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2024年12月 1日 (日)

地形図を捨てる

最近は腰痛が再発して歩けないので、家近くの散歩に留めています(-_-;)。街道トレッキングのネタが無いので、地形図の話でも(笑)。

私の学生時代、今から63~4年前は五万分の一の時代でした。その頃は山が主体で街道歩きはしていなかったので、五万分の一で充分でした。市街地と違って一本道が多いので、地形さえ読めれば良かったのです。

社会人になって30年ほどは活動の休止期間です。還暦前になって熊野古道や街道歩きにはまりました。その頃はもう二万五千の時代でした。街道歩きで市街地を歩く場合、五万では旧街道を辿るのが無理でした。二万五千なら、なんとか。その頃から買い貯めた地図は、マップケースに保管していました。

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10年位掛けて、中辺路・伊勢路・大辺路・小辺路・大峰奥駆などの熊野街道や、東海道・中山道を歩くため地形図を買いました。でも、その頃から、地図はネットから必要な部分をダウンロードして使うようになり、地形図を買うことはなくなりました。書店にも地形図置き場はなくなったように思います。

それで、今回、デッドストック化している地形図を、マップケースごと捨てることにしました。

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結構あります。一つ一つ見ると思い出が詰まっていて捨てにくいのですが、思い切ることにしました。マップケースの分類を見てみましょう。

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三重県は伊勢参宮道、熊野街道伊勢路、紀伊半島横断の伊勢街道類でしょう。和歌山は熊野街道いろいろですね。奈良も熊野街道と柳生街道、山野辺の道などでしょうね。

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東海道、中山道は早くに歩いたので地形図があります。甲州街道・日光街道・奥州街道などは、もうネットの時代ですね。その他も結構面白いです。奄美大島南部、沖縄のやんばる、西表島など離島歩きが多いですね。

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いずれも思い出ばかりですが、今回、粗大ごみと可燃ごみに出されてしまいました。

さようなら。

 

2024年11月 6日 (水)

熊野街道伊勢路 馬越峠越へ

2024年11月4日(月)

9時43分に多気をでた新宮行の普通列車は11時に紀伊長島に着きます。

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ここで11時28分まで何故か停まります。この時間を利用して、駅のホームのベンチで昼食弁当を食べることにしました。その時の出来事ですが、我々グループの傍で、一人でお握りを食べていた乗客が、鳶に襲われました。お握りを盗られたのです。鳶が人間を襲うのを初めてみました。熊の鈴は持ってきていますが、鳶対策はしていません。紀伊長島の鳶は怖いですね。

11時49分に相賀に到着しました。

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上の写真、中央右の鞍部方向が馬越峠方面です。今日は9人がメンバーです。

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今回は相賀駅から馬越峠325mを越えて尾鷲駅まで8~9キロのコースです。

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11時53分に出発しました。5分ほど歩くと相賀神社があります。この南北の通りが熊野街道です。

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左折して、一寸神社にお参りしてから、銚子川方面に進みます。川の手前に真興寺というお寺があり、江戸時代に街道沿いに有ったという蛤石の道標があります。今回寄りませんでしたが、前回写した写真を載せます。

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銚子川に突き当たって右折、国道42号線を横断して、川沿いに進むのが熊野街道です。すぐ右手に何か神社というか祠があるのですが、謂れは解りません。12時10分です。

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銚子川は透明度が良くて有名ですが、「ゆらゆら滞」というのも有名です。川の水が海水の上に乗り上げて、混ざらず、2層に分かれます。その分かれ目が水中で見ると、陽炎のように、ゆらゆら揺れるので、ゆらゆら滞だそうです。その川沿いを進みます。

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12時半ごろ、便ノ山橋で銚子川を渡ります。往時は渡し船があったそうです。

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もう少し上流に進むと、宝泉寺というお寺があり、種まき権兵衛の確かお墓がありました。橋を渡ってJRの踏切を越えると、馬越峠の案内があったので、狭い道を登りました。

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3分ほど登った、国道42号線の手前に、発掘石畳の案内があります。

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国道に出ると、すぐ左が峠の登り口ですが、横断歩道が無いのが困りますね。馬越峠へのハイカーは、古道から来ず、道の駅から来ると思っているようですね。

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12時40分到着で、5分ほど休憩しました。下の写真の石畳は最近作られたものです。古い石畳はもう少し上からです。

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峠道の説明板もあります。ここは標高59m、峠は525mだそうです。

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下図が馬越峠の地図です。

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12時45分に出発し、新しい石畳を3分ほど登ると、古い石畳に入ります。

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立派な石畳ですね。熊野古道の中でも、石畳の美しさは馬越峠が一番と言われています。馬越峠までは1.7キロ、標高差275mです。世界遺産の道標みたいなのがあって、13/22が峠です。

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1.7キロを13で割ると130ですが、130m毎に、この道標があるのかな?20分ほどで夜泣地蔵に着きました。一寸休憩。

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下ってきたトレッカーの方が、「この先は滑りやすくて危険ですよ」と言っていました。昨日今日は晴れていますが、その前は豪雨でした。北側斜面はなかなか乾かないんですよね。下りの尾鷲側は、乾いていると良いんですが。

この先も、立派な石畳が続きます。1枚岩の橋はこれだったかな。

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5~6分の休みで出発し、石畳を登ります。谷の水も結構多くて、石畳にあふれている場所は、慎重に進みます。傾斜の急な場所も有り、25分ほど登って、疲れたので休みました。

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でも、もう2~3分登ると、林道交差があり、展望も開け、ベンチもあったのでした。

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峠から便石山へ延びる尾鷲トレイルの道や、その奥の大台ヶ原らしい山並みも見えます。それと、我々が休憩した辺りに、一里塚の石組みが有ったみたいですが、気が付きませんでした。

ここから峠まで540m15分の案内があります。13時45分に出発しました。傾斜は緩くなり、10分一寸で小さな切通しがあります。

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この辺りが11/22です。丁度14時に馬越峠に到着しました。お疲れ様でした。

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ここから30分登ると天狗倉山の頂上で、梯子で岩に登ると、尾鷲湾一望の絶景ですが、我々は登りません(笑)。

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15分休憩して14時15分に降り始めました。滑らないことを祈ります。20分で桜地蔵です。

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更に7~8分下ると、東屋の案内があります。天狗倉山の代りに、ここから尾鷲の街を眺めましょう。

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火力発電所の跡地が目につきますね。再開発の計画は有るのでしょうか。

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10分ほど展望を楽しんで、14時57分に復帰しました。そこから7分で尾鷲側登り口でした。

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行者堂の横から2~3分入ると、不動の滝があり、不動尊が祀られています。立派な滝でみな喜んでいました。

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馬越公園にに熊野街道伊勢路の道標があります。新宮まで66キロとか。

