2023年5月28日 (日)

初瀬街道4回目 西青山~阿保

今回は6キロ一寸の短い行程です。阿保(あお)宿は青山町駅から10分の近さですが、ここから街道と近鉄は離れていきます。伊賀神戸、美旗を越えて桔梗ヶ丘まで10キロほど有るので、今回は青山町で止めることにしました。そのかわり、阿保宿で美味しい料理でとお酒で反省会をすることにしました(笑)。

2023年5月27日(土)

いつもの電車で10時35分に西青山駅に着きました。

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今日はこの6人とカメラマンのNさんの7人です。この西青山駅は付近に民家一つ無く、何故ここに駅が有るのか、判らない駅です。青山高原散策のために有るのでしょうか。

ここから歩き始めますが、国道165号線は歩道が無く、かつ車の交通量も多い、2車線の嫌な街道です。

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ここから30分ほど、伊勢地宿の入口まで、見るものも無く、ただ歩くのみです。のどかに新緑を楽しむ余裕はありません。

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10分一寸で近鉄の下を潜ります。

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30分ほどで伊勢地宿入口で、国道を離れるので、ほっとします。

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入るとすぐ右手に妙見大菩薩の石碑があります。

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あまり人気はしないのですが、街道らしい雰囲気はあります。

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入口から10分弱で常夜灯があり、ここを左折します。

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左折すると、すぐまた国道に出るのですが、すぐ右手道路の向かい側に石碑が並んでいます。

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初瀬街道伊勢地宿の案内板。

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他に菅笠日記の記念碑や庚申塔などがあります。そこを左折して歩くと、すぐ善福寺がありますが、山の上なのでパス、常夜灯を左に見ながら歩きます。

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のどかな里歩きも10分ほどで国道に合流します。左折して、国道を5分ほど歩くと木津川を渡りますが、中山トンネルには入らず、巻いていくのが街道のようです。

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左折して歩いて行くと、初瀬街道天狗亭跡の案内がありました。謂れはわかりません。

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すぐまた国道にでます。相変わらず歩道は有りません。

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でも少し歩くと山が無くなり、広くなりました。そのうち歩道も出てきました。

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12時07分、左側に大村神社の看板がありました。ここを左折して川沿いに行くのが街道です。

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入るとすぐ水神さんがあります。

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街道は川沿いに半円を描いて、また国道に出るのですが、赤い橋を渡ると大村神社の裏口に出るようです。多分昔の旅人も、ここは大村神社にお参りして、通り抜けただろうと思います。われわれもそうしました。

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大村神社の大村の神は倭姫の命の弟だそうです。この界隈では相当有力な神社のようです。

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お参りして一寸休憩しました。神社から10分も歩くと街道に出ました。

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今日はここまでで、ここを右折すれば青山町駅です。左折すると、今日の反省会場伊勢慶さんです。

左折すると立派な酒蔵がありますが、この地方の銘酒、若戎です。

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そのすぐ先が伊勢慶さんで、江戸時代から続く料理旅館だそうです。

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酒はやっぱり向かいの若戎の義左衛門でした。

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女将さんは話し上手で、料理も詳しく説明します。お酒もどんどん進みました(笑)。

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15時に店を出たときには、皆すっかり出来上がっていました。

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駅へ向かう途中に、ここも菅笠日記の記念碑があります。

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青山町駅です。

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帰りの電車の中は、なにか口に入れてないと寂しいみたいです。

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お疲れ様でした。次回もよろしく。

 

 

2023年5月 3日 (水)

平針街道2回目

前回の4月22日に続き、今回は平針駅から豊田市の若林駅まで15キロほどを歩いてきました。今回は一人でなく、山仲間のYさんとHさんの3人です。

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平針街道は岡崎街道とも呼ばれ、徳川家康~秀忠時代に作られたようです。名古屋市天白区から日進市、東郷町、みよし市、豊田市と歩きました。

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2023年5月1日(月)

朝10時過ぎに平針駅を出発しました。

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10時12分、県道56号線を横断して、前回歩いてきた街道に着き、左折しました。

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ここから街道に入ります。

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すぐ右側に秋葉山慈眼寺と針名神社の入口がありました。謂れはよく知りませんが、良さそうな感じですが、素通り(笑)。

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すぐに先ほど横断した県道に合流します。ここからは県道歩きです。

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1キロほど歩くと日進市に入りました。地下鉄の赤池駅の近くだと思いますが、ここからは地下鉄と離れていきます。

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更に10分、10時40分頃、東郷町に入ります。相変わらずの県道歩きで、街道の面影は残っていません。

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更に1キロほど、複雑な交差点にお堂がありました。お婆さんがお参りしていました。我々も覗きに行きました。弘法大師をお祀りする大師堂でした。この辺りから名鉄バスが無くなるようです。

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そこから5分、遊歩道が交差していたので、一寸左折してみました。「涼松・すずみまつ」という地名で、名前の由来は、黒松の群生地で、休息に適した場所だったからだそうです。我々も小休止しました。

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街道の反対側はせせらぎの道でした。

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11時13分に出発、県道歩きは続きます。11時半ごろ、コメダ珈琲がありました。春木あたりのようです。

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11時40分頃、左側の植え込みの中に大きな石碑があり、眺めると「裕福寺の一里塚」とありました。

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見渡すと道の反対側にも残っています。説明によると、最初は松の木が植えられていたが、枯れたので平成7年に榎木を植えたと書かれていました。そろそろ空腹で、食堂を探しながら歩きます。

ところで今回の街道は同行のHさんの地元です。なので食堂選びはHさんに任せることにしました。途中、一里塚の名前になった裕福寺の門前を通りました。

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食堂選びは難航しました。Hさん推薦の店は満員だったり休みだったりします。途中、境川を越えました。境川と言う名前は全国各地に有りますね。この川も例外ではなく、この川を境に尾張の国と三河の国が分かれていたようです。

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Hさんによると、みよし市に入ると一気に田園風景が広がるそうです。そういえば、高層ビルが見当たりませんねえ。

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その後も食堂探しを続けながら、とうとう12時43分になって、辛いラーメンの「八かい」さんにたどり着きました。繁盛店で、10分一寸待ちました。私は一番辛くない0.1にしました。ちなみに辛さは0.1、0.5、1、2、3とあります。0.1は普通の一寸ピリ辛ぐらいです。

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13時10分に出発しました。この辺りは、ブドウや梨の産地だそうです。

