2025年11月11日 (火)

伊勢街道最終

2月から歩いてきた伊勢街道は今日で最終回です。8回目ですね。今回は伊勢市駅出発で、外宮を参拝し、古市参宮街道で内宮へ。そして「おはらい町」で反省会です。

ただ、おはらい町やおかげ横丁の飲食店は予約が出来ないので心配です。

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2025年11月8日(土)

11時頃、伊勢市駅を出発しました。すぐ外宮参道です。

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外宮の入口付近の店で腹ごしらえに伊勢うどんを頂きました。この店は私が最初に伊勢街道を歩いた時も入ったので、昔からありますねえ。その時も月見でした(笑)。

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さあ、外宮さんにお参りして、古市街道を歩きましょう。

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今回は時間もあるので、まず正宮に参拝し、

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別宮の多賀宮を参拝した。荒御魂をお祀りしている。

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他に土宮・風宮の別宮が近くに有り、ここも参拝した。外宮の参拝を終えて、内宮へ向かったのは12時10分頃かな。外宮の外側を2~3分歩いて、祖霊社のある信号を渡って、古市街道に入ります。

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最近は古市参宮街道と呼ぶようですね。交差点から10分弱で小田橋があります。ここに江戸時代の街道の絵があり、裏側には伊能忠敬測量地の案内があります。

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ここで記念撮影しました。今回12名です。

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この橋を渡ると古市街道に入るなと言う感じがします。江戸時代の川柳に「伊勢参り、皇大宮には、一寸寄り」というのがあります。皇大宮とは皇大神宮すなわち内宮のことです。伊勢参りの主目的である内宮には「一寸寄り」と言うのです。

じゃあ、それ以外の時間は何をするんだということになるのですが、答えは「古市遊郭」です。古市遊郭は妓楼70軒、遊女千人と言われ、江戸の吉原、京の島原に次ぐ規模だったそうです。

小田橋を渡るとすぐ街道は上り坂になります。

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途中に「お杉・お玉」の碑があります。江戸時代の芸人で、投げ銭を交わしたり撥で防いだりして人気があったとか。

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坂を登りきると倭(やまと)町のバス停があります。近くに、天照大神を祀る土地を探して大和から伊勢の地に辿りついた「倭姫」を祀る「倭姫宮」があるので、そう言うのかな。

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古市遊郭では、油屋・備前屋・杉本屋が三大妓楼として有名だったそうです。その備前屋跡。

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そして油屋跡。

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古市では伊勢歌舞伎も有名で、若手の登竜門と言われたそうです。その演目で、油屋騒動という事件を題材にした出し物が全国で上演されたと言います。

近鉄の上を渡ります。

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すると長峯神社があります。

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ここは天岩戸伝説で有名なアマノウズメノ命をお祀りする芸能の神様です。私は芸能人では無いですが、丁寧にお参りしました。

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この辺で12時50分頃です。そこからすぐ、2分ほどで麻吉旅館があります。江戸時代から続く旅館で、その建物が崖に沿って建てられ、現代六層になっているのでも有名です。

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13時頃、伊勢市古市参宮街道資料館にやってきました。

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いつもはなかなかゆっくり見学できないのですが、今日は大丈夫です。中に入ると、団体なので、館主さんでしょうかが、古市遊郭の案内をして頂きました。いろいろ勉強になりました。

吉原や島原が公認であったのに対し、古市は自然発生的なもので、神域ながら黙認されていたのだそうです。また抜け参りは柄杓が手形代りだったとか。

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柄杓は神宮へ納めるのですが、帰りはお札を手形代りにしたとか。伊勢歌舞伎の資料もある。

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大安旅館の大広間。妓楼の繁栄が伺えますね。

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13時20分頃資料館を出て、高速伊勢道の上を渡ります。そして道を探しながら桜木地蔵へきました。

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ここも江戸時代から信仰が厚かったそうです。地元の奥さんがおられて、よくお参りしてくれたと喜ばれました。

街道に引き返して、13時45分に、両宮常夜燈に着きました。大きな常夜灯です。

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ここからは下りで、左側の森は猿田彦神社の境内です。向かい側の美術館は、猿田彦神社の宮司さんの娘で、伊藤小坡という人の作品が納められているそうですが、見たことはありません。

猿田彦神社です。導きの神様ということで、我々街道歩きが好きな人間には大事な神様です。

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出て、大きな交差点を斜めに渡って、お祓い街に入りました。14時丁度です。進むにつれて凄い人混みです。

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通り抜けるのに15分以上掛かって宇治橋にたどり着きました。

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五十鈴川で手を洗い?

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別宮の風日祈宮へ参拝します。風の神様、日本の神風を司っておられます。

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そしていよいよ正宮へお参りです。長かった伊勢路の旅の無事安全を感謝してお参りしました。

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そして、やはり荒御魂をお祀りする別宮の荒祭宮へ参拝します。

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以上で伊勢路の旅は無事終わりました。後は恒例の反省会です(笑)。今回は折角内宮へ来ているので、おはらい町の「すし久」さんというお店に入りました。

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窓から五十鈴川の見えるお座敷です。料理も値段の割にお値打ちと、皆も満足そうでした。

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そしてよく飲みました。来年は美濃路でお会いしましょう。

 

 

 

2025年10月14日 (火)

