2018年5月9日(水)
昨日は頑張って古川まで歩いたので、今日は高山まで15キロほどを残すのみです。
なので今日はゆっくり7時40分の列車にして、8時頃飛騨古川の駅に着きました。
まあ急ぐ旅でもないので、飛騨古川の古い街並みを観光することにしました。
ただ、予報に反して今日は朝から雨です。飛騨古川駅前。殿町の街並みを通って園光寺に行きました。
飛騨古川の三寺参りというのがあって、1月15日にここ園光寺と真宗寺、本光寺の本願寺派三寺をお参りするのが近在の人々の慣わしだそうです。その日は夜を徹してお参りやお説教が行われるため、長時間燃え続ける大和蝋燭がお供えされるようになったそうです。
まつり会館に行きましたが、9時開館でまだ開いていません。
その隣の匠文化館もまだです。

それで近くの「瀬戸川と白壁土蔵街」へ行きました。いつ見てもいい感じです。

相変わらず鯉が居ます。

その辺をぶらぶらした後、本光寺に戻り、街道に復帰しました。8時40分頃です。

袂に野麦峠文学碑があります。

橋を渡ると野麦峠ゆかえいの宿「八ッ三旅館」があります。

少し歩くと貴船神社です。ただこの県道は歩道が無い2車線なので危険です。

20分ほど歩いて県道と分かれたのでほっとしました。なかなか風情のある民家が並びます。

9時10分頃栗原神社を通過しました。

次に県道と合流した時は歩道が有ってまたほっとしました。

郵便局の角をまた右に入ります。西念寺というお寺の前を通って、15分ほどで県道に戻ってきます。飛騨国府の駅は通り越したようです。
歴史の街飛騨国府と謳っていますが、飛騨国府がここに有ったとは確定していないとSさんが昨夜言っていたような。

10時頃、桜公園だったかを通過しました。金桶橋で街道は471号線に合流して、すぐ右に県道を離れます。

右に入った街道は田圃の中を宮川に沿って進みます。 何故かぽつんとベンチが有り、雨も上がってきたので休憩しました。10時18分です。

小休止してから10分弱歩くと、県指定の木造鳥居がありました。

更に10分で県道とJRを渡りました。

その奥が 加茂神社で、手前右に洞ノ口一号古墳とかがありました。

拝殿の前を右折するのが街道です。 10時50分、神社を出て5分ほど歩くと木の新しい道標が建っていました。左折すると今村峠となっています。ここが越中東街道と西街道の追分だったのですね。

すぐ3分の所にも同じ木の道標があり、そこを右に下ると、県道の追分バス停です。
そこに石碑の道標があります。左古川、右ふなつと刻まれているようです。

ここからは宮川に沿って高山を目指します。 11時3分、残り7.5キロといった辺りでしょうか。

20分ほど歩いて、平湯方面から来た県道89号線と合流したころ、丁度ラーメン屋さんが有ったので、軽く食べることにしました。醬油ラーメンです。

11時53分に店を出ました。25分ほど歩くと洞門がありました。ここは洞門の外に歩道があったので気楽でした。

12時20分頃、街道は左に分かれて県道460号線になります。
分かれて10分弱、右手に小さな鎮守様がありました。また加茂神社だなあと幟を見ていると、盗人神様とも書かれています。

珍しいなと見に行きました。 たしか、よくお参りして、お賽銭もあげたと思います。

盗人神様から5分、松本橋で宮川を渡り、すぐ左折して細い街道に入ります。

10分ほど歩くと庚申堂があります。

その先は更に細い露地に入ります。

露地に入って2分、 万人橋の袂に出ます。そこに万人講の石碑があります。
1675年、数万の餓死者をここに埋めた。昔は万人抗と書かれていたが、後に万人講に改められたとか。

街道はそのまま宮川の土手に出ます。10分ほど歩くと桜山八幡宮の宮前橋を通過します。13時03分でした。

突き当りを右折して本町通りに入ります。街道はこのまま高山陣屋の前を通り、飛騨街道として下呂、美濃太田へと続きます。今回は一応高山陣屋を終着点としています。
高山は修学旅行生と外国人観光客ですね。修学旅行生の人気はみたらし団子みたいですね。

13時23分、高山陣屋に到着しました。

今日は16時のバスを予約しているので、しばらく高山市街を観光しましょう。
陣屋の前の赤い橋を渡って、上三之町の古い街並みを見に行きました。

すごい人出ですね。この写真の中で、何人が日本人かな。

飛騨国分寺の鐘楼です。

4日間頑張って歩いた自分へのご褒美は、前から一度食べて見たかった、「ちとせ」の焼きそばです(笑)。

イカ、肉、卵入りのスペシャル焼きそばです。生ビールと合わせて絶品です(笑)。

大満足で帰りました。
いつの日か、高山から美濃太田を目指して、中山道と結びましょう。
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