2022年5月16日 (月)

大和街道4回目 新堂から加太

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今年2月から歩き始めた大和街道は、京都府の笠置から始まり、三重県の伊賀市を歩いてきました。これから亀山市に入って関までが大和街道です。その後、伊勢別街道で津へ向かう予定です。

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2022年5月15日(日)

今回は上図で赤線の新堂から加太まで16キロほどを歩く予定です。9時40分に新堂駅到着です。大阪から参加のOさんが待っています。

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近くのオークワで弁当を買って10時頃出発しました。

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柘植川の堤防に出て左折すると、すぐ大和街道の道標がありました。

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まだ伊賀市なので芭蕉の影響が残っています。

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今日歩く柘植川に沿う道は、いわゆるメイン道路では無いので、車の通行は少なく、街道の面影残すような旧道なので、しっとりとした感じで、歩きやすい街道歩きです。上市場辺りの街道。

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旧の国道25号線を横断して中柘植に入ります。ここもいい感じです。10時50分頃。

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11時頃、野村に横光利一ゆかりの家跡がありました。近所の奥さんが、市が草刈りをしてくれないと嘆いていました。

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下町に入ると、史跡小御堂と刻まれた石柱がありますが、謂れは不明です。

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鍵型に曲がる角に、大和街道の説明版がありました。また近くには、本能寺の変の際、伊賀越えで三河へ帰る家康を休憩させた徳永寺がある。

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11時22分、都美恵神社の前に来ました。立派な神社で、参詣することにしました。

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起源は相当古いようですが、難解で不明(-_-;)。倭姫伝説の元伊勢の一つだそうです。15分ほど、お参りしました。柘植駅への道を越えて、12~3分歩いた右手の小川の縁に勧請縄がありました。疫病が集落に入るのを防いでいます。個々の飾りの意味は不明です。

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街道沿いに小さな常夜灯があります。伊賀町内、唯一残っているとか。

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近くに、大神宮の祠と石灯籠があります。

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時刻は12時近くですが、もう少し歩きます。すぐに旧25号線に合流しますが、この辺り、新25号線すなわち名阪国道に車は行くので、旧25号線は歩き易いです。12時15分、鴉山池のほとりで昼食休憩としました。

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20分一寸で出発しました。皆さん、やる気満々ですね(笑)。

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すぐにJRの線路を潜ります。少し歩くと旧道が残っているので見に行きました。と言うのは、途中で道が消えているので、引き返す必要があります。なので、見に行ったという言い方になります。

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また25号線に引き返して、少し歩くと、亀山市に入りました。13時12分でした。

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しばらく淡々と歩きます。加太不動滝の案内もありますが、遠そうです。錫杖岳が正面に見えます。

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13時45分頃、道端に、上下二つに刀で切られたようなお地蔵さんがありました。

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そしてすぐJRの線路を潜ります。このトンネルが赤レンガ造りで、鉄道遺産として有名です。明治23年に当時の関西鉄道によって完成されたそうです。

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街道は北在家の集落に入ってきました。なかなかの街道風景です。

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ここに以前から気になっていた川俣神社があります。今回、時間も余裕があるので、参詣しました。14時05分。

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この神社も歴史は古そうですが、南北朝時代に、この地方は鹿伏兎氏が納めていました。その陣屋を、北畠氏が川俣城と名付け、その跡地に現川俣神社が移ってきたとか。一寸、小休止して、20分ほどで出てきました。

すると本陣跡の案内がありました。加太宿はここ板屋に本陣があり、問屋場がすでに通ってきた市場に置かれていたそうです。

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14時半頃、名阪国道の板屋ICを通りました。

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この付近は鉄道遺産が多く、街道歩きより鉄道マニアの見学が多いようです。

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ICから15分ほどで森林公園があります。ここに大和街道の説明版があり、旧道の案内があります。

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梶ヶ坂と言われる地域ですが、貴重な旧道が残っています。すぐに峠?です。

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下ってきて民家の横を通り、車道を横断する場所に、また街道の説明版があります。そこを下ると、小川に沈下橋が掛かっています。街道の面影充分ですね。

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橋を渡るとお地蔵さんがあり、すぐに旧25号線に出ます。15時04分。そこから5分で加太駅の近くに来ました。缶ビールを買って駅に向かいます。停車場道と言う石標があり、左折すると駅です。

何もない無人駅だと思っていたのですが、この4月から廃駅を避けるため、集落のサロンが作られていました。

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反省会は亀山で、ささやかに行いました。

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お疲れ様。

 

 

 

 

 

 

 

2022年5月 8日 (日)

九里半街道その3 美濃高田から烏江

2022年5月6日(金)