伊勢街道7回目 近鉄斎宮駅から伊勢市駅

今年2月に四日市の日永追分をスタートし、月1回10キロほどづつ歩いてきた伊勢街道歩きは、今日で7回目。今回は近鉄斎宮駅から伊勢市駅まで12キロ程です。

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残りは伊勢市駅から内宮まで5~6キロです。なので外宮参拝は次回に残し、今日は反省会のみにしました(笑)。

2025年10月11日(土)

今日は台風22号と23号に挟まれて、天気予報もコロコロ変わり、結局雨になりました(泣)。

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でも雨にも負けず、10人が参加しました。近鉄斎宮駅に10時半の集合です。雨はまだ降っていません。でも途中の津あたりは、結構降っていたので、もうすぐ降ってくるでしょう。

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10時40分に街道に復帰しました。

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徒歩5分で竹神社です。斎宮ゆかりの神社でお参りしました。

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竹神社から2~3分の、公民館のある広場に、灯籠に刻まれた六地蔵がありました。一寸珍しい。

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この辺りで雨が本降りになってきました。以後、伊勢市駅まで止むことはありませんでした。

そうめん坂を越え、明星駅前が11時26分です。

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そこから20分、11時47分頃、街道から一寸右に入った所に八柱神社がありました。

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そこの境内をお借りして弁当休憩としました。

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25分ほど休憩して12時10分過ぎに神社を出ました。すぐに、外宮まで2里の道標があります。

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6~7分歩くと弘法大師堂がありました。

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更に5~6分で「徳浄上人千日祈願塔」があります。明野村で起こった大飢饉、疫病の流行を、伊勢両宮に千日祈願して救った謂れだそうです。

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更に5~6分、名物へんば餅屋さんがあります。皆、お土産を買いました。

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12時45分出発、県道428号線を歩きます。12時52分、新出の交差点で街道は右に分かれます。

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庚申堂がありますが、それより、妻入の民家が並ぶ景色が目を引きます。

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この建て方は伊勢地方独特と聞いたことがあります。普通の玄関は平入りが多いですから。13時05分、外城田川を渡りました。

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その5~6分で、高札場跡の石碑で左折するのですが、直進してしまい、引き返してきました。

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雨の日は地図を見るのが億劫で、駄目ですねえ。13時14分です。

宮川の土手の手前汁谷川の袂に、参宮人見附の石碑があります。夜間の参詣人を見張ったとか。

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宮川の土手に登りました。ここから桜の渡しが有ったそうです。渡跡の碑があるそうですが、工事中で下れませんでした。

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上流の宮川橋を渡りました。シラサギとカラス?が無数に居ました。

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13時40分、渡り切って桜の渡しの説明板を見ています。ここ車の往来が多く、交通の邪魔でした。なんとかしてください。

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大きな県道の下を潜ると、二見街道?の石碑がありました。昔、旅人は神宮にお参りする前に、二見で潮ごりをしてから、お参りしたと言いますが、ここから二見へ行ったのでしょうか?  まだ10キロ位ありますが。

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我々は潮ごりは諦めて外宮へ向かいます。伊勢市内で、マンホールカバーのデザインも伊勢参りになってきました。

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県道37号線を越えると右から熊野街道が合流してきます。

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と言うより、伊勢参りを済ませた旅人は、そのまま故郷には帰らず、続けて熊野詣でや西国巡礼に出かけるのが普通だったようです。一生に一度の旅ですから、伊勢神宮だけでは帰れませんでした。その旅人はここ筋向橋で伊勢街道と別れて熊野へ旅立ったのです。14時頃です。

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筋向橋から10分ほどで満金丹の前を通りました。閉まっているようでした。雨だからかな。

 

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外宮到着は14時20分です。参拝は来月にして、我々は反省会に向かいます。

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今日は伊勢祭りだし、3連休の初日とあって、あいにくの雨にもかかわらず、参道は大勢の人でした。でも、なんとか席を確保しました。

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皆さん、雨の中、ご苦労様でした。また来月、最終回です。

 

 

2025年9月15日 (月)

伊勢街道6回目 松阪から斎宮

熱中症予防のため7月・8月はお休みしていたので、久しぶりの街道歩きです。

2025年9月13日(土)

連日40度近い猛暑が続く中、9月の中旬になっても35度です。今日は秋雨前線も近くをウロウロ。天候も定まりませんが、気温は32度ほどで、歩けなくも無いので、多少の雨は覚悟で決行しました。

松阪駅に10時20分の集合です。皆さん、久しぶりで嬉しそうです。今日は11人の参加。

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今日の行程は松阪駅から近鉄の斎宮駅まで、11キロほどの歩きです。

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10時23分頃、松阪駅を出発しました。天気はまずまずです。

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10時半に伊勢街道に着きました。角には大きな道標があります。右わかやま、左さんぐうと刻まれています。

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ここを左折して行きます。

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10分一寸歩くと左に三角公園があり、突き当たります。ここを右折していくのが伊勢街道です。

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手前、右に、小津安二郎記念館みたいなのが有ると思っていたのですが、見当たりませんでした。右折すると道は急に狭くなり、街道の面影が出てきます。

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5~6分歩くと、信楽寺というお寺がありますが、その傍に閻魔堂があります。皆さん、もうそろそろ閻魔様にお目通りする年頃なので、ここは慎重にお参りしていました。

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すぐに天照大御神や素戔嗚尊をお祀りする神戸神社の前を通ります。

