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2019年11月 7日 (木)

北国街道ポタリング3日目 福井~加賀温泉その1

2019年11月2日(土)

今日は福井から加賀温泉の40キロほど、特にアップダウンは無い予定です。多分、14時頃には到着する予定で、15時13分発のしらさぎの切符を買っています。

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6時半からホテルの無料朝食がありましたが、質量共に満足できる朝食でした。エコノ福井さん、なかなか良いホテルです。7時頃出発して、昨日の松本交差点へ7時11分に到着しました。

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松本交差点の1本東を左折します。すぐ加賀口御門跡です。大国加賀藩に備える重要な御門だったそうです。

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10分ほど行くと、ひっそりと一里塚跡が左にありました。そこを左折しました。

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えちぜん鉄道の踏切を渡り、県道30号線へ進みます。事前調査どうり県道を出入りしながら高木2丁目辺りで再度県道に合流しました。そこにコンビニが有ったので、今日のお握りを購入しました。7時45分頃です。

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そのまま道なりに進むと九頭竜橋に着きました。7時52分です。

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この橋は柴田勝家が架けた舟橋が最初で、以降明治まで舟橋のままだったそうです。明治23年、明治天皇の巡行にあたり、本橋にかけけられたそうです。

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橋の向こう側にも、明治天皇や舟橋、宿場などの案内があります。

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8時に九頭竜橋を離れました。一応上森田町で左折すると注意しながら走っていたのですが、結局通り過ぎてしまいました。住所表示で間違いに気づき、引き返しましたが、適当に曲がって、なんとか街道に復帰しました。青線が正解です。

街道に復帰したかどうかは、この辺り道案内が無いので確信は持てませんが、古い街並みの雰囲気で感じ取りました。上森田町付近は新興住宅街で解りませんでした。8時35分頃、日吉神社がありました。

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順徳天皇御霊御駐レン所という石碑がありますが、承久の変で敗れ、佐渡島で没した順徳天皇の御霊を、明治になって京へ送り返す際に、ここで休憩したということだそうです。

県道30号線に出て、一寸行くと追分地蔵がありました。通りかかった奥さんに、ここを左に行くとどこへ行きますか?と聞くと、即座に吉崎道ですと答えてくれました。感心して左に入りました。

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地名としては春江町から丸岡町に入り、地図に従い走ったが、この辺り何か大掛かりな道路工事が行われていて、各所で通行止めがある。なんとかスポーツランドの前の街道に入る。そこに十郷用水とかの案内があった。9時4分です。

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この辺りから北国街道では無いが、蓮如道という新しい道標が見られるようになり、大いに助けられる。

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5分ほど走った舟寄に石柱道標があった。そしてすぐ地蔵堂も。

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そして道は丸岡駅に向かって1本道です。丸岡駅前には十郷橋という土木遺産があった。9時半です。

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駅付近の交差点を過ぎると、すぐ右に一里塚跡、反対側に「お早、良作慰霊地蔵」があった。

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お早・良作というのは越前では有名な悲恋物語だそうです。更に1本道を15分ほど進むと、振袖地蔵がありました。天保の大飢饉で、振袖姿の娘さんも多数餓死して、哀れを誘った慰霊碑だそうです。

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そして5分で石団子の碑です。これは親鸞聖人に団子のお布施を断った老婆の話です。

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更に7~8分進むと、田圃の中に一里塚跡があります。関の七曲りの一里塚と呼ばれたそうです。

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この辺りから、例の蓮如道の道標が短い間隔で建てられて、ますます助かります。

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街道はあわら市に入ってきました。あわら市役所が10時20分です。あわら市は江戸時代は金津宿と言う大きな宿場町だったのですよね。竹田川を渡る橋に近い商店街では「六日あきん道」という表示がありますが、どういう意味でしょうか。

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橋を渡って一寸右奥に金津神社があります。金津町内に1500戸の氏子を持つ立派な神社です。

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その神社の隣に近代的な建物の金津本陣があります。図書館や資料館などが入る文化センターで、トイレを借りました。旧本陣跡か何かでしょうか?

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街道に戻って西に進み、県道29号線(嶺北縦貫線)の手前を右折すると「坂の下宿場口跡」があります。説明によると、金津宿は江戸時代300年に渡って北陸街道の大宿場でした。もっと前は親鸞聖人や源義経、江戸時代には参勤交代の大名や松尾芭蕉も通りました。

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宿場口からは一寸坂を登ります。宿場口から10分ほどで千束の一里塚がありました。10時52分です。

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更に5分ほど進むと道が左右に分かれます。街道は左の登り坂で、すぐ県道29号線に合流します。

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広い県道は車の往来も多く、注意が必要です。

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県道を15分ほど走ると「嫁威しの谷跡」があります。嫁の信心を辞めさせようとした姑の伝説です。

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更に5分ほどで街道は県道から左に分かれますが、例の蓮如道の道標が教えてくれます。

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この道筋には結構この道標があって安心して進めます。

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道標に助けられながら細呂木の集落に入り、観音川の橋の袂に関所跡の碑がありました。この関所は、1日目に通った今庄の板取関所と共に福井藩の南と北を守るもので、入鉄砲と出女に厳しく、明治2年まで続いたそうです。

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時刻は11時40分。そろそろどこかで弁当と思いながら橋を渡ります。少し行くと、「トンボやメダカを育てよう」とか書かれた池がありました。昼食はここにしました。11時45分です。

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午後は後半に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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