2022年9月26日 (月)

駒塚の渡し跡

先日、駒塚道を歩いた時、駒塚在住の友人Wさんから、肝心の渡し場跡を見ていないとの指摘を受けていたので、見に行ってきました(-_-;)

車に愛用の小型折り畳み自転車を積み込みました。

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我家から1時間位走って、前回も訪れた駒塚神社に到着。

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お昼ごろだったので、車の中で弁当を食べる。

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駒塚神社から自転車で木曽川へ向かう。下図で青線は前回歩いた軌跡です。

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堤防を下ってきて、駒塚の案内で降りたのが失敗です。もう少し下った左側に渡し跡が有ったのです。駒塚神社からA地点まで来ました。

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前回は左から下ってきています。今回は右の道で堤防へ登りました。すると向かい側の堤防の下にお堂がありました。

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お堂の中には三面六臂の馬頭観音さまと道祖神みたいなのが祀られていました。

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横の説明版には駒塚渡しの跡の文字が。

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この先に、船着き場の跡も残っているそうですが、一寸無理そうなので、諦めました。冬なら行けるかもしれません。

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堤防に登って引き返すと、反対側はこんな具合で、細い道が下っていますが、これは街道ではなく、先ほど登ってきた車道が街道のようです。

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さてここからの街道ですが、地図を見てください。

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私が参考にしたネット情報では、渡しからA,そしてCで右折して駒塚神社の傍を通り、D・E・Fという変則的な道になっています。前述のWさんは、Bで右折してGで交差して、そのままHへ行くのが街道ではないかとのことでした。

それで今回両方通ってみることにしました。まずB地点。ここに石標があります。これが前回間違って右折した理由です。

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通り過ぎて、資料に従いC地点で右折。こんな感じです。右前方に駒塚神社の鳥居が見えます。

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駒塚神社本殿の近くを通ります。そして駒塚の交差点へ。

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そこを直進して、前回、復帰したE地点まで来ました。あまり街道の面影しない道筋です。

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今度はWさんお勧めの道を尋ねてみようと、H地点に来ました。ここから駒塚神社に引き返します。H地点の左右はこんな感じです。

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途中に毛織会館がありました。

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その前辺りに地蔵堂があります。

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横には、読めませんが、石標があります。

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しばらく行くと道標地蔵が。

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どうも、こっちの方が街道らしいなと思いながら帰りました。途中に、円空生誕地があり、資料館が有ったので、一寸覗いてみました。

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入場料は300円です。作品も豊富だし、説明のアナウンスも丁寧なので、価値はあります。ご本尊です。

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お母さんの三十三回忌に彫ったと言われています。中に鏡や形見の品が納められていたそうです。他にも見所はいろいろ。

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おわり。

 

 

 

2022年9月12日 (月)

大和街道から伊勢別街道へ

2月、笠置から歩いてきた大和街道は、5回目の今日で、起点である東海道関宿の西の追分に着きます。我々の歩きはそこで終了では無くて、関宿の東の追分まで2キロ弱東海道を歩き、東の追分から伊勢別街道に入ります。

伊勢別街道は伊勢街道と東海道を結ぶ20キロ弱の短い街道です。関宿を起点に津の江戸橋付近で伊勢街道に合流します。今日はその途中、椋本宿まで歩きました。

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9時22分に関西線の加太駅に到着しました。今回は9名です。

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9時35分ごろから歩き始めました。

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柘植から関に至る大和街道は、歴史街道と言うより、鉄道遺産見学の道としての方が有名のようです。

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加太駅のすぐ近くにある市場川橋梁です。

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とはいえ、歴史街道なので道端に石仏も多く残っています。これはその一つ端山の地蔵さん。

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街道は加太川に沿って続く旧国道25号線です。

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9時50分頃通った坊谷隧道。これも鉄道遺産かな。

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次は歴史遺産で栗の木地蔵。何やら刻まれていますが、一寸読めません。

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金場トンネルの手前で旧国道に分かれて、踏切を渡り、集落に入ります。字名は多分金場でしょう。10時12分頃です。

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5分ほどで集落を抜けて、また踏切を渡って国道に復帰します。10時37分、鈴鹿川との合流地点を通過。

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この傍に東屋があり、小休止しました。東屋から5~6分で国道1号線に着きます。陸橋で渡りました。

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渡った所が東海道関宿・西の追分です。南無妙法蓮華経の大きな石碑があり、そこに「ひだりいか やまとみち」と刻まれています。江戸から上ってきた旅人は、ここで京か奈良に分かれたのですね。

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11時頃、東海道の関宿に入りました。ここは何十回も来ていると思いますが、電柱のない街並みは、いつ来ても気持ちが良いですね。

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関宿は結構東西に長く、2キロ弱はあると思います。その中ほど、やや西寄りに、関の地蔵さんとして有名な地蔵院があります。一時期住職を務めておられた尼さんが、経営手腕に優れて、資金集めも上手く、寺院の再建に尽くされて有名でした。

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11時半過ぎ、東の追分に到着しました。ここから伊勢参宮道なので大きな鳥居があります。桑名の七里の渡し、日永追分の伊勢街道入口にも大きな鳥居があります。多分、すべて、伊勢神宮のどこかの鳥居を式年遷宮のときに譲り受けるのではないかと思います。

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さてここからは伊勢別街道に入ります。南下して国道1号線を渡り、鈴鹿川を勧進橋で渡ります。

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渡るとすぐ、鈴鹿駅跡という馬や人足を供給した役場跡があり、左折します。

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急な坂を登って、名阪国道の下を潜ります。

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潜るとすぐ、関ドライブインです。ここは伊勢や熊野方面の観光バスが、帰りに必ず立ち寄る休憩所です。11時56分でした。

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ここで昼食休憩にしました。食堂でゆっくりとはいかず、フードコートです。