昨日残した九里半街道の残り8キロを歩くため、今日は車で美濃高田駅へやってきました。駅と街道の中間にあるスーパー、バローの駐車場に車を停めさせてもらいました。代わりにお弁当を買わせてもらいました(笑)。

10時50分頃、昨日の金草橋南詰交差点にやってきました。養老山脈が真近に見えます。

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ここを左折して船附湊へ向かいます。

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ここからは金草川の堤防を歩くようです。

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10分ほど歩くと、右下に神社がありました。多分、八幡神社ですね。

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前方に東海環状自動車道が見えてきます。

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その下を潜ると、瓢箪がモニュメントの橋がありました。11時13分。

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まだまだ土手道が続きます。

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すぐに県道30号線の下を潜ります。そうそう今日は珍しく女房と一緒でした。

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下を潜った県道を、今度は上から眺めています。

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左手は湿地帯で、鴨が休んでいました。

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11時36分、なにか石柱が有るなと思ったら、「九里半街道」の道標でした。珍しいです。

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道標に力付けられて歩くと、一寸集落に入ります。栗笠の福地神社だと思います。

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集落を抜けると牧田川の堤防に出ます。

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堤防道路は車が来ると嫌なので、下に降りたりしながら15分ほど歩いて、12時過ぎに堤防の土手で昼食にしました。多分、女房はこんな場所で食べるのは初めてでしょう(笑)。

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20分ぐらいで出発しました。12時25分。

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5分でR258の養老大橋の手前、船附に着きました。ここが過っての湊で栄えたのですね。

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今現在、過っての湊の跡は残っていないみたいでした。常夜灯が多分、湊に有ったものが残されているのかなと思います。大正時代までは、船附、栗笠、烏江が濃州三湊として栄えたそうです。

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この辺り、一寸昔の面影が有りそう。

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12時37分頃船附を後にして、養老鉄道の烏江駅に向かいました。30分ほどで駅のすぐ手前まで帰ってくると、思いがけず烏江湊の石碑がありました。

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石碑から3分で、高架駅の烏江に到着しました。お疲れさまでした。

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九里半街道その2 今須から美濃高田駅

2022年5月5日(木)

朝9時前に関ケ原を出発し、10時02分に九里半街道の分岐に来ました。

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ここを左折して県道229号線に入ります。

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入っていくと5~6分で名神高速道路の下を潜りますが、その手前の資材置き場の中に今須宿本陣跡の説明版がありました。

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名神高速から5分で街道は県道と分かれて左に入ります。そして7~8分、左手にカツラの巨木があります。親鸞聖人の杖が芽を出して成長したという木です。

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すぐそばには若宮八幡神社、少し離れて親鸞聖人が逗留された聖蓮寺があります。10分ほどで再度県道に合流しました。

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20分ほど歩いて、10時56分、関ケ原町から上石津町に入りました。

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11時に県道から右に分かれ、平井の集落へ入ります。

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獣が多いと見えて、集落全体を網目の柵で囲っていました。

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集落を出ると県道に合流し、少し登っていきます。今須川の川底がはるか下に見えます。

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集落から20分ほど歩くと、道は里に下りてきます。すると街道は県道から左に分かれます。ふじこがわ橋と言うレトロな橋を渡って堤防を右折しました。時刻も11時40分なので、堤防で昼食にしました。

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12時一寸過ぎに出発し、牧田一色の交差点を渡ります。この道は、我が家から関ケ原インターへ行く時、何回も車で通った道です。渡って少し登ると、昨年10月に歩いた美濃街道にぶつかります。その時は、ここを右から左へ歩いて関ケ原へ向かいました。

今日は右折して、しばらく美濃街道と同じ道を歩きます。合流地点の八幡神社です。

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この辺りは上石津町牧田でしょうか、街道の風情も残る道です。

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12時27分頃、牧田宿で代々問屋を営み、明治時代には郵便局長を務めた五井家の屋敷にきました。大垣市の景観遺産だそうです。

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少し行くと大神宮常夜灯があります。

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すぐ近くのもう一つの常夜灯で左折。

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牧田小学校の前を通りますが、代々の卒業生が記念のモニュメントを作っています。今も存続しているのでしょうか?

