4月の熊野街道伊勢路、三瀬谷から阿曽のとき、下図青線の三瀬坂峠を越え里側登り口の手前で転倒骨折しました。
なんとか里側登り口まで降りてきましたが、そこでリタイアしました。今日はそのリベンジです。
2024年7月13日(土)
このところ酷暑の日が続いていましたが、なんとか梅雨の合間の曇天の日を見つけて歩くことにしました。そのときお世話になった居酒屋のママさんにもお礼が言いたいので、夕方、阿曽に着きたいので、12時頃三瀬谷駅に着くよう計画しました。
多気駅前のコンビニでお握りを買って、一寸腹ごしらえ。
横に変なものがあるって、まあ今日はのんびりした旅ですから(笑)。12時一寸前に三瀬谷に到着しました。予想外に小雨模様です。
三瀬谷駅は道の駅奥伊勢大台と隣接しているのですが、そちら側には出られません。なんとも商売気の無い、街づくりですね。
道の駅の反対側に出ます。
12時なんて、こんな時間に来ることはないので、駅前の商店は知らなかったのですが、この日はタクシーが2台、特急南紀の客待ちをしていました。1台は客を拾いました。
駅前の食堂が開いていました。
熊野街道沿いの旅籠だった大黒屋さんも食堂を開いていました。
その向かい側の、ラーメン一富士さんは、噂どおり行列ができていました。びっくりです。
ぐるっと回り込んで、道の駅へ行ってみました。12時13分でした。駅から12分ですね。
ここは食堂もありますが、そこそこです。20年位前は、串本や熊野のダイビングに通っていたので、ここは年に何度も通りました。12時20分に街道に復帰し、舟木橋を渡りました。12時24分。
雨もパラついています。前回は渡ってすぐ県道を左折したのですが、今回は三瀬坂峠を割愛して、国道42号線で、里側登り口へ向かいます。先ほども言ったように、この道は車では何十回も通っていますが、歩くのは初めてです。
国道に入って5~6分歩くと紀勢道の大宮大台のICがあります。そのそばの十割そば屋さんも入ったことあります。
左側には庚申さんと何かの祠が二つありました。車で通っては気が付かない祠です。
ICから10分弱歩くと、駅弁で有名なドライブインあら竹があります。ここも何回か立ち寄った覚えがありますが、当時から客足は少なかったですね。今日も照明は点いていますが、閉まっているような。
荒竹から5分で滝原北の信号があり、右側へ渡ります。
信号から3~4分歩くと右側に丸太ん棒というレストランがあります。ここも時々立ち寄りましたが、当時から人気のレストランでした。今も流行っているようですね。
そのすぐ先が三瀬坂峠の里側登り口です。この辺り、里という集落のようです。
前回はここでリタイアしました。なので、今回はここがスタートになります。この一寸先で、街道は右に入って行きます。12時57分でした。写真の国道沿いの左側に見えるのが、じびえ料理の「いとう」さんで、前回タクシーを呼んでもらって、お世話になりました。
街道はぐるっとカーブして、再び国道を渡ります。
6分ほどで国道に戻ってきました。
渡ると滝原宮まで800mの案内があります。情緒ある道筋ですね。
13時12分に滝原宮の境内の端に着きました。なんとなく、厳かな雰囲気です。
その左角に足神さんの祠がありました。
ここから300m先に滝原宮の入口があります。静かな参道を行きます。
1時間余り歩いているので、参拝の前に、道の駅きつつき館で休憩しました。ここも何回もお世話になっています。
20分ほど休憩して滝原宮の入口に来ました。13時40分です。ここは元伊勢伝説のある、伊勢内宮の別宮です。
上の写真の右の道が熊野街道です。宮内庁の守衛さんが居ます。参道は巨木が連なり、内宮の参道を思わせます。
五十鈴川に見立てた手洗い場もあります。ここは頓登川(とんどがわ)ですが。
参道の巨木です。樹齢400~500年の杉です。内宮と似てますねえ。
滝原宮には4つの神殿があります。天照大御神の和魂と荒魂をお祀りする滝原宮と並びの宮、あと若宮と長由介神と川島神が御同座される神社です。今回は丁寧にすべて参拝しました。
ゆっくり30分かけて出てきました。そこに元伊勢伝説の謂れを描いた絵があります。
左折して街道に入り頓登川を渡ります。14時14分です。道は街道の風情が残り、古民家を利用したカフェなどがあります。
三叉路に、熊野古道や近畿自然歩道の案内があり、地元のこんな案内がありました。
この最後の祝詞山という名前に一寸ひっかかりました。実は先ほどの元伊勢の絵に祝詞山が有ったのです。
それで帰ってから一寸調べてみました。祝詞山554mでした。
それはともかく、この辺り、立派な民家が続きます。
14時35分頃、大紀町の役場の前を通過しました。
合併前は大宮町・紀勢町・大内山町ですね。
役場から4~5分で歩道橋があり、国道42号線を渡ります。
渡ってすぐ右下へ街道は分かれますが、そこに新宮まで122キロの熊野街道の道標があります。4キロごとに建てられた現代の一里塚ですね。
この辺まで来ると、目的の阿曽温泉まで残り3キロです。4時に着けばよいのですが、現在14時40分。30分位余る勘定ですね。ゆっくり行きましょう。この辺り、長者野と書いて「はぶがの?」と読むみたいですね。
10分ほど歩くと、謂れありそうな岩がありました。
覗いてみると鳥居があり、神社になっていました。後ろの大岩がご神体らしいですね。
15時頃、前方に大宮小学校が見えました。
前を通り、中学校の前も通ります。過ぎると三叉路があり、いろいろ道標があります。
右手角が滝原ふれあいの里公園になっていました。時間調整も兼ねて、ベンチで休憩しました。
雲行きが怪しくなってきたので10分弱の休憩で出発しました。車道を5分歩くと、街道は右に分かれます。
分かれるとすぐ左に地蔵さんの祠がありました。
その右手の石碑ですが、「道譽」という字が読めます。佐々木道譽か道譽上人に関係あるのでしょうか。道は国道の下を潜り、勝瀬の集落に入って行きます。
すぐに国道に合流します。
3~4分国道を歩いて左に分かれます。5分歩くと紀勢線の踏切があります。
この辺りはもう阿曽なんでしょうね。踏切を渡った左側に、木立に隠れるように石灰華の遺跡があります。昔温泉が湧いていた印だそうです。
15時44分に阿曽温泉に着きましたが、一寸早いので、阿曽観音堂を見に行きました。7~8分歩いて大内山川を渡ります。
観音堂は橋を渡った向こうにあります。22年前にもお参りした記憶がありました。
引き返して温泉に入ります。
ここは初めて入ります。小学校の建物を利用して作ったそうです。
以前は食堂も有りましたが、コロナで閉店したとか。30分ほど浸かって、湯上りのビールを飲みに行きました。
近くの国道沿いの居酒屋さんで、4月の骨折のとき、滝原まで車で迎えに来てもらいました。翌月大内山では、良い反省会場が見つからず、ママさんの友人の家を借りて出張販売をしてもらいました。
いろいろお世話になったので、そのお礼も言いたくて時間を合わせました。18時半の列車に間に合うように阿曽駅に着きました。
一寸飲む時間も制限があったので、途中のコンビニで補給してきました(笑)。
久しぶりに歩いて楽しい1日でした。
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