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伊勢の外宮前に新宮まで確か180キロの道標があったので、尾鷲の市街地まで降りれば、内宮からは3分の2歩いたのかもしれませんね。

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尾鷲から先は、八鬼山越の難所もあり、伊勢路のハイライトではありますが、我々ロートㇽの伊勢路は尾鷲までとします。つまり今回が最終回です。

15時20分に公園のトイレを出発して、7~8分歩くと、車道を横断します。更に2~3分下ると、野口雨情の詩碑があります。この辺から振り返ると、天狗倉山がきれいに見えます。

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墓地に入り下って行くと、右側に宝永大津波の碑があります。500人とか千人とか、亡くなられたそうです。六地蔵があり、すぐに徳本上人の銘号碑があります。

その先で車道の下をくぐりました。15時42分。

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2分で北川橋ですが、今回は橋を渡らず、右折して尾鷲神社に向かいました。

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途中の金剛寺の山門も立派ですね。一寸謂れは知りません。

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道沿いの川に、幟を飾っていたので、お祭りですかと訊いたら、近々ウオーキングイベントがあるので飾っていると言いました。尾鷲ツーデイマーチとかですかね。

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尾鷲神社に今回の伊勢路無事到着のお礼をしました。

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尾鷲神社は須佐之男命が主神で、馬越峠と八鬼山の間に有り、旅人も合戦に行く武将も祈りを捧げたそうです。その名残がやーや祭りとか。

神社から尾鷲駅までは15分ほど。駅前の居酒屋「鬼瓦」さんで反省会です。

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鬼瓦さんは尾鷲の魚が売り物の大衆割烹とか。

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皆さんも一応満足したようでした。そのお隣に大吉と言う焼き鳥屋さんがありますが、店主の〇〇さんには、いつも古道歩きではお世話になっています。今回は魚なので、お隣に移りましたm(__)m。

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18時18分の南紀8号で帰途に就きました。皆さん、ぐっすり眠っていたようです。私も多気まで寝ていました。

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その後、常備品の酒肴で、一人小宴を催しながら、帰途に就きました。

山歩会街道グループの皆さん、一年間有難うございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年10月 7日 (月)

熊野街道伊勢路7回目 始神峠越へ

今回は、発電所前バス停から始神峠を越えて相賀駅まで、12キロ~13キロの行程です。

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始神峠からの眺望は紀の松島と言われた海を見渡し、伊勢路随一の景色と言われたそうです。

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2024年10月5日(土)

台風17号は去り、18号は熱低に変わりました。でも秋雨前線が上下して、判り難い天気でしたが、今日はなんとか曇りです。

南紀1号で10時18分に紀伊長島駅に到着。今日は9人です。

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駅前に行幸碑がありますが、昭和26年に昭和天皇が来れた碑だそうです。

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JRは11時28分まで無いので、バスで行こうと、国道沿いに有る紀北町役場前のバス停まで700mほど歩きました。バス停で時刻表を見ると、松阪~熊野の熊野古道ラインが無くなっているではありませんか。10時44分にあるはずだった令和4年の時刻表は、いつ廃止になったのか。

次は11時27分の尾鷲行きまで43分待ちでした。紀伊長島はタクシーも無いみたいで途方に暮れました。諦めて、ここで弁当を食べ、次のバスを待つことにしました。国道の何もないバス停で、皆さん弁当を食べて1時間弱過ごしました。

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なんとかバスに乗って、発電所前到着は11時47分。当初予定から50分遅れでした。

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桜広場にはトイレと峠の案内があります。

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案内板では峠まで1.7キロ40分と出ています。

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11時56分、桜広場を出発しました。6分で発電所の横を通ります。

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そこから2分で江戸の道登り口です。また、ここから世界遺産区域のようです。

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明治の道は国道の反対側にありますが、世界遺産には登録されていないようです。発電所の送水管の性かな。峠越の拡大図を載せます。

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ここからしばらくは小さな沢沿いの小道を進みます。小さな木製の橋が5か所あります。雨上がりは滑るので注意です。

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また雨水を道から逃す石組みが随所に有ります。江戸時代も技術高かったようですね。

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登り口から15分、勾配がきつくなってきたころ、国道に接近します。国道まで50mの案内があります。

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更に7~8分登ると、世界遺産に設置される木の道標があります。16分の7です。

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江戸の道の登り口から峠を越えて下り、国道付近までが1.6キロで、現在0.7キロという意味かな。始神峠は16分の10なので、ここの場合は7合目と考えても良いね(笑)もう少し登ります。

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12時40分頃峠に着きました。標高は147m、桜広場から44分です。まあまあかな(笑)。

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絶景を見ながら休憩しました。

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地形図で見るとこんな感じです。

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峠のすぐ下が、明治の道との合流点です。

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ここを12時50分に出発しました。当初予定では12時30分だったので20分遅れです。バスは50分遅れですが、弁当を先に食べていたので、30分回復しました。1分で江戸の道の下りがあります。

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でも我々は、ここから明治の道を下ります。江戸の道はここから600mほどの急こう配で下って、あとは馬瀬まで国道歩きです。明治の道は2キロほどかけて宮谷池に降ります。広く緩やかな良い道です。

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でも雨上がりの道は滑りやすく、慎重に下ります。それでも2人が転倒しました。

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13時12分、大曲の又谷

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宮谷池到着は13時32分です。40分一寸掛かっていますね。2キロが40分以上掛かった訳ですね。皆さん、もっと歩いたように感じると言っていました。

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宮谷池を過ぎて小さな集落を過ぎると立派なトイレがあり、ここが馬瀬側登り口かな。峠へ2.5キロ、国道へ0.7キロの案内がありました。

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一寸トイレ休憩して13時43分に出発しました。10分ほどで国道の大船橋が近づきました。旧道はここで川を渡っていたのですが、今は国道の橋を渡るようです。

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馬瀬から先の地図を再掲します。

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馬瀬のバス停で国道を渡り旧道に入ります。13時58分。

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旧道を15分ほど、JRを潜って線路沿いに歩くと、また踏切でJRを越え国道に帰ってきます。ここは信号も無く、地下道を潜ります。

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5分ほど旧道を歩くと国道に帰り、すぐ国道を渡るよう「熊野古道」の案内が地面にあります。渡ってすぐに船津川の橋があります。

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両郷橋を渡るとまた左折の案内があります。案内に従って旧道を歩くと、国道に戻ってすぐまた旧道に入ります。そこに庄次屋さんという古民家があり、古道客をもてなしてくれるそうです。民家には入りませんでしたが、小休止しました。14時26分です。