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トヨタ自動車の城下町に入ってきました。右も左もトヨタ自動車の工場です。それ以外も殆どが協力工場の建物ばかりです。

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豊田市に入って、13時45分頃、八幡社がありました。

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ここに平針街道と御茶屋の説明があった。桶狭間の戦いの後、徳川家康が、ここ堤村に立ち寄りお茶を飲んだそうです。一寸跡地を見に行ってみました。

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この後、Hさんの自宅に立ち寄り、ハイボールで小休止して、逢妻女川を渡りました。もう少し先に逢妻男川が有って、下流で合流して逢妻川になるとか。

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地図では街道は今歩いている道なのですが、Hさんが、1本左が子供のころからの道だと言うので、そこが旧道だろうと入りました。お寺と芭蕉句碑があったので、多分正解でしょう。

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句碑から5~6分で元の道に合流しました。国道155号線を渡り、すぐに419号線を渡ります。もうゴールは近いようです。

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この辺で初めて遠くに山が見えました。猿投山周辺の山でしょうか。14時55分頃です。

15時08分、八幡宮があり、一寸参拝しました。

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すぐに例の逢妻男川を渡りました。

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15時15分、名鉄の踏切に到着しました。

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今日の行程はここまでです。渡ってすぐ右折して、若林駅に向かいました。駅前に、あらかじめ調べていたベトナム料理店がありました。

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ベトナム人のご夫婦がやっておられるようです。ベトナム食材の店がメインかもしれません。とりあえずベトナムビールで乾杯です。

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ベトナムはまだ行ったこと無いのですが、フォーは有名ですよね。

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お酒は29度の赤もち米の酒です。後、生春巻きを食べたかったのですが、食べ損ねました。写真はヤギ肉の料理です。

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取り敢えず、Hさん、Yさん、お疲れさまでした。

街道は残り7キロほど続きますが、そのうち歩いてみましょう。

 

 

 

 

2023年4月23日 (日)

平針街道を歩く

七里の渡から江戸に向かう東海道は、鳴海・池鯉鮒などを経て岡崎に向かいますが、その途中、バイパス的に平針街道が有ったようです。

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上の図で、呼続で東海道と分かれて、平針を経由して岡崎へ向かう赤線が、平針街道とか岡崎街道とか呼ばれたそうです。今回その一部、宮の渡しから平針を歩いてみました。

2023年4月22日(土)

天気は快晴で、8時前のJRに乗りました。

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そして9時前にJR熱田駅に到着しました。熱田駅に降りるのは久しぶりです。

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今日は熱田駅を出発して、地下鉄鶴舞線の平針駅まで、13キロほどを歩きました。

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熱田駅から熱田神宮の中を通って七里の渡に向かいました。

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途中見た名鉄神宮前駅も取り壊されて、過っての面影は有りませんでした。若い頃、神宮前ではよく飲んだのですが、神宮にお参りした記憶はあまりありません(-_-;)

神宮から渡跡へは大きな道路があり、陸橋を二つ渡ります。「あつた蓬莱軒本店前宮の渡し歩道橋」と名付けられた歩道橋の上から宮の渡し方面を見ています。

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右手前の建物が蓬莱軒です。今9時13分ですが、店前に並んでいる人が居ますね。10時半頃から受付ですが、こんなに早くから並ぶんですね。ひつまぶしはそんなに美味いかな。この通りが旧東海道です。

9時20分、七里の渡に到着しました。公園になっています。ときどき、桑名までの船を出す、イベントがあると聞きました。コロナで当然休業していると思いますが。

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9時半に蓬莱軒まで引き返してきました。南側にほうろく地蔵さんが有って、その前を右折するのが旧東海道です。

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この辺り、熱田伝馬町と言いますが、旧東海道の看板が電柱についています。

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5分も歩くと右側に鈴之御前神社があります。熱田神宮の摂社です。すぐ横に姥堂があり、裁断橋跡があります。

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いろいろ謂れはありますが、今日は平針街道が目的なので飛ばします(笑)。9時45分、東海道踏切を渡りました。

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すぐに広い通りに出ます。国道1号線です。しばらく国道沿いに歩きます。9時55分頃、松田橋の陸橋を渡りました。国道1号線はここで右折しますが、旧東海道は直進です。渡った所に旧東海道の石標がありました。

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10時08分、山崎川にぶつかり、山崎橋で渡ります。

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旧東海道は直進ですが、渡って川沿いを左折するのが平針街道です。渡った左側に石標があります。古いものは読めませんが、ここが平針街道の分岐です。

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左折すると、こんな感じです。

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すぐに名鉄の踏切があり、右手が呼続駅です。写真は渡ってから振り向いています。

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10時22分、新瑞橋に来ました。ここを右折してすぐ左折します。

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街道は山崎川に沿ってカーブしていきます。

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落合橋の先で弥富通りに出ました。10時32分。

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弥富通り一丁目で左折し、1本北の道を東に進みます。もう街道の面影は無いのですが、たまには昔風の家が残っています。

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三丁目でまた一旦弥富通りに出ました。2時間位歩いて疲れたので、バス停のベンチで休憩しました。10時50分頃です。

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5分ほどで出発し、一旦また北側の道に入って歩きます。玉水町で学校にぶつかり、また弥富通りに戻りました。昭和高校前の大きな交差点を越え、少し歩いて下八事の交差点を右折しました。

すると高い堤防にぶつかりました。天白川は天井川なのですね。

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登ると天白緑地橋と言う立派な歩道橋がありました。これで天白川を渡ります。11時20分です。

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渡ってすぐ堤防の下へ降りればよかったのですが、堤防道路のほうが景色が良いので上を歩きました。これが失敗で、つぎに右折するばしぃでは階段がありません。むりやり降りる羽目になりました。

県道59号線に出て、横断して1本南の道を左折するのが街道のようですが、県道の横断はできないので、そのまま県道を左折して島田の交差点に向かいました。

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正面に見えるのが島田地蔵寺です。尾張六地蔵、五番目の札所だそうです。その横を左折しました。

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隣には、島田神社がありました。熊野権現をお祀りしているそうですが、創建など詳しくは判っていないそうです。

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ここからしばらくは住宅街を進みます。街道の面影はありませんが、静かな街歩きです。

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12時04分、平針西口手前の県道221号線に出ました。平針西口交差点では飯田街道と合流します。12年前に飯田街道を歩いたことがあるのですが、そのとき見た道標地蔵さんが、今日も交差点にありました。