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少し歩くと、左小高い所に庚申堂があります。過ぎると金剛川を渡ります。上流には堀坂山や観音岳が見えます。11時03分頃です。今日は雨大丈夫みたいですね。

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渡ると、この辺り、徳和畷と呼ばれる道です。

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7~8分歩くと大きな常夜灯がありました。頭の辺りが一寸なにか違うような。

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連子格子で2階の窓が無い、典型的な街道筋の旧家がありました。

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11時20分、紀勢線の徳和駅の踏切を渡りました。

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また大きな常夜灯があります。これも一寸、頭の部分が変わっているような。私の錯覚かな。

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11時半に国道42号線を渡りました。すぐ右手に「禁酒の神 沖玉夫婦岩」があります。小さな石のことでしょうか。皆さん、お参りしたのか、していないのか(笑)。

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11時35分。八柱神社の階段を登ります。境内をお借りして、弁当休憩にしました。

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境内からは松阪方面が見えました。12時に出発。ここにも連子格子の旧家がありました。

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その先に、「是より外宮四里」と刻まれた大きな道標がありました。

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12時22分、おもん茶屋跡の案内が。東海道中膝栗毛にも出てくるそうです。

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3分後、雨が降ってきました。でもまだ覚悟の小雨です。

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12時半に十字路に差し掛かると、この日初めての伊勢街道の標識がありました。

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5~6分歩くと、大きな道路にぶつかりました。県道37号線(鳥羽・松阪線)です。横断して櫛田川にぶつかる手前に趣のある茶店がありました。江戸時代に有れば、櫛田川の渡しの手前で、皆休憩したのでしょうね。

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和菓子の美味しいお店だそうです。

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堤防の下に大きな道標があります。「左参宮道、右下向道」と彫られています。下向道とは珍しいですね。

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堤防に登って、先ほど渡った37号線の橋で、櫛田川を渡ろうとしたとき、折角やんでいた雨がまた降りだしました。

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しかも今度は本降りで、橋の上では横殴りの風です。下半身はずぶぬれになってしまいました。

13時過ぎ、まだ雨は降っています。20分続いています。

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そこから3分、田圃の中に銘号碑があります。雨もようやく上がってきました。

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13時11分、祓川を渡りました。斎王の一行はここで最後の禊をして、斎宮に入ったそうです。

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そこからすぐ、また「是より外宮三里」道標がありました。

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そして、その先に斎宮跡の案内図がありました。それによると、ここから田んぼの中を斎宮歴史博物館に向かっていく遊歩道が、新しく作られているようです。

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予定を変更して、この道を行くことにしました。

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近鉄の線路を潜るとこんな感じです。

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そして道案内もあります。

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案内板から15分で歴史博物館に到着しました。13時30分です。

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入館料340円を払って、見学しました。斎王制度の発生から終焉まで、いろいろ展示がされています。

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14時、博物館の前で記念写真です。

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斎宮跡へ向かいますが、途中に古代の伊勢街道が復元されています。

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その先に斎宮の建物が縮小して再現されています。斎王は天皇に代わって伊勢神宮に仕える未婚の皇女ですが、天武天皇の頃から鎌倉中期まで行われていました。平安時代が最も盛んで、天皇の権威が衰える鎌倉時代に衰退しました。

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近鉄斎宮駅のすぐ近くに有ります。下の写真は「いつきのみや歴史体験館」だったかな。

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その横が斎宮駅です。14時31分の電車で松阪に帰りました。午後3時ごろと言うのは居酒屋の氷河期です。松阪も例外ではありません。頼みのいちまる食堂もやってなくて、困りました。

幸い、駅近くの店がやっていて助かりました。反省会の無い街道歩きは考えられませんから(笑)。

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さて次回はいよいよ伊勢に入ります。

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次回10月は斎宮駅から伊勢市駅まで。そして11月は外宮にお参りして古市街道で内宮へ。これが最終回になります。打ち上げも楽しみですね。

 

 

 

 

 

 

2025年6月25日 (水)

伊勢街道5回目 高茶屋から松阪

今回は前回の津から高茶屋に続き、高茶屋から松阪の14キロほどです。

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今回の14キロは結構見所が多く、30度越の天気も風にも助けられて、無事熱中症もなく、全員完歩できました。

2025年6月21日(土)

梅雨で1週間遅らせて、今日は高茶屋駅に10時45分に到着です。

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今日は何故か降りる人が多く、びっくりしました。近くのイオンタウンで何かイベントでもあるのかな。

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駅を出て街道に入り、10分ほど歩くと「南無大師遍照金剛」の赤い幟が立ったお寺がありました。

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三重四国は歩いたけど、こんなお寺は無かったはずと思いましたが、新四国八十八ヶ所の玉造院と書かれていました。新しくできたのかなあ。

11時23分、明治天皇小休所の石碑がありました。ここに雲出宿の本陣があったらしい。

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すぐに雲出川にぶつかりますが、今は渡しは無いので、県道の雲出橋を渡ります。その袂に大きな常夜灯と伊勢街道の大きな案内図がありました。11時34分です。

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水量豊かな雲出川を渡ります。往時は苦労したでしょうね。

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堤防道路を左折して、二つ目の石段を下り街道に復帰しました。すぐに松浦武四郎生家があります。立派な家です。

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410円払って、記念館との共通券を買います。庄屋さんの四男坊みたいですね。中の女性がいろいろ説明してくれました。

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記念写真撮りました。今日は10名です。

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12時20分頃、近くの県道沿いの記念館にやってきました。

