熊野古道で街道歩きに目覚めてほぼ20年、紀伊半島から出発して各地に足を延ばしています。地元三重県の街道はほぼ歩いたかなと調べてみたら、「奈良街道」というのが歩いていなかった。三重県の街道はこちら。
伊勢の国から大和へ向かう街道は3本。東海道関宿の西の追分から分かれる大和街道、これは「かぶと越え奈良道」と呼ばれた。松阪の六軒で伊勢街道から分かれる奈良街道、これは「伊賀越え奈良道」と言われた。この2本は伊賀上野で合流して奈良へ向かった。
他に初瀬街道。これは大和の南側へ進み、長谷寺を経て桜井で伊勢本街道と結ばれる。
伊賀城主であった藤堂高虎が、大阪滅亡の頃、津城を改修して入場すると、伊賀と津の往来が激しくなり、奈良街道を凌ぐようになった。そして津から伊賀までの街道が伊賀街道となり、奈良街道は図の赤線部分16キロほどに名前が残るだけとなった。
2019年2月13日(水)
9時17分にJR六軒駅に降り立ちました。
ここから月本追分までは2キロほど北です。六軒駅から南へ少し行くと、初瀬街道との追分があります。
駅から東へ5分も歩くと伊勢街道に合流します。左折してすぐ常夜燈があります。
この辺りを最初に歩いたのは2002年のことです。その後1回自転車で来たかな。
最近、中勢バイパスが出来て、この辺りの風景も一変しました。
途中、所々、要所に道標が有ったりするのは、さすがに伊勢街道ですね。
この辺りは北海道の名付け親「松浦武四郎」の生家があります。
9時48分、月本追分に到着しました。ここを左折して、奈良街道に入ります。
反対側の道標は伊勢街道でも随一の大きさだそうです。
初瀬街道や奈良街道が分岐する六軒は、茶屋や煮売り屋などが立ち並び、往時は非常に賑やかだったそうです。
JRの月本踏切を9時55分頃渡りました。中勢バイパスを潜ったのが10時10分頃です。
木質バイオマス熱利用協同組合とかがありました。
予想以上に車も走るので、一寸横道に入ったりして、再度街道に復帰したら神社があり、そこで服を1枚脱いで衣服調整しました。馬頭観音さまの前です。
雲津川を大正橋で渡ると住友電装の工場でした。近鉄の車窓からはいつも見ています。
工場の周囲をぐるっと回り込むと物部神社があります。須佐之男命をお祀りしているようです。一寸お参りしました。10時50分頃です。
近鉄に沿って歩いていると、付近はすべてキャベツ畑です。久居キャベツのブランドらしいです。
線路を渡り、久居の街へ入って行きます。久居の街中の街道は、曲がりくねって、地図が無いと辿るのは無理ですが、所々道標はあります。
ただ近鉄桃園駅近くの道標は見当たりませんでした。
中心部に入ってきて、個人の家の庭に道標がありました。
そこを左折して本町通りを右折しました。ここもバスが有るようでした。
野辺野神社の近くに靴博物館とか下駄博物館があると、古い資料に書いてあったので、探してみましたが、今は単なる靴修理屋さんと下駄屋さんでした。
時間も12時になり、昼食を食べようと、辺りをぐるりと一周しました。本町通りにレストランがあり入りました。
伊勢屋定食600円を頼みましたが、ボリュームたっぷりのお得なメニューでした。
ゆっくり休憩して12時40分に店を出ました。
近くに子午の鐘という文化財があるので探したが、見つかりませんでした。
でも少し歩くと、新しい道標に子午の鐘と案内されていたので、どこかに有ったのですね。
伊勢自動車道の久居ICの近くに来ました。近くに久居藩陣屋跡があるらしいのですが、はっきりしないので探すのを止めました。
そもそも久居藩というのは津藩32万石から藤堂高虎の孫の時代に5万石を分割してできたそうです。まあ、津藩の一部みたいな藩だったようです。
例の資料に味噌博物館と書かれた味噌屋さんがありました。立派な店ですが博物館とは書かれていませんでした。
すぐ近くの集会所に、常夜燈や道標がありました。13時半頃です。
道が二つに分かれて、街道は右で、国道165号線を渡ります。この辺りに久居藩博物館があるはずだったのですが、これも見当たりませんでした。今日の私は、一寸おかしいのかもしれません(笑)。
道はまあ、なんとなく街道の面影があります。
14時04分、山田池の傍を通過しました。この辺までは登りで、一寸疲れました。
山田池から少しで下りになり、15分ほどで前方が開けました。川は雲出川の支流、伊賀街道の長野峠方面から来る長野川のようです。
14時28分、長野川を渡ってくる稲初橋の袂に大きな道標がありました。
右七栗左久居と刻まれています。
右折して10分ほど一寸登ると公民館が有り、そこにも常夜燈がありました。
そこから10分、田圃の中の道を歩くと茶屋の道標がありました。14時47分です。
ここが過っての伊賀街道との合流点です。
1786年に伊賀の油仲買人によって建立されたそうです。
この辺りは五百野(いおの)と言うらしいのですが、旅籠もあって賑わったそうです。
古くは鎌倉時代に東大寺本堂再建の僧が、江戸時代には伊能忠敬が泊まったとの記録もあるそうです。
このすぐ近くの国道163号線が現代の伊が街道で、津駅からのバスがはしっています。
1時間に1本ですが助かります。近くのファミマで買った缶ビールでバスを待ちました。
お疲れ様でした。
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