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12時半に出発、県道10号線に沿って歩きます。石山観音への道を過ぎ、楠原へ入ると、伊勢別街道の案内があって感動しました(笑)。Dscn2844jpgc_20220912113601

これまで大和街道では案内が少なかったので。出発して10分、県道の左側に庚申塚があります。通行量が多いので危険ですが、見に行くと、青面金剛像や地蔵さんなどがあります。

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その前で、街道は県道から分かれて右に入ります。楠原宿の街並みは、結構残っています。

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10分弱で楠原宿の街並みを通り過ぎると県道に出ます。

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そこに楠原宿の案内図もありました。力入っていますね。

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県道を渡って右折、2分で左折して県道から離れます。

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10分ほど歩いて右折するのですが、そこが間違えやすい。以前歩いたときは直進して、なかなかのお寺を見て気づいたりしました。左奥に、元役場の建物で、今は資料館になっているところを右折です。

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右折して7~8分で県道と交差しますが、そこに石灯籠があります。右さんぐう道、左京道と刻まれています。

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前方に見える山は経ヶ峰のようです。渡って7~8分で横山池の堤防に突き当たります。左折して行きます。

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横山池は椋本宿の旅籠屋、駒越五郎八が資材2万両で築いたそうです。

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この辺り200町歩の田畑を潤したそうです。

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椋本宿の入り口に仁王経碑があります。疫病の予防を祈願して宿の両入口に建てられたそうです。13時40分。

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椋本宿も面影は残っています。

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特に大クスはこの宿場のシンボルです。

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宿場の中ほど、バス停の近くに、道路元標があり、自然石の道標には大きく「左さんぐう道」と刻まれています。

経の行程はここまでです。14時10分のバスで亀山に戻りました。そこで恒例の反省会です。

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我家に帰って、関ドライブインで買ったお土産で一寸一杯。

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今夜は中秋の名月でしたね。

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お疲れ様。

 

 

 

 

 

 

 

2022年9月 5日 (月)

駒塚道(岐阜県から愛知県)

先日歩いた竹鼻街道の続きです。前回は大垣駅から羽島市役所前駅まで歩いたのですが、今回は愛知県の名鉄尾西線萩原駅から木曽川を渡って、羽島市役所前まで13キロほどを歩きました。

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2022年9月3日(土)

今日は午前中の涼しいうちに歩きを終えようと、早起きして、朝8時に萩原駅に着きました。

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萩原は旧尾西市、現一宮市になるのでしょうか? 美濃路の萩原宿というのも観光資源にしているようです。

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今日の目的の駒塚道は、図の中央上部、富田の一里塚のそばの駒塚道道標から左へ木曽川を渡りに行きます。近くに駅が無いので、萩原駅から美濃路を3キロほど歩いて行くことにしました。図の青線が美濃路です。

萩原宿は現在こんな感じです。商店街が一寸寂れているのは全国どこも同じですね。

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こんな古い町屋が残っていました。何年か前、美濃路は歩いているはずですが、やはり記憶からは消えています。

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歩いているとちょうちん屋さんがあったりします。正端寺の前で右折。民家の前に馬頭観音と地蔵菩薩が祀られていました。

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問屋場跡とか本陣跡の案内だけがありました。

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左折して稲荷神社の前を通り、日光川を渡ります。右折しようとすると、きれいなトイレが目につきました。見ると、婦人運動で有名な市川房江生家跡となっていた。有難く使わせていただきました。

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8時半頃、名神高速道路の下を潜った。そこから淡々と20分ほど歩くと、五叉路か六叉路の複雑な場所に来る。

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街道はほぼ直進ですが左右の道は軌道の跡かもしれませんね。

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そこから3分、郵便局の向こうに、富田の一里塚が残っています。これだけ完全な形で残っているのも珍しいですね。

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手前を左折している道は駒塚道ではありません。一里塚のすぐ先に、大きな石の道標があります。船渡しまで五丁の文字も見えます。

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大きな文字で駒塚道と彫られた道標を左折するのが、今日の目標の駒塚道です。左折しました。8時58分。

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街道の面影残る細道を歩いて、すぐ左折すると、もう面影のない新興住宅街の道です。

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道標から10分で車道を渡り、一寸右の道を入っていくと堤防が目の前です。

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階段を登りますが、その先は無理なようです。渡し場跡とかも見当たりません。まあ諦めて、上流の濃尾大橋へ向かうことにしました。

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歩道と車道が分かれているのがありがたいですね。歩道のない堤防道路は地獄ですね(笑)。

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堤防道路を歩くこと20分、9時半に濃尾大橋の近くまできました。

そこに船橋跡という大きな石碑がありました。美濃路の石碑ですね。説明文が破れて不明ですが、将軍や朝鮮通信使など、特別な人が通るときのみ、270隻の船を並べて橋を作ったらしい。

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この付近で河原へ出て、小休止しました。10分ほど休んで、9時43分に濃尾大橋に着きました。

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橋を渡るのに12分掛かりました。横断歩道は無いのですが、強引に渡って、今度は堤防道路を下ります。

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尾張側の堤防道路は歩道が有ったのですが、美濃側のほうは歩道がありません。まさに地獄道を17分歩きました(笑)。

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ようやく駒塚への道路標識がありました。ここで駒塚道に復帰したようです。

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この辺りに、駒塚の渡し跡の何かが有ったかもしれませんが、見当たりませんでした。

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駒塚の集落に入ってきました。

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駒塚というので、馬の墓とか有るかもしれないなと思いながら歩きましたが、それは見当たりませんでした。お地蔵さんはたくさんありました。

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一寸読めませんが道標もあります。

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ここで道を間違えました。地図をしっかり見ないで、「駒塚神社の傍を通る」これだけを思いながら歩いていました。また道標を見つけ、文字を読んでいると、地元の人が通りかかりました。

