2021年11月17日 (水)

越美南線と越美北線を繋ぐ その2

石徹白には白山中居神社(ちゅうきょ)という立派な神社がある。イザナギ、イザナミの命の他に白山の神を主神とする。古来、白山信仰が盛んで、昨日参詣した白山長瀧神社から、ここ白山中居神社を経て、石徹白の大杉、一、二、三の峰を経て別山・白山へ向かうのが白山禅定道です。

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銅板の鳥居も立派ですが、その参道や境内の杉の木が素晴らしい。

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本殿は石徹白川の支流宮川を渡る。

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そして石段を登った石徹白川左岸に素朴な社殿が並ぶ。

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本殿に菊のご紋章があるので、皇室とも関係があるのか。

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奈良時代に泰澄大師が白山に登り、白山信仰が広がると、ここ石徹白はその基地となり神仏混交の元ともなった。明治に入り、神仏分離令が出され、仏像などは中在所の大師堂に移された。

その大師堂へも行ってみた。というより、郡上街道はこの大師堂で終わると、例の歴史の道調査報告書には書かれている。

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ここのお堂も同じ菊のご門だった。

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2021年11月14日(日)

今日は越美北線の最終駅、九頭竜湖駅まで17キロほどを歩きます。ただ旅館の有る中在所から中居神社は片道2キロあります。

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午後2時半の電車に乗りたいので、神社を往復して参拝し、大師堂へもと思うと、一寸時間が足りなかった。そこで旅館のご主人と奥さんにお願いして朝7時頃、神社まで送ってもらった。帰りは朝靄の石徹白集落を楽しみながら歩いてきた。

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8時20分頃旅館に帰り、荷物を持って出発しました。

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昨日登ってきた下在所まで引き返し、そこから石徹白川に沿って下って行きます。

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石徹白は昭和33年まで福井県だったそうです。昭和の大合併で福井県大野郡石徹白村から岐阜県郡上郡白鳥町に編入された。なにか事情が有ったのでしょうね。一部は残って大野郡和泉村だそうです。

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振り返ると白い峰が見えます。白山への尾根道でしょうか。

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朝まだ早い性もあって、車も殆ど走らず、快適なウオーキングが続きます。出発して50分程で漁協の境界の看板がありました。ここが編入後の県境でしょうね。

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県境から20分、9時35分に小谷堂を通過しました。ここは縄文遺跡があるそうで、過っては石徹白村の一部集落だったそうです。

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10時に石徹白ダムに着きました。ここで小休止しました。

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5分で出発しました。付近の紅葉は素晴らしいですね。

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10時40分、家族旅行村に着きました。ここまでは福井側からバスが来ています。ただ、旅行村は7月~10月しか営業していないので、シーズンオフの今はバスが有るかどうか判りませんが。

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旅行村から45分ほど、淡々と歩くと天狗岩ファミリーパークがあります。

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ここはオートキャンプ場のようでした。どれが天狗岩か判らなかったのですが、川岸にこんな岩が有るようです。

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ここで昼食休憩としました。11時30分。藤屋旅館さんの弁当は、お握りが3個も有って、食べるのに苦労しました(笑)。

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11時55分頃出発しました。もう、九頭竜湖駅まで1時間ほどでしょう。車が一寸多くなってきたので、対岸の旧道へ避難しました。快適です。

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12時半頃、山原ダムを通過しました。

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また対岸に戻り、中部縦貫道の工事現場を過ぎると、九頭竜湖の鷲ダムが見えてきました。12時50分です。

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右折すると熊野神社があり、九頭竜湖駅まで600mとか。

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13時04分、道の駅九頭竜湖駅に到着しました。ティラノサウルスの親子がお出迎えです。

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すごい人出です。この人たちが電車に乗るのかと心配しましたが、杞憂でした。コンビニで缶ビールを買って、お疲れ様の乾杯をした後、1時間以上時間が有るので、土産を買ったり、資料館へ入ったりして時間を潰しました。資料館のティラノサウルスの模型です。

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九頭竜湖駅も越美北線の最終駅です。哀愁は同じですが、道の駅の人出は北濃に比べて段違いに多いです。

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但し、JRは廃止したがっているとか聞きます。

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1時間半掛かって4時7分に福井駅到着です。福井は戦国時代、柴田勝家の居城北ノ庄が有った所です。秀吉に攻められ、勝家とお市の方は自害しました。残る淀君など三姉妹は数奇な運命を辿ります。

その北ノ庄跡です。三姉妹と後方は勝家。

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勝家像

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近くの蕎麦屋さんで1年間の打ち上げに蕎麦会席を食べました。

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蕎麦は三種類。

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お疲れ様でした。

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2021年11月16日 (火)

越美南線と越美北線を繋ぐ

下図を見てください。越美北線は福井から九頭竜湖まで来ています。また越美南線は美濃太田から北濃まで来ています。越美線の全通は何時断念されたか知りませんが、国鉄民営化の際、越美北線はJR西日本に引き継がれましたが、越美南線は長良川鉄道に変わりました。

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今回我々は岐阜駅近くの加納宿から郡上街道を北上してきましたが、最終目的の一つが、越美南線の最終駅である北濃駅と越美北線の九頭竜湖駅の間30キロほどを石徹白を経由して徒歩で繋ぐことでした。

2021年11月13日(土)

今回は郡上街道の5回目、いよいよ1泊2日の最終回です。長良川鉄道の美濃白鳥駅から北濃、石徹白を経て九頭竜湖駅まで35キロほどを歩きますが、途中の檜峠越が心配の種です。

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というのも、北濃から石徹白は県道314号線が通っていますが、我々は旧檜峠への旧道を歩きます。この旧道の現状が解らないのです。地元の観光協会などへ訊いたのですが、現状把握されていませんでした。ネットで探すと数年前の記録が見つかりましたが、最近の異常気象で、ここ1年ほどゲリラ豪雨とかが多く、どうなっているのか心配でした。

10時過ぎに美濃白鳥駅に到着です。総勢6人、トイレ休憩を済ませて出発です。

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街道は国道を渡って一筋目を右折していくようでした。相変わらず郡上街道の案内は何もありません。岐阜県教育委員会の歴史の道調査報告書の地図が頼りです。それも40年以上前の調査なので、現状変更は止む得ません。

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サイド国道に出て、少し歩きます。そろそろ積雪が近いと見えて、雪かき用のショベルカーの準備が進んでいます。10時45分、道路わきに北条川原の石仏がありました。台座には越前道とか八幡道と刻まれています。