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5分ほど休憩して出発しました。国道に出て少し歩くと船津駅前のバス停があります。14時43分頃です。更に12分ほど歩いて国道を渡り、右に旧道に入ります。入るとすぐ八重垣神社があります。立派な神社ですが、謂れは知りません。

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ここは遥拝で済ませて先へ進みます。2分で、海山町郷土資料館です。熊野古道の道標もありますねえ。

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ここは見学しようと思いましたが、皆さん疲れて乗り気でないようなので通過しました(笑)。往古橋を15時3分頃渡りました。

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中新田のバス停が15時15分。

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すぐまた旧道が右に分かれます。10分ほどで国道に戻り、今度は船津の集落へ入ります。また10分ほどで国道が見えますが、手前に河童伝説の案内がありました。

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国道へ出て5分ほど歩くと、紀勢道の海山ICです。15時42分にインター入口を通過しました。

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ここまで来ると相賀駅までは1.5キロでしょうか。この付近は過って三交の道の駅が有ったのですが、船津川が溢れた洪水で浸水して、閉店になってしまいました。

17時02分のJRに乗るので、それまでどこかで反省会がしたいのですが、適当な店が無いので近くのスーパーで食料を調達して、駅のベンチで飲むことにしました。

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一寸時間が有るので、相賀神社にお参りしました。16時20分。

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乗りたかった熊野古道ラインのバスが無くなっているので、次回、ここから鷲毛までを割愛する可能性もあるので、久しぶりに見たかった蛤石を見に行くことにしました。

調子川の近くに有る真興寺まで7~8分歩いて行きました。

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この蛤石は、かって熊野街道沿いに道しるべを兼ねて置かれていたらしい。16時35分頃相賀駅に着き、一寸一杯頂きました。帰りの列車の車内でも、ひっそりと頂きながら帰りました。

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皆さんお疲れさまでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年9月10日 (火)

熊野街道伊勢路6回目 紀伊長島~三野瀬

7月8月は熱中症予防でお休みしていましたが、9月から再開です。でもまだまだ暑い(笑)。

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伊勢の田丸から歩いてきたのですが、今回から初めて海沿いです。今回を含めて3回で尾鷲まで行き終わる予定です。尾鷲から先は伊勢路のハイライトですが、我々ロートㇽには無理かなと(-_-;)。

2024年9月7日(土)

今回からは南紀1号で紀伊長島に10時18分に着きます。この先は交通の便悪く、自家用車で来ない場合は1泊するのがお勧めですが、我々は、なんとか日帰りにします。今日は12名です。

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今回は紀伊長島から魚町をとおり、加田教会から一石峠に入ります。

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10時28分に出て、駅前を左折して街道に入ります。踏切を渡り、少し歩くと長島橋です。10時36分。

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渡ると道標がありますが、よく読めません。

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通り越して魚町に入ります。地面に熊野古道の案内があります。

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左側の海が長島漁港で、長島のメインストリートだったと思いますが、今は寂しいです。

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10時51分、通り抜けると道標があり、「右くまの道」とあり右折します。

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すぐに長島神社の前を通ります。

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10時58分に国道に出て、左折すると長島の交差点です。前方左の建物は「三重熊野古道商工会」です。

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通り過ぎると長島湾の内海「江の浦」です。前方の橋は、船の通行時、上下するそうです。

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11時11分、造船所を過ぎると、右手に踏切があり、その向こうに道標地蔵さんがあります。

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我々は荷坂峠を越えて紀伊長島に入った訳ですが、江戸時代初期以前はツヅラト峠が普通で、その後、島地峠を越えて、ここへ出てきたようですね。ここから10分一寸で加田教会があり、その前の干物屋さんの先を左に降りていくのが街道です。

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踏切を渡り、3分ほどで一石峠の登り口?があります。熊注意の案内もあります。

 

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更に3分登ると一石峠への案内板があります。

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ここで5分ほど小休止して、11時35分頃登り始めました。10分の登りで一石峠です。

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一寸先からは海野の街と熊野灘が見えます。

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峠から7~8分で車道に降りてきます。

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車道を右折して3~4分、11時58分頃、国道の1本手前の道を左折して、古里の集落に向かいます。

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古里は日帰り温泉?があり、民宿や料理屋さんがあります。私も浴場に入ったり、民宿に泊まったことがあります。

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12時10分に古里海岸に着きました。ここで昼食休憩しました。

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ここは海水浴場ですが、9月になるとお客は居ないようでした。ここまで1時間40分、気温は32~33度と思うのですが、皆汗びっしょりで、まだまだ歩くには暑いですね。

12時半には出発しました。反省会の時間が足りないのを皆さん知っているので、昼休みも短いです(笑)。国道へ出て左折します。15分ほどで道瀬トンネルに来ました。ここでトンネルは潜らず、左のサボ鼻道に入って行くのが街道です。

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20年前は入口のホテルが営業していましたが、今は廃業しています。

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サボ鼻道に入るとすぐ展望台があります。

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紀の松島と言われる熊野灘がきれいです。

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15分程度で半島を廻って、道瀬側へ降りてくると若宮神社があります。その前に赤い橋が架かっているので、それを渡ります。

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道瀬海岸は特に何もないのですが、昔ダイビングショップがありました。その名残が、シャワー室のドアに残っています。

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堤防の上をずっと歩いて、13時17分、三浦峠の入口に来ました。

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ここで一寸、一部メンバーが遅れがちなので提案しました。この先の三浦峠を登ると最後の居酒屋での反省会の時間が無くなる。なので、メンバーを峠組とトンネル組に分ける。そうすれば皆、ゆっくりビールが飲め、本末転倒にならないと(笑)。どちらに入るかは本人次第。

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ここで分かれました。13時25分。なんと6人ずつ二組になりました。トンネル組は、この5人と私です。

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トンネルは涼しくて平坦です。皆、元気を取り戻しました(笑)。

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13時35分、トンネルを出て、国道を渡り、三野瀬駅へ向かいます。

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5分ほどで峠組が降りてくる道が合流します。

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13時45分、三野瀬駅に到着しました。

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峠組に電話すると、三浦峠を越えて下りに入っているそうでした。登り口から20分ですね。峠組の記念写真です。

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駅前には何も無いので、少し休憩した後、先に居酒屋へ向かうことにしました。13時50分頃です。14時02分、国道に出ました。

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国道を右折し川を渡ると、すぐ祠がありました。

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14時08分、無事に発電所前バス停の手前に有る、居酒屋さんに到着しました。峠組も14時20分過ぎには到着しました。

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お疲れ様でした。

 

 

 

 

 

2024年7月15日 (月)

熊野街道 一寸リベンジ

4月の熊野街道伊勢路、三瀬谷から阿曽のとき、下図青線の三瀬坂峠を越え里側登り口の手前で転倒骨折しました。

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なんとか里側登り口まで降りてきましたが、そこでリタイアしました。今日はそのリベンジです。

