地図を再掲します。

中央の道の駅伊吹の里を11時45分頃でて、橋を渡り、すぐ左折して、姉川沿いに街道へ向かいます。橋げたが残っていましたが、ここが越前橋でしょうか。

そこを右折するのが街道のようです。 すぐ車道に出て左折、一寸歩いて橋の手前を右に入って行く地道が街道です。

この地道も心配の一つです。果たして通れるのか。距離が有るので、中途から引き返すのは嫌なのです。 でもまあ、何とかなりそうです。

入って5分ほどで山田弘法水と弘法碑がありました。間違いは無いようです。

更に5分で周囲が開けます。

また森に入り、川を渡る辺りが叢です。

12時半頃、地道に入って27分、開けた集落に出てきます。相撲庭という珍しい名前の集落でしょうか。隣の今荘かもしれません。

車道に出て、横断して今荘に入ります。 桜並木の神社があります。

集落を通り抜けて三叉路にでます。右折して佐野に入ると道案内がありました。12時50分です。

佐野から野村へは右左折の多いややこしい道です。

この石仏群を左折します。

野村は正式の宿駅でなく間ノ宿だったそうです。石標がありました。

13時20分、国道365号線に出ました。

右折して20分ほど歩くと道の駅浅井三姉妹の郷です。浅井はあざいと読むようです。

素通りして10分、右にローソンのある交差点がありますが、その少し手前から左に入って行くのが街道です。

一寸飲み物を買って街道に入りました。 脇往還の案内がありました。ここもややこしい道です。

案の定間違いながら歩きました。

こんもりしたお墓の山がありましたが、古墳でしょうか?

尊勝寺の集落に入り、国道へ出る手前の細い道へ脇往還を案内します。

一寸行って、工場の角を右折、車道に出る手前に案内がありました。

案内に従って、一応旧街道に近い道を歩きました。14時45分、小谷道分岐に来ました。

この小谷道も、途中に鉄砲鍛冶の国友など有って、結構栄えた道だそうです。
小さな橋を渡ると伊部宿です。

本陣跡も残っていました。

伊部を抜けて千人橋という石碑のある場所に来たのが14時57分。関ヶ原から25キロほどですが、今日は何故か疲れました。ベンチも有りませんが、ここで一休みしました。

5分ほど休憩して元気を取り戻し、郡上宿へ向かいます。行く手に小谷城址の看板が見えます。

この辺りは小谷城の城下町で、清水谷の辺りには資料館があります。15時16分。

郡上宿の入り口が15時20分。

郡上宿からは琵琶湖を経て日本海の若狭を繋ぐ若狭街道も分岐していたそうです。

郡上宿を出て、一旦国道に出ます。 横断して左に入ります。

15分ほどで再度国道を渡り、山田川の堤防に登ります。15時55分頃です。
もう高月は目の前ですが、疲れているので馬上の集落でも休憩しました。

昔、ケヤキのことを槻(ツキ)の木と言ったそうです。ここに欅の高木「高槻」が多いので、この辺りの地名を「たかつき」としたそうです。

その後、平安後期の歌人が「月の名所」であると言ったので、「槻を月に」改めたそうです。
16時20分、高時川に架かる阿弥陀橋に到着しました。

街道はここを右折し、どこかで渡しに寄り川を渡っていたそうですが、特定されていません。今日はここまでとして、明日対岸の街道らしき所からスタートします。
今日は橋を渡って、JR高月駅近くの住吉屋さんに宿をとっています。
風呂に入って、美味しいビールを飲んで、早く寝ました。
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