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「駒塚神社は何処でしょう」と尋ねたのが失敗でした。「この道の先に鳥居が見えますね。あそこです。」と言われて、すっかりここで曲がると思ってしまいました。実際は、もう少し言って右折でした。

駒塚神社の前に来て、一寸参詣して休憩しました。

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10分ほど休憩して10時35分に出発しました。途中の地蔵さんには竹ヶ鼻の文字が。

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大通りを渡っても気が付きませんでした。

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次の大通りが、なかなか無いので、おかしいと思い、地図を確認して間違いに気づきました(泣)。ですが、私の友人で、駒塚在住のWさんが、昔の駒塚道は、こうではないかと送って頂いた推測地図では、私が歩いた道が駒塚道になっていました(笑)。

でも私が頼りにしていた資料は、図の青線だったので、修正して合流しました。合流地点から振り返った駒塚道です。11時10分。

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逆に、これから歩く駒塚道です。

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眞修寺というお寺の前を11時20分に通過。

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大通りを横断して、逆川に架かる竹鼻橋を渡ったのが11時26分です。

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この後、竹鼻の街は、詳しい地図を載せてみます。

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竹鼻橋を渡って直進し、小さな稲荷神社を過ぎると、インターロッキングブロックで舗装された道があります。そこを右折して千代菊酒造を目指しました。そこでお酒の試飲や販売をしているかと思ったのですが、残念でした。他でやっているのかもしれません。

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そのまま歩くと、歴史資料館入り口や札ノ辻があります。

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もう少し行くと、円空ロードになります。そこで引き返しました。

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歴史資料館は映画資料館にもなっているみたいで、面白いですね。

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反対側の入り口が竹鼻城址の案内になっていました。

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竹鼻城は関ケ原の合戦で西軍に属し、落城したらしい。すぐ傍が、竹鼻別院です。

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ここは藤の花も有名だそうです。

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その前で昼食休憩にしました。11時53分です。午前中に歩きを終わるという目標は、一応達成しました。

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ここには宝暦の治水の薩摩義士の墓もありました。

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本堂でお参りして、今日の街道歩きは終わりました。

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2022年8月31日 (水)

竹鼻街道

中山道と東海道を結ぶ街道として美濃路がある。美濃路は中山道の垂井から大垣を経て、清州などを通りながら熱田の宮で東海道に合流する。その美濃路の脇往還として竹鼻街道がある。

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竹鼻街道は大垣で美濃路と分かれ、揖斐川を渡って安八町に入る。そして長良川を渡って竹鼻(現在の羽島市)に至る13キロほどの短い街道です。竹鼻からは駒塚道が接続し、木曽川を渡って富田で再度美濃路に合流します。駒塚道は7キロ程でしょうか。ただ現在は木曾三川に渡し船は無く、県道に架けられた橋に迂回するので、歩く距離としては30キロ近くになります。

2022年8月29日(月)

11時ちょっと前に大垣駅に着きました。竹鼻街道に入る前に、大垣城址や奥の細道の遺跡を見るつもりです。

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上図の緑の線は美濃路です。赤い線は私が歩いた軌跡です。大垣駅から、まっすぐ南下して10分弱、郭町に来ました。11時頃です。

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この辺に大垣城址への案内があり右折します。

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大垣城は関ケ原の合戦のとき西軍の石田三成が入った城です。

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遺跡は殆ど残っていません。通り抜けて市役所の傍の水門川に来ました。過っては大垣城の外堀だったとか。

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ここから水門川に沿って10分ほど下っていくと奥の細道結びの地で芭蕉の像があります。

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この先の東西の通りが美濃路です。

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ここから一寸美濃路を歩いていきます。Uターンして水門川を上ります。ここ船町の住吉灯台です。芭蕉は奥の細道の旅を終えた後、ここから船で長島へ降ったそうです。

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船町の大きな石の道標です。

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美濃路は大垣では大事にされていて、あちこちに親切な道案内があります。

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歴史ありそうな和菓子屋さん。

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大垣宿の本陣跡です。資料館になっているみたいですね。

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そこからすぐ問屋場跡があり、美濃路は左折して行きます。

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そこを直進していくのが竹鼻街道です。

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美濃路は前述のように大切にされていますが、竹鼻街道は現在、知る人も歩く人も少ないでしょうから、道案内は何もありません。頼るのは地図と感だけです(笑)。11時43分です。

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感を頼りに右折すると、割烹屋さんの前に石塔が建っていました。珍しいですね。

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この辺りはお寺が多く、寺町のようです。左折すると微妙に道が曲がっています。街道らしいですね。

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呉服屋さんの関係も多いですね。まあ、過去の話でしょうけど。

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大桑国道と県道が交差する大きな交差点に来ました。禾森(のぎのもり)という難しい名前です。11時54分。

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斜めに横断します。すぐに料理屋さんが左手にあります。ここは大垣の自噴水巡りをしたとき、来たのを思い出しました。大垣は地下水が非常に豊富で、十何か所か自噴水があります。

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道案内はありませんが、お地蔵さんはあります。このお地蔵さんの後背には右〇〇左竹ヶ鼻とか刻まれているようです。

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竹鼻町は江戸時代竹ヶ鼻村と呼ばれていたそうです。12時を過ぎて空腹になってきたので、街道近くの神明神社の境内で昼食休憩させてもらいました。

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15分ほど休憩して12時25分に出発しました。すぐに水路があり、水路に沿って南下していきます。

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水路の傍にもお地蔵さんがあり、その横に道案内の石標があります。読めません(笑)。

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広い自動車道を信号で越へ、新幹線の下を潜ります。12時45分。

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すぐに川を渡りますが、その橋が「座頭橋」です。何か謂れがありそうですね。