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空腹だったので、外の四阿を借りて昼食休憩にしました。記念館は立派ですね。ここでも女性の方が詳しく案内してくれます。松浦武四郎は15歳ごろから家を出て、日本各地を旅し、蝦夷地へは6回とか7回とか調査に入っています。

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江戸幕府からも蝦夷地御用で採用され、明治政府からも重用され従五位に任ぜられている。三重県の偉人で北海道の名付け親です。北海道とはアイヌの土地だという意味を込めているそうです。

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あまり丁寧に説明されると、行程に差し支えるので、名残は惜しいですが30分で出てきました。13時10分頃か。この辺りは結構常夜灯が残っていますね。

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記念館から25分位街道を歩きます。

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すると大きな道標があります。月本追分です。ここから奈良街道が分かれて、伊賀上野で大和街道と合流します。2回歩きましたが、交通の便悪く、歩きにくい街道です。

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この道標は伊勢街道で最大と言われています。「右いがご江なら道」と刻まれています。13時38分です。5分ほどで「からす道」の道標がありました。

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ここからいろいろ道標や石造物があります。

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中勢バイパスの高架を潜ると「小津一里塚跡」の碑がありました。13時57分。

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そこから3~4分で竿長の常夜灯がありますが、ここは六軒駅の近くです。

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明治の伊勢参りは、ここ六軒で鉄道を降りて、ここから伊勢街道を伊勢神宮へ向かったそうです。14時01分。

5分で橋が見えてきます。三渡川を渡る三渡橋です。

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この橋の向こうが六軒の追分です。大きな道標があり、初瀬街道がここで分かれます。

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ここから奈良県の長谷寺がある初瀬へ向かう街道です。いろいろな街道の中でも、一番風情が残っている街道だと思います。

すぐ近くに大きな常夜灯があり、その前の大阪屋さんの辺りで小休止しました。ここ六軒町は六軒の茶屋があり、松阪からここまで見送りに来て、六軒茶屋で別れを惜しんだそうです。

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歩き出すと、この辺り、街道の風情がよく残っています。各家に屋号が張られたりしています。

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忘井の道の道標があります。確か斎王の行列の話だったと思います。

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六軒追分から20分ほど歩いて近鉄山田線のガードを潜ると、六軒~市場庄にかけての街並みの案内図がありました。

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そこから3分ほどで、また石造物やお堂が並んでいます。よく保存されていますね。

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そこから5分ほどで舟木家の立派な多識があり、その長屋門が有名です。南北朝時代から続く名家だそうです。

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すぐに、庚申堂があります。

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古川水神さんを過ぎ、県道をガードで潜ります。そして3分、百々川を小さな橋で渡ると両宮常夜灯がありました。

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一寸疲れてきたので、ここで小休止です。水分補給して出発、すぐにJR参宮線の踏切を渡ります。15時15分。すぐに薬師寺という行基が開祖のお寺がありました。通り過ぎましたが、織田信雄が北畠家に養子に入る際に親子面会したと伝わります。

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付近は、過っての松阪商人の街らしい雰囲気も備えてきます。虫篭窓の旧家です。

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すき焼きの看板も出てきました(笑)。

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15時40分、阪内川を渡る赤い橋に来ました。これを渡ればもう松阪の中心部です。

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渡るとすぐ松阪商人の館がありますが、皆さんの目は、その先を向いているようです。

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すぐに三井家発祥の地があります。

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三井家から10分弱で松阪駅前通りと交差します。ここを右折するのが和歌山街道です。

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大きな道標が、左さんぐう道、右わかやま道とあります。今日はここまでで、左折して駅に向かいます。そして待望の反省会です。

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今日は焼肉じゃなく屋台寿司でした。

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松阪は、その他に本居宣長が有名です。駅前広場にも大きな鈴のモニュメントがあります。

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次回は猛暑を避け、9月にお会いしましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2025年5月13日 (火)

伊勢街道4回目 津から高茶屋

4回目の今回は、丁度真ん中辺ですね

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後4回で伊勢市の内宮まで行くつもりです。次回が松阪、その次が斎宮、そして伊勢市。最後に外宮から内宮まで歩いて完成です。

2025年5月12日(土)

家を出る時まで降っていた雨は、10時半に集合した津では止んでいました。今回は11人参加。津駅前から伊勢街道に入った辺りです。路面はまだ濡れています。

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津駅出発は10時35分頃だったと思います。街道は国道の一つ手前です。

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10時48分、塔世橋手前の四天王寺を見に来ました。中には入らず、聖徳太子建立の話だけして、街道に戻りました。

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一寸趣のある塔世橋を渡ります。

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国道を5分ほど歩くと、松阪牛の販売で有名な朝日屋のビルがありますが、その手前の歩道橋を渡ると良いでしょう。

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我々は一寸手前の信号で広い国道を渡りましたが。歩道橋の先の小路を左折して津観音へ向かいます。右折左折して、津観音の一寸先の参道へ出ると、大きな石の道標があります。

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この辺りは大門といって、当時は賑やかな花街だったと思います。左折すると津観音の入口が見えます。

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中に入ると鳩に豆をやっているご家族が居ました。豆を貰ってやってみました。

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津観音は浅草観音、大須観音と並んで日本三観音の一つだそうです。

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11時18分、津観音を出て津城址に向かいました。津城址は国道の向かいに有り、津市役所が建てられています。