2024年7月13日(土)

このところ酷暑の日が続いていましたが、なんとか梅雨の合間の曇天の日を見つけて歩くことにしました。そのときお世話になった居酒屋のママさんにもお礼が言いたいので、夕方、阿曽に着きたいので、12時頃三瀬谷駅に着くよう計画しました。

多気駅前のコンビニでお握りを買って、一寸腹ごしらえ。

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横に変なものがあるって、まあ今日はのんびりした旅ですから(笑)。12時一寸前に三瀬谷に到着しました。予想外に小雨模様です。

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三瀬谷駅は道の駅奥伊勢大台と隣接しているのですが、そちら側には出られません。なんとも商売気の無い、街づくりですね。

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道の駅の反対側に出ます。

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12時なんて、こんな時間に来ることはないので、駅前の商店は知らなかったのですが、この日はタクシーが2台、特急南紀の客待ちをしていました。1台は客を拾いました。

駅前の食堂が開いていました。

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熊野街道沿いの旅籠だった大黒屋さんも食堂を開いていました。

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その向かい側の、ラーメン一富士さんは、噂どおり行列ができていました。びっくりです。

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ぐるっと回り込んで、道の駅へ行ってみました。12時13分でした。駅から12分ですね。

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ここは食堂もありますが、そこそこです。20年位前は、串本や熊野のダイビングに通っていたので、ここは年に何度も通りました。12時20分に街道に復帰し、舟木橋を渡りました。12時24分。

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雨もパラついています。前回は渡ってすぐ県道を左折したのですが、今回は三瀬坂峠を割愛して、国道42号線で、里側登り口へ向かいます。先ほども言ったように、この道は車では何十回も通っていますが、歩くのは初めてです。

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国道に入って5~6分歩くと紀勢道の大宮大台のICがあります。そのそばの十割そば屋さんも入ったことあります。

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左側には庚申さんと何かの祠が二つありました。車で通っては気が付かない祠です。

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ICから10分弱歩くと、駅弁で有名なドライブインあら竹があります。ここも何回か立ち寄った覚えがありますが、当時から客足は少なかったですね。今日も照明は点いていますが、閉まっているような。

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荒竹から5分で滝原北の信号があり、右側へ渡ります。

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信号から3~4分歩くと右側に丸太ん棒というレストランがあります。ここも時々立ち寄りましたが、当時から人気のレストランでした。今も流行っているようですね。

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そのすぐ先が三瀬坂峠の里側登り口です。この辺り、里という集落のようです。

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前回はここでリタイアしました。なので、今回はここがスタートになります。この一寸先で、街道は右に入って行きます。12時57分でした。写真の国道沿いの左側に見えるのが、じびえ料理の「いとう」さんで、前回タクシーを呼んでもらって、お世話になりました。

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街道はぐるっとカーブして、再び国道を渡ります。

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6分ほどで国道に戻ってきました。

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渡ると滝原宮まで800mの案内があります。情緒ある道筋ですね。

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13時12分に滝原宮の境内の端に着きました。なんとなく、厳かな雰囲気です。

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その左角に足神さんの祠がありました。

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ここから300m先に滝原宮の入口があります。静かな参道を行きます。

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1時間余り歩いているので、参拝の前に、道の駅きつつき館で休憩しました。ここも何回もお世話になっています。

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20分ほど休憩して滝原宮の入口に来ました。13時40分です。ここは元伊勢伝説のある、伊勢内宮の別宮です。

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上の写真の右の道が熊野街道です。宮内庁の守衛さんが居ます。参道は巨木が連なり、内宮の参道を思わせます。

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五十鈴川に見立てた手洗い場もあります。ここは頓登川(とんどがわ)ですが。

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参道の巨木です。樹齢400~500年の杉です。内宮と似てますねえ。

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滝原宮には4つの神殿があります。天照大御神の和魂と荒魂をお祀りする滝原宮と並びの宮、あと若宮と長由介神と川島神が御同座される神社です。今回は丁寧にすべて参拝しました。

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ゆっくり30分かけて出てきました。そこに元伊勢伝説の謂れを描いた絵があります。

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左折して街道に入り頓登川を渡ります。14時14分です。道は街道の風情が残り、古民家を利用したカフェなどがあります。

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三叉路に、熊野古道や近畿自然歩道の案内があり、地元のこんな案内がありました。

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この最後の祝詞山という名前に一寸ひっかかりました。実は先ほどの元伊勢の絵に祝詞山が有ったのです。

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それで帰ってから一寸調べてみました。祝詞山554mでした。

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それはともかく、この辺り、立派な民家が続きます。

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14時35分頃、大紀町の役場の前を通過しました。

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合併前は大宮町・紀勢町・大内山町ですね。

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役場から4~5分で歩道橋があり、国道42号線を渡ります。

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渡ってすぐ右下へ街道は分かれますが、そこに新宮まで122キロの熊野街道の道標があります。4キロごとに建てられた現代の一里塚ですね。

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この辺まで来ると、目的の阿曽温泉まで残り3キロです。4時に着けばよいのですが、現在14時40分。30分位余る勘定ですね。ゆっくり行きましょう。この辺り、長者野と書いて「はぶがの?」と読むみたいですね。

10分ほど歩くと、謂れありそうな岩がありました。

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覗いてみると鳥居があり、神社になっていました。後ろの大岩がご神体らしいですね。

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15時頃、前方に大宮小学校が見えました。

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前を通り、中学校の前も通ります。過ぎると三叉路があり、いろいろ道標があります。

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右手角が滝原ふれあいの里公園になっていました。時間調整も兼ねて、ベンチで休憩しました。

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雲行きが怪しくなってきたので10分弱の休憩で出発しました。車道を5分歩くと、街道は右に分かれます。

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分かれるとすぐ左に地蔵さんの祠がありました。

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その右手の石碑ですが、「道譽」という字が読めます。佐々木道譽か道譽上人に関係あるのでしょうか。道は国道の下を潜り、勝瀬の集落に入って行きます。

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すぐに国道に合流します。

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3~4分国道を歩いて左に分かれます。5分歩くと紀勢線の踏切があります。

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この辺りはもう阿曽なんでしょうね。踏切を渡った左側に、木立に隠れるように石灰華の遺跡があります。昔温泉が湧いていた印だそうです。

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15時44分に阿曽温泉に着きましたが、一寸早いので、阿曽観音堂を見に行きました。7~8分歩いて大内山川を渡ります。

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観音堂は橋を渡った向こうにあります。22年前にもお参りした記憶がありました。

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引き返して温泉に入ります。

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ここは初めて入ります。小学校の建物を利用して作ったそうです。