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右手に奥伊吹でしょうか、山並みを見ながら、しばらく田んぼ道を進みます。左折すると郵便局がありました。郵便局も街道の証です。明治時代は、大切な国の財産である切手を預けるので、地方の名士しか郵便局は出来ませんでした。その傍にもお地蔵さんがありました。

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覗いて見ると、お地蔵さんに「左大がき、右竹ヶ鼻」と彫られているようでした。

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すぐ近くにたばこ屋さんが有ったようです。今では禁煙が常識ですが、昔は街道に煙草屋さんは必需品だったでしょう。

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13時過ぎ、揖斐川の土手が見えてきました。

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その手前のお寺が「峠越 バ 養樂寺」とか一寸気になりました。

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揖斐川の土手に登ってきました。昔はここに渡し船が有ったのでしょうね。

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土手の水神様は渡し船の安全祈願でしょうか。

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現在は県道18号線の大垣大橋に迂回します。13時16分です。

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橋を渡って右折、堤防に降ります。新幹線のほうへ歩いていくと、堤防の上に石碑が見えました。近づくと常夜灯でした。

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平町常夜灯と言うそうで、揖斐川を上下する船や平の渡しの安全を祈願したとあります。また、竹鼻街道という言葉も唯一ここだけで見ました。大いに勇気づけられる案内でした。

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堤防を下り、新幹線に沿って街道を行きます。13時40分過ぎ、暑いのでドラッグストアで身体を冷やしてから県道18号線を渡ります。

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10分ほど歩くとセブンイレブンがあり、そこを右折すると安八町の役場です。

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これは中央公民館らしいです。

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通り越してまた新幹線を潜ります。

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潜って7~8分歩くと運動公園があり、左折します。

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ここの野球場のスタンドで小休止しました。6~7分休憩して出発すると、新幹線のすぐ向こうに、パナソニックの大きなソーラーパネルが見えました。14時18分。

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大森の交差点で再度県道18号線を渡ります。渡ってすぐ、下の写真の辺りで右折して、長良川に向かいます。

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ここから長良川への短い距離の間にも3~4体のお地蔵さんがありました。

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長良川の堤防に登り、ここも渡し船は無いので、県道18号線の羽島大橋で渡ります。ところがこの大橋ですが、歩道が手前になく県道を渡らねばなりません。そして歩道は新幹線と自動車道の間を歩きます。何か変ですね。14時40分。

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10分ほどかけて橋を渡ると、左側、車道の向こうに小公園があり、謂れありそうな石碑もありますが、見に行く術がありません。わずかに、一つだけ、石碑の文字が「薩摩義士・・・」と読めそうです。宝暦の治水がここにも有るのですね。

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少し下って信号でようやく左折して、長良川の堤防の下へ戻ってきました。

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ここを右折して街道に復帰するのですが、一寸焦って道を間違えました。下の写真で右折したのですが、早かったようです。

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福寿小学校の傍を通って、街道に復帰しました。15時10分です。

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ここもなんとなく街道の面影はします。

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大西の交差点は地下道で渡ります。

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この辺りも結構お地蔵さんが多いです。

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15時31分に、名鉄竹鼻線、羽島市役所前駅に到着しました。

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駅前は思ったより鄙びていて、宛にしていた缶ビールもありませんでした(泣)。電車の本数は結構あるので、近くの佐吉大仏を見に行きました。美濃の聖人と言われた永田佐吉翁が建立したとか。

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次回はここから駒塚道を歩こうと思います。

 

 

 

 

 

 

2022年6月14日 (火)

矢倉沢往還 足柄峠越その4

2022年6月9日(木)

旅館の部屋から見下ろすと、目の前に数個の石碑がある。五百円とか刻まれている。宿の女将さんに訊くと「最乗寺さんに参詣者が寄付した証だ」とか。

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今日は昨年歩いた伊勢原まで歩きたいところです。でも30キロほど有るし、アップダウンや道の状況も定かでは無い。でもまあ前半の渋沢駅まで15キロほど歩けば、後半は小田急の線路沿いなので、時間切れ時点で切り上げられるので気は楽です。

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でもまあ、できるだけ歩こうと、朝食を6時半にお願いして7時に宿を出た。昨日終わった龍福寺交差点に向かいます。大雄山駅には金太郎が居ました。

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7時20分頃、交差点に到着、街道に復帰しました。

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交差点から西は2車線の車道ですが、東はこんな街道らしい道になります。

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10分弱歩くと向田の石仏です。右へ降ると富士フイルム前の駅があります。

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石仏から5分で車道にぶつかりますが、これは小田原からの甲州道だそうです。すぐ右にある福田寺へ行く道が矢倉沢往還です。福田寺と刻まれた大きな石碑の横にある、小さな石が貴重な道標だそうです。

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「右おおやま、左ふじ」と刻まれているそうです。福田寺に一寸寄って、藪通りと呼ばれる道を下りました。石仏が有ったりして趣のある道を2回ほど左折右折します。橋場橋を渡ってから5分ほど車道を歩いて細道を右折します。すぐ水路が有るので、渡らずに左折しますが、その水路の向こうに道祖神など石仏が何体か並んでいました。

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すぐに2車線の車道に出るので、そこを右折します。3~4分歩いて交差点があり、左を見ると道の駅の看板がみえました。この辺りで南足柄市から開成町へ入るようです。

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交差点から3分ほど、左手に宮台の地蔵さんがあります。小さなお堂が作られ、中に、立派な厨子があり、その中に収められていました。7時56分です。

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8時頃要定川を渡り、5分で牛島交差点ですが、その手前右手の自治会館に矢倉沢往還の説明がありました。

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そこから5分ほど歩くと、大きな石碑、庚申塔だそうです、が4基建っていました。

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3分ほど歩くと、前方に踏切が見えてきます。小田急です。その手前の整備された歩道へ左折するのが往還だそうです。