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12時45分頃、二又の馬頭観音と言う案内が有ったので、探しに行きましたが、見つかりませんでした(-_-;)。

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13時頃、前回、美濃街道歩きのとき、昼食休憩した素戔嗚神社を通過しました。もうすぐ、牧田川を渡ります。

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牧田川を渡る広瀬橋の袂に、九里半街道の案内があります。前回、これを見て、九里半街道の存在を知ったのでした。

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広瀬橋を渡りながら、振り返ると伊吹山が見えました。

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渡って左折します。

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すぐに上石津町と養老町の町境です。そこで右折して街道に入ります。

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入ってしばらく行った所で、前回歩いた美濃街道は右に分かれていきました。この辺りも街道の風情ですね。

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ここにも大神宮常夜灯があるのですが、これまでの石灯籠と違って、立派な細工が施された木製です。

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13時30分頃、集落を抜けて堤防道路に登ります。この堤防道路は県道で、私も度々関ケ原へ行く時走るので、よく知っています。で、人が歩く道では無いので、並行する田んぼ道を歩きました(笑)。

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県道が堤防から離れ、街道がその県道から離れる所で街道に復帰しました。この辺りの県道は養老ミートやロイヤルなど、お値打ちな肉屋さんが多く、私も盆正月とか大量に肉を買うときは、わざわざ来たものです。焼肉屋さんも多く、通称焼肉街道です(笑)。

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13時55分に焼肉街道から離れ、15分ほど歩くと中央公園の傍に来ました。

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公園や総合体育館を左に見ながら進みます。学校の校舎が見え、出征兵士の慰霊塔?見える辺りで右折して、西町商店街に入ります。14時27分でした。

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15分ほど商店街を歩いて、大垣共立銀行を過ぎて細い道を右折するのが街道です。

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美濃高田の駅へは、この辺りが一番近いです。今日はこの辺で辞めるのですが、次回の出発を考えて、ややこしい所は通り過ぎておくことにしました。2回ほど曲がると、厚生病院があります。

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その前を通って養老鉄道の踏切を渡ります。渡って5分ほど歩いて、金草橋南詰の交差点で、左折して街道から離れ、美濃高田駅へ向かうことにしました。

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途中、コンビニに寄って25分ほどで美濃高田駅に到着しました。

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15時15分頃なので、烏江まであと2時間歩くこともできそうですが、最近は、無理は禁物です。養老鉄道はサイクル列車で自転車持ち込みも可能です。空いた電車で、のんびり帰りました。

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残り8キロは、何日歩こうかなあ。

 

 

 

 

2022年5月 7日 (土)

九里半街道

九里半街道をネットで調べると二つ出てきます。下図で左上、若狭の小浜と琵琶湖の今津湊を結ぶ街道。もう一つが米原の朝妻湊と揖斐川の支流、牧田川の船附湊を結ぶ街道です。いずれも距離が38キロ、九里半なので九里半街道と呼ばれています。

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小浜からの街道は若狭の海産物を京へ運ぶ道です。陸路を行く鯖街道が有名ですが、やはり大量に物資を運ぶのは水運が欠かせない訳です。今津から船で大津まで運び、そこから京へ運んだのでしょう。小浜街道とか熊川街道とか呼ばれました。

桑名や尾張の物資を京へ運ぶのも同じことで、東海道や他の陸路で運ぶより、揖斐川と牧田川を船で遡り、船附、栗笠、烏江の湊で陸揚げして、中山道の今須宿経由で米原まで運び、そこから水運で大津へ運んだ訳です。

その今須から船附の九里半街道を歩いてみました。

2022年5月5日(木) 中山道編

8時46分にJR関ケ原駅に降り立ちました。

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ここから今須まで4キロほど旧中山道を歩いて、そこから九里半街道に入ります。今須から船附までは22キロ。船附から最寄り駅の烏江まで2キロ。合計28キロは一寸無理なので、今日は美濃高田駅までのつもりです。

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関ケ原は中山道の宿場ですが、言わずと知れた関ケ原の合戦の舞台です。また今須宿までの間には天下三大関所の一つ不破の関所がありました。壬申の乱の舞台だったのです。それらの史跡が多く、この4キロは街道歩きマニアにはたまらない4キロでしょう。

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駅を出て国道21号線に出て右折、今須を目指します。すぐに西首塚があります。関ケ原の合戦で死亡した、おびただしい数の死者を東西二つの首塚を作って埋葬したものです。

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首塚からすぐ、旧中山道は左に分かれます。以前は無かった関ケ原の合戦の陣地跡の案内が建てられていました。

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国道から6~7分で不破の関跡です。資料館もありますが、今日は九里半街道がメインなのでパスします。

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ここから一寸下って川を渡りますが、関所はこの河岸段丘の地形を利用して作られていました。渡ると矢尻の井という歌枕があります。壬申の乱のとき、大友皇子の軍の兵士が矢尻で井戸を掘ったとか。

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9時27分、再度国道に出て渡ります。

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この辺りは石田方の武将、大谷吉継の陣があった所で、その案内が多いです。

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JRの線路を潜ると、常盤御前の墓があります。東国に逃れた牛若丸の後を追って、ここで山賊に襲われ、死亡したとか。