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歩道橋を渡ると百貨店の松菱や百五銀行本店が見えています。国道から少し入ると城跡が見えます。

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城跡としては何も残っていません。お堀と石垣だけです。ここは本丸跡。

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藤堂高虎の銅像があります。

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珍しく伊勢街道の案内がありました。

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ここで昼食休憩にしました。11時40分頃です。

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12時05分、城跡を出て街道に復帰しました。途中、分部町に「唐人の街」と書かれていました。

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江戸時代の朝鮮通信使にかかわる唐人踊りを伝承している街だそうです。津祭りに行われているそうです。岩田川を渡りました。

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百五銀行本店の前を通り、しばらく国道を歩きます。岩田橋から10分ほど歩いて、斜めの道に入り、更に10分ほど歩くと閻魔堂があります。藤堂家が町の守護神として建立したとか。

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立派な閻魔大王が祀られています。

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隣には北畠家の守護神だった市杵島姫神社があります。

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12時38分にここを離れました。街道は真直ぐ伸びて、遠くまで見通せます。

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閻魔堂から10分ほどで地蔵堂があります。

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この辺り八幡町と言って、2代目藩主高次が八幡神社を設置し、藩祖高虎公をお祀りし、当時海岸付近を通っていた伊勢街道を付け替えて、この付近を通し、八幡町を作ったという。

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明治天皇の小休所もある。

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八幡神社の石柱を過ぎ、国道に出る一寸手前の三叉路が、香良洲道追分だそうです。

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13時頃国道を渡り、JR紀勢線の踏切を渡ります。その先が近頃珍しい交互通行の道になり、信号機があります。

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その一寸先、多分、成就寺と言うお寺の門前だと思うのですが、内地には珍しい「石敢當」の魔除けがありました。

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これは中国の風水を由来に、魔鬼・邪鬼を防ぐ魔除けですが、沖縄ではどこにでも見られますが、内地では珍しい。西国街道の大阪府辺りで見た記憶がある程度です。

高茶屋に入り、銅製の常夜灯を見たのが13時17分。

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もうゴールも近いでしょう。薬師堂の前を通り、高茶屋神社の前に来たのが13時36分。14時8分の列車で津に帰ろうと思っていたので、神社にお参りする時間がありました。恵比寿さんが祀られているような。

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予定通り津に帰ってきて、駅前の大衆居酒屋に入りました。お客の割に店員さんが少なく、大変なようでした。

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いろいろ食べて飲んで、また来月。

 

 

2025年4月13日 (日)

伊勢街道3回目 磯山駅から津駅

今回は近鉄磯山駅から津駅まで、12.7キロほどでした。

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2025年4月12日(土)

10時25分に近鉄磯山駅に集合しました。今回は12名の参加です。

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早速、前回歩いた街道へ引き返しました。すぐに磯山八幡神社があり、一寸お参りしました。

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神社から10分ほど街道を歩くと国道23号線に出ます。ここは地下道で潜りました。10時47分でした。潜って引き返し、国道に戻って中の川橋を渡ります。10分弱国道を歩いて、近鉄の踏切を渡ります。

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渡ると道が二つに分かれますが、右側の道が伊勢街道です。左の道も旧伊勢街道だそうで、巡礼道とも呼ばれたそうです。

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すぐに右手に地蔵堂があります。謂れは知りませんが「甕釜冠地蔵堂」です。屋根に甕が乗ってますねえ。

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15分弱歩いて千里駅の横を通り、再度国道を渡ります。11時15分です。

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渡るとすぐ街道の風情で、また地蔵堂があります。今度は田中地蔵堂で、甕は被っていません(笑)。

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田中川を渡ると、ここも街道の風情が残る街並みです。上野宿と呼ばれ、本陣・脇本陣、旅籠が十三軒有ったそうです。

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中心部の拡大地図を載せます。

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10分ほど街道を歩くと、右手に上野小学校があります。なかなか立派な学校ですね。

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すぐに右手高台にお寺が見え、その横を上野神社の参道が通っています。

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街道沿いには立派な松があったり旧家があったりします。

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上野神社から3~4分、弘法井戸がありました。弘法大師が杖で地面を叩くと水が湧き出したという井戸は全国にありますねえ。

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すぐ先が桝形になっています。

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桝形を越えてすぐ、11時43分頃ですが、右手奥の上野城址へ登って行けそうな道を見つけました。案内も無く不安ですが登りました。

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3~4分で公園に出ました。一安心です。

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ここは本城山青少年公園になっています。ここで昼食休憩にしました。

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過って本丸があった所に展望台が作ってありました。

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登ると伊勢湾が見えました。

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逆側は関宿、錫杖岳、経ヶ峰などが見えます。

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12時23分頃出発して、円光寺という江姫縁の寺とかを見に行きました。図の青線です。

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12時半に到着しました。雰囲気あるお寺です。後に徳川家光の母となる江姫は、一時期、上野城で過ごしたのだそうです。

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住職さん(多分)が沙羅双樹の話をして頂きました。花は六月です。

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また円光寺は津の七福神にも入っています。先を急ぐので10分も滞在せず、出発して、街道に復帰しました。先ほど登った細道の一寸先に、上野城登り口の案内があり、石段が見えました。こちらが正式な道のようですが、石段よりさっきの道の方が良いかも(笑)。

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その先左側に上野宿の道路元標がありました。12時45分頃です。