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県道78号線の下を潜りながら、余り街道の雰囲気が無い道を10分ほど北上すると大きな建物が見えてきます。新築された大長寺の納骨堂だそうです。徳川家の帰依も受けた曹洞宗のお寺です。境内で一寸休憩しました。8時半頃。

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大長寺の横には多くの石仏が並んでいました。

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石仏から5分で交差点が有り右折します。20mほどで左手に大きな道祖神の石碑があり、そこを右折します。

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変な道ですが酒匂川の堤防に登ります。この辺りに当時渡しがあったようです。

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今は十文字橋を渡ります。8時44分でした。

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渡り切って左手に郵便局がありますが、その向こうの細い斜めの道を登るのが往還だそうです。

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この辺りは小田急の新松田駅とJR御殿場線の松田駅が隣接するところです。住所も松田町です。

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小学校の前を通りながら5分ほど登るとJRの線路に阻まれます。お堂のような建物の前に、往時の往還のルートが説明されていました。

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現在は右折して踏切を渡ります。この踏切の名前は矢倉沢踏切だそうです。

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踏切を渡って県道72号線に合流します。9時07分でした。この辺りで一寸足に違和感を覚えました。左足、膝頭の裏側の筋が一寸傷んだのです。まだ歩き出して2時間ですが、昨日の下りで痛めていたのかもしれません。最近ではチョットしたことで、あちこちが痛くなり、情けないことです。

延命寺の前に来ました。前途の安全を祈りに参拝しました。

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鎌倉時代の仏像がある立派なお寺のようです。ここまで8キロ弱。ここを出ると渋沢駅まで7~8キロは交通手段がありません。一寸悩みましたが、昼までならなんとか持つだろうと出かけることにしました。お昼には冷たいビールを飲ませるからと、励ましました(笑)。

籠場橋で酒匂川支流の川音川を渡って、すぐに東名高速道路の下を潜ります。この少し南に大井町があり、大井松田インターがありますね。

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江戸時代の矢倉沢往還は、この川音川沿いに北上し、途中で右折して渋沢に至るルートだったそうです。でも今は道が無くなって辿れないそうなので、ここから渋沢までは鎌倉・平安時代の道を辿ります。

東名高速の下を潜ってすぐ、県道77号線は右折します。その県道に入ってすぐ、県道が再度高速を潜る手前で往還は左に分かれます。それらしき石碑のある道が有ったので、左に入りかけましたが違いました。

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往還はその先の、東名のすぐ手前でした。そこは神山神社の入り口であり、矢倉沢往還の説明もありました。

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ここを左折して往還に入り、やれやれと油断したのが失敗です。入ってすぐ細い道を左折しなければいけないのですが、直進してしまいました。

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一寸おかしいとすぐ気が付いたので、事なきを得ました。すぐ引き返して往還に入りました。薄暗い道を5分ほど登ると視界が開けました。

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道はミカン畑の中を行きます。

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神山神社から15分、一寸下りになった所で三叉路になり、道案内がありました。この道は、鎌倉・平安の古い道ですが、近年ハイキングコースとして整備されたようですね。助かります。富士見塚を目指します。

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道標から10分弱で古道の案内がありました。

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古道の雰囲気がありますねえ。

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道案内から18分掛かって富士見塚に到着しました。ここは一応、名所と見えて、車で来ている方が一人居ました。10時08分です。

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この辺りは矢倉沢往還の一里塚であり、源頼朝が富士の巻狩りを行う際、ここから富士を眺めたと伝わるそうです。

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この少し上に展望広場があります。一寸、休憩しました。

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残念ながら富士山は雲の中でした。でも相模湾から伊豆半島が、うっすらと見えていました。

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15分ほど休憩して出発しました。5~6分下ると、大きな椎の木があります。三嶋神社です。

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この辺りから篠窪という集落に入ります。住所も大井町です。

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篠窪には地福寺というお寺があり、一寸参拝しました。

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地福寺を出て登っていくと小さな道祖神がありました。

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道祖神から5分登って、小さな案内のある往還へ左折します。

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ここは古道ですが舗装されています。10分登ると車道に合流し、展望も開けました。

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そこから4分、11時02分に弘法の硯水という、全国どこにもある弘法伝説の湧水がありました。

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そこから7分、11時10分頃、道標のある二股にでました。どちらへ行っても渋沢駅まで3キロほどと案内されています。ハイキングコースの案内のようです。往還は右です。

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2分も歩くと、多分渋沢方面でしょう、市街地が見えてきました。

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途中にいろいろ道案内があります。ハイキングコースとしての案内や、矢倉沢往還の案内もあります。

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平安・鎌倉時代の幹道と案内していますね。二又から15分、11時24分頃、市街地に降りてきました。

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3分でバス通りに降りてきました。

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バス通りを15分下って、國栄稲荷神社の交差点に来ました。ここも矢倉沢往還と甲州道の交差点です。江戸時代の往還は、この交差点を左右に通っていました。私が歩いてきた道は甲州道とされていたようです。

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膝の痛みは治っていましたが、ビールがちらついているので、ここで辞めることにしました。11時45分です。続けるなら、この交差点を右折です。交差点のすぐ北に國栄稲荷神社があり、その前に矢倉沢往還の説明がありました。

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古道解説では、今歩いてきた道を逆に辿ると小田原へ出ると説明しています。

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渋沢駅に向かいながら食堂を探しました。昼は食堂の居酒屋さんが駅前にありました。

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約束通りビールを一杯飲んで労をねぎらいました(笑)。渋沢から小田急で小田原に出て、小田原土産を購入しました。

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帰りの新幹線の中は、いつもの楽しみがあります。小田原産の竹輪ではありません(笑)。

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富士山は最後まで顔を見せてくれませんでした。

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お疲れ様でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年6月11日 (土)

