2018年3月18日(日)
朝8時43分、JR中央線の瑞浪駅に降りました。さわやかウオーキングか何かのイベントがあるようで、ハイキングスタイルの客が多く、駅前のバスに乗っていました。
今日は多治見まで16キロほどの予定です。
地下道を通って駅の北側へ出ます。県道352号線が街道です。
そう思って歩いていたら、もう1本北側の細い道に常夜灯があるのが見えました。
駅前の500mほどは、この道が旧道のようです。
すぐに県道と合流したのが8時55分頃、それから20分ほど歩くと、右側にミュージアム中仙道があります。中山道はこの北側何キロかの山中をとおっています。
ここに下街道の案内があり、県道から右に分かれます。
10分弱でまた県道に合流し、左折して県道を歩くように地図はなっていました。
でも、県道を横断して南に向かい、鉄道の下を潜る道が見えました。
直感的にこちらが旧街道だったに違いないと、そこを歩くことにしました。
線路を潜ると田中薬師という400年の歴史ある祠があった。多分、正しい道でしょう。
そこを右折して、いずれにせよまた県道で土岐川を渡り421号線に入ります。
ただ渡るとすぐの信号で県道と分かれ右折します。街道は一旦土岐川の土手に出て、また県道の方へ引き返していきます。
10分強でまた県道に合流し、更に10分ほど県道を歩くと肥田橋を渡ります。
下街道も肥田橋に並行して川を渡っていたらしく、渡ってすぐ右折して河原の道に入ります。10時頃です。
街道は土岐川の堤防を10分ほど歩いて県道に戻り、横断して肥田浅野梅の木町辺りを県道に沿って、スーパーバローの裏側を歩きます。
10時20分頃、もうじきまた県道に合流する手前に、明治天皇観陶聖跡という石碑がありました。
傍には南宮神社という由緒ありそうな神社もありました。
県道に出て左折、すぐの高山の信号で左折して、街中に入って行きます。
私は全く不勉強で知らなかったのですが、ここは下街道の高山宿で、高山城というお城もあったようです。
丘の上に高山城があったようです。
10時40分頃、土岐駅辺りを通り過ぎました。この辺りは土岐口というようですね。
県道を横断して一寸歩いてまた県道に合流しました。しばらく県道を歩きます。
11時頃妻木川を渡り、すぐを熊野神社の案内に従い右折します。国道19号線の下を潜ると熊野神社です。ただ祭神は伊邪那美命だそうで、熊野本宮大社の末社ではないのか?
ここからは神明峠への登りになります。一旦県道と合流し、すぐ御幸町のバス停から登りになります。11時08分。
急坂を10分ほど登ると東海環状自動車道の上を渡ります。ここらが最高地点のようです。
標高はよく解りませんが170~180mでしょうか。
振り返ると恵那山、中央アルプス、御嶽山などが見えています。
一寸早いですが、ここで弁当にしました。
20分ほど休憩して11時40分には出発しました。この辺り工場開発や自動車学校、鉱山などで道が判りません。神明神社の名前の由来、中山神明神社の入り口です。
道が判らないので、ともかく国道沿いに進もうとしたら、そこも工事で通行止め。
仕方なく引き返して、国道の下を渡り、ともかく多治見方向へ進むことにしました。
10分ほどロスして、国道の反対側の歩道に出ました。12時過ぎです。
しばらく歩くと左下に下街道らしき道が見えました。
12時15分頃多治見市に入りました。すぐに多治見市街への県道421号線に左折します。
入ると下街道の案内あり、宿場名が書かれていました。
釜戸、土岐、高山、池田とありますが、現在のJRの駅で言うと、釜戸、瑞浪、土岐、多治見となるようです。
下街道は江戸幕府の進める宿場制度、つまり中山道に人馬の往来を集中させ、伝馬や宿場の繁栄をもたらすには邪魔な街道なので、宿場の建設などが認められない裏街道かと思っていたのですが、そうじゃないんですね。
12時33分頃生田橋を渡りました。横の小さな橋が街道だったようです。
橋から5分で旧道が右に分かれます。10分ほど歩くと直角に曲がってまた県道に合流します。街道の鍵型道路と案内がありました。
12時50分頃、土岐川の手前に多治見創造館とかがあり、一寸はいってみました。
前の新聞社の建物が素敵ですね。
12時54分土岐川を渡ります。
渡ってすぐ2本目を左折するのが下街道です。へぼってハチの子らしいです。
橋から10分、13時04分に多治見駅前の交差点に来ました。
まだ時間も早いし、後1時間か2時間位歩くといいのですが、ここから街道はJRの線を離れます。次に接近するのは20キロ先の春日井です。一番いいのは23キロ先の勝川です。途中はバスの便も悪そうなので次回に譲ることにしました。
ということで、多治見駅に行き、缶ビール飲みながら帰りました。
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