奥の細道 白河の関
奥の細道の冒頭に、こんな文章がある。「月日は百代の過客にして・・・・・、白河の関越えんとそぞろ神のものにつきて心をくるわせ、・・・」
ということで今回私も那須岳を1日で切り上げて、白河の関へ行こうとしています。昨夜泊まった黒磯駅から東北本線普通で4駅、20分ほどで白坂駅に着きます。そこから境の明神まで3キロ一寸、白河の新関を見て、その後芭蕉同様、白河の古関を見に行く予定です。
2019年9月15日(日)
ホテルの5階から昨日登った那須岳が見えます。昨日と打って変わって晴天です。引き返そうかと思いました(笑)。中央が茶臼岳です。
8時13分、白坂駅に着きました。無人駅です。
県道183号線に出る所にアウシュヴィッツ平和記念館なるものがありました。何故こんな所に?
国道294号線、旧陸羽街道に出て右折します。これが江戸時代の奥州道中で、芭蕉もこの道を歩いています。国道に入るとすぐ、白坂宿北入口の案内がありました。勉強する間もなく来たので、ここに宿場があることも知りませんでした。
白坂宿は豊臣秀吉の奥州仕置に始まるが、正式には1676年白河藩の命により建設され、奥州諸藩の宿泊に充てられ、奥州街道随一の宿場だったそうです。不勉強でした。観音寺の前に説明があります。
8時50分、白河の関まで6.5キロの案内があります。白河の関は新関と古関があります。能因法師や西行が訪れたのは古関です。古関は東山道に作られ、蝦夷の南下に備えていました。時代が移りその脅威が去り、人の流れも変わって、室町時代には新関に変わっていたようです。
新関はこれから行く、1キロ程先の境の明神にありました。道端には様々な石碑や石仏があります。
9時4分に境の明神に着きました。当時の案内があります。でもこれは白河藩側のみの説明でした。黒羽藩側の神社もあったようです。
白河二所之関址の碑
境の明神
5分ほど居ただけで引き返しました。今日はバスの時間に追われていて忙しいのです。引き返して一寸休憩、9時30分頃、例の案内に従って古関への道に入りました。6.5キロ先の関の森公園から出る11時半のバスに乗らないと、15時15分までバスが無いのです。
この道は途中に人家は無く、田圃の中の長閑なみちです。道端の要所には小さな「おくのほそみち」の石碑が付けられています。
小さな峠を越えてしばらく下って、10時15分頃、県道76号線に出ました。
南湖公園は白河藩主水野忠邦が造った、日本最初の公園だそうです。またここから古関にかっけては旗宿と呼ばれ、古代の宿場があったそうです。
のどかな風景ですね。
10時42分、はるか向こうの森が古関跡です。右の建物は関の森公園です。
関守橋を渡ります。
10時50分、古関跡に到着しました。
この関址は江戸時代にも場所が不明だったそうで、それを水野忠邦が様々な文献を調べて、この場所だと断定し、石碑を建てたそうです。
白河神社入口です。
白河神社
二位の杉
関の森公園の売店
ここから白河駅までは30分一寸です。反省会の場所として、新白河駅前とどっちが良いのでしょうか?通常は古い宿場の白河駅ですね。でも、ネットで調べると新白河の方が店が多い。新白河にしました(笑)。
新白河から東京までは1時間半ほどで、意外と早い。ここで皆さんと別れました。今晩は東京に泊まって、明日は甲州街道の一部を歩く。又は上野の国立博物館の見学、両様の構えです(笑)。
今回、以前から一度泊まって見たかった、東京セントラルユースホステルを予約しました。飯田橋の18階にあります。夜景きれいです。
反省会の疲れか、ひと眠りしました。9時頃目が覚めて、夕食に出かけました。中華、うどん、牛丼、選り取り見取ですね(笑)。寿司屋へ入りました。晩酌セット780円に惹かれました。
一寸追加しても2000円弱、飯田橋も良いですね(笑)。
今日は長い1日でした。明日は東京散歩です。
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