勤交代する街道として利用されました。

今回その京都から神戸の三宮まで70キロほどを一泊二日でポタリングしました。

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2019年12月19日(木)

1日目は京都駅から大阪府池田市の阪急石橋阪大前駅まで40キロ弱の行程です。

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軽量8キロほどの折りたたみ自転車を京都駅で組み立て、7時50分頃には出発しました。

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西国街道の起点は一応東寺の辺りと言うことで東寺に向かいました。8時05分頃到着です。

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平安京の時代、都の中央を南北に通る朱雀大路があり、その南の入り口が羅城門で、その東西に東寺と西寺がありました。東寺は今も健在で、その五重塔は京都のランドマークですね。羅城門は九条通りから一寸入った小公園に石碑があります。

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西寺は羅城門の一寸西に西寺公園があり、そこに石碑と礎石が少し残っています。

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それらを一応一通り見て、8時半頃、ようやく吉祥院の西国街道に入りました。入るとすぐ右手に「ひむき地蔵」さんのお堂があり、そこに西国街道の案内が建てられていました。

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その石碑の上面の説明に577キロが書かれていました。

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吉祥院を過ぎ、桂川を久世橋で渡ります。渡ってすぐ堤防を南下、愛宕大権現の参道石碑が目印で進みます。9時10分頃、JRの線路を地下道で潜り、向日町駅を通過します。

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阪急の踏切を渡った商店街の入り口に、大きな西国街道の案内がありました。街道筋の市町村は意外と西国街道を意識しているようです。

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この向日市の街道筋は石碑や道標がいろいろ建っていて、目を楽しませてくれます。

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向日神社を過ぎ、道が石畳の舗装になり、9時40分頃一文橋に来ました。ここにも西国街道の石碑や観光案内があります。バス停では次が一里塚です。

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一文橋から10分弱で神足商店街に入ります。「こうたり」と読みます。JRの神足駅が今は長岡京駅と名前を変えました。

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商店街を過ぎると京都縦貫道の下を潜ります。ここが調子八角という交差点です。

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ここは西国街道から丹波街道が分岐する交通の要衝だったそうです。10時10分頃ですが小休止しました。

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大山崎町に入り、天王山を右手前方に見ながらす進みます。名神高速の下を潜り、すこし行くと大山崎黒門跡という、山崎合戦ゆかりの地があります。そこに石敢當の石碑を見て目を疑いました。

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石敢當は沖縄で道の突き当りに置く魔除けですが、沖縄以外では見たことがありませんでした。写真は私の創作で、石敢當の文字は石碑の側面に彫られています。見えないので創作したのです(笑)。西国街道に石敢當が有るとわねえ。

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離宮八幡宮が10時35分頃、一寸お参りしました。ここ大山崎は桂川・宇治川・木津川の三川が合流して淀川となる水運の要衝です。対岸には石清水八幡宮があり、両社は密接な関係にあるようです。またこの離宮八幡宮の神人が、室町時代、油の独占販売権を得て、強大な権力を持っていたと歴史で習ったような。

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離宮八幡宮を過ぎると大阪府島本町に入ります。そこにサントリーの山崎工場があります。

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JR島本駅の近くに桜井駅跡があります。

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駅と言っても現代の駅ではなく、駅(うまや)です。奈良時代ごろから始まったそうですが、替え馬を配置した役所のようです。ここ桜井駅は室町時代足利尊氏の大軍を迎え撃つ楠木正成が、我が子正行と別れた桜井の別れで全国に知られています。

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11時頃、桜井駅を後にしました。島本町を出ると高槻市梶原です。ここに何かのお堂と思って通り過ぎそうですが、一里塚跡の案内がありました。道の反対側にも何か史跡があったような(笑)。

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一里塚跡から3キロ程でしょうか、20分一寸かかって11時35分頃、関西大学の大きなビルが左手に現れました。

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そろそろ空腹で街道を左折して高槻駅に行ってみましたが、自転車も置けそうな気に入った店がありません。高槻駅付近は過って芥川宿という宿場町だったそうで、その名の付いた商店街を歩いていると、「芥川仇討の辻」に出た。江戸時代初期の有名な仇討美談がある場所だそうです。

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この辻の近くの中華料理店で昼食休憩にしました。11時55分頃です。

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午後の後半に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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