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街道はしばらく国道歩きですが、特に見る物も無さそうなので、国道と並行する農道を歩きました。車に煩わされないので快適です。

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11時10分過ぎ、八幡神社の辺りで国道に出ました。国道を20分程歩くと白山長滝駅があり、白山神社に到着しました。

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これまでも数多くの白山神社を見てきましたが、ここは特に立派です。長瀧寺というお寺も併設され、釈迦三尊像など重要文化財もあるようです。神仏分離令で苦労されたかもしれませんねえ。

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11時40分、ここで昼食休憩としました。

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12時頃出発しました。すぐ道の駅がありますが、素通りして北濃駅に向かいます。15分かそこらで北濃駅に到着します。

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ここで中途から参加のNさんが合流して7人になりました。終着駅と言うのは、なんとなく哀愁があり、多くの人が写真を写しにきているようです。

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我々はここが目的では無く、ここがスタートです。5分程で駅を出て、15分程歩くと、石徹白への県道が国道から左に分かれます。

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入るとすぐ石徹白まで14キロの案内がありますが、これは県道で、くねくね曲がった自動車道です。我々は檜峠まで旧道で直線的に登るので2キロ程少ないと思います。

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12時40分、ここからは登りになります。20分ほど県道を登ると前谷上切のバス停があります。

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その一寸先を左折して旧道に入ります。すぐまた県道に出ますが、またすぐ左に登る細道があります。特に案内はありませんが、これが旧街道のようです。

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登り始めるとすぐカモシカが居ました。我々の姿を見て一旦は逃げますが、遠くへは行かず、後ろを振り返ってじっと見ています。普通の鹿はすぐ逃げますが、カモシカは牛の仲間で、なかなか逃げません。

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ジグザグの道をしばらく登り、平坦で後が開けた場所を過ぎると白山禅定道の案内があります。13時28分でした。ここから先は地道になります。

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ここは十字路になっていて、右折して下って行くと県道にぶつかり、そこに白山信仰歴史街道の案内があるので、こちらが街道かもしれませんが、教育委員会の地図では我々が歩いた道です。かつ、この道のほうが自然だと思います。

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一寸休憩して出発しました。2分で床並社跡の案内があります。

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実はこの道は、私がワンゲルの頃、スキー合宿の下見や本番で何回か荷物を担いで登っています。でもなにせ60年前の話で、記憶は全くありません(笑)。なだらかな、良い感じの登り道です。国道からの分岐点は標高480m弱、旧檜峠が950mほどなので、500m弱の登りです。

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禅定道の案内から20分でアラクラの滝の案内があり、更に5分で茶屋峠です。標高は800mほどです。丁度2時です。

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道は険しくはありませんが、小さな沢を渡ったり、苔むした石畳があったりして古道を偲ばせます。

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道自体は人が歩いた形跡は少なく、周囲のブッシュや倒木も出てきているので、このままだと何年か先には通れなくなるかもしれませんね。14時40分に中の峠です。標高は930m位です。もう少しですね。

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でもここからも一寸てこずります。一旦下って沢を渡り、梯子を登ります。

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15時丁度にようやく旧檜峠に到着しました。ほっと一息です。午後2時半~3時を予定していたので、ほぼ計画通りでした。

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ここから先の古道は、県道やスキー場の工事で消えているので、辿るすべはなく、県道を歩くしかありません。10分程休んで出かけました。5分で県道に合流しました。ここが現在の檜峠でしょう。

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檜峠から25分でスキー場です。昨日がスキー場開きとかで、たくさんの車が来ていました。

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雪はまだですが、人工雪でゲレンデを作り、滑っていました。15時40分。

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ここから後は淡々と車道を下るのみです。幸いなことに車はぐんと少なくなりました。旧道は右手の山側を通っていたそうです。マタタビの水とか桂清水を見ながら4時半頃、石徹白の下在所に着きました。橋を渡って右折し、6分か7分登った郵便局の前が今日の宿藤屋旅館さんです。字は中在所ですね。

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皆さん、お疲れ様でした。

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料理は鮎やアマゴと山菜料理。すっかり満足しました。

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明日はいよいよ九頭竜湖です。

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年10月10日 (日)

美濃街道最終 養老~関ヶ原

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2021年10月9日(土)

今日は養老から関ヶ原の15キロ弱、下図の丸の線内です。養老鉄道は離れてしまうので、どうしても関ヶ原まで歩かないといけません。

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今日は思うところあって、車じゃ無く電車で養老駅に9時半頃着きました。

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築100年の養老駅の駅舎は、いつ見ても趣がありますねえ。

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駅前通りが街道で、右にとるとすぐ上多度橋です。こころ旅で火野正平がここまで来ていましたね。

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大桑国道を横断するとひょうたん屋さんがありました。養老の滝は酒抜きでは語れないし、酒は昔はひょうたんに入れたのですね。近くにひょうたん会館もありました。

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この後一寸判り難いですが、なんとか地図を辿ります。柏尾新田を過ぎると境松跡という新しい石碑がありましたが、謂われは不明です。

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そこから2分で小さな十字路で右折するのですが、そこに道標がありました。いせ道、たき道と刻まれています。関ヶ原方面から来た人に対する道案内のようです。この後もたき道の案内はよくあります。養老の滝が昔から人気なのでしょう。

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右折して下って行くと、途中に常夜灯がありました。

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この辺りは非常に立派な家が多いです。お寺の傍に地蔵堂があり、周りに石仏が並んでいます。説明に長島一向一揆守縁の石地蔵、南北朝から室町時代の石仏、などと書かれていました。10時05分です。

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右手に通称焼肉街道と言われる道が見えます。写真は多分、養老ミートです(笑)。

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この先も解りにくいですが、焼肉街道から離れ気味に左の山手に進みます。神明神社があります。

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その左側の林の中を抜けて行く道を行きます。10時36分に六社神社に来ました。

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一寸休憩したかったのですが、珍しく子供が遊んでいたので、そのまま先へ歩きました。

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10分程で上方を通過。

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この先の桜井という集落に真源寺と常夜灯があるという情報がありました。集落の端の道には何も無さそうなので、1本中に入って見たらありました。道標もあり、左せきがはら右ようろうとか刻まれていました。

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その常夜燈は木製で、きっと往時は素晴らしい飾りがしてあったなと思われます。

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桜井を過ぎ、しばらく直線で進んだ街道は本郷の集落へ左折して回り込みます。その集会所のそばに、同じような常夜灯がありました。

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そのそばの道標は東海自然歩道で、関ヶ原方面の案内がありました。思わず、その方向に歩きかけましたが、いやいや私は美濃街道を歩いているんだと引き返しました。