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街道は名二環の下を潜ります。そのそばに牛丼の吉野家があり、昼食に寄りました。でも混んでいて止めました。

少し歩くと左側に御嶽神社がありました。西国札所巡りの供養塔もありました。

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すぐ先には珍しい「かつら屋」さんがありました。この辺り、なにか関連する歌舞伎とか花街とかあるのでしょうか。

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その先の交差点を左折すると平針駅なので、今日はここまでです。12時26分です。

交差点を左折して、平針駅南の交差点を渡ると弁当屋さんがあり、店内で食事OKだったので入りました。作り立てで暖かい弁当は美味いですね。これで缶ビールでもあれば、言うことなしですが、それはありませんでした(笑)

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そのすぐ先が、バスターミナル兼地下鉄入り口でした。

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お疲れ様でした。

 

2023年4月17日 (月)

初瀬街道3回目、東青山から西青山

2023年4月16日(日)

今日は山歩会仲間との街道歩き、初瀬街道の3回目、近鉄東青山駅から西青山駅まで12キロ程です。この街道では珍しい峠越があります。標高500mほどの青山峠で、標高差400mほどを登ります。旧道は消えかかっていると思うので一寸心配です。

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朝10時半に東青山駅に到着しました。今日の精鋭8名です。

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駅から20分弱、50mほど下って、10時55分に国道165号線に出てきました。ここから前回の続きです。標高は100mほど。

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ここはまだ歩道があります。この国道は歩道が無いところが多いのです。

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途中に虫歯地蔵さんがあるはずでしたが、見落としました。15分ほどで垣内宿の案内があり、ここで国道と別れます。

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垣内宿は「かいと」宿と読みます。青山峠を控えた宿場で、旅籠の収容能力は300人あったと説明されています。入って4~5分で垣内宿跡の案内板があります。

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伊能忠敬が泊まったと書かれていました。集落の家々も雰囲気を盛り上げています。

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雰囲気も良いです。

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11時20分頃、乗渓寺というお寺の前に来ました。石段の下に道路元標が立っていました。

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集落が途切れると花山橋があり、垣内川を渡ります。

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初瀬街道・青山峠の案内があるので、確認できます。11時26分。

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旧道は直線的に登っていたそうですが、今は消えているので林道を歩きます。

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林道に入って10分ほど登ると石仏がありました。

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林道はほぼ1本道ですが、一か所間違えそうな箇所がありました。谷に沿って直進したくなりますが、広い林道をUターンします。乾いた気持ちの良い林道です。

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12時13分、一寸開けた場所に、何やら案内がありました。逆から歩いてきた人に、旧道を案内しているようです。でも途中で道が消えていると思うのですが、どうでしょうか。

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そこから3~4分で、前方に国道が見えてきました。時間も時間なので、昼食休憩しました。

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今日は高級なお握りを買ってみました(笑)。

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黒毛和牛ですが、まあ普通のお握りですね。ここのガードレールにも旧道の案内がありました。一瞬、行ってみようかと思いまいたが、先の保証がないので止めました。旧道の案内は嬉しいのですが、途中で消えていない保証が欲しいのです。

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12時37分に出発し、すぐに国道に出ました。

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国道に出て1分でまた右に入ります。ここも林道になっていて、立派な道です。でもこれが道迷いの原因でした。

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入ってすぐ左に曲がっていきます。なんの疑いも無く進んでいきました。

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すぐそのあと、こんな場所を通ったのです。林道の左側の溝のようなのが街道です。

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このときは、何の疑いも無く鎖を越えて林道を進みました。方向もあっています。また、この林道が地形図に載っていないのです。

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この後林道が右に曲がって、初めておかしいと気づきました。直進のはずだが。でも分かれ道無かったよなあ。念のためと戻って、さっきの道を見つけたのでした。15分位ロスしたかな。ともかく湿気た街道に入りました。ここは案内が欲しいですねえ。

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皆も戻ってきました。この辺、小峠と言うらしいですね。

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10分ほどで白山トンネルのすぐ近くに降りてきました。

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ここからは歩道のない国道歩きがしばらく続きます。国道の下に旧道が有ったはずですが、現在は消えています。

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国道歩き20分ほどで青山トンネルてまえのコーナーに来ました。ここで街道は国道と別れて直進します。

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ここにも初瀬街道の案内がありました。13時30分です。

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森林伐採のために広げられたらしい林道を登っていきます。

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10分弱の登りで県道512号線に出会います。ここから伊賀市で、この辺りが青山峠です。標高500mほど。

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この県道を下って、下の国道に降るつもりでしたが、すぐそこにまた初瀬街道の案内がありました。

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先の保証は心配でしたが、今回は行くことにしました。なんとかなりそうです。

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7分で国道まで降りてきました。まあ良かったですね。

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ここは、県道が国道に合流する場所です。一寸近道だったかな。

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ここで一寸記念撮影しました。本当は青山峠でしたかったけど、旧道に入ってしまったので、青山峠の表示も無かった。

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ここからも国道には歩道がありません。14時頃出発しました。

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2~3分で東海自然歩道の陸橋があります。

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この先からは歩道があります。

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陸橋から10分ほど歩いた、道路の右下に青山地蔵があります。旧道はその前を通っていたのでしょうか。

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そこから4分ほどの左側に乗馬倶楽部があります。

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乗馬クラブの先は歩道がありません。10分ほど歩くと、右手に道があり、入ると弘法大師の旗がありました。

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横道に入ると石仏があちこちに置かれています。ミニ八十八ヶ所かもしれません。

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そのまま前を進むと3分で国道に出ます。そこからは5分で西青山駅でした。

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14時37分の到着でした。後方右が青山峠です。

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西青山は無人駅ですが、東海自然歩道の案内だけがありました。初瀬街道はお呼びじゃ無いようです。それで、その東海自然歩道の案内に、初瀬街道を加えてみました。

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東青山から西青山の東海自然歩道も昔歩いたことありますが、結構しんどかったと思います。15時07分の電車で伊勢中川に戻りました、西青山駅周辺は食堂どころか、一軒の民家もありません。伊勢中川で反省会です。

15時30分に伊勢中川に着きますが、この時刻、開いているお店は殆どありません。ファミレスだけが頼みの綱です。今回はガスト。

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お疲れさまでした。次回また会いましょう。

 

 

 

 

 

 

2023年3月21日 (火)

