伊勢の山田から二見へ向かう道です。
二見浦は白砂青松の景勝の地で、その昔、倭姫命が天照大神の鎮座される地を探していた時、余りの美しさに二度振り返ったことから二見と名付けられたそうです。
二見浦は元々神宮で使用される塩を採っていた所で、神宮125社を巡っていた時、御塩田神社へ来たことがあります。
また二見輿玉神社は縁結びの神様で、夫婦岩は有名ですね。かっては修学旅行のメッカで、私も65年位前に京都から修学旅行に来ました。
2018年8月31日(金)
明日からしばらくは雨模様なので、急に思い立って出かけることにしました。
我家から伊勢は近鉄の急行で、ざっと1時間半です。通勤や通学の時間を避けて、9時頃の電車に自転車を持ち込みました。

10時半頃宇治山田の駅を出ました。この駅は昔皇族の方が伊勢神宮参拝をなさるときに使われるよう作られたという立派な駅です。

二見道は伊勢市駅から外宮への参道の途中が起点のようなので、伊勢市駅で降りればいいんですが、近鉄の駅から長い廊下を渡るので、自転車が重く、嫌なのでした(笑)。

上の図の青線が二見道です。自転車だとスピードが出るので、早速間違えてしまいました。間違えたお蔭で、山田奉行所跡の碑を見つけました。

山田奉行所はあの大岡越前守も勤務したことがあったような。
近鉄宇治山田駅は山田地区と宇治地区の二つの名前を採っています。宇治地区は内宮の付近で、宇治橋はそこから来ています。
途中で地元の人に道を訊いて間違いに気づき修正しました。
河崎地区は勢田川の両岸に有って、全国から伊勢に送られてくる物資を取り扱う問屋が軒を並べました。現在もその蔵が残っています。

伊勢地方の建物は切妻妻入で有名です。

河崎地区の氏神さんにも一寸お参りしました。

河崎見学を終えて、二見道に戻りました。 勢田川を渡ると、朝日湯という銭湯があり、ここは江戸時代に伊勢参りの旅人が海水で身体を清めた故事にちなんで、今でも、 潮浴びの湯が有るみたいでした。11時06分です。

勢田川に沿って下ると、橋本家という 立派な家があります。そこで川から離れて右折します。

一旦県道に出ますが、すぐ旧道は左に分かれます。
その旧道が再度県道と合流する所が二軒茶屋跡です。今でも二軒茶屋餅を売っています。

昔伊勢神宮への参拝は伊勢街道や伊勢本街道が使われました。その他に、船で参宮する 「どんどこさん」も多くいました。彼らはここ二軒茶屋へ上陸したそうです。
明治5年、明治天皇は西郷参議などを連れて、ここ二軒茶屋に上陸されました。
その記念碑が建っています.

県道を少し走ると23号線の下をくぐります。潜った後は国道42号線らしいのですが、すぐに旧道が右に分かれます。
もう少し行くと五十鈴川に出ます。 川岸に道標があります。橋は汐合橋です。
渡るとすぐ右手の旧道に入ります。
旧道に入るとすぐ右手に小さな神社があり二見神社でした。
うーん、夫婦岩があるのは二見 輿玉神社だったか。こっちが古いのかなあ。

すぐにコンビニが有ったので、たまらず入って缶ビールを一杯空けました。 11時45分。
11時56分。三津踏切を越えました。
二見ヶ浦はもう近いはずです。

右手に明星寺というお寺があります。重文の阿弥陀如来があるとか。六地蔵もあるとか。
門前にも地蔵があります。

少しいくと、今度は7基の庚申さんがありました。

二見浦駅のそばを通って旅館街に入って行きます。
その手前の右手に庚申さんがあります。亀甲地蔵石もありました。

昔は栄えた旅館街ですが、今は一寸寂しい感じです。

昔、戦国時代村と言ったテーマパークも経営が何回も代わって、今はなんと呼ぶのでしょうか。

二見浦海岸には明治天皇のお母さまが泊まられた由緒ある旅館もあります。

でも今は多くが休業しています。
12時25分、夫婦岩にお参りしました。

二見道は終わりですが、引き返して国道に出て、トンネルを潜って、二見シーパラダイスへ。

店頭の巨大アザラシくんにご挨拶。

そして一寸以前から気になっていた民話の駅蘇民へ向かいました。伊勢地方のしめ飾りに下の二つがあります。


上は「笑う門には福来る」と間違える人も居ますが違います。下を省略したのが上です。
ともかく、その下の注連縄に書かれた「蘇民将来」という人物に関する道の駅らしいのです。
行くと、松下社ちう神社があり、そばに蘇民の祠がありました。まあ、それだけでした(笑)。

いやー、今日も一日暑かったですね。
帰りの電車の中で冷たい缶ビールが身体に浸みわたっていきました。
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