直ぐに真泉寺というお寺があります。昔はこの辺りで牧田川を渡っていたそうです。

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現在は渡しも橋も無いので、この先の広瀬橋を渡るしかありません。そちらへ歩きます。

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11時45分頃、堤防を走る県道56号線に合流しました。この道は車では十回以上走っている道です。

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11時50分に広瀬橋を渡ります。前方には伊吹山が大きくなり、関ヶ原近しを思わせます。

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橋を渡り切ると九里半街道という道案内がありました。車で走っていると気が付かない標識です。

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九里半街道は知らなかったのですが、伊勢湾の荷物を京・大坂へ送るため、揖斐川を遡って、牧田川に入った辺りの湊で下ろし、この九里半街道で烏江ー牧田ー関ヶ原ー米原と繋いで琵琶湖の舟運で京都を目指したらしい。ともかく、ここから関ヶ原までは美濃路より九里半街道として案内があるようです。

11時57分に素戔嗚神社にきたので、ここの境内で昼食休憩とさせてもらうことにしました。

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今日も手作り弁当です。美濃路は3回とも手作り弁当でした。コンビニ弁当より美味いですね(笑)。

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20分ほどで出発しました。九里半街道です。道は直線で続いているのですが、二又の馬頭観音で左折するらしいので、探しながら歩いたのですが見つからず、適当に左折しました。再度直線の道に合流しました。牧田郵便局があり、小学校があります。小学校の前には、卒業記念の焼き物のオブジェが並んでいました。

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12時45分頃、大きな石の常夜灯がありました。ここを右折するのが街道らしいのですが、通り過ぎて突き当りを右折しました。

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間違いに気づいて再度引き返したりしました。常夜燈は近くにもう一基ありました。

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少し行くと五井家という旧家があります。問屋や郵便局を務めた家柄だそうです。

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この先が九里半街道の牧田宿です。

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13時10分、牧田宿の端でしょうか、木曽神社があります。

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その先に、芭蕉句碑がありました。

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下って行くと馬頭観音のお堂があります。

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お堂の前を通って登りになりますが、この坂が「うとう坂(鳥頭坂)」と言って、関ヶ原の合戦で、敗れた西軍の島津藩が奮戦して薩摩へ逃れた有名な戦場だそうです。藩主の弟島津豊久の墓碑があります。

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13時22分、名神高速の下を潜りました。

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すぐに追分地蔵がありますが、左側の道が旧道です。

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13時35分に新幹線の下を潜ります。

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ここから駅の間に本多忠勝陣跡があるはずなので、注意しながら歩いたのですが、見過ごしてしまいました。13時44分に国道21号線に出ました。ここが中山道と美濃街道の追分です。

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13時51分に大垣行の列車が来るので、急いで駅に向かいました。駅前の土産物店も入る時間がありません。

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13時46分に駅に着きました。

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関ヶ原の西軍・東軍です。

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大垣迄15分、ここで養老鉄道に乗り換えます。その時間を利用して、冷たい飲み物を買いました。

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ちびちび飲みながら電車に揺られる。これが至福の時間ですね。

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今度は九里半街道を歩こうかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年10月 6日 (水)

美濃街道 駒野~養老

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2021年10月5日(火)

前回に続き、養老鉄道駒野駅から養老の滝でお馴染みの養老駅まで10キロ弱を歩きました。

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10時45分頃、駅近くの駐車場に車を停め、駅まで引き返しました。

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駅前から真っ直ぐに街道が続きます。

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養老鉄道を越え、大桑国道も越えて、県道55号線で右折します。この県道は私も養老や関ヶ原に行く際、よく走るので知っています。車が非常に多いので、歩道が無いと歩くのは嫌だなあと思っていました。車で走っていると、歩道が有ったかどうか記憶に無いのです。

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幸いにも歩道が有ってホッとしました。11時08分です。円満寺霊園を左に見ながら歩きます。ここは40年か50年前にできたと思いますが、田舎の霊園の先駆けだったと思います。これより後に続々と出来た霊園は売れなかったと思います。

すぐに県道25号線が左に分岐します。この上にある庭田山頂公園から「火野正平」が自転車で降りてきて、今日私が行く養老駅付近を訪ねる「こころ旅」の番組を最近見ました。

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この県道は三重県の北勢町へ通じる険しい道で、私も何回か通ったことがありますが、冬は通行止めになります。11時半過ぎ、離れていた養老鉄道が近寄ってきました。ここからまた離れていきます。工事中のコンクリートは中部循環道だったか・

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11時42分。旧道が右に分れます。50年前は、この旧道しか無かったので、狭い道に車が乗り入れていました。

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志津という地域を歩きます。10分程で南谷、すぐに北谷と2本の橋を渡ります。写真は南谷。

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北谷を過ぎるとすぐ神明神社があります。

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ここで弁当とも思いましたが、駅のベンチの方が良さそうなので、美濃津屋駅に向かいました。

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ここのベンチで12時7分から20分ほど休憩しました。歩き出すとすぐ大きな燈籠がありました。大神宮と刻まれていますが伊勢神宮のことでしょうか。

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すぐ先に津屋城址があります。今は本慶寺となっているが、関ヶ原の合戦で西軍に付いたため没落した。岐阜県では稀な平城の遺構で、全薄井が見られないのは残念ですね。12時36分。

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ところで、この辺りの地名を下多度と言います。三重県に多度神社があり、多度町があるのは頷けますが、岐阜県に何故下多度町があるのか不思議ですね。

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すぐに下多度郵便局がありました。

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そして津屋城址から10分程で養老町に入りました。12時47分です。

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境界から10分、ここにも大神宮と刻まれた常夜灯がありました。

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観音寺を過ぎ、平田9キロと書かれた県道225号線を過ぎると、街道はトンネルを潜ります。天井川のようです。

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小倉谷隧道と書かれていました。13時07分です。すぐ左には上多度小学校の案内もありました。今度は上多度かと思いながらあるきました。10分程歩くと上多度プラザという案内もありました。

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13時21分、十三代横綱鬼面山谷五郎生誕地という案内がありました。

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もうそろそろ養老駅も近いかなと思っていると10分で踏切でした。そこから1~2分で養老駅です。13時35分の到着でした。

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養老駅の歴史は古く、大正2年に出来たそうです。現在の駅舎になったのは大正8年(1919年)だそうですから、今から100年前ですね。

