萩往還2日目
2017年11月10日(金)
今日は防府駅前のホテルが予約してあるので、そこまで歩きたいところですが、秋の日は暮れるのも早く、途中でバスに乗る予定です。
日南瀬へ向かうバスが7時02分しか無いので、6時15分に朝食を準備してもらいました。林屋の女将さんは萩往還歩きに理解があるので、臨機応変に対応してくれます。有難いです。
7時半に上長瀬の一里塚跡です。
一里塚跡から県道を30分、夏木原キャンプ場です。萩往還の交流施設としても運営されているようですが、人影はありません。
そこから13分の登りで国境の碑でした。長門の国と周防の国の境のようです。8時20分頃です。
そこで道路工事で切り取られた向かい側へ行くため下って登ります。8時半頃板堂峠に着きました。ここで萩市から山口市に入ったわけですね。
10分ほど下ると、こんな案内図がありました。
15分ほど下ると一の坂一里塚跡です。更に15分ほど下って9時02分、一の坂御立場跡に着きました。ここは素晴らしい跡地で、私も初めて見ました。大名行列の休憩には、この程度の休憩施設は必要なんだなと納得です。
ここはまた、六軒茶屋跡とも呼ばれています。私も15分ほど休憩して、9時17分に出発しました。
下って行くと山口市の天花(てんげ)という優雅な名前の地域になります。西京都と謳われた山内氏の栄華が偲ばれます。
その上天花登り口へ9時40分に降りてきました。前の断面図からいくと、これから厳しい登りは無いようですね。
10時に一の坂ダムに降りてきました。山口市が遠望できます。
更に30分下ると毛利家墓所のある瑠璃光寺への入り口に来ました。
萩市で毛利家墓所を2箇所見ています。奇数と偶数の藩主が祀られていました。ではここは何なんだと見学する必要があります。
説明によると、ここには13代~15代の藩主とその家族が祀られているようでした。それと、ここの墓は土饅頭なの特徴です。
時間は10時50分で早いのですが、朝も早かったので、ここで昼食にしました。持ってきた非常食をここで片づけました。
11時10分に出発しました。11時半頃大内氏館跡の付近へ来ました。毛利氏の遺跡ばかりだったので、その前の大内氏の遺跡も見学しないと片手落ちでしょう。
5分ほどで出てきました。この付近は哲学者の西田幾太郎が寄宿していた家もあります。12時に山口駅前を通過しました。
30分ほど歩くと中国自動車道の山口ICです。複雑な道ですが案内通りに越えて行きます。
越えてすぐ柊神社というのがあり、一休みさせてもらいました。13時23分です。長州藩主の姫君が再興した神社で、婦人病に効くということで、お参りが多いそうです。
当初はこの辺りで今日の歩きを終わろうと思っていました。でも林家さんのお蔭で出発時間が早かった。
もう少し歩けそうなので考えてみる。ホテルまでは後10キロ弱だけど、途中に佐波隧道を越える。標高は200m程度だが一寸嫌。その手前の洞道北口のバス停なら、2キロも無いので簡単に行けそう。後はバス停で考えようと。
国道沿いの街路樹が夕日に照らされて奇麗です。
街道は洞道北口の手前で国道に出て、広い国道を渡って自転車道を少し歩いてバス停に出ました。これではここで止めるにしても、また交差点まで引き返して渡らねばなりません。
ここは隧道を越えることにしました。15時10分です。
道は舗装されていて10分ほどの登りでした。郡境の石碑や明治天皇旧跡などがありました。
12分ほどで国道を陸橋で渡ると上勝坂のバス停です。さらに少し歩いて15時46分に勝坂のバス停に着き、今日はここまでとしました。
「街道歩き」カテゴリの記事
- 大和街道4回目 新堂から加太(2022.05.16)
- 九里半街道その3 美濃高田から烏江(2022.05.08)
- 九里半街道その2 今須から美濃高田駅(2022.05.08)
- 九里半街道(2022.05.07)
- 大和街道3回目 上野市駅から新堂駅(2022.04.10)
最近のコメント