江戸時代、巡見使という制度が有った。三代将軍家光のとき始められ、以後将軍の代替わりごとに、諸国の政情や民情の査察を行った。
なので巡見道は全国各地にあるのでしょう。三重県では東海道亀山宿を出て、菰野、藤原を通って滋賀県へ、そして中山道へと繋がったそうです。

今回は三岐鉄道西藤原駅から亀山まで50キロ弱を自転車で辿ってみました。
2018年12月2日(日)
近鉄富田駅で三岐鉄道に乗り換えます。日曜日なので空いていて自転車も気兼ねせず持ち込めます。

9時に終点の西藤原駅に到着しました。

ここは鈴鹿山脈の藤原岳の登山口なので、10人ほどの登山者が降りて行きました。
でも巡見道を歩こうというような人は居ないようです(笑)。

調べてみると巡見道は非常に複雑で細かく曲がりくねって居ます。これは歩いても正確に辿ることは難しそうで、まして自転車では無理かなと思えます。
でも50キロ近くの距離は歩きでは無理なので、間違い覚悟で自転車にしました。
なお地図の赤線は私が辿った道、青線は正しそうな巡見道です。
駅を出るとすぐに、桜と紅葉の庭がありました。八幡神社です。

西野尻駅を過ぎると、道は複雑に曲がります。先ほどの八幡神社参道の入り口があり、鳥居の間に藤原岳がきれいです。

東海自然歩道にもなっているこの付近、なんとなく街道の面影もあります。

9時53分、東藤原駅の踏切を渡りました。一寸スローペースですね。

御厨神社、西教寺の前を通って明源寺にさしかかり、一寸境内に入って菩提樹の説明を見ていると、住職さんに呼び止められました。
本堂に入っていろいろ説明を受けました。昔ここに東禅寺という寺があり、織田信長に寄り焼き討ちされ滅びた。その後に信徒に寄り再建されたのが現在の明源寺だと。

その東禅寺がこの辺りの地名になっています。
菩提樹はブッダが悟りを開いた時、そばに有った樹ですが、明源寺の菩提樹は特に立派です。

10時15分頃、明源寺を出ました。その後一寸道間違いもしながら北勢町東村へ入りました。

10時半頃伊勢治田駅近くの踏切を渡りました。治田は「はった」と読みます。

藤原岳と竜ヶ岳、その間に有るのが治田峠です。確か、秀吉の伊勢攻略の一軍は、治田峠を越えて伊勢に入りました。

青川を越えると大安町丹生川です。丹生は水銀なので、この辺りも水銀が採れたのでしょう。鴨神社の楠は織田信長が馬を繋いだと言われています。

この辺りで国道306号線を渡るのですが、道が判らず適当に渡りました。
そこになんと大きな道路元標がありました。何故、こんな所にこんなものがあるのでしょう。

ともかく街道に復帰し、国道421号線を渡って南下します。

11時15分頃、大きなため池の堤防付近を通りました。兎上神社というのが奥にあるようです。

一寸国道に接してすぐまた右に離れます。すると西行庵という案内がありました。
西行、この辺も来たのでしょうか。

11時20分頃、福王神社の近くでしょうか、福王山というバス停がある五叉路みたいな交差点にでましたが、上手く道を見つけました。

田光川を渡った所に多比鹿神社の鳥居が有りました。

そしてそこが、八風街道と巡見道の交差点で、田光の高札場跡でした。
今回の行程の中で、初めて見た巡見道の史跡ですね。11時35分頃です。

道は一旦国道に出て、すぐまた離れます。
すぐ熊野神社の案内がありました。熊野と言う字にはすぐ反応します。
しばらく国道を走ると「草里野」という三叉路があり、大きな石灯籠があります。
ここで巡見道は国道から離れ、右に分かれます。

そして朝明川を六郷橋で渡ります。12時一寸前です。鈴鹿山脈の景色も、御在所山や鎌が岳に変わってきました。

そのまましばらく走りますが、変な曲りが無いので安心して走れます。
空腹ですが、食堂も無いので、菰野まで我慢です。

12時15分頃、工事中の新名神の下を潜りました。来年3月完成予定だそうですが、東名阪の渋滞解消のため、その日が待たれますね。

国道306を渡り、今度は三滝川を渡ります。そして湯の山街道を渡って、菰野の商店街で左折しました。そろそろ食堂を探そうと思います。12時28分です。

後半へ続きます。
12時15分頃、工事中の新名神の下を潜りました。来年3月完成予想だそうで、東名阪の渋滞解消に、その日が待たれます。

国道306号を横断し、街道は潤田に入ります。変電所を越え、三滝川を渡ります。
御在所の麓に新名神が見えています。
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