初瀬街道2回目 河合高岡から東青山

今回は近鉄の川合高岡駅から東青山駅まで、ざっと15キロほどです。峠道は無く、里歩きでした。

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2023年3月19日(日)晴れ

10時16分、川合高岡駅到着です。今回は7人です。撮影のNさんは後程、反省会で。

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近鉄のすぐ近くに、JR名松線の一志駅があり、その前の道が旧道だそうです。

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川合高岡駅の前は県道15号線で、旧道へ移りました。10時25分頃です。

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10分ほど歩くと地蔵堂らしき建物があり、正面が逆なのでそちらに移りました。

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すぐ県道に出て、しばらく県道歩きです。左の川は雲出川ですね。1キロ弱歩いて右に入ります。

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すぐに左手に廃墟になりかけたようなお宮さんと常夜灯がありました。

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そこから5~6分、右手にセメント壁のお堂があります。覗くと薬師地蔵様です。

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県道に出て、しばらく歩きます。この辺り街道は消えています。右手に歩行者用のような小さな橋が見えてきます。街道は少し先で雲出川を渡ったようですが、その橋は無くなっているので、手前の歩行者橋を渡ります。11時12分。

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この橋は歩行者専用ではなく、車両も通れるようです。但し、歩行者優先とか。渡って堤防道路を左折して4分ほど、成福寺があります。

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真盛上人慈父母菩提寺との石柱がありますが、天台宗真盛派を開いた真盛上人は、この地域の誕生で、地域一帯に信仰者が多かったようで、多くのお寺があります。

その前に常夜灯と大仰有料橋跡の碑がありました。街道はこの有料橋で雲出川を渡っていたのですね。

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堤防道路をしばらく歩きます。15分ほどで、一志ゴルフクラブの前を通ります。そこから2分、笠置地蔵さんの摩崖仏があります。

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ここは真盛上人が幼少のころ、笠に乗せて大仰川に流されたとき、逆に上流に流れて、この地に流れ着いたという逸話にちなんでいる。川岸の岩にも刻まれ、逆着地蔵と呼ばれている。

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11時50分頃ここを出て、15分ほど堤防を歩くと亀ヶ広の桜堤に来た。

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丁度時間なので、この堤防で昼食休憩にした。桜祭りの準備の提灯などが、少しぶらさがっていた。もう1週間後だと、人出があって、こんなのんびり弁当も広げられなかったでしょう。

12時半一寸前に出発した。

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20分ほど歩くと街道は集落に入ってきます。5分ほどで近鉄の大三駅です。この辺りは二本木という宿場だったようです。角屋という旅籠がありますが、今はどなたかのお住まいのようです。

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向かい側も丁子屋という旅籠だったそうです。12時55分に大三駅前を通過しました。すぐに大きな常夜灯があります。

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で、この先が、街道が複雑に曲がりくねっているのですが、辿り切れませんでした。直進して、判りやすい所で街道に復帰しました。そこに代官所跡の看板が有りました。

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そしてそのすぐ先に山の神があります。

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同行のKさんが、何故山の神が里にあるんだ?と言います。答えられません(笑)。すぐの交差点に道案内があり、初瀬街道を確認できます。

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道標から5分、石垣の上にお寺がありますが、その下街道沿いに小さな地蔵堂があります。

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すぐに常夜灯があり、さらに10分ほど進むと、道はT字路で右折します。そのT字路に白山神社云々の石柱があります。

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右折して国道165号線に出ますが、交通量多く、歩道も無いので、嫌な国道です。左折してすぐ大村川を渡り、すぐ右折してほっとします。

道なりに田んぼの中を10分一寸進むと、右手の街道から離れた道沿いに山の神がありました。

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引き返して街道を進みます。すぐの交差点に、昔は初瀬街道の資料館が有ったのですが無くなっていました。今は消防団の建物になっていました。時代の流れですか。

その先にも初瀬街道の案内があり、助かります。

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国道に戻ると常夜灯がありました。少し国道を歩いて、一旦左の小道に入ります。また国道に出てきて前方を見ると、〇〇温泉とかの看板が見えます。その交差点を渡って旧道に入りました。

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そう思ったのですが、帰って調べてみると、街道は交差点の一寸先を入るみたいでした。14時です。交差点から10分弱、大きな常夜灯と、その先に立派なお寺がありました。

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お寺は成願寺と言って、やはり真盛上人ゆかりの寺です。石の不動明王さんでしょうか、仁王様の代りですね。

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真盛上人の幼少の頃、宝珠丸のお姿です。

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勅使門が有ったりして立派なお寺です。ここで15分以上休憩しました。出発してすぐ国道を横断します。こちらの旧道にも慈眼寺というお寺があるとの情報でしたが、ここは廃寺でした。

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14時38分、再度国道に出てくると、そこは東青山駅への入り口でした。

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今日の街道歩きはここまでです。後は反省会が待っています(笑)。駅までは登りですが、8分ほど登ると、「一の坂」の案内があり、左折しました。地道を5分ほどで到着しました。アマゴとイノシシの店です。

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なかなか好評で、もう一度来たいなという感じでした。16時45分、店を出ました。舗装道路に戻ってすぐ石段があります。これを上るのが駅への近道です。

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16時58分、駅に到着しました。お疲れさまでした。

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おわり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2023年3月 7日 (火)

鳥羽街道

私が住んでいる三重県では、鳥羽と言えば伊勢神宮の先の伊勢湾に面した旅館街を思い浮かべます。鳥羽水族館も有名ですね。でも、全国的には幕末の戊辰戦争の発端となった鳥羽伏見の戦いの方が有名ですかね。

今回はその鳥羽伏見の戦いの舞台、鳥羽街道を歩いてきました。下図を見てください。

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京都の南側の街道です。青い線の街道は、すでに歩いています。今回赤い線を歩きました。茶色の山陰道は、いつか亀岡か園部位まででも歩きたいと思っています。

今回の鳥羽街道は京都駅から京阪淀駅までで13~14キロといったところです。

2023年3月4日(土)

朝9時50分頃、京都駅に到着しました。土日なんで、やはり混んでますね。八条口に出ました。

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トイレに行ったら、こんなマーク。京都は着物姿ですね(笑)。

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鳥羽街道の起点は九条の羅城門前、旧千本通りです。そこへ向かって歩きます。

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駅南側の八条通りを西へ、油小路で左折して、今度は東寺道を右折しました。伏見稲荷さんの御旅所が角にあります。

