萩往還最終日
2017年11月11日(土)
今日は午後から広島でワンゲルの同期会があるので、午前中には街道歩きを終わって、広島に行く必要があります。
なので早起きして7時20分のバスに乗ることにしました。バス停には山頭火の句碑のある公園がありました。7時半頃勝坂に着いて歩き始めました。
近くに勝坂の砲台跡があるはずですが見つかりませんでした。15分ほどで新幹線のガードを潜ると、剣神社がありました。街道に沿って流れる小川も剣川です。
お寺の多い所を通り、山陽自動車道の下を潜って20分ほどで佐波川の堤防に登りました。当時はここに渡しが有ったのでしょう。今は無いので本橋を渡ります。
橋を渡って右折、すぐに街道が見えています。8時14分です。
5分で大通りに合流し、更に5分で旧山陽道に入って左折します。
ここから防府八幡宮の前までは旧山陽道(西国街道)と重複します。西国街道は電線の地中化が行われ、景観整備の途中のようでした。
15分ほど西国街道を歩くと防府八幡宮です。ここを直進するのが西国街道。右折するのが萩往還です。
まだ時間も充分あるので参拝することにしました。8時40分です。
参拝後一寸休憩して9時に出発しました。西国街道をそのまま少し進むと周防国分寺跡があり、さらに進むと毛利氏庭園があります。この先、なかなか来る機会も無さそうなので、せめてこの二つは見ることにしました。
周防国分寺です。
毛利氏庭園です。ここは明治維新後に建てられた毛利家本邸です。
すぐに「らんかん橋」という赤い橋があります。八幡宮の参道なのですね。
アーケードを潜ると花嫁行列に出会いました。八幡宮で挙式して人力車で披露宴会場へ向かうところのようでした。
10時25分頃JRの線路を潜りました。この後2回ほど道が二股に分かれますが、右右と取れば正解のようです。
10時40分、三田尻本町でお寺の塀に沿って左折していきます。
3分で左側に石標があるので、そこを左折します。ややこしい道ですね。
そしてまた3分ほど、道標は有りませんが、下の写真の場所で左折すると、前方に石垣が見えます。
その石垣の内部の建物が御茶屋英雲荘で、ここが萩往還の終点です。藩主はここで旅装を解かれ一休みされたのでしょう。また幕末の政変で都から逃れた三条実美ら七卿もここに入っています。
参勤交代は、ここから500mほど離れた御船蔵から軍艦で大阪へ向かったそうなので、そこへ行ってみました。道が判らず、一寸迷いました。
急ぎ防府駅に戻って12時19分の列車で広島に向かいます。時間が無いのでお昼は駅の立ち食いそばです(笑)
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