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以前は食堂も有りましたが、コロナで閉店したとか。30分ほど浸かって、湯上りのビールを飲みに行きました。

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近くの国道沿いの居酒屋さんで、4月の骨折のとき、滝原まで車で迎えに来てもらいました。翌月大内山では、良い反省会場が見つからず、ママさんの友人の家を借りて出張販売をしてもらいました。

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いろいろお世話になったので、そのお礼も言いたくて時間を合わせました。18時半の列車に間に合うように阿曽駅に着きました。

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一寸飲む時間も制限があったので、途中のコンビニで補給してきました(笑)。

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久しぶりに歩いて楽しい1日でした。

 

 

 

 

 

 

 

2024年6月 3日 (月)

熊野街道伊勢路5回目 大内山から紀伊長島

2024年6月1日

10時50分頃、大内山駅に到着しました。今回は13人、ほとんどオールスターキャストです。

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大内山駅の標高は173mだそうです。荷坂峠の標高は241mなので、68mの登りですか。

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でもまあ、国道42号線沿いに5キロ以上歩いて68mなので、実際は平地みたいなもんですけど。

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10時57分に出発、街道に入るとすぐ、「中組の常夜灯」があります。

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明治8年に作られたものらしい。木造の常夜灯は珍しい。すぐに国道に合流し、10分弱歩くと、大内山牛乳の像があります。車で42号線を走ると、目につくモニュメントですね。

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ここで国道を渡り、左側を歩きます。紀勢道の下を潜ります。10分ほど歩くと、大内山大師堂の看板があります。

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この大師堂ですが、20年以上前に見てから、もう何回も通っているのですが、いまだに所在が解りません。最初は、もう少し先の祠がそうだと思っていたのですが、違うらしい。

この建物自体が大師堂だという話もありますが、よく解りません(笑)。建物に隣接して地蔵堂があるんですが、これも違うみたいですが。

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11時32分、梅ケ谷の交差点に来ました。ここを左折していくと、ツヅラト峠に行きます。

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ツヅラト峠は超有名な峠で、熊野街道伊勢路を歩こうとする初心者が最初に歩くのが、このツヅラト峠です。それと並行してあるのが、我々がこれから歩く荷坂峠です。

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簡単に言うと、江戸時代以前はツヅラト峠、江戸時代に入ると荷坂峠が本道になったそうです。初代紀州藩主徳川頼宣が、参勤交代の道として、1619年に荷坂峠を開き、1635年から本道になったそうです。

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ツヅラト峠越の道筋としては上図のようだったようです。梅ケ谷からツヅラト峠を越えると、赤羽川沿いに少し遡って、島地峠を越え、加田に出て一石峠を越える。荷坂峠越は片上を経て、今の紀伊長島駅・魚町を通って加田で合流します。

加田からのツヅラト峠越は、急坂が多く、駕籠には向かなかったのでしょうね。その梅ケ谷駅のすぐ裏に、八柱神社があります。11時37分、ここで昼食休憩にしました。

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昼食の後、参拝して、12時過ぎに出発しました。しばらくは国道歩きです。25分位歩いて右に旧道に入り、すぐまた国道に出ますが、そこに小さな祠が3体祀られています。

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庚申さん、いぼとり地蔵さん、蛇留観音さんと足守地蔵さんです。私の足も治るようお願いしました。

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そこから5分、12時36分に、右手に木工屋さんがあり、そこを右に入って行くのが、荷坂峠への旧道です。

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ここから梅ケ谷川に沿って歩きます。

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途中、巡礼の墓の案内を見ながら7~8分森の中を歩くと、再度国道に出ます。国道はここからトンネルに入ります。

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国道を横断し、250m歩くと荷坂峠です。ここから片上側登り口まで2.1キロ、紀伊長島駅まで5.5キロの案内があります。

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12時48分の到着で、ここで記念写真など、5分ほど休憩しました。

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ここからは下り一方です。でも今の私には下りが怖い。骨折した左足首は、平地や上りは良いんですが、下りに弱い。振動や衝撃がまだ無理なんです。慎重にゆっくり下ります。

幸い、下りは緩やかで、ロープが張ってあったり、整備もよくされていました。

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7~8分下るとベンチがあり、長島湾一望の案内がありました。

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伊勢を出た旅人は、ここで初めて熊野灘をみたのでしょうね。熊出没注意の案内も見ながら、7分下ると、沖見平の案内がありました。

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我々は大内山駅出発なので梅ケ谷の八柱神社で昼食休憩しましたが、通常は梅ケ谷駅から出発するので、その場合は、ここ沖見平らで海を見ながら昼食休憩します。私も過去2~3回、ここで昼食しています。

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5~6分休憩して、13時14分に出発しました。3~4分で、江戸の道と明治の道の分岐があります。江戸の道は直登で明治の道は巻き道です。

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今の私には当然明治の道ですが、若い元気な頃だと一寸たるい(笑)。分岐から23分掛かって、13時41分に登り口に到着しました。

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ここから紀伊長島駅までは3キロ一寸か、反省会予定地のBBQ会場までは3.5キロとして1時間弱。2時半までには着きたいので、ぎりぎりだなあと思っていました。

すぐ先に猪垣があります。立派ですね。

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越えた所で、思いがけなく声をかけてきた方が、荷坂峠を守る会の会長さんでした。いやあ、日頃整備していただいてありがとうございます。

振り返ると尾根筋が見えますが、荷坂峠はどの辺でしょうか。

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13時52分に、片上の一里塚石碑を通過。

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5分ほどで国道を潜りました。潜るとすぐ左にトイレがあります。

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道端の祠を横目で見ながら、15分ほどで道の駅まんぼうの前を通過しました。本来なら休憩したいところですが、今日は時間がありません。

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片上池を過ぎると国道を渡ります。横断歩道の手前の陸橋を渡ったのが失敗でした。

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変な歩道橋で、国道へ帰れないのです。仕方なく直進して、片上池の縁を通って紀伊長島駅に向かいました。

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14時31分に紀伊長島駅を通過。

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踏切を渡った先のスーパーが経営するBBQ会場に着いたのは14時40分頃だったかな。10分遅れました。

16時19分の列車で帰るつもろなので、1時間20分の反省会タイムです。お疲れ様でした。

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まあ、それでも、よく食べてよく飲みました。また9月にお会いしましょう。

 

 

 

2024年5月15日 (水)

熊野古道伊勢路第4回 阿曽から大内山

前回三瀬坂峠の下りで、滑って転倒し、左足首を捻挫して、3日後に整形外科へ行ったら、骨折ですと言われました。幸い骨がズレていなかったので、当日歩いて帰宅できたのだそうです。

それから34日目、5月11日が今日です。5週間ですが完治せず、今日は自転車を持っていきました。日常生活はなんとかこなせるのですが、13キロ、2万歩以上は一寸無理かなという感じです。