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東寺にぶつかるので左折して、九条通りを右折して東寺の正門前を通ります。

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そのまま通り過ぎて西へ進むと、九条御土居の案内がありました。先日、御土居跡巡りをしましたが、九条は地名だけ残っていますね。

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そのすぐ先、右側に矢取地蔵尊があります。空海に射かけられた矢を防いだ言い伝えがあります。

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その奥の公園の中に羅城門跡の石碑があります。

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今回は行かなかったのですが、羅城門を挟んで東に東寺、西に西寺がありました。その西寺跡もこの近くにあります。

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さてここから九条通りを渡って、旧千本通りに入ります。10時23分でした。

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千本通りの由来は詳しくは知らないが、卒塔婆が千本有ったとかで縁起は良くないみたい。今は新千本通りが1本西にできているが、これも謂れは知らない。ともかく旧千本を南下する。10分ほどで十条通りを渡る。

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一条二条と言った、平安京名残の呼び名はここまでです。十条通りを東に2.5キロ行くと、京阪の鳥羽街道駅があります。随分離れているのに何故鳥羽街道駅と言うのか疑問ですね。

更に10分一寸で久世橋通りを渡りますが、この間特に見るべきものも無いみたいです。ただお地蔵さんは、そこかしこに有ります。久世橋通りを過ぎると上鳥羽に入るみたいです。

10時50分頃、こんな看板に出会いました。アレフ、ここにあるんだ。

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この辺りの街並みです。お地蔵さんはほんとに多い。

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11時頃、道が一寸カーブする所に恋塚浄禅寺がありました。鳥羽地蔵さんが有名らしいですが、恋塚があります。後の文覚上人である北面の武士遠藤盛遠が誤って片思いの人妻を殺害する話です。一寸お参りしました。

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この辺りの街並みです。

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11時10分、小枝橋バス停を過ぎて、名神高速の下を潜ります。

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名神高速の下を潜ると、すぐ鴨川を渡る小枝橋があります。

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今は立派な橋ですが、幕末頃はどんな橋だったのでしょうか。

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渡ってすぐ堤防道路を右折します。そしてすぐ左折するのが城南宮道です。直進すれば城南宮ですが、すぐを右折するのが鳥羽街道です。

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この石碑の裏側に鳥羽伏見の戦い発端の地の石碑があります。

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鳥羽街道を上ってきて小枝橋を渡ろうとした幕府軍と待ち構えた薩摩軍がここで戦端を開いたのが、戊辰戦争の始まりとの説明があります。

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鳥羽街道を南下する前に、昼食と城南宮参拝をすることにしました。城南宮の前を走るのが国道1号線ですが、その国道沿いのまつの屋に入って昼食を食べました。

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11時55分に出て城南宮に行きました。しだれ梅が満開とかで大変な人出でした。

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拝観には長い列ができていて敬遠しました。

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庭の横から見ただけでも、しだれ梅を十分楽しめました。

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鳥居の横に熊野詣で出立の地の案内がありました。よく読めませんが、鳥羽街道沿いに鳥羽離宮を建設し、鳥羽上皇など、そこから熊野詣でに出立したとか。なるほど。

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またその横に、鳥羽伏見の戦いの跡の説明もありました。

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城南宮を出て、鳥羽街道に戻りました。12時14分でした。先ほどの石碑のある場所です。ここから南下する左側に鳥羽離宮があったのです。

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鳥羽離宮跡に入ってみました。

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ここにも鳥羽伏見の戦いの碑がありました。

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ここには鳥羽伏見の戦いの両軍の配置が銅板で表示されていました。

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鳥羽離宮を出ると、すぐ千本通赤池の交差点です。ここも前述の遠藤盛籐の逸話や鳥羽伏見合戦発端の地として有名です。

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赤池を過ぎると下鳥羽に入るようです。交差点から7~8分下ると行者堂があり、お地蔵さんが集められていました。鳥羽街道沿いのお地蔵さんは皆化粧してもらっています。

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さらに7~8分下ると、恋塚寺があります。謂れは恋塚浄禅寺と同じです。なぜ二つあるかは知りません。

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大きな三叉路を超えると、醸造所がありました。月の桂という銘柄のようですが、開いていませんでした。残念。

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過ぎると街道は鴨川の縁に出ます。

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堤防の下に鳥羽の大石と言われる石が3個あります。二条城築城に使われる予定の石だったとか。

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堤防道路は自転車・歩行者の専用道路になっているので、そこを歩きます。

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左下の街道をちらちら眺めながら15分ほど歩くと、街道が堤防から離れます。ただ前方に見える橋の向こうに魚市場跡の石碑があるそうなので、とりあえず堤防を歩きました。

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13時02分、羽束師橋を潜りました。この手前で鴨川と桂川が合流し、桂川となります。

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橋のすぐ南に石碑はありました。この辺り横大路は、昔、草津の湊と呼ばれれ、淀川を三十石船で上ってきた荷物の集積地で、鮮魚商も多かったそうです。明治10年京都に鉄道が敷かれ、集積地は京都駅に換わったのだそうです。

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一寸引き返して街道に復帰しました。なかなか良い感じの街並みです。

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しばらく街道を進みます。13時7分頃です。

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10分弱で街道はまた堤防に登りました。三川合流点から4キロの道標がありました。三川とは桂川・宇治川・木津川で、そこから淀川となって大阪湾に注ぎます。

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一旦堤防を降ります。

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鳥羽伏見戦いの跡を書いている家もあります。子供さんでしょうか。

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また堤防に登り、少し歩くと、今度は戊辰役東軍戦死者を祀る碑がありました。薩長ばかりの碑ではありませんね。

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13時40分頃、また堤防を降りました。今度はもう登らないようです。地蔵堂があり、ここもお化粧していました。

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五番橋という小さな石橋を渡ると、もう目的の納所交差点は近いでしょう。ここにもお地蔵さん。

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13時48分、納所交差点に到着しました。ここで京街道に合流するので、鳥羽街道の終点と言ってよいでしょう。

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ここに唐人雁木跡の碑があります。雁木とは階段のことで、朝鮮通信使などが船で淀川を上ってきて、ここで上陸したようです。

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さてここに淀城跡があります。鳥羽伏見の戦いで敗れた幕府軍が、一旦淀城に入場しようとしたとき、城の家老が、藩主不在なので一存では入場させられないと断り、やむなく幕府軍は大阪城まで退却したと聞きます。

