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2019年2月20日 (水)

筏師の道トロトロ坂

10年ほど前、和歌山県の新宮から三重県の尾呂志、新宮の飛地北山村を経て、奈良県の下北山まで2泊3日で歩いたことがありました。
Kitayama これは、北山郷で伐採された材木を、熊野川を使って新宮まで運んだ筏師が帰って行った道だと言われています。途中、トロトロ坂や風伝峠・不動峠などを越えます。
この時の記事はホームページでご覧ください。
そのとき道に迷ったトロトロ坂周辺を今回、紀伊半島みる観る探検隊で歩くというので、よろこんで参加してきました。
2019年2月17日(日)
今回の集合場所は御浜町片川という一寸辺鄙な所へ8時半です。
で、尾鷲に前泊して今日はスタッフのSさんの車に同乗させてもらいました。
片川は下図で示すようにトロトロ坂を下った所にあります。現在の人口は4世帯5人だとか、昔はトロトロ坂を下ってきた筏師が休憩したり泊まったりしたと思いますが。
Torotoro 上の図で青線は10年前に私が歩いた道、赤線は今回案内してもらった道です。
集合場所の小学校跡地です。
Dscn9093 参加者の紹介と準備体操を済ませ、9時前にトロトロ坂を登り始めました。
Dscn9095 急坂で結構息が切れます。15分も登ると立派な石畳が残っています。
Dscn9102 35分ほど登ると道標があります。右新宮、左近道と刻まれています。
Dscn9111 右は前回私が歩いてきた道です。この表現からすると右が本道で、左は近道だったということになります。右の道です。
Dscn9112 道標から10分一寸登ると小さな峠に出ます。ここまでをトロトロ坂と呼ぶようですね。9時45分頃です。
Dscn9115 風吹峠を経てここまで来て、トロトロ坂を下らず、左折して櫻茶屋を経て矢の川へ向かう道も筏師が通った道だそうです。
前回私も風吹荘峠を経由したかったのですが、道が判らず、例の本道を歩いたのでした。
峠から15分ほど下ると集落跡に出ました。何軒かの民家が離れてあったそうです。
Dscn9122 更に15分で風吹峠です。10時15分です。
Dscn9131 Dscn9133 ここを直進すれば阪松原・平尾井などを経て新宮へ向かうようです。
でも今回はここで引き返します。
10時半頃出発して、引き返す途中で左に分かれます。20分ほど歩くと1軒の民家に出ました。
Dscn9141 実はこの民家は10年前に私も訪れて、お婆さんに道を教えてもらった家なのでした。
現在は、そのお婆さんは無くなられ、息子さんが住んで居られます。その息子さんが今回この催しのため、荒れた道の改修をいろいろして頂いたそうです。今日も一緒に歩いていただいています。
日当たりの良い道端で昼食休憩となりました。
Dscn9146 12時10分頃に出発しました。3分で県道です。その角に懐かしい石仏が今も有りました。
Dscn9150 県道を一寸歩いてすぐ山道に入りました。
Dscn9152 そして15分ほど歩くと、トロトロ坂途中から櫻茶屋への道と合流しました。
Dscn9154 そして5分ほど歩くと上地の猪垣です。非常に薄く積み上げられた、美しい猪垣です。
Dscn9161 更に12~13分、櫻茶屋跡に到着しました。案内は見当たりませんでしたが、一寸した広場になっています。ここに茶屋や遊郭も有ったというのですが、想像もつかない山の中です。
Dscn9164 ここからの道は一寸荒れていました。崩落が激しいのです。スタッフの皆さんが事前にロープなどを張ってくれていました。
Dscn9175 水田跡や集落跡も残っています。往時は人の往来も結構有ったのでしょうね。
Dscn9177 茶屋跡から20分弱、14時15分に、片川から紀和町の矢ノ川へ向かう道と合流しました。
昭和の始め、片川の人は、この道で矢ノ川へ行き、映画を観たとか。
Dscn9180 道標がありました。右新宮、左在所と刻まれています。矢ノ川から来た人が見るのでしょうね。でも在所というのは珍しい(笑)。
Dscn9183
ここからは片川川を下ります。
Dscn9189 10分ほど下ると桃太郎岩
Dscn9194 ここからは滑がきれいで、近くには水遊びに最適な場所もあります。
Dscn9200 14時45分、車道の終点に出ました。
Dscn9207 県道35号線に出たあたりには、片川村?用の発電所も有ったそうです。
Dscn9208 この後は車道でも片川にすぐですが、旧道を歩きました。
Dscn9219 集合場所の隣の片川神社に15時27分に到着しました。
Dscn9225 歩いた距離は8.5キロほどだそうです。楽しい1日でした。

2019年2月15日 (金)