それで、今回は自転車に半分頼ることにしたのです。時々街道歩きに連れて行く、小いさな折りたたみ自転車です。コースはこんな感じです。

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距離12.5キロ、250m登って190m下る、トータルでは60mの登りです。この自転車の場合、登りは全くダメなので押して歩きます。平地と下りは乗る訳です。

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そうすると2万歩が半分の1万歩に減ると思います。これならなんとか行けるだろうと言うことです。重量は8キロほど。なんとか担げる重さです。でも駅の階段は辛いです。骨折の足を庇いながら、担ぐのは心配ですが、なんとかなるでしょう。

2024年5月11日(土)

快速みえは混んでいましたが、多気からの新宮行は空いていました。自転車も余裕でゆったりしています(笑)。

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9時半に阿曽駅到着です。

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皆さんには先に出発してもらい、自転車を組み立てます。と言っても、3~4分で完成します。

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前回はママさんに送ってもらったので、阿曽駅には車で来ています。街道は覚えていないので、今回が初見参です。10時45分。

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上の写真は下図、阿曽駅から大内山川を渡って左折する所です。

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国道に合流して振り返っています。ここからしばらく国道歩きです。

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国道はすぐに大内山川沿いになり、いい景色です。

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11時頃、街道は国道と別れて川沿いを進みますが、今の時期、アユ釣りの人が多勢います。解禁したては釣れるんでしょうね。

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また国道に合流し、しばらく歩きます。11時15分頃、岩船橋を渡ります。

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渡るとすぐ岩船公園があります。トイレ休憩できます。

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ここから旧道に入ります。

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柏野地区も街道の風情があります。

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ここ柏野地区に宝蔵寺というお寺があり、私は一寸見に行きました。自転車なので、少し遅れてもすぐ追いつけます。境内に伊勢路の道標があるはずですが、見落としました。曹洞宗のお寺のようです。

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すぐ国道に出て、柏野大橋を渡って左折すると、柳原公園があり、そこで昼食休憩の予定です。

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所が誰も居ません。電話すると道に迷っていると。でも現在地が解らないとも。

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一寸戻って探しに行きましたが居ません。どうやら柏野大橋を渡らず、行き過ぎたようです。気が付いて引き返してきたのは12時5分頃で25分のロスでした。

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15分で弁当を食べて、12時20分に出発しました。JRの踏切を渡り、しばらく行くと風情溢れる街道歩きになりました。

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12時35分頃、大皇神社の前に来ました。

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社殿は一寸奥にありますが、平安時代の皇室の皇子を祀ります。木地師の祖と関りがあるようです。

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そこからすぐに伊勢柏崎の駅があり、その手前の橋を渡れば、山海の里紀勢もありますが、今日はパスです。伊勢柏崎の駅舎です。

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駅のすぐ先、右手に花の寺と称する大蓮寺があります。

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その石垣の祠に祀られているのは庚申様でしょうか。

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集落の終わりに紀勢自動車道が見えます。

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この先が、紀勢大内山ICです。

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その紀勢道を潜り、踏切を渡ったのは13時05分でした。

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川沿いに長閑な街道を歩きます。でもどこまで歩いてもアユ釣りさんは途切れませんね。

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途中、行者山の登山口がありました。だいぶ前ですが、一度登る計画をして、なにかの都合で止めた思い出があります。行者山の行者は役行者だと説明されていました。

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13時23分、国道に出ました。紀勢道のすぐ下を歩きます。

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5分ほどでまた国道を離れます。

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そしてまた5分で国道を横断します。大きな國昌寺の石碑があります。

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ところで、我々、山歩会の街道歩きは、1日の尾張の反省会が楽しみです。ところが、今日の終わり、大内山駅付近には、いくら探しても食堂や居酒屋はありませんでした。前回の阿曽駅もそうですが、一般的にランチタイムと夜の営業で、14時から16時辺りは空白の時間帯です。

今回はその空白の店も無いのです(笑)。それで前回お世話になったスナックのママさんにお願いして、出張販売してもらいました。そのうえ、場所もママさんのお友達の自宅の座敷を提供してもらってくれました。感謝です。

そのご自宅が、この駒地区にあります。大内山の駅までは、まだ2~3キロ有るので、飲みすぎないよう注意です。でも無理か(笑)。

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13時45分から15時20分頃まで宴会してしまいました。今日は16時36分の列車に乗る予定です。宴会終了後、皆さんは出発し、私とママさんで残務整理していると、皆さんはまた街道から外れてしまいました。

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図の青線が正しいのですが、皆さんは、友人の奥さんに大内山駅への道を教わって、そこを歩いてしまいました。街道を無視すれば正しい近道でしょうね。でも街道歩きでは、出来れば旧街道に近い道を歩きたいですよね。

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ということで、途中で不動橋を渡って、軌道修正して街道に合流しました。

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その合流した地点にあるのが一里塚跡です。

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まあこれが見れただけでも良かったのかなと思いました。いやいや、ここからの街道は思いがけなく古道が残っていたようでした。16時。

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こんな地道だとは想像していませんでした。でも自転車には無理です(笑)。でも皆さん、マウンテンバイクなら、こんな道は舗装道路みたいなもんです。でも私には無理です(笑)。

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Hさんが、足を気遣って自転車を運んでくれましたm(__)m。ようやく地道を抜けたのが16時12分。なんとか36分の列車に間に合うかなという所です。

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少し歩いていると思いがけない電話が。Oさんが体調不良で歩けないとか。ひょっとして飲みすぎ(笑)。しばらく待つことにしました。

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でもなかなか来ない。時間に余裕のない二人に先に帰ってもらいました。16時20分。

しばらくして、Aさんに抱えられながらOさん登場。多分飲みすぎでしょう。お互い解放感には要注意ですね(笑)。16時40分頃。もう予定の列車は諦めて、1時間後の次の列車に照準をあてます。幸い夕方は1時間後にあるのです。

5~6分で国道を渡ります。

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そして3~4分歩いて街道の面影を楽しむと

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右折して大内山駅です。

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次の列車まで50分あります。自転車も余裕で収納できます。皆さんにも、収納の手順を見てもらいました。

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でもこの列車は乗り継ぎも悪く、多気で1時間弱待ち時間があります。幸い、1軒だけお店があります。この店は60年前から駅前に店を開いています。

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私も60年とは言いませんが、20年以上前から、熊野古道の帰りにお世話になっています(笑)。そこで、必要物資を手当すれば、1時間位はすぐ済みます(笑)。

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では皆さん、次回6月1日にお会いしましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年4月13日 (土)