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9時50分頃、JRの踏切を渡ります。

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5分ほど登ると今須峠です。

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3分下ると国道に出ます。適当に渡ります。

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すぐに今須ですが、手前左側に一里塚跡があります。

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向かい側にあるのは妙応寺でしょうか。

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10時02分に九里半街道への分岐、県道229号線の分岐に到着しました。

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ここからの九里半街道はページを改めます。

 

 

2022年4月10日 (日)

大和街道3回目 上野市駅から新堂駅

山歩会仲間との大和街道歩きの3回目です。1回目が笠置駅から月ヶ瀬口駅、2回目が月ヶ瀬口駅から上野市駅。そして今回が3回目で、上野市駅から新堂駅です。次が新堂駅から加太駅、そして5回目が加太駅から大和街道の起点東海道関宿を経て、伊勢別街道へ入ろうと思っています。

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2022年4月9日(土)

いつもの列車で亀山に着き、加茂行に乗り換えます。なんとほぼ満員です。柘植で乗り換えて京都方面に出かける人が多くなったのですね。

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ところでその列車で気になる表示が。

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なんか小動物が居るみたいですね。小動物って何かな?

伊賀上野で乗り換え、伊賀鉄道で上野市駅へ。伊賀鉄道も忍者一色ですね。でもカッコいい「くノ一」ですね。

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10時に上野市駅に到着し、まず上野城址を見に行くことにしました。

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上野城公園は丁度桜が満開でした。2~3日前に満開と聞いていたので、もうちょっと散っているかと思っていました。芭蕉の俳聖殿です。芭蕉の旅姿を表していると聞いたような。

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天守閣は明治に入ってから作られたとか。

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上野城はこの石垣の高さが有名なのだそうです。

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10時45分に駅前に戻ってきました。大和街道に復帰して歩き始めました。8分ほどで上野天満宮です。神社ですが、お寺の門のようですね。

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皆さん、取り敢えず、この歩き旅の無事を祈って。

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伊賀鉄道の広小路駅を過ぎると、ここで伊賀街道が、ここで分かれます。伊賀街道は藤堂高虎が、津と伊賀上野を結ぶ重要な街道として整備したと思いますが、最近では通行少なく、消えかかっている街道です。

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このすぐ近くに、すき焼きで有名な金谷があります。ここで左折して、北へ向かうのが大和街道です。大和街道という名称は、明治以降につけられたそうで、江戸時代には「加太(かぶと)越え奈良道」と呼ばれました。

少し北上すると芭蕉生家があります。老朽化のため改修で4年間閉鎖されていましたが、この4月から公開されました。一寸覗いて見ました。町家の町屋のような造りです。裏庭に若き日の芭蕉の書斎であった釣月軒が復元されていました。

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11時14分、10分ほどで芭蕉生家を出て街道に戻り、割烹旅館三田清を過ぎると大きな道標があります。「東海道関宿道」とか書かれているようです。

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突き当りを左に降りて、すぐ右折して地蔵堂の前を降りていきます。11時23分です。

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ここから10分ほど北上すると服部川の堤防に出ます。昔はここで川を渡ったと思われますが、現在、橋も渡しも無いので右折して、国道25号線の服部橋を渡ります。

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橋を渡って5分ほど、右手に小宮神社があります。この境内をお借りして昼食休憩としました。11時45分です。

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今日は愛妻弁当です(笑)。

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20分ほどで出発しました。15分ほど歩いて右折、国道を離れてほっとします。5分ほど歩くと、左手に清安寺という小さなお寺があります。

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この境内に昔の道標が残っています。やはり東海道関宿道とか刻まれています。

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清安寺から3分ほどで左折して北上、5分ほどで街道は右に曲がっていきますが、その角に地蔵堂があります。そこから6分程で街道は一旦国道25号線に出ます。

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出て2~3分でまた左に分かれますが、その角に、孝子留松の碑があります。Dscn0161jpgc

一寸雰囲気のある旧道を15分ほど歩くと外山地区へ入る小さな橋が柘植川に架かっている。

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この橋を渡って福仙寺の摩崖仏を見に行くことにしました。川岸は桜が満開でした。

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線路を渡り、少し登ると石仏群がありました。

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その辺りを左折していくと福泉寺です。摩崖仏というので、崖に彫られているかと思ったのですが、崖は無いので、お墓の一角にあった、この石仏が、そうだろうということにしました(笑)。

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13時28分、街道に復帰しました。この佐那具は宿場町だったそうで、府中神社の近くに本陣や脇本陣がありました。17年前に歩いたときは、その脇本陣が経営する「本陣こんにゃく」という料理屋さんがありました。今回、そこで昼食と思ったのですが、電話すると、「火災に会い閉店した」と言われました。残念ですね。