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この城主稲葉氏は春日局の子孫とか聞きました。午後2時に京阪淀駅に到着しました。私が昔、淀の競馬場に来ていた頃からみると、随分きれいになっていますね。

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京都駅に返り、一寸お土産買った後、帰路に着きました。途中、草津で途中下車して草津宿をちらり。

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ここからの草津線は一寸お客も減ってくるので、車中の楽しみもできます。

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柘植経由で亀山へ。個々の駅前再開発は最悪です。以前あった売店類はすべてなくなり、図書館ができました。

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コンビニ位一角に誘致すればいいのに、何もないのでは、我々旅人にとっては最悪です(泣)。でも準備はしてきているので、ここから我家までも楽しいひと時です(笑)。

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お疲れ様でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2023年2月21日 (火)

初瀬街道1回目

伊勢と京・大阪を結ぶ街道はいろいろあります。少なくとも5・6本はあるでしょう。初瀬街道もその一つです。下図を見てください。

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松阪の近く六軒で伊勢街道と別れて近鉄大阪線に沿って榛原へ、そこで伊勢本街道に合流しています。伊勢本街道は直線で近いのですが、山道が多く、数多くの峠を越える険しい道です。

それに対して初瀬街道は里をつないでいく優しい道です。峠は青山峠位でしょうか。なので女性にも好まれたようです。天皇の名代を務める斎王も、京都への帰路に使ったようです。

2023年2月18日(土)

山歩会仲間との今年の街道歩きは初瀬街道にしました。上の図の大和街道や伊勢本街道はすでに歩きました。第1回目は六軒から近鉄の川合高岡駅まで11キロほどです。以降、7回ほどに分割して歩く予定です。

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朝10時50分にJR紀勢本線の六軒駅に到着しました。今年から歩く距離を大幅に減らしたので、のんびり集合です。

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六軒茶屋は伊勢街道の宿場町で、多くの人で賑わったそうです。また伊勢音頭にも唄われています。

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11時頃、六軒駅を出て東へ少し歩くと伊勢街道に出会います。そこに常夜灯と道標がありました。

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伊勢街道を伊勢方面へ5分も歩くと三渡橋があります。ここ泪川は潮の満ち干で水量が変わるため、渡し乗り場が上流・中流・下流の三か所有ったそうで、三渡橋の名前の由来だそうです。

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渡った右手に大きな道標があります。「いがこへ追分」と刻まれています。ここが初瀬街道の起点ですね。伊勢街道でも最大の道標だそうです。

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その先、伊勢方面へは市場庄の街になりますが、なかなか風情がある街並みです。

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11時17分に出発して上流に向かいます。写真の橋の少し向こうで川を渡っていたようですが、今はこの橋を渡ります。

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渡って、すこし行った1本目の道へ左折して、旧街道に合流して10分ほど歩くと県道580号線にぶつかります。そこに常夜灯があると聞いていましたが、一寸壊れていました。11時36分です。

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左折して踏切を渡りますが、JR名松線です。伊勢奥津が終点のこの路線は秘境線と言われています。松阪と名張を結ぶ予定だったようですが、伊勢奥津で中断しています。先の常夜灯から10分一寸で、また常夜灯があります。

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すぐその隣が中原神社です。謂れもよく知らないのですが、とりあえずお参りしました。

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11時50分頃神社を後にして、12時に須賀領という交差点を渡りました。町並みはなんとなく街道風です。

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一般的に、他の伊勢街道に比べると、この初瀬街道は全体として昔の面影が残っているように感じます。開発がそれほど進んでいないのですね。嬉野グランド付近です。

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12時17分頃、右手にまた常夜灯がありました。

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そろそろ空腹ですが、外で弁当を食べるのは寒いので、もう少し先の、伊勢中川駅付近で食堂に入るつもりです。12時26分、小川神社が見えました。その先を右折すれば伊勢中川駅のはずです。

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神社にお参りして、そのまま通り抜けて駅前に出ました。グループも10人となると食堂も限られます。あまり小さい食堂に入ると、全員の注文ができるまで時間が掛かりすぎます。ファミレスが良いですね。COCO壱番屋に入りました。

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30分で食べて13時10分には店を出ました。街道に復帰すると小さなお堂があり、覗くと役行者のようでした。珍しいですね。

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13時25分、中村川で街道が途切れているので、県道24号線の小川橋で渡ります。

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橋を渡って忘れ井を見に行きました。

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この道筋は天皇の名代として伊勢神宮に仕える斎王が行き帰りに使ったそうです。都を想う心をここで断ち切った井戸だそうです。

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街道に戻るとすぐまた近くに秋葉権現の石造物などが並んでいたので見に行きました。

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あちこちに寄り道しているので、予定の時間から遅れていきます。集落を過ぎた二股に、初瀬街道の案内がありました。この街道は結構案内があります。

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道端にも案内が有ったりします。

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県道を越えて少し歩くと、交差点でもないのに信号がありました。なんだろうと思ったら、交互通行の信号でした。14時03分です。

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伊勢自動車道の下を潜ったのが14時18分。14時28分の川合高岡発の電車に乗ろうと思っていましたが、駄目でした。

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名松線の伊勢八太駅の近くのはずです。この辺りは一寸道が入組んでいます。なんとか小学校へたどり着きました。

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校庭に沿って歩くと、斑光寺跡とかの石碑が有り、そこで左折します。

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この辺り、八太の七曲りというそうです。14時36分。

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右折すると、もう川合高岡駅へは一直線ですね。でもまだ街道の雰囲気は残ります。

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14時42分、一旦集落を出ます。

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すぐ横を名松線が走っています。この辺り、近鉄と名松線は隣接しています。

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14時50分、近鉄、川合高岡駅に到着しました。お疲れさまでした。

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今日のご褒美は、松阪も近いので焼肉にしました。

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よく食べて、よく飲みました。皆さん、まだまだ現役ですね(笑)。

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おわり。

 

 

 

 

 

 

2023年2月13日 (月)

佐屋路から「ふたつや」の渡しへ歩く

佐屋川の水量が減り、船が通行できなくなると、旅人は陸路で佐屋から前ヶ須のふたつやの渡しへ向かいました。その陸路を歩いてみました。

スタートは名鉄尾西線の日比野駅。この近くを佐屋路は通っていたようです。

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佐屋路の終点三里の渡跡から前ヶ須へは巡見街道がありました。多分その道かなと、歩いてみました。旧佐屋川の流れにも近いです。