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駅前の土産物屋の女将さんに多度の地名の疑問を話したところ、明確に答えが返ってきました。後ろの養老山脈は、昔多度山と呼ばれていたそうです。なので多度山の麓の町ということで、上多度・下多度となったそうです。

養老は養老の滝で有名ですね。孝行息子の物語が背景にあります。

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駅舎の中には、例の鬼面山の額がありました。岐阜県で唯一の横綱だそうです。

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葛飾北斎が描いた養老の滝の絵もありました。

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次回は養老から関ヶ原まで15キロ弱です。

 

 

 

2021年10月 1日 (金)

二つの美濃路

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通常は美濃路というと、東海道の宮の渡しから中山道の垂井を結ぶ街道を言います。下図参照。途中、清州で御鮨街道が分れて岐阜へ向かいます。長良川で穫れた鮎を将軍に献上するための道です。美濃路は清州から大垣に向かい、垂井で中山道に合流します。4年前に歩いているのでご覧ください。美濃路

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もう一つの美濃路は七里の渡しを渡った桑名から出ます。多度・養老を通って、やはり中山道の関ヶ原への道で、50キロ弱の道です。10年ほど前に桑名から多度の13キロ程は歩きました。でも、多度から関ヶ原は岐阜県の街道になるため、道筋が解らず放置していました。

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上の写真は桑名の国道1号線にある石碑です。桑名からの美濃街道はこちらをご覧ください。

2021年9月28日(火)

美濃街道の多度から関ヶ原の道筋が解ったので歩くことにしました。多度駅は私の家から直線なら10キロも無い準地元です。また、多度山へは月に何回となく登るので馴染みの道です。11時に養老鉄道の多度駅に到着しました。

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今回は家から近いので、毎回半日づつ、3回に分けて関ヶ原まで歩く積りです。今回は、前の地図で多度から駒野まで13キロほどの予定です。

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多度駅を出てすぐ線路を渡り、街道に復帰します。狭く曲がりくねった道です。

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駅から10分程で多度川に出ました。後方は多度山です。11時14分。

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橋を渡って堤防の下に降り、直進すると養老鉄道の下を潜ります。すぐ左折が街道ですが、空念寺というお寺を一寸覗いてから左折しました。

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すぐに宇賀神社の鳥居があり、ここを右折します。ここは多度山上公園への登り口で、月に何回も来る所です。

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でも、ここを右折して行く道が美濃街道だとは知らずに40年も通っていました(-_-;)

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秋ですねえ。

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宇賀神社から10分でNTNの多度製作所が見えたら左折です。11時33分。

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多度山の下を山沿いに少し歩くと、道が分かれます。直進が街道なので入って見ましたが、2分も歩くと道が無くなっていました。

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仕方ないので引き返して右折しました。4分も歩けば街道に合流します。合流して3分で石垣がありました。どうやら三重県から岐阜県に入る県境のようです。過っては伊勢の国と美濃の国の国境だったかもしれませんね。11時51分。

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国境を過ぎて道は登り坂になります。八幡神社で丁度12時でした。

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神社の向こう側を右折して、右下に美濃松山の団地や揖斐川を眺めながら歩きます。

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12時5分、御鍬神社に着き、ここで昼食休憩にしました。聖武天皇の逸話が残る、奈良時代創建の古い神社のようです。

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12時30分に神社を出ました。すぐ前の細道を下るようですが、近くにある諏訪神社を見に行きました。樹齢1000年の大楠がありました。

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下って来ると山除川を渡って左折します。12時45分です。この道をしばらく歩きます。

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10分ほどで右手に三切池、その向こうに大桑国道が見えます。

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池を越えてもしばらく川沿いに歩きます。

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小さな川ですが、結構面白くて、鯉が居たり、オハグロトンボが居たり、鴨やアオサギも居ます。池から20分余りで大桑国道を横断しました。13時16分です。

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養老鉄道を渡ると旧道の面影があります。

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国道から8分で石津駅です。ここは石津御嶽に登るときに利用します。

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駅のすぐ前に太田稲荷さんと円成寺があります。

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円成寺には薩摩義士の墓があります。薩摩義士とは、幕命で木曽三川の治水工事を行った薩摩藩士が、難工事のため多数の犠牲者を出し、工事終了後、莫大な費用と犠牲者を出した責めを負って、責任者の平田靱負が自刃したというものです。

薩摩義士の墓は桑名市内のお寺にもあり、明治に入って治水神社が長良・揖斐の中堤に作られています。

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13時31分、お参りを済ませて街道に復帰しました。すぐに石津御嶽への登山道があります。

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近くに大垣藩御蔵跡の石碑がありました。

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13時43分、揖斐川を渡って来る石津橋を越えました。

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養老鉄道の踏切を越えて大桑国道に出ます。

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国道に出て右折、7分程国道を歩いて、今度は左に分かれます。14時です。

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7分程で左手に地蔵堂がありました。

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更に7分、八幡神社が有ったので、小休止しました。大銀杏があります。

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5~6分休憩して、すぐ先の山崎交差点で、再度国道を渡りました。

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養老鉄道は高架で越えました。しばらく揖斐川沿いの道を歩きます。

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道端の広告も懐かしい顔ぶれです。

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寒窓寺という由緒ありげな名前のお寺が有った。中は拝見していないが、平安時代の創建のようで、文化財もいろいろ有るとか。

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大専寺辺りの風景です。14時57分。

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福岡大橋を渡って来る県道8号線は高架で越えました。15時04分。

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途中一寸神社や酒屋さんを探して寄り道しながら、駒野駅に着いたのは15時21分でした。

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酒屋さんですが、街道で駅を越えれば、すぐ有るのでした(笑)。

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お疲れ様でした。

 

 

 

 

 

 

2021年9月13日 (月)

郡上街道歩き4回目 郡上八幡から美濃白鳥

2021年9月11日(土)

コロナの緊急事態宣言下ですが出かけました。当初は9人の参加予定でしたが、足腰の故障者が続出、最終的には4人だけが無事参加でした。途中、中間点の郡上大和駅から、関節炎治療中のNさんが合流します。

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名古屋駅の名鉄バスセンターを8時40分発の高速バスで郡上八幡着は10時5分です。電車だと7時前の出発になるので、1時間半も違います。そして時節柄、車内はガラガラで、コロナ菌も居ないようです。予想に反して郡上八幡に近づくと雨でした。

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出発は郡上八幡駅でなく、このバスの終着、城下町プラザです。前回、駅からここまで歩いてバスで帰りました。

