大和街道沿いの三重四国
三重四国を再開しました。足の痛みの検診で中断していた三重四国を再開しました。
伊賀の国は大和街道、伊賀街道、初瀬街道が通っています。前回は初瀬街道沿いの名張付近でしたが、今回は大和街道沿いを歩きます。
2019年5月31日(金)
上の図の左上、JR関西線の島ヶ原駅から伊賀上の駅まで12キロほどを歩きました。
10時過ぎに島ヶ原駅に着きました。多分誰も降りないだろうと思っていた駅に、男女4人連れが降りました。珍しいなと思っていると、向こうもそう思ったのか「大和街道を歩かれるのですか?」と話しかけられた(笑)。
お一人は、この辺りに親戚の有る、大和街道付近を歩かれているグループだそうです。駅前の道案内を見ると、いろいろ名所旧跡がありそうですね。私は10年以上前に大和街道を歩いてはいるものの、島ヶ原駅前は初めて来ました。
駅前を一寸引き返し、線路を渡って37番観菩提寺へ向かいます。正月堂と言う方が通じる見たいです。足の血行に合わせてゆっくり歩きます。
グループの方に薬師堂を教えてもらいました。南北朝時代、後醍醐天皇の頃彫られた磨崖仏が本尊です。
右が薬師如来、左が釈迦三尊像です。他にもやや時代は遡りますが、釈迦三尊像と六地蔵の磨崖仏があるようです。
10時50分頃、正月堂の入り口に到着しました。立派な構えですね。天平時代の開創で有名な古刹だそうです。
楼門や本堂は重要文化財だそうです。ここは奥さんが居られました。
11時過ぎに寺を出て、36番徳楽寺に向かいますが、ルートを山側にとって、果号寺のシブナシガヤという植物を見に行くことにしました。鄙びた山里の道を歩いていると、「和銅の道」という案内が出てきます。古い道なのですね。
30分位歩くと中矢という集落を過ぎました。伊賀市の西山へ行く県道に通じているようです。高坂神社と言う案内があります。きっと謂れ有る神社なのでしょう。
高坂神社への道は途中で分かれました。一寸気が惹かれましたが先を急ぎます。
11時45分頃ゴルフ場にぶつかりました。左折して8分ほどでゴルフ場の入り口を通過しました。随園CCとか。
12時15分頃、西山公民館へ来ました。向かい側が小学校跡地。その向こうを左折すると果号寺のようです。
果号寺のシブナシガヤを見に行きました。全国で三本指定を受けているだけの希少な天然記念物だそうです。渋皮が無いカヤとか。
小学校跡地で昼食弁当にしました。
12時43分頃出発しました。まっすぐ進むと県道に出て、その方が解りやすいのですが、地形図に石仏群という記載があったので、見てみようと川沿いを下りました。結局石仏群は見当たりませんでした。
線路沿いまで下って左折し、しばらく歩いて13時27分に徳楽寺に着きました。
平安時代、藤原氏の荘園の管理をしていた薬師院が前身だとか。
徳楽寺を出て30分ほどで35番正福寺です。道沿いから見えました。
鎌倉時代の創建と伝わるが資料は残っていないそうです。ただ「ひぎり大師」と呼ばれる立派な大師堂があります。日を限って祈るからひぎり大師とか。
14時10分頃出て、正福寺の手前の道を北上し線路を越えます。道端の石仏に瓦で屋根が作ってあり微笑ましい。
和銅の道はここへ続いているようでした。
14時20分頃仏土寺に着きました。平安時代後期の開創で、往時は伊賀八大寺の随一の寺だったそうです。境内に残る多宝塔や雁塔は珍しいものです。
仏土寺を出ると雨が降ってきました。14時から弱雨の予想だったのに傘を忘れてきました。なんとか本降りにはならず、14時55分には伊賀上野駅に到着しました。伊賀市は忍者と芭蕉の街ですね。
お疲れ様でした。足もなんとか頑張ってくれました。
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あの日、出あってグループのひとりです。
ブログ見せていただきました。
スゴイ情報量で、たくさんのところにいっておられるんですね。
ゆっくりと他の記事も読ませていただきます。
投稿: 泉北のヨン | 2019年6月 1日 (土) 18時15分
早速覗きに来て頂きありがとうございます。
またどこかでお会いするのを楽しみにしています。
投稿: フミキ | 2019年6月 1日 (土) 19時26分