奈良街道

熊野古道で街道歩きに目覚めてほぼ20年、紀伊半島から出発して各地に足を延ばしています。地元三重県の街道はほぼ歩いたかなと調べてみたら、「奈良街道」というのが歩いていなかった。三重県の街道はこちら。
Nara06 伊勢の国から大和へ向かう街道は3本。東海道関宿の西の追分から分かれる大和街道、これは「かぶと越え奈良道」と呼ばれた。松阪の六軒で伊勢街道から分かれる奈良街道、これは「伊賀越え奈良道」と言われた。この2本は伊賀上野で合流して奈良へ向かった。
他に初瀬街道。これは大和の南側へ進み、長谷寺を経て桜井で伊勢本街道と結ばれる。
伊賀城主であった藤堂高虎が、大阪滅亡の頃、津城を改修して入場すると、伊賀と津の往来が激しくなり、奈良街道を凌ぐようになった。そして津から伊賀までの街道が伊賀街道となり、奈良街道は図の赤線部分16キロほどに名前が残るだけとなった。
2019年2月13日(水)
9時17分にJR六軒駅に降り立ちました。
Dscn8873 ここから月本追分までは2キロほど北です。六軒駅から南へ少し行くと、初瀬街道との追分があります。
Nara01 駅から東へ5分も歩くと伊勢街道に合流します。左折してすぐ常夜燈があります。
Dscn8875 この辺りを最初に歩いたのは2002年のことです。その後1回自転車で来たかな。
Dscn8876 最近、中勢バイパスが出来て、この辺りの風景も一変しました。
途中、所々、要所に道標が有ったりするのは、さすがに伊勢街道ですね。
Dscn8880 この辺りは北海道の名付け親「松浦武四郎」の生家があります。
Dscn8883 9時48分、月本追分に到着しました。ここを左折して、奈良街道に入ります。
Dscn8884 反対側の道標は伊勢街道でも随一の大きさだそうです。
Dscn8886 初瀬街道や奈良街道が分岐する六軒は、茶屋や煮売り屋などが立ち並び、往時は非常に賑やかだったそうです。
JRの月本踏切を9時55分頃渡りました。中勢バイパスを潜ったのが10時10分頃です。
木質バイオマス熱利用協同組合とかがありました。
Dscn8891 予想以上に車も走るので、一寸横道に入ったりして、再度街道に復帰したら神社があり、そこで服を1枚脱いで衣服調整しました。馬頭観音さまの前です。
Dscn8895 雲津川を大正橋で渡ると住友電装の工場でした。近鉄の車窓からはいつも見ています。
Dscn8899
Nara02
工場の周囲をぐるっと回り込むと物部神社があります。須佐之男命をお祀りしているようです。一寸お参りしました。10時50分頃です。
Dscn8902 近鉄に沿って歩いていると、付近はすべてキャベツ畑です。久居キャベツのブランドらしいです。
Dscn8906 線路を渡り、久居の街へ入って行きます。久居の街中の街道は、曲がりくねって、地図が無いと辿るのは無理ですが、所々道標はあります。
Dscn8912ただ近鉄桃園駅近くの道標は見当たりませんでした。
中心部に入ってきて、個人の家の庭に道標がありました。
Dscn8917 そこを左折して本町通りを右折しました。ここもバスが有るようでした。
Dscn8920 野辺野神社の近くに靴博物館とか下駄博物館があると、古い資料に書いてあったので、探してみましたが、今は単なる靴修理屋さんと下駄屋さんでした。
Dscn8922 時間も12時になり、昼食を食べようと、辺りをぐるりと一周しました。本町通りにレストランがあり入りました。
Dscn8927 伊勢屋定食600円を頼みましたが、ボリュームたっぷりのお得なメニューでした。
Dscn8926 ゆっくり休憩して12時40分に店を出ました。
近くに子午の鐘という文化財があるので探したが、見つかりませんでした。
でも少し歩くと、新しい道標に子午の鐘と案内されていたので、どこかに有ったのですね。
Dscn8930 伊勢自動車道の久居ICの近くに来ました。近くに久居藩陣屋跡があるらしいのですが、はっきりしないので探すのを止めました。
Dscn8932 そもそも久居藩というのは津藩32万石から藤堂高虎の孫の時代に5万石を分割してできたそうです。まあ、津藩の一部みたいな藩だったようです。
例の資料に味噌博物館と書かれた味噌屋さんがありました。立派な店ですが博物館とは書かれていませんでした。
Dscn8936 すぐ近くの集会所に、常夜燈や道標がありました。13時半頃です。
Dscn8942 道が二つに分かれて、街道は右で、国道165号線を渡ります。この辺りに久居藩博物館があるはずだったのですが、これも見当たりませんでした。今日の私は、一寸おかしいのかもしれません(笑)。
Nara03 道はまあ、なんとなく街道の面影があります。
Dscn8944 14時04分、山田池の傍を通過しました。この辺までは登りで、一寸疲れました。
Dscn8946 山田池から少しで下りになり、15分ほどで前方が開けました。川は雲出川の支流、伊賀街道の長野峠方面から来る長野川のようです。
Dscn8949 14時28分、長野川を渡ってくる稲初橋の袂に大きな道標がありました。
右七栗左久居と刻まれています。
Dscn8952 右折して10分ほど一寸登ると公民館が有り、そこにも常夜燈がありました。
Dscn8956 そこから10分、田圃の中の道を歩くと茶屋の道標がありました。14時47分です。
ここが過っての伊賀街道との合流点です。
Dscn8958 1786年に伊賀の油仲買人によって建立されたそうです。
Dscn8960 この辺りは五百野(いおの)と言うらしいのですが、旅籠もあって賑わったそうです。
古くは鎌倉時代に東大寺本堂再建の僧が、江戸時代には伊能忠敬が泊まったとの記録もあるそうです。
このすぐ近くの国道163号線が現代の伊が街道で、津駅からのバスがはしっています。
1時間に1本ですが助かります。近くのファミマで買った缶ビールでバスを待ちました。
Dscn8967 お疲れ様でした。
 

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