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一寸雨具を着たりして、10時15分頃出発しました。

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低い雨雲に隠れている郡上八幡城を背にして、吉田川を渡って長良川沿いの街道に向かいます。途中、尾崎延命地蔵尊があります。天保の基金の餓死者などを葬って建立されたそうですが、座り姿の地蔵さんは珍しいですね。

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街道は川沿いの道と手前の山沿いの道が有るようですが、手前の山沿いを選んで右折しました。でもこの辺り、高速の出入り口やとり付き道路が出来ていて、すべて古道は無くなっているようです。この辺りで雨はあがりました。

出発から30分ほどで神明神社があります。この辺りは落ち着いた昔の雰囲気が残っています。

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10時50分頃、国道に出たので右折してトンネルに入りました。

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でもトンネルに入ってから、おかしいと気付きました。国道にトンネルなんか無いのにと。これは国道では無く、最近できたバス道で、高速を出た車が、郡上八幡の街中へ行く道でした。また出発の城下町プラザに戻ってしまいます(笑)。

引き返して道路を横断し、国道に出ました。信号も横断歩道も無く、危険な横断です。11時に国道に出たのですが、この国道がまた危険な道で、ぎりぎり2車線の歩道が無い国道でした。

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高速で走り抜ける大型車に怯えながら、1キロほど歩くと高速道路の下を潜ります。そのすぐ先で、ようやく歩道が出てきました。ほっとして歩道に入りました。

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すぐ先の左手に、自然園前駅が田圃の中に見えました。11時27分、長良川を対岸に渡る橋の袂に来ました。

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地図を見ると、この先もずっと国道歩きが続きます。歩道が有れば良いのですが、無くなると、今日1日、危険にさらされながら歩く気がしません。いっそ、対岸に渡って県道61号線を歩こうかと考えました。

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県道61号線は通称鮎街道と呼ぶそうです。でもまあ、出来るだけ旧街道に忠実にということで、そのまま国道を歩きました。川にはアユ釣りの皆さんで一杯です。

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電車も長閑に走っています。

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橋から17~8分、11時45分頃、東海北陸自動車道ぎふ大和ICまで3キロの看板がある辺りに、休憩所付のトイレがあり、ここで昼食休憩にしました。

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12時5分に出発しました。でもまだ歩道はありません。苦労しながら10分一寸歩くと、前方に洞門が見えました。歩道はあるようです。

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入ると立派な歩道が延々と続きます。大和歩道洞門と言うそうです。

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洞門は500mほど有ったでしょうか。出てすぐを右折するのが街道のようです。

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10分程で国道に戻ります。河辺のバス停がありました。

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この辺りは歩道が有るので、安心して歩けます。ぎふ大和ICへ行く道がありますが、この辺りで白鳥まで11キロとあります。

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河辺バス停かわ20分程歩くと河辺神社がありました。なかなか立派な神社です。

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その先に小川があり、橋を渡るとすぐ右に入って行きます。

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この先の郡上大和駅にNさんが13時10分の電車で到着します。現在13時ということで、一寸遅れるなあと思って歩いています。

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すぐに地蔵さんがあったりしますが、この道も街道ではないかもしれません。

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再度国道を渡って、大間見川を渡って歩いて行きます。真っ直ぐな商店街が遠くまで続いています。

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街道の雰囲気はあるのですが、旧街道は線路の向こう側なので、この道は違うらしい。13時20分に郡上大和駅に到着しました。

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ここでNさんと合流しました。関節炎治療中なのに途中から10キロ参加するなんて、街道歩きの鏡のような人です。一寸休憩してから記念写真を撮り出発しました。

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13時33分に出発して、線路を渡って旧街道にでましたが、道はすっかり改装され、街道の面影はありません。先ほどの直線の商店街がよほど雰囲気ありますねえ。

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まあ国道ではないので車も走らず、のんびりと長良川の景色など見ながら30分程歩いて国道に出ました。万場駅の当たりで、14時08分です。

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ここで国道は二つに分かれますが、旧国道つまり右側の国道沿いに歩く予定でした。でも工事で通行止めの看板があります。

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でもまあ歩行者は大丈夫だろうと歩き始めましたが、地元の車の方が、歩行者も通れないと教えてくれたので、諦めて新道に入りました。

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新道を20分程歩いて新中津屋大橋を渡って旧国道に復帰しました。すぐに右折して街道に復帰したのは14時41分でした。

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すぐ傍に八幡神社が有ったので、一寸小休止しました。立派な社殿です。

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10分程休憩して出発しました。15時04分、国道に出ました。大中駅前のバス停があります。

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歩道の有る国道を15分程歩くと、日本土鈴館という博物館みたいなのがあります。博物館より、白山表参道と書かれた新しい灯籠がが気になりました。白山街道なのですね。

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その辺りで、国道を左へ離れるはずでしたが、見逃して直進してしまいました。土鈴館から12~3分、大島駅のちかくでで街道は左に分かれます。

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もうゴールは近いはずです。美濃白鳥駅まで30分かな。

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左の山麓には油坂道路のカーブが見えています。

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15時47分、白山神社が有ったので記念撮影しました。

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1分で白鳥交差点です。国道はここで左折して高山に向かいます。街道は正に白山表参道で、直進します。

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駅までは15分でしょうか。今日は緊急事態宣言下なので、飲食店での酒類の提供はありません。なので恒例の反省会は中止して、各自、好きなものを調達して、駅の待合室で、静かに反省することにしました。

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駅のすく近くに老舗の酒蔵があります。本来なら試飲して買いたいところですが、今日はお休みです。

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美濃白鳥駅到着は16時16分でした。

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駅の事務室は一寸昭和の面影があります。この待合室で、皆さん静かに反省会を行いました。

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電車は私の知らない「チャギントン」というアニメの列車でした。

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このまま美濃太田へ出て、JRで鵜沼、新鵜沼へ歩いて名鉄で名古屋へ行けるのですが、郡上八幡で降りて高速バスで岐阜へ行くことにしました。少し時間的に名古屋へ早く着けるのです。郡上八幡駅は登録文化財です。

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反省会が足りなかったので、我々だけのバスの中で、再度個人的に反省会を行いました。

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皆さん、お疲れ様でした。

 

 

 

2021年7月14日 (水)

これからの郡上街道歩き

これまで歩いてきた郡上街道は、福井から岐阜へ至る街道、つまり越前の国から美濃の国へ至る街道の一部のようです。下の図をご覧ください。

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福井からは越美北線という鉄道が九頭竜湖駅までJRとして今も走っています。その間は美濃街道と言うようです。