竹鼻街道修正

竹鼻街道というのは美濃路のバイパスです。

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上図の左上、中山道の垂井から、右下、東海道の宮宿までを結ぶ青線が美濃街道です。そして美濃街道の大垣から富田を結ぶ、ショートカットの赤線が竹鼻街道と駒塚道です。

この竹鼻街道を2022年8月に歩いたのですが、その記事に対し最近、下記のようなコメントを頂いていました。しばらく気づかなかったのですが、1っか月たって、ようやく気付きました(-_-;)

Koment

それで、そのコメントに従い地図で修正してみました。まず間違いの1番目。竹鼻街道の起点。

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私は上図の問屋場跡を起点として、赤線で歩いたのですが、実際は本町道標が起点ですとの、ご指摘です。全くその通りで、2017年に美濃街道を歩いたとき、写真に撮っていました。

まず問屋場跡の写真。

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次に本町道標の写真

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その説明に、ここが竹鼻街道の起点だと書かれていました。すっかり忘れていました。

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なので、竹鼻街道は上図の紫の線が正しいと思います。言い訳ですが、某サイトに、こんな図が載っていたのです。それで、すっかり間違ってしまいました(笑)。

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次に2番目の間違いです。下図、座頭橋から平の渡しへ至る道筋です。

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私は赤線で歩いたのですが、紫で歩かなければいけなかった。平の渡しは無いので、大垣大橋を渡るのは仕方無いですが。

言い訳ですが、例のサイトで赤線のように案内されていたのです(笑)。

以上が修正ですが、美濃路と竹鼻街道に興味ある方は、下記の記事を見てください。

美濃路 

竹鼻街道

 

 

2024年4月 7日 (日)

熊野古道伊勢路3回目 三瀬谷から阿曽

2024年4月6日(土)

4月5日~7日、鈴鹿サーキットでF-1レースが行われている。それで混雑を避けて、亀山経由で多気に向かった。それでも列車が遅れて、多気の9時43分発に間に合わなかったが、待っていてくれた。それで三瀬谷到着は7分遅れの10時21分だった。

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ところで今回の三瀬谷から阿曽のルートですが、最初のうちは熊野街道から外れていますね。

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上図で青線で来た街道は三瀬の渡しで宮川を渡り、三瀬坂峠を越えていきました。だから前回歩いた青線から三瀬谷駅までと、今回歩く三瀬谷から舟木橋を渡って多岐原神社辺りまでは、熊野街道じゃ無いなと思う訳です。

まあ三瀬の渡しが無いのでしょうがないのですが。20年前に歩いたときは、遠回りが嫌で、茶色のルートで歩きました(笑)。

それはともかく、今回のルートはこんな感じで15キロほどです。

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10時27分に三瀬谷駅を出発しました。三瀬谷は大台町役場や道の駅があり、特急も停まるのですが無人駅です。

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踏切を渡って42号線に出て、横断して舟木橋を渡ります。国道はすぐそばの舟木大橋を渡りますが、旧の舟木橋は情緒があります。

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右には三瀬谷ダムの堰堤、左には宮川の渓谷がきれいです。

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渡って左折する宮川沿いの道は県道747号線です。熊野街道では無いかもしれませんが、現在では熊野古道歩きの正式ルートになっていますね。新宮まで130キロの案内もあります。

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10時40分頃橋を渡り、紀勢道の高架を右に見ながら、40分位歩くと多岐原神社の案内がありました。

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左折して宮川へ下って行くと、新しい白木の神社がありました。ガイドに引率された10人位のグループがいました。

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この神社は倭姫の元伊勢伝説があります。

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神社から少し下ると宮川の河原にでます。対岸に和船が一艘停めてあり、ここが三瀬の渡跡のようです。

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一寸休憩した後引き返しました。多岐原神社入口に戻り、すぐ右手に三瀬坂峠登り口があります。

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11時45分頃登り始めました。この辺り標高は100m、峠は270m位なので170mの登りですね。峠で昼食休憩の予定で頑張ります。

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峠までは1100mだそうです。200m毎に案内があります。

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残り700m辺りから地道に変わってきました。

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傾斜も少し出てきて、息が切れます。最近、山登りもしていないので、情けない限りです。

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12時22分、登り口から35~36分で峠にたどり着きました。お地蔵さんがありました。

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今日のメンバー8人です。

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峠は茶屋跡があり、少し広場もあります。弁当には丁度良いです。

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20分一寸で下り始めました。下りも多分1キロ位です。

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永命ふじツル

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7~8分下った所に覗き見という場所があり

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この後一寸下った所で、登ってくる団体さんとすれ違いました。このとき悲劇が起こりました。岩で足を滑らし、転倒したのです。誰の性でもなく、私の性です。そして運悪く左足首を捻挫してしまいました。

その場は、何事も無かった振りをして下りました。鹿垣がありました。

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ため池のそばを通ります。

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そこから4~5分で里側登り口です。13時13分、30分の下りでした。

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ここで皆さんに訳を話して、もう歩けないと。阿曾駅近くの反省会の会場で落ち合うことにしました。

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さて現在位置は三瀬谷駅と滝原駅の中間で、どちらへも3キロ弱です。今の状態で3キロは無理なので、タクシーを呼ぶことにしました。でも番号が解らないので、すぐ近くのジビエ料理「いとう」さんに入って教えてもらうことにしました。

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古くからあるお店ですが、最近リニューアルしたかな。奥さん、旦那さんが親切で、タクシーを呼んで頂けました。滝原宮の前を通って滝原駅に向かいました。

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滝原駅も何回か来ていますが、無人駅です。

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ここからJRで阿曾駅に行き、1キロ一寸歩くと、反省会場の華屋さんです。でも、その1キロが厳しいので、ママさんに駅まで迎えにきてもらおうと電話しました。すると阿曽へ行くのも滝原へ行くのも変わらないから滝原駅に迎えに行くと。お言葉に甘えて迎えに来てもらいました。

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捻挫の貼り薬も頂いて、感謝、感謝です。しばらく待っていると、皆やってきました。さあいつもの反省会です。

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ここはカラオケスナックなので、歌も歌えます。皆さん、自慢ののどを聞かせてくれました。

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F-1の影響で、帰りの電車も遅れていましたが、痛む足を引きずりながら乗り換え階段を昇降して、なんとか無事帰ってきました。

来月までに捻挫を治さないと。

 

 

2024年3月 5日 (火)

熊野街道伊勢路第2回 栃原~三瀬谷

今回のコースというか、熊野古道でも、栃原~梅ケ谷までの地域は、歩く人の少ない地域だと思う。伊勢神宮から栃原までは、伊勢本街道や和歌山別街道もあるので、それを歩く人も居るでしょう。また梅ケ谷から先はツヅラト峠か荷坂峠を経て数々の峠を越える人気コースです。