矢倉沢往還 足柄峠越 その3

13時頃、昼食を終えて広場から降りてきました。足柄城址の石碑と足柄峠の説明板がありました。標高は759mと書かれていました。

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足柄峠には、いろいろ史跡がある。八幡太郎義家の弟、新羅三郎義光が兄の奥州征伐の応援に駆け付ける際、ここで露営し笛を吹いた。

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足柄聖天堂は、年をとっても下(しも)の世話にならなくても良くなるそうです。

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足柄峠の関所は平安時代に作られ、鎌倉時代に箱根道が開かれるまで、東海道の要衝であったそうです。

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さて、そろそろ峠を下ろうと思います。

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関所跡のすぐ下に足柄古道の入り口があるので、それを下ります。

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すぐに足柄明神跡への道が左に分かれるので見に行きました。足柄明神は倭建命伝説に出てきますが、麓の足柄神社の元になった神社です。

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天気が良ければ矢倉岳など見えそうですが、今日は雲の中でした。引き返して足柄道を下ります。13時15分頃です。石畳などは近年改修されたものでしょう。

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自動車道を何回か横断しながら15分ほど下ると、見晴らし台へ来ました。バス停もあります。

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さらに古道で下ります。

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車道を何回か横断します。

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13時45分。いったんここで古道は終わり、車道を歩きます。

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ヘアピンカーブのような車道を7~8分下ると相の川橋のバス停があります。その先、右に登っているのが足柄道です。前方の山は矢倉岳です。

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この足柄道は古道ではなく、舗装された車道で、県道に並行して進みます。10分ほど歩くと地蔵堂に着きました。ここからは文明社会みたいで、バスの本数も増えます(笑)。

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鎌倉時代の作と言われる足柄地蔵尊が祀られています。ここで一寸休憩しました。10分ほど休憩して14時15分に出発しました。ここからも、県道は進まず、足柄道を進みます。4~5分歩くと、金太郎の遊び石がありました。金太郎広場とか。

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すぐ近くには金太郎の生家跡もあります。ここで足柄道は左折します。直進は夕陽の滝とか。この足柄道も古道ではなく、しっかり舗装された自動車道です。

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14時40分頃、矢倉沢定山城跡の案内がありました。古道の名残としては、これくらいですか。

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ハイキングコースなのに車がよく通るなと思ったら、自動車道として作られたようでした。

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まだ少し金太郎ラインを歩きます。

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14時55分、県道に合流しました。逆に登ってきた場合、こんな感じです。足柄古道入口とは言って欲しくないなあ(笑)。

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すぐに県道の左側に足柄道と書いてあったので入りました。でもおかしいと気が付いて引き返しました。紛らわしいですね。

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そこから5分先に足柄古道の入り口がありました。道は舗装されていますが、雰囲気のある良い道です。

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獣よけの扉を開け閉めしたりしながら10分ほどでまた県道に出ますが、すぐ横断して矢倉沢の集落に入っていきます。15時15分です。入って3~4分すると、道は二つに分かれますが、右下へ降りていきます。

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この辺りに関所跡が有るはずと注意しながら歩いたのですが、通り過ごしました。地元のおばさんに尋ねて、ようやく解りました。小さな案内だけなのです。

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矢倉沢にはこの表関所の他に裏関所が有ったそうです。すぐに県道に合流します。その向かい側に坂を登る道がありますが、それが足柄みちだそうです。でも、ウオーキングガイドには県道が矢倉沢往還だと記されているので、県道を歩きます。

合流するとすぐ石仏群や芭蕉句碑があります。その上のガードレールの道が足柄道です。15時32分。

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10分ほど歩くと日蓮上人縁のマンダラ石があります。

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謂れはよく解りませんが、道端にはいろんな石碑が建っています。

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マンダラ石から20分、足柄神社の入り口を通過しました。

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入口から5分ほどで足柄道が県道に合流してきます。そこから1分で、白地地蔵とか化粧地蔵とか言われるお地蔵さんがあります。安産と授乳のご利益があり、お礼に小麦粉を塗る風習があるそうです。

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弘済寺の入り口を過ぎ、日蓮上人ゆかりの弘行寺に一寸寄りました。16時25分。

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もう目的の大雄山は近いでしょう。この辺りは関本というのが地名らしく、関本地蔵さんもありました。

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16時45分に竜福寺の交差点に着きました。矢倉沢往還は直進ですが、今日はここまでです。

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交差点の名前にもなっている竜福寺へ一寸お参りしました。

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交差点から4分で伊豆箱根鉄道の大雄山駅です。

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この大雄山駅から3キロほど南西に大雄山最乗寺があります。天狗伝説もある曹洞宗のお寺です。参詣客も多く、過っては相当賑わったみちのようです。その途中に今夜の宿があります。

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この付近に旅館が何軒かあるよなので、過っては最乗寺さんの参詣客が目当てだったのでしょうか。

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今日の疲れをゆっくり癒させてもらいました。

明日へ続きます。

 

 

 

 

2022年6月10日 (金)

矢倉沢往還 足柄峠越その2

矢倉沢往還は沼津から伊勢原まで75キロほどありますが、今回はそのさわりの部分、足柄峠を歩こうと、JR御殿場線の足柄駅から歩くことにしました。1日目は足柄駅から足柄峠を越え、伊豆箱根鉄道の大雄山駅まで18キロほどの行程です。

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2022年6月8日(水)

足柄駅までは4時間ほど掛かるので、朝は6時半頃家を出ました。雨が心配でしたが名古屋付近は晴れています。これなら富士山も見られるかもと期待が膨らみます。

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でも関東に近づくにつれ雲が多くなり、御殿場線の車窓からは富士山は無く、雨の心配になってきました。

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10時34分に足柄駅に到着しました。

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ここは静岡県小山町です。駅舎に役場の支所があったので、一寸入って足柄峠への道筋や宝鏡寺さんへの道を尋ねました。

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宝鏡寺は聖徳太子作のお地蔵さんを本尊とし、今日の目的地大雄山にある最乗寺と縁深く、大雄山宝鏡寺と称しています。

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引き返して足柄駅近くの馬喰坂から足柄峠へ登り始めました。10時55分です。

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急坂を5分登ると嶽之下神社です。源頼光はこの地で坂田金時を召し抱え、向かい側の富士浅間神社の木花開耶姫命を迎えられた?