2023年2月11日(土)

朝9時頃日比野駅に到着しました。無人駅ですね。

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すぐ近くに由伎神社があり、お参りしました。

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旧佐屋路は現在消滅していますが、この付近を通っていたそうです。下図の青線です。

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15年ほど前にも、佐屋路を訪ねて、この辺を歩いたのですが、そのとき佐屋海道の石碑を見つけました。県道485号線沿いにあります。

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何故ここに有るのか解りませんが、今回も行ってみました。街道でなく海道となっているのが面白いですね。遠く小さく見える白い山は伊吹山です。

近くの信力寺にも寄りました。ここも15年前、イタチが2匹居たので(笑)。今回は居ませんでした。

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県道に返って南下します。最初の信号で旧佐屋路と合流します。少し歩くと鈴木家という旧家があります。近くのお地蔵さんは着飾っていました。

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須衣の交差点手前に天神社があり、お参りしました。

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交差点で右折するのが街道です。落ち着いた町並みです。この辺は佐屋宿なんですね。

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水鶏塚への道標がありました。水鶏塚は芭蕉句碑があります。

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須衣の交差点から7~8分で信号のある交差点です。ここに三里の渡跡があります。まず手前左手に佐屋舟場道の石碑があります。渡し場への道案内で、近くに有ったものを、ここに移設されています。

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その向かい側角が、佐屋代官所跡です。今は石碑のみです。

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その角を左折した向かい側の公園横に、三里の渡跡の石碑があります。昔、佐屋川はここを流れていたのですね。

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さてここから巡見街道に入ります。さっきの交差点へ引き返し、舟場道の石碑のあった細道が巡見街道だそうです。9時54分でした。すぐ阿弥陀寺という禅宗のお寺の前を通っていきます。通り過ぎてから振り返っていますが、なかなか諏のある小道です。

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名鉄佐屋駅から来る、県道にぶつかり、一寸右折して、先ほど三里の渡跡が有った道へ出て左折、南下します。すぐに国道155号線と交差します。写真下。

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ここはややこしいですが、渡って直進せず、1本左の細道へ入るのが街道です。すぐに善定坊というお寺があります。

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この門は、明治天皇が昼食休憩された佐屋宿本陣の門を移設したのだそうです。少し歩くと県道に出会います。この辺ややこしいので拡大地図を載せます。

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一旦県道を渡って斜めの道に入り、すぐ六角地蔵堂で右折して県道に戻り、10mほど歩いてすぐまた左の細道に入ります。六角地蔵堂です。

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県道から再度細道に入ると、庭に親鸞聖人の像がある法光寺です。そのすぐ先左手に観音堂が有りました。そこで一寸休憩して、服装も薄着にしました。10時27分でした。

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10時35分に出発、5分一寸でまた県道に合流しました。合流してすぐ、ブラジルというカフェの隣に釈迦堂があり、そのすぐ南に地蔵堂がありました。

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この辺で愛西市から弥富市に入ります。10時56分です。5分ほど歩くと、右手奥に地蔵堂が見えます。右折して近寄ると「五之三地蔵尊」です。

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この奥に、明治天皇が最初の東下りのとき、船が佐屋川を上れず、ここで船を降りられたという焼田湊の石碑があるので一寸見に行きました。

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翌年も来られたのですが、そのときは、ここまでも上れず、前ヶ須で下船されたそうです。その前ヶ須へは、引き返して県道を下るのですが、その道は車でよく通る道で、特に見るものも無いので、湊から過っての佐屋川に沿って歩いてみました。

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すぐ千代稲荷さんを過ぎて、東名阪の下を潜って行きますが、佐屋川の名残は無いようです。

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佐屋川は、この東名阪の先で木曽川に合流していたようです。その先はイオンタウンになっていて、直進は出来ないので、左折してまた県道に戻りました。

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時刻も11時半で、空腹になっていたので、バーミアンへ入りました。歩きはもう少しなので、早めにご褒美を頂きました(笑)。

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この店は、ウエイトレスとロボットが共存して料理を運んでいました。

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一寸買い物もして、12時40分頃出発しました。右カーブする県道から離れて直進し、JRと近鉄の下を潜って行きます。

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そして前ヶ須西の交差点で国道1号線を越えます。

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12時55分、ゴールの「ふたつやの渡跡」に到着しました。お疲れ様でした。

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2023年2月 6日 (月)

明治の東海道を歩く

前回、東海道の変遷で書いた明治の東海道を歩いてきました。桑名市の東の端、尾張大橋の西詰から木曽川を渡り、弥富市、蟹江町を経て名古屋市港区のバス停「知多」まで15キロほどです。

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弥富市のホームページにも、明治の東海道散策コースが載っていました。いままで我が家から近すぎて、見たこともありませんでした(笑)。

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2023年2月4日(土)

朝8時過ぎに、尾張大橋にやってきました。東海道の石碑があります。尾張大橋は1キロ近くあります。これを渡っていきます。

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渡ってすぐ右折して、ふたつやの渡跡に来ました。8時半ごろです。

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歩き出したのですが、道を間違えて川沿いを歩きました。気が付いて修正しました。そこに弥富町の道路元標の碑がありました。明治5年、新東海道が熱田から前ヶ須に敷かれ、前ヶ須は宿駅となりました、ここには海西郡の役所が置かれたそうです。

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そのすぐ近くに蓮如堂があります。真宗本願寺中興の祖と言われる蓮如が、いつここへ来たのか知りませんが、ここには新東海道と前ヶ須に尽くした村田惣之助の墓がありました。

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蓮如堂から15分ほど歩くと、村田医院という立派な医院と母屋があります。この近くに山口誓子の句碑などがあるらしく、探したのですが見つかりませんでした。探す所間違えたかも。

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そこから2分ほど歩くと、塀に金魚の絵が描かれていました。そうそう弥富は金魚で有名ですね。

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八幡神社を過ぎ、立派なお寺を見ながら歩きます。十一面観世音菩薩と書いてありました。

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右側に大きな御神木がある神社は六条津島神社のようです。新田が拓かれたとき、守り神様を皆祀ったのでしょうね。

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9時35分、こどもの国北の交差点を左折します。すぐ右手に弥勒寺があります。多分住職とお寺の方が庭を掃除されていました。会釈して一寸休憩させてもらいました。

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ここは樹木葬を営んでおられるようでした。一寸墓地を覗いてみました。弥勒寺から10分弱歩くと、左手に孝女そよ宅跡の石碑があります。