13時50分頃、円徳院橋を渡りました。渡ってすぐ右折して、堤防沿いを歩くのが大和街道です。ここも桜並木が素晴らしく、結構、花見客が来ていました。

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10分ほど堤防を歩いた辺りで、我々もたまらず、お花見休憩としました(笑)。

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10分ほど桜の木の下で英気を養い、出発しました。すぐに大和街道という案内がありました。本日、唯一の大和街道という文字です。

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更に13分ほど歩いた14時27分。道端に「ミニ奥の細道」という句碑がありました。俳句も盛んなようですね。

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14時40分頃、御代橋付近を通ります。専念寺を過ぎ、一寸変わった常夜灯を過ぎます。

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橋本酒造という造り酒屋さんが有り、皆さん、地酒をお土産に購入しました。

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そこから、少し歩いて左折し、今日の目的地新堂駅へ行く前に、スーパーオークワで缶ビールを購入します(笑)。ここ新堂駅前は何もないので、ささやかな乾杯を駅前で、しようというのです。

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皆さん、お疲れさまでした。亀山で途中下車して、やはり反省会を催しました。

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再度、お疲れ様でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年3月29日 (火)

大和街道2回目 月ケ瀬口から伊賀上野

山歩会の大和街道歩き2回目です。今回も前回と同じく12キロ程ですが、難所で知られた与右衛門坂などアップダウンが相当あるようです。また目的の上野市にある鍵屋の辻は、天下三大仇討の一つに数えられ、荒木又右エ門で有名です。

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当初予定日の26日が雨で27日(日)に順延して実施しました。また私は右足動脈のカテーテル手術の4日目なので一寸心配しながらの実施でした。

2022年3月27日(日)

10時12分にJR関西線月ヶ瀬口到着です。無人駅です。

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月ヶ瀬は梅林で有名ですが、ここは月ヶ瀬口、梅林ははるか南で、7~8キロはあるのかな。ここはまだ京都府山城村です。

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駅から一寸下って線路沿いに引き返します。なかなかいい感じの街道です。

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少し歩くと、珍しく大和街道の案内がありました。前回、笠置から月ケ瀬口までは大和街道の案内がほとんどありませんでした。京都府は観光資源が多いから、大和街道なんて目じゃないんだなと思っていました。

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駅から15分、登坂の途中に、10時35分県境に着きました。山城の国から伊賀の国へ入ります。

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10分ほど先には関所跡の碑がありました。三重県に入ると急に親切な案内になりますね。

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すぐ近くには北向不動の祠があります。

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この辺り、山菅という集落のようですが、今も街道の面影残す町並みです。

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11時5分頃、国道が下に見えてきます。町の交差点で国道を横断するのですが、実は手前に右に入る道があり、行者堂の案内がありました。無視して下へ降りたのですが、間違いでした。その行者堂への道を行くと、歩道橋で国道を横断する。それが大和街道なのでした。

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下まで降りても横断歩道もありませんでした。ともかく国道を渡りました。渡ってすぐ右折します。3本の道の真ん中を行くのが街道です。11時10分頃です。10分ほど歩くと、左側に大きな石灯籠がある公民館がありますが、その隣が島ヶ原宿の本陣だったそうです。

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そこから5分で木津川に出ます。その辺りに過っては渡しがあったようですが、今は一寸上流の島ヶ原大橋を渡って引き返します。

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橋を渡り終えたのが11時30分頃、引き返して川筋から左へ曲がっていくと、大和街道・与右衛門坂の案内があり、そこを左折して、細い道を山側に入っていきます。11時36分です。街道は山へ入っていきます。

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ここからが与右衛門坂と言われる難所みたいです。名前の謂れは藤堂高虎の幼名が与右衛門だったからとか。

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この与右衛門の石碑が11時45分。少し行くと大和街道の説明板があり、それを読みながら林に入る。11時53分頃、左に地道が分かれる。それが旧大和街道ですが、先頭がすでに先へ進んでいたので、そのまま進んで、途中で左折して旧街道に復帰した。

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12時6分に旧街道に復帰し、3分歩くと3本松池だった。ここで昼食休憩とする。

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15分ほどの休憩で出発した。感じの良い林間コースです。

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この先私は「みえ歴史街道」のマップを辿っているのですが、現場の案内は違っていました。いつの間にか地形図に載っていない道に入って、芭蕉句碑の先で合流しました。その間も決して悪路ではありませんが、昨日の雨や倒木で一寸苦労しました。

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12時42分に合流したのですが、どちらも街道だったようですね。

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12時50分頃、三軒家の自動車道に出ました。歩道が無いので嫌な道です。

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10分弱で国道163号線との交差点に着きました。大和街道の石標があります。角にファミマもあります。

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行程は残り4キロ~5キロだと思います。

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国道には歩道があり、やれやれと思ったのですが、少しだけでした。すぐ無くなってしまいました。2車線の歩道のない国道は嫌ですね。

