初瀬街道沿いの三重四国その3
初瀬街道は下図のように、三重県松阪の六軒町から奈良県の初瀬(長谷寺がある)までの街道です。そのうちその1と2では下図赤丸の名張付近、近鉄線の北側を歩きました。今回はその3、伊賀神戸辺りです。最後にその4で名張の南側が残っています。
2019年7月26日(金)
明日は台風6号が紀伊半島に上陸するということで、急遽行くことにしました。9時40分頃、伊賀上津駅に降り立ちました。
下図のように初瀬街道はここ伊賀上津駅の近くを通っています。私もその初瀬街道へ向かいました。
この付近は当時伊勢地宿と言う宿場が有ったのだそうです。
初瀬街道を一寸入った所に今日の一番手42番善福寺があります。ここではっと気づきました。御朱印帳を忘れて来たのです。急に決めるとなにか忘れますねえ。仕方無いので白紙に印を押して、それを持って帰って貼ることにしました。でも、その白紙もありません。お寺にどなたか居られることを祈るばかりです。
周囲の山にお墓が結構ならんでいます。珍しい景観です。
幸いなことに、普段は無人なのに、たまたま、奥さんが用事で来ておられました。仏様のお引き合わせですね。半紙を頂きました。御朱印はセルフです。
寺を出て、少し初瀬街道を歩きます。常夜燈も有り、街道の雰囲気です。
伊賀市防火水槽のマンホール蓋がカラフルできれいです。これ結構高価なんです。メーカー出身ですから(笑)。
次の41番宝巌寺が線路の向こうなので、国道165号線に出て一寸歩いた所で街道と別れました。車の多い国道歩きから解放されて助かりました。近鉄の線路を潜って行きます。10時半頃です。
20分ほどで宝巌寺の有る寺脇の集落に到着しました。お寺は一寸高台にあります。
参道脇の石仏です。
ご本尊は十一面観音、御朱印はセルフです。
再度近鉄の線路を渡り、初瀬街道である国道と線路の中間の田圃道を青山町駅に向かいます。のどかな雰囲気は電車の車窓からもいつも感じています。この雰囲気は赤目口ふきんまで続きますね。
道端に足止め地蔵尊が祀られていました。こんな立派な石仏は街道沿いしかないのですが、謂れは一寸判りません。
11時23分、青山町駅の前に来ました。ここを11時55分発のバスで43番常楽寺に行こうと思っています。常楽寺のある種生までは8キロ近く有るので一寸歩けません。
時間も有るので、ここを左折して初瀬街道に合流しました。初瀬街道もここで国道と分かれ、木津川を渡って阿保宿に入って行きます。
橋を渡ると阿保宿の案内があります。
その横に本居宣長の菅笠日記の碑があります。本居宣長が立ち寄ったことがあるらしい。
阿保宿は先の伊勢地宿に比べると格段に規模が大きいようです。中ほどに若戎の造り酒屋さんがあり、そこに宿の案内もありました。
宿の外れに懐かしい〇〇百貨店の看板が、そのすぐ向こうに上野口のバス停があるので、ここのベンチをお借りして、昼食休憩しました。
43番常楽寺のある種生(たなお)まではバスで25分位掛かりました。付近に石仏や常夜燈も多く、謂れありそうなしゅうらくです。徒然草の兼好法師の碑があるようですが、謂れは解りません。
その前にある常楽寺は隣の種生神社と繋がっています。御朱印はセルフです。神社にもお参りしました。
30分ほどで乗ってきたバスが引き返してくるので、それに乗ってまた上野口へ帰ってきました。13時15分です。ここで初瀬街道と別れて右折します。
再度木津川を渡り、近鉄の下を潜って、伊賀鉄道の比土駅方面に向かいます。途中、駅の手前に「城之越遺跡」の案内があり、心惹かれましたが坂道だったので止めました(笑)。
伊賀鉄道の線路を渡って右折、40番常福寺のある古郡の集落を目指します。13時45分頃です。
古郡の集落も小さいけど風情があります。蘇民将来の注連縄も飾っていました。
集落の外れの高台に常福寺はありました。
ここは今日初めて住職が居られたので、手書きの御朱印を頂きました。
高台からお大師さんが、遠く伊賀平野?を眺めておられました。
帰りは木津川を沈下橋で渡って、伊賀神戸駅まで25分位です。
伊賀神戸駅到着は14時50分。15時発の急行にゆっくり間に合いました。
帰りの缶ビールも旨くて、久しぶりのウオーキングの心地よい疲れがたまりませんでした。
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