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そこから10分弱で、上野城主の菩提寺だった光勝寺の参道があります。

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13時、国道23号線に出て、また地下道を潜りました。そこからも街道の雰囲気は残ります。

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街道を10分弱歩くと八幡神社があります。

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それを痔神社と勘違いして、見に行きました(笑)。痔神社はもう一寸先でしたが、そのときは気づきませんでした。

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13時17分頃国道に出て、10分一寸国道を歩きます。上小川というバス停を過ぎて右に分かれます。

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分岐点には水準点があります。また一寸行くと、地蔵さんの祠がありました。

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この辺りも街道の風情があり、右手前方に高田本山の大きな屋根が見えたりします。

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13時43分、近鉄の踏切を渡りました。踏切から2分で逆川神社です。式内神社で、境内の川が海と逆に流れているのが名前の由来だそうです。

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逆川神社の一寸先に、寒紅梅酒造と言う酒蔵があります。酒蔵見学などできればと思ったのですが、やってないそうです。

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すぐに国道に出ますが、一寸国道を歩いて左に入るのが街道です。国道から分かれて6分ほど、先に分かれた巡礼道との合流点があります。常夜灯があり、松も植えられて風情があります。通り過ぎて振り返った写真です。左が伊勢街道、右が巡礼道です。

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その先、国道へ出る手前に大きな常夜灯があります。

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国道に出て、歩道橋を渡ります。14時15分です。

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国道を歩いて5分、三重大学の前を過ぎると、国道と分かれ、右の江戸橋を渡ります。

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渡り終えたところが伊勢別街道との合流点です。京・大阪方面から来る旅人は、関宿で東海道と分かれて、ショートカットして、ここ江戸橋へくるのです。

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ここから国道と並行して街道は津駅へ向かいます。途中、阿部喜商店(醤油屋さん)や小丹神社遥拝所など見ながら7~8分歩くと津駅のビルが見えてきます。

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そのまま直進すると道は急に広くなります。でもそこに伊勢参宮街道の道標が有ったり、伊勢街道の案内板があったりします。

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ここから3~4分進むと津駅前の道路に出ます。今日の行程はここまでです。14時45分頃です。

跡は駅地下に新しく出店した居酒屋さんで打ち上げを行いました。

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皆さん、お疲れさまでした。

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また来月お会いしましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

2025年3月11日 (火)

伊勢街道2回目 鈴鹿駅から磯山駅

伊勢街道2回目は伊勢鉄道の鈴鹿駅から近鉄磯山駅です。10キロ弱の行程ですが、実際は12キロほど歩いたようです。

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2025年3月8日(土)

10時20分に鈴鹿駅に集合しました。伊勢鉄道の駅ですが、名古屋から快速みえに乗ると、四日市から伊勢鉄道に乗り入れているので、乗り換えなしで行けます。ただ、JRじゃ無いのでICカードが使えず、皆苦労します。四日市・鈴鹿・津と三重県の三大都市を結ぶ線がJRじゃ無いのは納得できませんね。JRは何考えて、そうしたのでしょうね。

今日の参加者は13名。内、一人が間違えて近鉄に乗ったということで、12名が集合(笑)。歩き出しました。

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出てすぐ、広い交差点を渡って街道に入ります。そこに山神さんがあります。

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山神さんって何でしょうね。山の民と農民の間で山の神の性質は違うそうですが、いずれも女神であることは共通し、きれいな女性と一緒に行くと、ヤキモチを焼くらしい(笑)。この辺が、自分の女房を山の神と呼ぶ由来らしい。

5分も歩くとまた山神さんがあった。

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10時40分頃、23号線を渡る。すると街道らしい風情になる。右の森は天白神社。

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ここで先の近鉄に乗ったメンバーから連絡があり、この先の彌都加伎神社で待ち合わせることにする。少し歩いた正信寺の角に道標がある。

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ここを右折してすぐ左折して行くのが街道らしい。再度23号線に接した辺りにも道標があった。以前、東海道を歩いたときもそうでしたが、鈴鹿市は旧街道の案内が全くない。あまり重視してないようです。なので、この道標が由一の頼りです。

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左折するとすぐ、彌都加伎神社です。無事合流。

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今日はお札が配られるとかで、氏子の方たちでしょうか、並んでいました。内宮に麹を奉納する神社だそうで、醸造業者の信仰が厚い神社だそうです。一寸、小休止。11時15分頃出発。

7~8分歩くと、また、山神さんがありました。今度は赤い鳥居です。

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そこから5分ほど歩くと、きれいに刈り込まれた芝生の土塀があった。フジクラ電線の工場です。以前はエレベーターの会社だったと思ったが、変わったかもしれない。

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工場を過ぎ、菅原社の石碑を左に見ながら歩くと、右手に大きな石碑があった。

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説明を読むと、水原翁とかで、三重県農事試験場の場長で農業振興に功績のあった人らしい。

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11時51分、近鉄の踏切を渡りました。

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渡るとすぐ左に地蔵堂があります。北の端地蔵とか六体地蔵とか呼ばれます。

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ここから先、一寸街中に入り、見どころや道もややこしいので、拡大地図を載せます。

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地蔵さんの由来は難しいので、説明をみてください。

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ともかくお参りしました。

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近くに、役行者の像が有ったみたいですが見落としました。11時58分でお昼時です。街道はこの辺り、鋸刃のようにギザギザになっています。武者隠しの役目でしょうか。