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笠地蔵等見ながら15分ぐらい国道を歩くと、右側に勧請縄がありました。勧請縄というのは、村と村の境界などに張られ、疫病などが入らないようにしたものです。京都府南部や伊賀・大和地方に多く残っている風習だそうです。

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13時20分頃、島田の付近で街道は国道から右に分かれます。ほっと一息です。

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島田橋の手前で街道は左に曲がります。曲がるとすぐ道標があります。

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木津川の堤防の向こうに上野城の天守閣がちらっと見えます。往時はここから川を渡ったようですが、今は島田橋を渡ります。13時35分頃です。

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渡って10分ほど道なりに歩くと鍵屋の辻です。大きな石の道標があります。

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ここは日本三大仇討の一つとしても有名ですね。暁の三十六人切りとか、映画にもなっています。ここで一寸休憩しました。

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鍵屋の辻を出ると、一寸坂を上りながら上野市街へ入っていきます。登り切って国道368号線を横断して本町通へ入っていくのが大和街道です。写真は国道から本町通を見ています。14時06分。

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街道筋の面影が残る街並みですね。

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10分弱国道から歩くと上野市駅前のアーケード街があり、左折して駅前広場に出ました。14時17分でした。

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駅前で反省会なのですが、この時間帯は殆どの店が休憩に入っています。1軒だけ開いている店は満席でした。30分近く待って、ようやく入れました。忍者の店で、椅子にも百地三太夫や藤林長門守と伊賀流や甲賀流の忍者がでてきます。

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伊賀上野の名物なので久しぶりに田楽を頼みました。

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15時半ごろ店を出ました。広場には芭蕉の像があります。芭蕉の生誕地です。

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伊賀鉄道は上野市駅を忍者市駅に名称変更しました(笑)。

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どこもかも忍者で一杯です。

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帰りの列車では、コーヒーのボトルに入れた〇〇を飲みながら帰りました。

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お疲れさまでした。

 

 

 

 

 

 

 

2022年2月28日 (月)

大和街道

今年の山歩会の街道歩きは大和街道にしました。下図をご覧ください。大和街道は亀山から東海道を歩いて来た場合、関宿の西の追分で東海道と分かれて大和の国奈良へ向かう街道です。

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JR関西線に沿って、柘植、伊賀上野、月ヶ瀬口、笠置と進みます。その辺りまでは資料もあるのですが、その先が判りません。おそらく、柳生街道か笠置街道で奈良に向かったのではないかと思っています。

今から17年前の2004年~2005年にかけて一人でこの道を関から歩いていますが、その時は京都側の資料が無く、適当に歩いて苦労しています。今回は逆に笠置から関に向けて歩きます。

2022年2月26日(土)

今日は笠置駅から月ヶ瀬口駅まで12キロ一寸の行程です。私は三重県なので良いんですが、愛知や岐阜の皆さんは自宅から笠置まで3時間も掛かります。朝7時前に出ても笠置到着は10時25分です。

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笠置駅に着くと、木津川の河川敷に何百台かの車です。河原でBBQか何かしているのでしょう、とてもコロナのまん延防止措置下だと思えません。大阪の人たちも外出自粛には飽き飽きしているのでしょう。

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笠置駅の近くに笠置山がありますが、そこは後醍醐天皇が兵を挙げた場所です。駅前にそのモニュメントがあります。ここを10時35分頃出発しました。

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17年前に歩いたときは木津川の右岸、今の国道163号線側を歩いたのですが、今回グーグルマップに左岸が旧大和街道と載っていたので、左岸を歩くことにしました。

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この道は地図には載っていませんが、東海自然歩道です。10時43分頃に自然歩道に入りました。

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自然歩道はJRの軌道と木津川の間の狭い空間を進みます。この道が旧大和街道とは思えませんが、他に道はありません。右岸に国道ができて旅人はそちらへ移ったので、鉄道に乗っ取られたかもしれませんね。

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20分一寸この道を歩くと、踏切があり、道は軌道の右側に移りました。丁度、布目川発電所の辺りです。11時07分でした。ここで木津川と別れ、布目川に沿って歩きます。この道はもうグーグルマップでは旧大和街道と表示されています。またこの辺りの河原は甌穴群があり、布目川公園とも呼ばれています。

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11時24分、布目川を渡り、左折して木津川方面を目指します。この辺りは民家もちらほらして街道の雰囲気もあります。

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JRの踏切を渡り、木津川の河原に出ると沈下橋があります。前回私は、月ヶ瀬からきて、この沈下橋を渡り対岸を歩いて笠置に向かいました。今回は勿論、沈下橋は渡らず木津川沿いを歩きます。11時36分。