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金太郎伝説は、ここ小山町、峠の向こうの南足柄市のほかに滋賀県、新潟県など、いろいろあるようですね。ここからさらに登っていきますが、道はすべて舗装されています。

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神社から20分弱登った自動車道との合流点に竹之下一里塚が残っていました。

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この辺り標高は458mと出ていますが、足柄駅が350m位なので100m登ってきたことになります。足柄峠までは後300mの登りですね。一里塚から更に20分弱登ると大きな石碑があります。唯念上人の銘号碑です。

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そのすぐ先が赤い欄干の伊勢宇橋です。11時44分です。

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伊勢宇橋から10分一寸で赤坂古道の入り口に来ました。矢倉沢往還というのは平安時代頃の足柄道を元にしているそうです。その道は近畿と関東を結ぶ道だったそうですが、相模の国から駿河湾の海産物を甲州へ送るのにも使われたとか。その中で、この辺りでは陶磁器用の赤土が取れたので赤坂道とも言われたとか。

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このまま車道を進んでも足柄峠に着くのですが、出来れば古道を歩きたいと思っていたら、通行止めの案内です。一寸がっかりしながら、すぐ目の前の馬頭観音を見に古道へ入りました。11時56分。

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古道を見ているうちに、どこが危険で歩けないのか見に行くことにしました。まあ荒れてはいるものの、危険と言う箇所が無く登っていきました。

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20分弱登ると林道の工事現場に来ました。これが通行止めの原因だったのですね。

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完全に削られているため、古道の痕跡も全くありません。地形図を見て方向を定め、一寸登って古道を発見しました。それを辿るとすぐ自動車道でした。12時19分。

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車道を渡って、次の古道に入ります。7分で次の車道に出ました。12時26分です。

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目の前に芭蕉句碑があります。

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すぐ上に八体の地蔵さん。

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そのまたすぐ上に上の六地蔵があります。そんなに古そうにも見えませんでしたが。

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もう峠は近いでしょう。峠近くにはいろいろ石碑が立っています。

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12時36分。石段が有ったので登ってみました。

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上は広場になっていて石碑や東屋がありました。ガスの中に入ったようで展望はありません。

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この広場で静岡県小山町と神奈川県南足柄市が、年1回綱引きをして、勝った方が来年まで、この広場を領有すると書いてありました。前回は足柄市が勝ったようで、相模の国になっていました。駿河の国は残念でしょうね(笑)。

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ここの東屋で昼食休憩することにしました。

後半へ続きます。

 

 

矢倉沢往還 足柄峠越 その1

矢倉沢往還とは沼津から江戸までの東海道のバイパス(脇往還)です。東海道が箱根峠を超えるのに対し、矢倉沢往還は沼津から北へ40キロほどの足柄峠を越えました。標高は箱根が850m、足柄が750mほどです。共に峠に関所がありました。矢倉沢の名前の由来は足柄峠を神奈川県側に降っていくと矢倉沢という集落があるからでしょうか?矢倉沢には関所が二つあったそうです。一つは街道沿いに、裏関所は山越えの道に。

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東海道は大名行列などが通る表街道だったのに対し、矢倉沢往還は商人や旅人が多く使ったようです。なので、街道の宿場に見られる本陣や脇本陣の跡などは、余り見かけません。

昨年12月に矢倉沢往還の北半分、伊勢原から東京の赤坂まで歩きました。この間は大山街道の一つで、江戸時代は頻繁に庶民が歩きました。江戸庶民の信仰というか楽しみというか、伊勢講、富士講などが人気で、伊勢参り、富士山登山などが行われました。

でも、伊勢参りには最低でも1っか月、富士登山も相当日数が必要でした。もう少し簡単に楽しめたのが大山詣でで、行は矢倉沢往還で伊勢原へ、そこから大山の阿夫利神社を往復し、帰りは江の島・鎌倉・金沢八景などを巡って東海道で帰る5~6日の行程が人気だったようです。

なのでその大山街道は資料も豊富でしたが、南半分の沼津~伊勢原間は資料も乏しかったですね。でも昨年暮れ、南足柄市の文化スポーツ課から下のガイドブックを送ってもらいました。

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これでルートの解明も一気に運んで、コロナも下火になって、今回の歩きとなったわけです。

歩きの実際は、次の「矢倉沢往還 足柄峠越その2」でご覧ください。

 

 

2022年5月16日 (月)

大和街道4回目 新堂から加太

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今年2月から歩き始めた大和街道は、京都府の笠置から始まり、三重県の伊賀市を歩いてきました。これから亀山市に入って関までが大和街道です。その後、伊勢別街道で津へ向かう予定です。

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2022年5月15日(日)

今回は上図で赤線の新堂から加太まで16キロほどを歩く予定です。9時40分に新堂駅到着です。大阪から参加のOさんが待っています。

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近くのオークワで弁当を買って10時頃出発しました。

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柘植川の堤防に出て左折すると、すぐ大和街道の道標がありました。

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まだ伊賀市なので芭蕉の影響が残っています。

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今日歩く柘植川に沿う道は、いわゆるメイン道路では無いので、車の通行は少なく、街道の面影残すような旧道なので、しっとりとした感じで、歩きやすい街道歩きです。上市場辺りの街道。