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そして江島本町信号の手前が桝形です。城下町のようですね。

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手前を左折して江島若宮八幡神社へ向かいました。

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海上安全の神様だそうです。その先、海岸が江島公園になっています。この海岸は昔、本能寺の変の後、堺に居た徳川家康が、明智光秀の軍に見つからぬよう、伊賀越えでここまで来て、ここから船で対岸に渡ったと言われています。

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そう言えば、意外に対岸は近いかもしれませんね。

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ここで昼食休憩しました。

 

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12時40分に出発、街道に復帰しました。ここは江島村、隣が白子村だそうですが、紀州藩の代官所が置かれ、港がありました。伊勢の産物や伊勢型紙などの商人は、紀州藩の保護の元、この港から全国に荷物を送ったようです。

その栄えた宿場の面影が残っています。

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明治になっても安芸郡役所が置かれたようです。

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街道から一寸寄り道して伊勢型紙資料館を見に行きました。

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伊勢型紙はそれ自体が非常にきれいなため、海外で芸術品扱いされ、日本でも逆輸入で、それ自体が珍重され、額に入れたり、照明器具に使われたりしています。

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でも本来の用途は染物です。私の生まれた京都西陣では近所に染物屋さんも結構ありました。有名な京友禅も、手書き友禅と型友禅があります。手書きは手間がかかり、型は量産が効きます。最近は機械やデジタルとか有るようですが、詳しくは知りません。

要するに、その型紙を全国の呉服屋や染物屋に売ったようです。この資料館も、その型紙問屋さんだったそうです。儲かったみたいですね。彫師さんが1000人も居たと言っていました。その問屋さんの蔵です。

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13時30分頃出て、街道に復帰しました。久留真神社と言う神社がありました。当て字ですが車に通じるということで、自動車関連の信者が多いとか。

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この辺り、街道は曲りが多いです。やはり迷う人も多かったと見えて、曲がり角の住民の方が、私費で建てた大きな道標がありました。

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この辺りは、同心屋敷とか目付屋敷とか、いろいろ有ったようです。

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小さな橋を渡ったのが13時53分。その先を右折して子安観音寺へ向かいます。このお寺は伊勢西国や三重四国など、いろんなグループにも入っているし、何より参宮道の有名な名所でもあるので、私も4~5回は来ています。

参道の手前に別のお寺が有り、その壁が石臼入りで一寸面白い。全国で、時々見かけます。

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立派なお寺です。ご本尊の白衣観音は、海中から現れたとか。

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ここに有名な不断桜があります。一年中、どこかの枝に花を咲かせているということで、国の天然記念物に指定されています。その前で記念写真を撮ったのですが、どこか咲いていますかねえ。

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この後、狭い道が街道らしいです。辿ると道標があり、間違っていなかったなと、ほっとします。

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少し歩いて堀切川へ出ると、鼓ヶ浦の大きな石碑があります。ここで橋を渡らず、川に沿って右折します。

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23号線の下を潜り、堀切橋を渡って右折します。水仙の咲く堤防沿いに歩いて、左折するのが街道です。

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ここまで来れば、今日の目的地磯山駅は近いです。14時28分頃です。

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14時45分の近鉄で白子へ引き返したかったので、少し急ぎました。5分も余裕で駅に到着しました。

白子へ引き返したのは反省会のためです。磯山駅付近に適当な場所が見つからなかったのです。白子では10分弱歩いて、国道沿いの和食のさとへ行きました。この時間に開いているのはファミレス頼みです。

ファミレスもタッチパネルとかロボったが導入されて、我々も近代化しないといけませんねえ(笑)。

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お疲れ様でした。

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また来月、お会いしましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2025年2月23日 (日)

伊勢街道1回目 日永追分~鈴鹿駅

2025年2月22日(土)

今日も寒波が来て雪が心配でしたが、なんとか歩けました。今日は下図、あすなろう鉄道追分駅から伊勢鉄道鈴鹿駅まで8キロ一寸です。

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近鉄四日市駅に10時20分に集合し、10時半のあすなろう鉄道に乗りました。追分駅に10時42分到着。旧東海道を5分も歩けば日永追分に着きます。

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伊勢街道は、ここ日永追分で東海道と分かれて伊勢に向かいます。

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大きな道標が立っています。

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また、大きな鳥居も立っていて、桑名の七里の渡しの鳥居が一の鳥居とすれば、これは二の鳥居でしょうか。その鳥居の下で記念撮影です。

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ここには湧水があって、地元の人がよく汲みに来ています。10時55分に出発、しばらく県道を歩きます。

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20分一寸で県道と分かれ、内部川の堤防にぶつかります。ここはまた県道に戻って橋を渡ります。

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渡って右折すると、旧道らしき入口があります。

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ここからは街道の風情です。

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街道に入ると、旧河原田村里程標がありました。大正初期のものだそうです。

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11時35分頃、河原田神社の前に来ました。

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一寸早いですが、ここで昼食休憩にします。実は神社の上に、忘帰処という展望所があるからです。

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一寸木が大きくなりすぎてますが、伊勢湾や知多半島が見えます。雲が無ければ御嶽山も見えるでしょう。ここで昼食休憩です。

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私は久しぶりにカップラーメンを持ってきました(笑)。

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食後、河原田神社を皆でお参りしました。今年の伊勢街道の無事完歩を祈りました。