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ここからしばらくは車道ではなく地道になります。ここも東海自然歩道です。

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JRの線路の下を潜りながら10分ほど歩くと、左手対岸に大河原発電所がありました。

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さらに12~3分歩いて12時ごろ、左手にお地蔵さんの石仏がありました。

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もう少し行くと地道でなく林道と合流してしますので、その前に弁当を食べようと、適当な場所で休憩することにしました。12時05分頃です。昼食は今日もカップヌードルとお握りです(笑)。

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カップ麺はいろいろメーカーがありますが、やっぱり日清が一番美味しいみたいですね(笑)。15分ぐらいで弁当を食べて歩き始めました。12時25分ごろには林道と合流しました。

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林道に入って5~6分歩くと十一面観音の摩崖仏があります。1Mほどの小さな摩崖仏です。

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これも街道の名残ですね。歩いていると道端の木が2本繋がっていました。もう少し年月が経つと「夫婦〇〇」とか名前が付くかもしれませんね。

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12時45分頃から集落に入り、街道の面影も出てきます。戀志谷神社と天満宮がありました。

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この辺り川の対岸は大河原駅です。12時54分頃の街道の風情です。

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13時頃、大河原大橋に出ました。

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旧大和街道は対岸に続くので、過ってはどこかに渡しが有って、対岸に渡っていたのでしょう。

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とりあえず橋を渡り、街道に復帰しました。

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10分一寸街道を歩き、自動車道に出て一寸引き返してまた街道に入りました。不自然なので他の道が有ったのでしょうね。13時21分頃です。

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ここから上り坂で一汗かきます。途中の石碑です。

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15分ほど登ると峠です。風情があります。13時37分。

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下っていくと視界が開け小さな川を渡ります。

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川を渡った所に東海自然歩道の案内と立派なトイレがありました。今日の行程で唯一の公衆トイレです。13時48分。

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道なりに歩いていくと周囲は茶畑になります。800年の歴史ある宇治茶だそうです。14時10分頃。

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14時30分頃月ヶ瀬口駅に到着しました。駅の向こう側に新しく道の駅ができています。前回歩いた17年前には無かった物です(笑)。

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ここへ寄って、簡単な反省会をすることにしました。道の駅なので心配したのですが、アルコールはビールだけですが置いていました(笑)。

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月ヶ瀬というと梅林が有名ですが、ここ月ヶ瀬口駅からは8キロほど南に離れています。列車はこの時間1時間に1本です。16時03分の電車で帰宅しました。帰りの列車のお楽しみは、やはりこれです(笑)。

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るみ子の酒というのは有名な伊賀の酒です。興味ある方はネットで調べてみてください(笑)。

 

 

 

 

 

2022年1月25日 (火)

杣街道 その2

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現在11時42分。図の下、甲南駅近くの天満宮で、昼食休憩を終えたところです。歩き出すとすぐ、伊賀街道の石碑がありました。杣街道は琵琶湖から伊賀の国へ至る街道なので伊賀街道と呼ばれるのも頷けます。

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街道は甲南駅の近くを通って、今度は杣川の右岸を進みます。12時頃、長い陸橋の県道127号線の下を潜り、寺庄の街並みに向かいます。

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12時15分頃、右手に古い建物があり、今は使われていませんが、旧寺庄銀行だったと聞きます。

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すぐ先に六角堂という地蔵堂があります。立派な建物で杣の六地蔵巡拝の第一札所だと記されています。トイレも休憩所もあります。

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12時25分頃、ここを出ました。日吉神社を過ぎると前方に山が見えてきます。何度か登ったことがある山で、左が那須ヶ原山、右が油日山だと思います。

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12時41分、新名神高速道路の下を潜りました。草津線の線路に沿って歩いていると、何かを待ち受けている鉄道マニアが居ました。聞いてみると、なにか機関車1台が貨物車1台を引いてくる列車だとか言ってました。

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線路を渡り、一寸回り道して県道に入ります。甲賀市は忍者の町として売っているので、マンホールカバーも忍者です。

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忍者村の案内もあります。

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高野天満宮の案内には、隣の福生寺と並んで建てられた神仏習合の様式だと書かれていた。

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13時05分、県道を離れて右に入りました。大原商店街と書かれています。

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線路を渡るとすぐ田中酒店と書かれた酒造所があります。お店は向かい側にあったので、土産に地酒でも買っていこうと寄りました。

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出てきた若奥さんに杣街道のことを聞いてみたが、余り意識されてはいないようだった。まあ、歩く人も少ないでしょうから。13時23分に甲賀駅前を通過しました。

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鏡があったので一寸自分を写してみました。

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13時30分、再度草津線の下を潜って、県道4号線に出ました。