岐阜からは越美南線が美濃白鳥を経て北濃駅まで長良川鉄道として走っています。郡上街道と呼んでいます。

一方この道は白山信仰に伴う道でもあり、中間の石徹白からは大杉を経て、一の峰~別山経由の登山道が有名で、白山美濃禅定道とか石徹白古道とか呼ばれています。

で、郡上街道歩きですが、越美南線の北濃駅と越美北線の九頭竜湖駅、この間26キロほどの道を歩いて、越美北線と南線を繋ごうとしています。具体的には、次回は郡上八幡から美濃白鳥まで歩き、最終回は1泊2日で美濃白鳥から北濃・石徹白を経由して九頭竜湖まで歩き、越美北線で福井へ、そして北陸線で名古屋へ帰るつもりです。

お楽しみください。次回は暑い夏を避けて9月の予定です。

 

郡上街道3回目 みなみ子宝温泉から郡上八幡

2021年7月11日(日)

山歩会仲間との郡上街道歩きの3回目です。7月ともなると、街道歩きの最大の敵は熱中症です。幸いまだ梅雨なので、曇り空を期待して出かけましたが、一寸天気が良すぎて暑かったですね。

今日は前回より1時間ほど早い、美濃太田8時12分発の長良川鉄道に乗りました。サロンカーみたいですね。

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9時08分にみなみ子宝温泉駅に到着、15分には出発しました。

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今日は郡上八幡駅までなら19キロと一寸短めです。実際には街の中心部、城下町プラザまで行ったので20.5キロぐらいでしょうか。

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みなみ子宝温泉駅は既に郡上市です。旧美並村が合併したのですね。

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郡上街道は川向うの国道156号線が本筋かもしれませんが、こちらの旧道も歩かれたようです。街道歩きには、こちらの旧道の方が情緒も有り、車も少ないので快適です。15分ほどで大矢駅を過ぎ、更に10分ほどで国道と合流しますが、その手前に、大矢の馬頭観音がありました。

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国道に合流してすぐ、福野駅を越えた辺りを左折して旧道を歩きます。丁度10時頃、白山神社の前に来ました。白山神社の奥に「掻揚城址」があると案内されていました。

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Uターン気味に国道に登り、大きな切通しを越えます。

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越えた所に、馬頭観音を中心とする石仏群がありました。やはり旅に出ると、馬頭観音が人気抜群ですね。

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左側には雄大な長良川の流れです。今日も1日、長良川沿いを歩きます。

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坂道を下りきると左手に旧道が見えるので線路を渡って旧道に入ります。

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入って3分ほど歩くと、嬉しいことがありました。右手に郡上街道の本陣跡と書いてあったのです。これまで3日間歩いているのですが、郡上街道と言う表示が殆どなく、寂しい思いをしていたのです。

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元気になって先を急ぎます。国道に出て横断し、一寸引き返して白山神社の正面へ左折します。10時20分頃です、ここで小休止しました。

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実際、この街道は白山信仰の真っただ中です。江戸時代の白山信仰は相当なものだったようですね。すべての道は白山に通ず。そんな感じです。出発するとすぐ乗性寺という真宗のお寺があります。郡上藩主遠藤家菩提寺とありましたが、真宗のお寺にしては珍しいですね。

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10時半過ぎ、高速の下を潜りました。少し歩くと大きなローソクが見えてきました。日本まん真ん中センターです。旧美並村はこれが売りでしたね。

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一寸寄って行くことにしました。美並村はまた円空生誕の地でもありますね。日本の真ん中を決めるのに、面積とか人口とか有るみたいですね。面積なら一度決めれば永久ですが、人口だと移動しますね。

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センターは立派な建物がありますが、中には入りませんでした。国道に出て、少し歩くと、羽佐古の道標というのがあります。

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そしてすぐ三日市の馬頭観音他

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長良川沿いの国道を少し歩くと、右側に鹿島神社があり、左に旧道が有ったので入りましたが、間違いのようでした。もう少し直進してトンネルの直前を左に入るのが正解のようでした。

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突き当たって右折し街道に復帰すると小さなトンネルがありました。地元のお母さんは、ここをバスが通っていたと言っていました。トンネルを抜けると良い感じの旧道でした。

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旧道がすぐ国道に合流し、そしてすぐまた国道を横断して右の旧道に入るのですが、横断歩道も無く、ガードレールを越えて横断する状況で、危険な横断箇所でした。11時半頃です。旧道を10分弱歩いた右手に神社があり、境内をお借りして昼食休憩しました。神社のお名前は不明ですm(__)m。

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20分ほどの休憩で出発しました。この辺りから街道はしばらく長良川を離れます。高速の深戸トンネル辺りの長良川沿いが、急峻で道が付けられなかったのでしょう。街道は白谷方向へ進みます。

20分一寸歩くと、また白山神社に突き当たります。今日、何回目の白山神社でしょうか。ここには白谷口番所というのが有ったそうです。12時25分です。

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ここを直進して谷を渡ればいいんですが、谷が深くて渡れなかったのでしょう、しばらく上流へ進みます。

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谷が狭くなった所で対岸に渡り、再び長良川へ向かいます。気持ちの良い旧道歩きですが、国道に出る手前で右に入って行く道を見逃したようです。直接国道に出てしまいましたが、その時点では間違いに気づいていませんでした。国道を10分ほど歩いて階段にきたとき、図の白山神社の辺りへ来たと勘違いしていました。

それで一寸引き返して白山神社があるか見に行きました。そして、下の写真を白山神社にして納得しました。

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勘違いしたまま階段を登ると、崖の中腹に作られた歩道で快適でした。

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国道に降りても正しい位置確認をしていないので、次の旧道への入り道も考えること無く、国道を歩いてしまいました。13時18分に歩道橋がありました。ここが図の白山神社辺りの合流点です。

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歩道橋を渡って反対側に下ると小公園がありました。

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少し歩いて長良川に出て振り返ると鉄橋がありました。そこで初めて自分の正確な位置を知りました。お恥ずかしい(笑)。

13時27分、吉野洞門に入ります。

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洞門から5分ほど歩いて相生駅に近づいた所に、法伝の馬頭観音があります。13時35分です。ここに足を痛めているNさんが待っていました。最後の一駅でも皆と一緒に歩きたいとのことです。街道歩きの鏡みたいな人です。

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ここで一寸小休止して、少し国道を歩きます。すぐに左の旧道に入り、それが再度国道と合流する所にホテル郡上八幡があります。郡上八幡で唯一昼間から日帰り入浴できる施設です。でも一寸場所が合わないのと、食堂が開いてないので止めました。