それに引き換え、栃原~瀧原~大内山~梅ケ谷は一寸地味で、確か世界遺産にも登録されてないので、歩く人も少ないのです。私も20年位前に一人で歩いて以来、歩いた記憶がありません。

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今回はその内、栃原駅から三瀬谷駅まで14キロほどを歩きました。昔歩いた記憶も朧気ですが、前回はほぼ舗装道路でした。でも今回は、本来の古道が大分整備されていて、驚くと同時に楽しめました。大台町さん、有難うという感じです。

2024年3月2日(土)

朝8時前の関西線に乗ると、四日市付近で雪が降ってきました。

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エーっと言う感じです。今日は雨具持ってきてないのです。でも10時に栃原へ着くと快晴でした。

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今日は11人です。カメラマンのA さんが映っていません。

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栃原駅を出て、すぐ近くの川添神社にお参りすることにしました。大和朝廷成立の頃、栃原の山賊を平定した、建日別命とかを祀られる神社だそうですが、境内はなかなか厳かな雰囲気です。

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10時20分頃出発しました。熊野街道にぶつかって右折すると、前方に街道歩きらしいグループが見えました。珍しいことです。

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すぐに岡嶋屋旅館があります。ここは20年前一泊した思い出の旅籠です。

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ここで撮影をしている人が居たので尋ねると、今日はまだ後ろから80人ぐらい歩いてくるとか。後で訊いたのですが、三重県主催の伊勢路踏破ウオークだそうです。14回に分けて新宮まで行くそうです。

線路沿いに15分ほど歩くと、馬鹿曲入口の案内があり、道から外れるようです。前回は無かった道です。見ると、案内板は令和6年2月に大台町が建立しています。つい、1か月もたたない案内です。

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前回は、このまま舗装路を歩いて、馬鹿曲り踏切を渡った覚えがありました。ともかく下へ降りると、道路の下をトンネルで潜りました。

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潜ると沢の中を板が渡してありました。この日のウオークのために整備されたのでしょうね。有難く渡らせてもらいました。

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その後しばらく山道を進みます。舗装路を歩くと思っていたメンバーは大喜びです。

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途中、茶屋跡の看板を見ながら、入口から10分ほどで国道の橋にでました。

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沢を渡ってしばらく歩き、馬鹿曲り橋も渡って、国道の反対側に出ました。11時頃です。

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そしてすぐ、林道にでました。

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そのあと4~5分歩いて国道に合流しました。11時04分です。

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国道を3分歩いて右に入ります。

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3分ほど歩くと、左手に山の神や庚申さんを祀ったお堂があります。

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ここを左に入るのですが、その又左に、新しく古道が開発されていました。猿木坂だそうです。

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竹藪の荒れた道です。

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入口から3~4分で沢にぶつかり渡ります。

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途中、眼鏡橋を見れます。

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11時18分に舗装路に合流しました。すぐに国道に接しますが、右折してすぐ左折、また国道に接する所に、神瀬集落の休憩所が作ってありました。

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国道を少し歩いて、すぐ右折し茶畑の中を進みます。国道から2分、踏切を渡ります。

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その先に、また左へ入る古道があります。ここも最近整備された道だと思います。入って行くと、殿様井戸とかの清水がありました。

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またすぐに行倒れの碑がありました。

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そこから2分、11時31分に舗装路にでました。景色もいいです。

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10分ほど歩くと踏切があり、渡るとすぐ国道へ下ります。

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降ったら国道は歩かず右折します。11時43分です。そこから5分で旅籠跡や宝泉寺があります。さらに4分ほどで珍しい雑貨屋さんがありました。

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その先が踏切で、11時55分に渡りました。そして5~6分、川添駅の前に来ました。今日はここで弁当タイムとしました。駅のベンチは狭いのですが、傍にゲートボール場やトイレがあり、なんとか座って弁当が食べられました。

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12時半に出発しました。道沿いの天王さんなど見ながら、街道筋を歩きます。

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旧旅館跡や観音寺などの前を通って20分ほど歩くと、八柱神社の前を通過しました。

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八柱神社とは八柱の神を祀る神社という意味で、主神は牛頭天王や熊野権現などさまざまで、全国にあります。

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12時54分、高奈踏切を渡りました。

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新宮まで134キロの道標やくまの街道と刻まれた新しい石標など見ながら13時に国道に合流しました。道の向こう側にお地蔵さんがありました。

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ここからしばらくは国道歩きで、ゆるやかに登って行きます。

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12~13分で右に田舎道に入ります。前方の高速道路に近づくと、小さなお城の天守閣があります。何十年も前からありますが、宗教団体の本部のようです。

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13時20分頃、高速の下を潜ると、すぐに道標地蔵さんと弁慶岩があります。弁慶が旅の途中休憩したとか。

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10分ほど登ると石屋さんがあり、そこが峠のようです。

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そこから街道は右に分かれます。

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下って行くと「定峠」という説明があったので、先ほどの峠のことかもしれません。女鬼峠に次いで、伊勢路2番目の峠と説明されていました。13時40分、紀勢線の下を潜りました。

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道が急にきれいに舗装されていました。後で気づくのですが、本来の熊野古道は、この辺りから左の国道を越えて、三瀬の渡しへ向かっていたそうです。現在は消えているので、三瀬の渡しへは、もう少し先から引き返す道があるようです。

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13時45分頃、また八柱神社がありました。なかなか趣のある神社です。ここでお参りして、少し休憩しました。

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神社から3分で国道に出ます。車が多いので危ないですが横断しました。一寸先の信号を渡れば安全ですが、三瀬の渡しへの道標だけでも見たかったので、引き返すのが嫌で横断しました。

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一寸斜めの道に入ると大台町の案内があります。

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少し引き返して道標を見ました。文字はよく見えません(笑)。

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新しい道路の下を潜って、一寸旧道を見に行きました。三瀬の渡跡も見たかったのですが、時間の都合もあり、引き返しました。道標から5分ほどで、三瀬の砦跡の入口にきました。ここは見ておきたいので見に行きました。入り口から1分です。14時16分。

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室町から戦国時代にかけて、北畠家の家臣三瀬氏の砦だったそうです。

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7~8分で見終わって三瀬谷駅に向かいます。すぐに不動明王を祀る不動さんが左下にあります。

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この辺りはもう熊野街道じゃないんだと思うと、一寸寂しいですが、現在の熊野古道歩きは、三瀬谷駅の向こうの舟木橋を渡って、三瀬の渡しへ引き返しています。

国道は地下道で渡って踏切を渡り、駅前の大黒屋旅館付近に着いたのは、砦から30分、14時54分でした。

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近くのお店を3時に予約していたので、ぴったりでした。今日はジンギスカン鍋です。

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御名さんお疲れ様でした。

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次回は4月です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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