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親孝行で有名な娘さんが居たそうで、さきほどの弥勒寺にお墓もあるそうです。次の交差点で、1本南の道に入るのが街道のようです。

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八大竜王をお祀りした烏の池が右手にあります。江戸時代の洪水でできたため池で、唯一現在に残っているとか。

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その先に秋葉堂があり、阿弥陀像が弥富市の文化財に指定されています。

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10時12分、子宝橋を渡ります。

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渡るとすぐ右折します。この辺りも街道の面影残る街並みです。

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子宝橋から10分弱、左手に明治天皇小休所の石碑があります。通りかかった地元の人が、親切にいろいろ説明して頂きました。

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当時の家屋や庭がそのまま残っているそうです。写真左側の家。諸国の街道を歩いていると、こんなところまで明治天皇は来られていたのかと驚くばかりですが、こんな近くにも有ったのかと、新たな驚きです。

その少し先に「山神社」という珍しい名前の神社があり、そこの老松は、伊勢湾台風で唯一生き残った松だそうです。

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10時38分、尾張中央道を渡りました。東蜆はヒガシシジミと読むようです。10時40分頃です。

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この先も、なかなか風情のある街並みが残っています。

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この付近のお地蔵さんも、大事にされているようです。

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亀ヶ池のバス停を過ぎると、道は直角に左折します。

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道沿いに八剱神社があり小休止しました。11時頃で小腹も空いていたので、非常食に持っていたパンを半分食べました。

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11時10分頃出発しました。5分で善太橋を渡ります。

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続いて日光大橋を渡ります。

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最後に河合小橋です。

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ここまでくると、もう蟹江町に入っていますね。河合小橋を渡るとすぐ右折します。まあ東海道の風情です。

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10分ほどで、今度は福田川を渡ります。

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渡ったすぐ右下に、茶屋後神明社というのがあります。尾張藩に仕えた豪商、茶屋四郎次郎縁の神社だとか。見に行こうと思いましたが、入り口が離れているので止めました(笑)。

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とこどころの地蔵さんを見ながら15分ほど歩くと熱田社があります。

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丁度12時近いので、当初予定では、この辺りで東海通へ出て昼食の予定でした。でも先ほど食べたパンがお腹に残っているのでやめました。最後まで歩くことにしました。3分で戸田川を越えます。

左手の神社の奥に明治天皇の石碑があると思っていたので、探しに行きました。春田野神明社です。

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福田新田開発の責任者だった鬼頭景義が難工事を乗り越えるため、伊勢神宮から分霊を勧請した神社で、この地域の産土神として崇敬を集めています。でも明治天皇碑はここではありませんでした。

さらに一寸行った、高速道路沿いの南陽社の奥に明治天皇行在所の石碑がありました。

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南陽社はこの地域の日清日露戦争の線墓地者を祀っています。石碑の横の建物は、鬼頭義景の邸宅跡だそうです。

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まあこれで、今日見たい史跡は見終わりました。12時20分頃です。名二環の下を潜って西へ進みます。すぐ左に由緒ありそうな地蔵堂があり、その奥に神明社があります。

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12時35分、南知多の交差点に来ました。すぐ左に知多のバス停があります。今日の予定はここまでです。

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実は、ここから新川の堤防に突き当り、左折して日の出橋・明徳橋を渡って明徳橋バス停まで、前回百曲街道を歩いたとき、時間が余ったので歩いておいたのです。

前回の軌跡です。明徳橋のバス停から、明徳橋と日の出橋を渡り、左折して新川沿いに歩き、天王社で右折して東海道に入りました。

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知多南の交差点で右折、日の出橋のバス停から帰りました。明徳橋から見た日の出橋。

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新川沿いの道

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天王社で右折

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なんとなく街道の雰囲気

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ここからは街道はまっすぐ1直線です。

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今日は知多バス停から八田駅行きのバスが有ったので、それで帰りました。

今日のご褒美はこれです(笑)。

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お疲れ様。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2023年2月 2日 (木)

国道東海道の変遷

江戸時代以前、東海道を通る旅人は、木曽川、長良川、揖斐川の木曾三川をどこで超えるかが大問題でした。江戸時代に入ると、熱田の宮から船で海へ出て、直接桑名へ渡る七里の渡しが開設されました。およそ4時間で渡ったそうです。

ただ海路は天候に左右され、欠航もしばしば、また船酔いやトイレなど、問題も多く抱えていました。1626年、将軍家光が、上洛からの帰途、この渡しで船酔いしたとの記録もあるそうです。

そこで1634年、熱田から美濃路で北上し、尾頭で美濃路と分かれて、岩塚・万場・神守そして佐屋へ至る佐屋街道が開設されました。

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佐屋からは佐屋川を水路で下り、木曽川から長島の鰻江川の水路を通って桑名へ至る三里の渡しが開設されました。この街道は1666年には幕府道中奉行の管轄となり、五街道並みの扱いとなりました。

この佐屋路は幕末まで結構使われたようです。でも徐々に佐屋川の水量が減少し、船の運航が難しくなっていました。明治元年、明治天皇が1回目の東下りの際、この佐屋路を使われましたが、船が半分ほどの焼田港までしか上れず、そこから陸路を使われました。

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翌年の2回目の行幸では、更に悪化して、佐屋川入口の前ヶ須までしか船は入れませんでした。当時は江戸初期と異なり、現在の名古屋市港区周辺は、遠浅の海が干拓され新田になっていました。したがって、前ヶ須までは佐屋まで遠回りする必要もなく、熱田から直線的に来ることも可能でした。

そこで明治5年に新しく前ヶ須街道が完成し、明治9年に正式に佐屋路に換わって国道東海道となりました。図再掲。

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但し、前ヶ須から桑名へは、まだ陸路は無く、木曽川を「ふたつやの渡」で渡り、揖斐・長良川も渡しがありました。

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この国道東海道は、昭和8年に尾張大橋が完成し、翌9年に伊勢大橋が完成して、現在の国道1号線が東海道となるまで60年余り1級国道として国の幹線道路でした。ふたつやの渡を渡った長島側に明治25年建立の、東海道の石碑があります。

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現在この国道東海道は「東海通」という名前だけで残っています。熱田から庄内川の明徳橋までは旧道は消滅しているようですが、その先は前ヶ須まで、現在の東海通の南側に残っているようです。

近いうちに歩こうと思っています。

 

 

 

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