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ホテルから10分、今度は稲荷洞門です。この先に北稲荷洞門があり、二つ越えると郡上八幡駅は近いです。

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八幡の市街が見えてきます。

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14時25分頃、対岸に「やな」が有りました。次は落ち鮎の季節待ちですね。

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14時27分、郡上八幡駅への道が右に分れます。8分で駅に到着しました。

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ここで小休止して、名古屋行高速バスの予約をしました。岐阜行きは先ほどのホテル郡上八幡が始発で、ここ郡上八幡駅に停まります。ただ名古屋行は城下町プラザが始発で、郡上八幡駅には来ません。

と言うことで城下町プラザに向かいました。城南の交差点で、国道は二つに分かれます。左は美濃白鳥方面の156号線、右は下呂方面の256号線です。街道はその中間を斜めに入って行きます。

交差点から10分ほど、旧城下町らしい雰囲気の道を歩くと賑やかな新町通りです。郡上踊りとお城と鮎が名物のようです。

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錦鯉の泳ぐ用水もなかなかです。

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宮ヶ瀬橋で吉田川を渡ります。一寸高山に似た雰囲気ですね。

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すぐ近くに名水百選の宗祇水があります。

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街道は次の角を左に曲がりますが、城下町プラザは右です。

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ここから15時20分に午後1本だけ名古屋行の高速バスが出ます。日頃は予約しないと無理かもしれませんが、今日はコロナも有って、空席が充分ありました。15時07分の到着でした。

名古屋の名鉄バスセンターには5時前に着きました。そこで待望の反省会。一寸飲みすぎたかな。

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お疲れ様でした。郡上八幡に着いたのですが郡上街道歩きは終わりません。次項を見てください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年6月23日 (水)

郡上街道2回目 関下有知駅~みなみ子宝温泉駅

2021年6月20日(日)

山歩会仲間との街道歩きです。5月の予定がコロナの関係で1ヶ月遅れになりました。

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長良川鉄道に美濃太田から乗るのですが、ここへ来るルートは色々あるみたいなので美濃太田集合にしました。

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9時04分に乗って9時半に関下有知駅に降りました。

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そこから15分ほどで前回街道から外れた下有地の石仏に到着です。ここからスタートです。

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ここからしばらく国道156号線を歩きます。10分ほどで右に分れるのですが、早く曲がり過ぎて失敗しました。引き返してここで右折です。

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右折して神社の前を通り、一寸うろちょろと曲がって東海北陸自動車道の下を潜る道に入れば、美濃市街まで1本道です。

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10時45分頃、美濃市駅近くに到着し、有名な「うだつの町なみ」を目指しました。知らなかったのですが、街並みは二筋あるのでした。

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街道は二筋のうち長良川に近い方らしいですね。街並みそのものはどちらも素晴らしいです。

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二筋目です。

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Wさんから提案が有り、このまま街道(青線)を進むより、長良川沿いに出て、川の灯台や日本最古の吊橋を見ようと提案があり、そちらに向かいました。

江戸末期に作られた川湊の灯台で、住吉神社の献灯を兼ねています。全国的にも珍しいですね。

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時計も11時半頃で、手ごろな四阿があり、ここで昼食休憩。11時25分から45分位まで休憩しました。ここに曽代用水という灌漑用水の説明がありました。350年前に農家主導で作られたとかで、世界かんがい施設遺産だそうです。

近くに美濃橋という吊橋があります。これが現存する国内最古の近代吊橋だそうです。大正時代を代表する吊橋で、重要文化財だそうです。

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道の駅で街道に復帰し、その後は先ほどの曽代用水沿いに進みます。

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12時20分過ぎ、その曾代用水の取水口である曽代公園を通過しました。

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そしてまた国道歩きになります。

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湯の洞温泉口駅近くの立花橋を渡ります。直進して長良川の左岸を行くのも街道で、どちらでも良いようです。

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橋の上から長良川の下流を見ています。一寸急流ですね。

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渡るとすぐ長良川水力発電所がありました。12時42分頃です。写真は明治43年から昭和55年まで使われた水車発電機だそうです。

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国道から離れた方が車も少なく、長閑に歩けます。10分ほどで佐ヶ坂の馬頭観音他。

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高速の下を潜ると、鹿苑寺への登り口がありました。一寸登ってみましたが、道も悪そうなので止めました。鹿苑寺へ登って、逆側へ下れると良いんですが、それは無いらしい。反対側は急勾配なのですね。

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国道のトンネルは横目に見ながら、忠実に街道を辿って大きく迂回します。長良川沿いですが、なかなか情緒ある道です。

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13時30分頃、周回道路から国道に合流しました。10分一寸で須原駅です。

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駅から6~7分で洲原神社です。721年開山で1801年に正一位を賜り「須原白山」と称えられたとか。白山信仰の前宮でもあるそうです。

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長良川に面した立派な社殿で、川にも関係ありそうに思えました。一寸休憩しました。

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14時05分頃神社を出て、すぐに国道から分かれて母野橋を渡って左岸へ行くつもりでしたが、間違えて上河和橋まで行ってしまいました。往時はここに渡し場が有ったようです。20分以上遠回りしたかなあ。

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14時40分頃母野橋に戻ってきました。ここから子宝温泉までは1本道、1時間位の行程ですね。

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車も少ない、いいハイキングコースです。

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モリアオガエルの卵がありました。

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対岸には道の駅があります。15時05分です。

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長良川鉄道の下を潜り、勝原橋に来たのが15時32分。あと600mと温泉の看板があります。すぐに右手に子安神社の案内がありました。それで子宝温泉と言うのですね。

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温泉に近づくと田圃の獣避け柵にビニール袋が多数括りつけられています。農家のおじさんに尋ねると、鹿よけだそうです。鹿が多くて、普通の柵だけでは効き目無く、袋の出すこすりあわせの音や電灯の光でおっぱらっているとか。大変ですね。

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15時40分頃、みなみ子宝温泉に到着しました。駅舎を兼ねています。

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大人700円ですが電車で来ると300円になるそうです。膝を痛めて欠席したNさんが、ここで合流、賑やかになりました。

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次回は7月10日です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年5月 4日 (火)

熊野街道松坂道

一寸聞きなれない名前ですね。松坂道は仮称です。下図見てください。上から伊勢神宮へ向かう参宮道(伊勢街道)、大阪からの伊勢本街道、そして和歌山別街道や熊野詣でに向かう熊野街道伊勢路です。まあこの松阪から多気町付近は街道のメッカですね。