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神社の近くの道端に、庚申塚群があります。

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12時15分、街道に復帰しました。6~7分で県道を横断し、すぐ関西線の踏切を渡ります。

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渡ってまた県道の鈴鹿橋の下を潜ります。高岡神社の案内があります。この辺りはもう四日市市から鈴鹿市になっています。

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潜ったところです。

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鈴鹿川の堤防に登り、高岡橋を渡ります。

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渡って右折、一寸堤防道路を歩くと、常夜灯があります。そこで堤防を降ります。

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梯子が付けられているのが、珍しいと思ったのですが、平成の作でした。下って、神戸宿へはいるまでの田んぼの中の道は、縄手道と呼ばれる、真直ぐな道です。写真は振り返っています。

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13時頃、常夜灯を見ながら市街に入ってきました。7~8分で、神戸宿の入口、「神戸の見附」に着きました。

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道の両側に石垣があり、その間に大木戸があって、時間に閉められたようです。ここで一寸小休止。桜はまだですが、紅梅が咲いていました。

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13時17分、出発しました。神戸宿に入って行きます。宿場の雰囲気は残っています。6~7分で、踏切があります。近鉄、鈴鹿市駅近くの踏切です。

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渡って大橋という古そうな橋を渡りました。神戸城の堀だったのでしょうか。そのまま少し行くと、古そうな旅館がありました。

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ここを左折するのが街道だそうです。途中、街道から外れて、神戸城址を見に行きました。古くから、名門北畠氏の居城ですが、織田信長の三男だったか織田信孝を養子に迎えて和睦しましたが、豊臣秀吉に滅ぼされました。

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鈴鹿駅に近づくと大きな常夜灯があります。

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次の交差点を右折して、今日の反省会「さがみ」へ行きました。鈴鹿駅はもうすぐのはずです。

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2時間ほど、ゆっくり反省して、鈴鹿駅に向かいました。皆さんリラックスして、このありさま。道一杯に広がって歩いています。ご迷惑かけたかたあれば、ごめんなさいm(__)m。

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無事、伊勢鉄道の鈴鹿駅に到着しました。

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お疲れ様でした。久しぶりに歩いて、楽しかったです。

 

 

 

 

 

2025年2月15日 (土)

伊勢参宮街道

久しく、ここに記事を書いていない。昨年の初瀬街道以来、どこも歩いていないので仕方がない。今年の山歩会では伊勢街道を歩くことにしている。本来、1回目を2月8日に歩く予定だったが、雪で直前に中止しました。リベンジは2月22日(土)の予定です。

で、伊勢街道ってどこ? っということになるんですが、下図を見てください。

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右端の太い青線がそうです。伊勢参宮街道と書いています。三重県にはいろんな街道が通っています。上から、東海道、大和街道、伊賀街道、初瀬街道、伊勢本街道、和歌山街道などですが、東海道と伊勢本街道以外はすべて三重県側の呼び名ですね。逆から見れば、皆 伊勢街道で、実際そう呼ばれていたようです。

なのでまあ、伊勢参宮街道というのが解りやすいかなと。東海道を四日市の日永追分で分かれて伊勢神宮まで85キロ程の街道です。これを8回に分けて、1日10キロほどを歩こうとしています。

以前は20キロ以上歩いたのですが、年齢もとったし、半分にしました。その代わり、以前は素通りしていた神社仏閣や資料館など、面白そうな名所旧跡は、ゆっくり見学しようかと思っています。

反省会は欠かさず、やろうと思っています(笑)。

では2月22日を今度こそ歩きます。

 

2024年12月 1日 (日)

地形図を捨てる

最近は腰痛が再発して歩けないので、家近くの散歩に留めています(-_-;)。街道トレッキングのネタが無いので、地形図の話でも(笑)。

私の学生時代、今から63~4年前は五万分の一の時代でした。その頃は山が主体で街道歩きはしていなかったので、五万分の一で充分でした。市街地と違って一本道が多いので、地形さえ読めれば良かったのです。

社会人になって30年ほどは活動の休止期間です。還暦前になって熊野古道や街道歩きにはまりました。その頃はもう二万五千の時代でした。街道歩きで市街地を歩く場合、五万では旧街道を辿るのが無理でした。二万五千なら、なんとか。その頃から買い貯めた地図は、マップケースに保管していました。

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10年位掛けて、中辺路・伊勢路・大辺路・小辺路・大峰奥駆などの熊野街道や、東海道・中山道を歩くため地形図を買いました。でも、その頃から、地図はネットから必要な部分をダウンロードして使うようになり、地形図を買うことはなくなりました。書店にも地形図置き場はなくなったように思います。

それで、今回、デッドストック化している地形図を、マップケースごと捨てることにしました。

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結構あります。一つ一つ見ると思い出が詰まっていて捨てにくいのですが、思い切ることにしました。マップケースの分類を見てみましょう。

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三重県は伊勢参宮道、熊野街道伊勢路、紀伊半島横断の伊勢街道類でしょう。和歌山は熊野街道いろいろですね。奈良も熊野街道と柳生街道、山野辺の道などでしょうね。

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東海道、中山道は早くに歩いたので地形図があります。甲州街道・日光街道・奥州街道などは、もうネットの時代ですね。その他も結構面白いです。奄美大島南部、沖縄のやんばる、西表島など離島歩きが多いですね。

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いずれも思い出ばかりですが、今回、粗大ごみと可燃ごみに出されてしまいました。

さようなら。

 

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