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旧の国道25号線を横断して中柘植に入ります。ここもいい感じです。10時50分頃。

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11時頃、野村に横光利一ゆかりの家跡がありました。近所の奥さんが、市が草刈りをしてくれないと嘆いていました。

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下町に入ると、史跡小御堂と刻まれた石柱がありますが、謂れは不明です。

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鍵型に曲がる角に、大和街道の説明版がありました。また近くには、本能寺の変の際、伊賀越えで三河へ帰る家康を休憩させた徳永寺がある。

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11時22分、都美恵神社の前に来ました。立派な神社で、参詣することにしました。

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起源は相当古いようですが、難解で不明(-_-;)。倭姫伝説の元伊勢の一つだそうです。15分ほど、お参りしました。柘植駅への道を越えて、12~3分歩いた右手の小川の縁に勧請縄がありました。疫病が集落に入るのを防いでいます。個々の飾りの意味は不明です。

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街道沿いに小さな常夜灯があります。伊賀町内、唯一残っているとか。

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近くに、大神宮の祠と石灯籠があります。

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時刻は12時近くですが、もう少し歩きます。すぐに旧25号線に合流しますが、この辺り、新25号線すなわち名阪国道に車は行くので、旧25号線は歩き易いです。12時15分、鴉山池のほとりで昼食休憩としました。

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20分一寸で出発しました。皆さん、やる気満々ですね(笑)。

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すぐにJRの線路を潜ります。少し歩くと旧道が残っているので見に行きました。と言うのは、途中で道が消えているので、引き返す必要があります。なので、見に行ったという言い方になります。

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また25号線に引き返して、少し歩くと、亀山市に入りました。13時12分でした。

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しばらく淡々と歩きます。加太不動滝の案内もありますが、遠そうです。錫杖岳が正面に見えます。

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13時45分頃、道端に、上下二つに刀で切られたようなお地蔵さんがありました。

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そしてすぐJRの線路を潜ります。このトンネルが赤レンガ造りで、鉄道遺産として有名です。明治23年に当時の関西鉄道によって完成されたそうです。

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街道は北在家の集落に入ってきました。なかなかの街道風景です。

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ここに以前から気になっていた川俣神社があります。今回、時間も余裕があるので、参詣しました。14時05分。

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この神社も歴史は古そうですが、南北朝時代に、この地方は鹿伏兎氏が納めていました。その陣屋を、北畠氏が川俣城と名付け、その跡地に現川俣神社が移ってきたとか。一寸、小休止して、20分ほどで出てきました。

すると本陣跡の案内がありました。加太宿はここ板屋に本陣があり、問屋場がすでに通ってきた市場に置かれていたそうです。

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14時半頃、名阪国道の板屋ICを通りました。

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この付近は鉄道遺産が多く、街道歩きより鉄道マニアの見学が多いようです。

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ICから15分ほどで森林公園があります。ここに大和街道の説明版があり、旧道の案内があります。

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梶ヶ坂と言われる地域ですが、貴重な旧道が残っています。すぐに峠?です。

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下ってきて民家の横を通り、車道を横断する場所に、また街道の説明版があります。そこを下ると、小川に沈下橋が掛かっています。街道の面影充分ですね。

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橋を渡るとお地蔵さんがあり、すぐに旧25号線に出ます。15時04分。そこから5分で加太駅の近くに来ました。缶ビールを買って駅に向かいます。停車場道と言う石標があり、左折すると駅です。

何もない無人駅だと思っていたのですが、この4月から廃駅を避けるため、集落のサロンが作られていました。

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反省会は亀山で、ささやかに行いました。

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お疲れ様。

 

 

 

 

 

 

 

2022年5月 8日 (日)

九里半街道その3 美濃高田から烏江

2022年5月6日(金)

昨日残した九里半街道の残り8キロを歩くため、今日は車で美濃高田駅へやってきました。駅と街道の中間にあるスーパー、バローの駐車場に車を停めさせてもらいました。代わりにお弁当を買わせてもらいました(笑)。

10時50分頃、昨日の金草橋南詰交差点にやってきました。養老山脈が真近に見えます。

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ここを左折して船附湊へ向かいます。

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ここからは金草川の堤防を歩くようです。

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10分ほど歩くと、右下に神社がありました。多分、八幡神社ですね。

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前方に東海環状自動車道が見えてきます。

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その下を潜ると、瓢箪がモニュメントの橋がありました。11時13分。

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まだまだ土手道が続きます。

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すぐに県道30号線の下を潜ります。そうそう今日は珍しく女房と一緒でした。

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下を潜った県道を、今度は上から眺めています。

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左手は湿地帯で、鴨が休んでいました。

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11時36分、なにか石柱が有るなと思ったら、「九里半街道」の道標でした。珍しいです。

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道標に力付けられて歩くと、一寸集落に入ります。栗笠の福地神社だと思います。

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集落を抜けると牧田川の堤防に出ます。

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堤防道路は車が来ると嫌なので、下に降りたりしながら15分ほど歩いて、12時過ぎに堤防の土手で昼食にしました。多分、女房はこんな場所で食べるのは初めてでしょう(笑)。

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20分ぐらいで出発しました。12時25分。

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5分でR258の養老大橋の手前、船附に着きました。ここが過っての湊で栄えたのですね。

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今現在、過っての湊の跡は残っていないみたいでした。常夜灯が多分、湊に有ったものが残されているのかなと思います。大正時代までは、船附、栗笠、烏江が濃州三湊として栄えたそうです。

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この辺り、一寸昔の面影が有りそう。

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12時37分頃船附を後にして、養老鉄道の烏江駅に向かいました。30分ほどで駅のすぐ手前まで帰ってくると、思いがけず烏江湊の石碑がありました。

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石碑から3分で、高架駅の烏江に到着しました。お疲れさまでした。

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