和歌山街道最終日 紀伊長田駅~和歌山城
2019年4月11日(木)
紀伊長田駅に7時45分頃着きました。最終日気合が入っています(笑)。
今日も紀伊長田から和歌山城まで25キロ位の予定です。紀伊長田駅は7時48分に出ました。
7時48分には歩き始めました。
この辺りは梅畑が多いですね。南高梅は有名ですが、高いですね(笑)。
歩きだして25分、国道を陸橋で渡りました。
8時20分に東田中神社の前に来ました。
ここで道を間違えて、一旦南に歩きました。すぐ気が付いて神社に戻り、一里塚の案内の前を通って街道に復帰しました。
一旦県道に出て、すぐ右に分かれます。次に県道に合流すると田中小学校がありました。
小学校を過ぎて5分ほどで県道を離れて左折しますが、目印が無いので一寸難しい。気を付けて見ていたのですが、小さな道標を見逃しそうになりました。8時43分です。
左折した後は水路の傍を通り、左に体育館のような建物を見ながら歩きました。
再度、県道に合流し、9時05分頃、西田中神社の前を通過しました。
西田中神社を過ぎると、すぐまた県道から左に外れます。ここのも小さな道標があります。その後はあまり道標が無いので、確信はもてないまま道なりに歩きました。常夜燈の残骸のそばを通り、団地の一角に来ると、そこに道標があり、胸を撫ぜ下ろしました。
ここからはほぼ直線コースで岩出駅まで行けそうです。この家の奥さんもそう言っていました。9時23分でした。
ここから12~3分、春日川の手前に大きな道標がありました。左紀三井寺とか。
橋を渡って左折、すぐ堤防を降りて、また右折するのが街道のようです。
9時46分に踏切を渡りました。大和街道踏切と書かれています。渡ってすぐ右に岩出駅が見えるので、駅構内で休憩することにしました。
5分ほど休憩して、9時55分頃出発しました。
10分一寸歩くと堤防にぶつかりました。道標は堤防に登るよう案内しています。
初めて紀ノ川の堤防に登りました。昔は渡し船で渡ったのでしょうね。現在は向こうに見える岩出橋を渡ります。
長い橋を渡ります。10時10分です。
渡って信号で道路を横断します。この辺りに船戸の渡し場があったようです。
すぐに街道は堤防を左に降りていきます。
この辺りからは街道の面影無いだろうと思っていましたが、結構残っていますね。
紀伊小倉駅近くを過ぎて街並みが途切れる頃、吐前という辺りに来ます。ここでJRの線路に接近します。そこに熊野街道紀伊路の案内があります。ここから何百mかは大和街道と熊野街道が重複します。
実は2006年12月に熊野街道を歩き、この区間も逆方向から歩いて来て、この踏切を渡って行きました。当時の思い出は殆どありませんが、この踏切や下の写真の3本の樹木などは覚えています。
踏切から12分ほど、11時23分に熊野街道は大和街道と分かれて、川辺橋の方に右折していきました。
ここからしばらくは一寸車の量も減って、昼食場所を探しながら歩きました。20分ほど歩きましたが、適当な場所が無いので、一寸横道に入り、列車の踏切の近くで、お握りを食べることにしました。
15分ほどで昼食を終え、12時には街道に復帰しました。10分で街道は堤防に登り、県道14号線となります。
でもそこは歩道の無い交通量の多い道路でした。
一寸これでは命が危ないので、街道を外れて堤防沿いの下道を歩くことにしました。
12時20分頃に再度堤防に登ってみましたが、相変わらず歩道は有りませんでした。
仕方なく再度堤防を下りました。
下道を20分弱歩いて、再度県道に合流しました。ここはもう堤防を下っているので立派な歩道があります。そして国道24号線の下を潜りますが、潜った先も国道24号線でした。
阪和自動車道の下を潜り、国道を淡々と歩きます。
和歌山ラーメンの製造所がありました。和歌山ラーメンの特徴は何でしょうか。
13時頃スーパーの前を通りかかりました。16時の南海電車に乗るつもりなので、時間は充分あります。一寸地元の食材を眺めてみることにしました。鯨のおばゆきと半生のシラスを今晩のあてに買いました(笑)。
13時20分過ぎ歩き始めると、洒落た建物がありました。よく見ると和歌山刑務所でした。街中に有るんですねえ。
そのすぐ向こうに、四箇郷の一里塚跡がありました。街中なのに両側に残っています。珍しいですね。
13時30分ですが、後30分もあれば和歌山城に着くのではないでしょうか。
JRの下を潜り、14時頃国道26号線の下を潜ります。潜って本町通に入れば、ゴールは目の前です。
本町通に入りました。
そのまま直進して、14時20分に和歌山城の外堀に架かる京橋に到着しました。ご苦労様でした。
ここに道路元票があり、和歌山より何里というすべての旅程はここを起点とするの記載があります。
ここから和歌山市駅は10分ほどです。15時の南海特急に余裕で間に合いました。
難波から近鉄に乗り、喉を潤しながら帰りました。
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