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全ての街道は伊勢に向かい、又は伊勢から出ていますが、これは一生に一度は伊勢参りと言う、江戸時代の庶民の願望でしょうか。でも熊野の物産を松阪に運ぶことを考えた場合、これは遠回りです。図の左下栃原辺りから上端の松阪へ直接向かう道も有ったに違いありません。

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と言うことで、5年ほど前、この松坂道を探して歩いて見たことがありました。(参照)

ただこの時は独自の調査で歩いたため、勿論調査も充分でなく、多分こんな道だっただろうなと言う程度でした。ところが最近、私が常々お世話になっている熊野体験企画の内山さんが、この松坂道を詳しく調査され、「熊野歴史研究」という専門誌に発表されました。そしてそのコピーを送って頂きました。

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そこで、その調査結果と私が前回歩いた道を比較してみました。その結果下図の青線が内山さんの調査で正しいとされる道筋。赤線が前回私が歩いた道。

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ということで、大体は合っていたのですが、薄緑の〇で囲んだ辺りだけが間違っていたようでした。それで今回、その部分を歩いてみることにしました。

2021年5月3日(月)憲法記念日

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9時50分過ぎ、JR紀勢線佐奈駅に到着しました。佐奈から松阪へ向けて北上する予定です。

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駅前の案内地図に前回私が歩いた道が熊野道として載っています。

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ところが内山さんの調査では、その道ではなく別の道が松坂道だっただろうということなので、今回そちらを歩こうと思います。

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いずれにせよ佐奈駅前の道は和歌山別街道で、その道を右折して一寸戻ります。9時55分頃の出発です。

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4分ほど歩くと太峯越えへの分岐点です。角に小さな地蔵さんが祀られています。

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道標地蔵さんで「右いせ道・・・左松坂道・・・」と彫られているそうです。

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10時03分、ここを左折して太峯越えに入りました。

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5分でこんな分岐に出ますが、ここは右です。地形図で調べておきました。

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すぐに田畑も途絶えて山中に入ります。

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分岐から3分で、左手に小さな祠がありました。余り古そうな石仏ではありませんが、青面金剛尊と書かれた札がありました。

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道標地蔵から12~3分、10時15分頃の切通しです。しっかりした道が続きます。

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ただ周囲は竹林が多くなり、道の中央にも芽がでているので、手入れしないと遠からず竹林になるかもしれませんね。

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10時21分、右手の展望が開けました。多気方面でしょうか?

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また竹林に入りました。

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途中、仁田方面への分岐らしき道があって、10時半頃、多気町美化センターが見えてきました。30分弱で道標地蔵さんから峠を越えたことになります。

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美化センター前で道が二つに分かれました。私は広い左の道を下ったのですが、右の狭い道が旧道ですね。まあ、200mほどですが。

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坂を下ったところで、私が前回私が歩いた道に合流しました。神坂道ですね。

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十字路の向こうに自然石の道標があります。

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ここには「右神坂金剛座寺道、左平谷柳原観音道」と刻まれているそうです。

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天啓池に来ました。前回はここで弁当を食べました。右上に経塚があるので、それを見に行って、引き返して直進しました。

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内山さんの調査では直進でなく、一寸右折して入って行く旧道が正解のようでした。写真中央の登り道です。

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取り敢えず今回も経塚を見に行きました。10時43分です。

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狭い階段を登ると山道です。

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天啓池公園全体が見えます。

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5分で経塚です。6万9千個余りの白石に1個1字を記して書いた法華経が収められているそうです。

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前回はここから引き返したのですが、今回はここから例の旧道へ降りる道が無いか探してみました。結局無くて、引き返すのが正解ですが、しゃくなので、すぐ下の旧道へ滑り降りました(笑)。皆さんは止めてください。滑り降りた斜面です。

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歩いて来るはずだった道です。この道が森の中を抜けていきます。

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5分歩くと森を抜けて田園地帯です。その手前にお地蔵さんの祠がありました。牟山神社跡らしい。11時04分です。

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田園の中をまっすぐ進む道があります。

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道の先には長盛寺らしい屋根が見えます。

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相可の集落に近づくと、相可高校の総合農場がありました。相可高校の高校生レストランは有名ですよね。

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11時15分、長盛寺の横を通りました。

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3分で札の辻です。伊勢本街道とここで交わります。

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伊勢本街道の大阪側です。角のお菓子屋さんの「まつかさ餅」というのが相可名物と聞いたので、お土産に一寸買いました。結構流行っているお店みたいで、お客が次々と来ていました。

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櫛田川の川辺に来てみました。過ってはここが渡し場だったそうです。右手の両郡橋は3代目ですが、明治21年に初代の橋が架けられるまで、使われたそうです。

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対岸の射和側です。

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11時28分、両郡橋を渡りました。手前は多気町、対岸は松阪市射和町です。過っては多気郡と飯野郡だったそうです。

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渡る途中、川面を見ると、石仏が並んでいました。ほんとに石仏みたいに見えるんです。

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渡ってすぐ左折して1本目の交差点左側に大きな道標が建っていました。右指さし「久ま野みち」左指さし「満つ坂みち」と彫られている。この先が渡し場や初代の両郡橋が有ったのかな。

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その先へ行ってみたが、川岸までは行けなかった。

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引き返して、最初の道をさらに西へ200mほど行って左折すると、浄土宗伊箙寺がある。往時は相当なお寺だったと思わせます。

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その先にも渡し場が有ったというので川原に降りてみた。変な橋?が掛かっていたので、河原へ行かず引き返した。

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引き返して射和の交差点に来ると、ファミマが有ったので、弁当を買って一休みした。11時55分です。

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12時13分、店を出て射和交差点へ。前回はここを直進しましたが、右奥の道が旧道なので、今回はそこへ行きます。

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旧道の前に道標地蔵さんがあります。台座に「みぎまつさかみち、ひだりくまのみち」と刻まれています。

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旧道に入って行くと、すぐ左奥に石積みと祠があった。遠いのでズームで写真だけ撮っておいたが、よく見ると「役行者」云々の文字が見える。もっと近寄るべきだったか。

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すぐに経金塔という石塔があったが詳細は不明。すぐそばに石標もあったが、これも詳細不明。

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そしてすぐ、道標地蔵から5分、伊佐和神社の前を通る。

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そのまま道なりに6~7分歩くと、前回直進した道に合流して、すぐ前が国道42号線になる。

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松坂道は42号線を横断していきますが、今回はここで終わり。松阪市中万町で、中万団地のバス停があるので、ここで終了としました。12時半の到着で、バスは12時55分です。松阪駅前までは17分です。歩くと8キロかな。お疲れ様でした。

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