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ここからは歩道はありません。

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12~3分歩くと県道は油日の集落を避けて左に迂回してくれます。助かります。そこから10分一寸歩くと油日駅の入り口です。

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その一寸先にお酒屋さんと食料品店があるので、兵糧を買いに行きました。引き返して油日駅に着いたのは14時08分でした。

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柘植行は1時間に1本、毎時34分です。買ってきた兵糧で一寸待てば電車が来ます(笑)。

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街道歩きの後、帰りの電車の中で飲むお酒は、本当に美味しいですね(笑)。

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どんどん進んでいきます(笑)。

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ほかに今日は酒の粕も買ってきました。

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なので今日は粕汁に酒粕の焼いたの、そして伊賀越えの漬物、そして地酒の春の峰生原酒を熱燗で(笑)。

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お疲れ様でした。

 

 

杣街道

杣街道(そま街道)は最近知りました。しばらく歩いていないので、どこか近場で街道を探していて見つけました。

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上図のように東海道の三雲から、大和街道の柘植を結んでいます。全長で24キロほどの短い街道です。名前の由来は野洲川の支流、杣川沿いに歩くから付けられたそうです。別名、伊賀街道とも呼んでいるようです。

東海道の土山から油日、そして柘植へ、鹿深の道というのがあります。鈴鹿峠越の東海道が開かれる以前は、この道がメインだったそうです。事実、壬申の乱などでは、この道が行軍されています。この道は2回歩いています。でもその時は、この杣街道は知りませんでした。

杣街道は三雲から柘植で24キロほど、最後の油日から柘植は県道4号線ですが、歩道のない2車線道路で車も多い。鹿深の道を歩いて知っているので、今回は三雲から油日の17キロほどにしました。

2022年1月22日(土)

朝7時前のJR関西線に乗って三雲を目指します。亀山、柘植で乗り換えます。周囲は雪景色になってきて一寸予想以上です。駅のホームも凍っています。

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海道も舗装された道が大部分と思いますが、地道の部分があると心配ですね。9時に三雲に到着。まあまあです。

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北口から街道に入ります。

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駅前の通りが旧東海道です。左折すると京都方面です。何回かここへ来ています。

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今回は逆方向に歩きます。旧東海道は、ここから数百メートル上流で野洲川を渡っていました。横田の渡しと言います。

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現在東海道を歩くと、渡しは無いので、この道は通らず、直接三雲駅前へ出てしまいます。2~3分歩くと、横田の渡しの常夜灯がありました。これは後世、ここに移されたもので、当時はもう少し上流にありました。

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4~5分歩いて野洲川の対岸を見ると、水口側の横田の渡しの常夜灯が見えました。あそこから渡っています。

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更に4分歩いて9時19分、新海道という案内がありました。この杣街道を新海道と呼んだとあります。

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道は草津線の線路沿いを行きます。

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9時半ごろ、線路の向こうに園養寺への石段がありました。境内から渡しを渡る大名行列の装備を観察し、幕府へ伝える隠密寺だったとか。

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どれだけ上に本堂があるか判らないので、お参りはパスして遥拝だけ。10分一寸で甲賀市水口町に入りました。今までは湖南市でした。この辺りで杣川が野洲川に濯いでいるようで、街道は杣川の堤防になりました。

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杣川の看板から3分ほど歩くと十字路があり、街道は右折して線路を渡ります。

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踏切を渡るとすぐ左折します。

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するとすぐ岩坂の十三仏の案内があります。9時50分です。

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登ると立派な石仏です。

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詳細は不明ですが、江戸末期に近在の富豪が寄付したのではないかと言われている。5分ほど歩くと右最勝寺道の石碑があった。

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更に2分ほどで、今度は草津線の下を潜る。

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なんだか心配な道だが進んでいく。

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線路を潜ると杣川の堤防道路に出て、これを歩く。

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5~6分歩くと宇川橋があり、その先を右折する。

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一寸判りにくいが、笠山神社の案内がある。

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また草津線を潜る。

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集落端を歩いて行ったが、途中で集落の中に入るべきだったようです。瘡山神社というのがあったらしい。ともかくまた草津線の方に登ってきた。

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ここにも笠山神社の案内があった。笠と瘡の違いですね。

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また杣川堤防を歩きます。

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10時半ごろ、国道307号線を渡った。但しこれは旧国道らしい。

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街道はこんな雰囲気。

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5分ほど歩くと飯道山登山口があり、石碑に左山上庚申と彫られている。一寸気になった。

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10時40分頃、庚申口という大きな交差点に出た。ここが新国道ですね。そこにも山上庚申道の大きな石碑があった。

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ここから何キロか先の広徳寺というお寺にあるようだ。一度行ってみたいですね。交差点を渡り、今度は信楽高原鉄道の下を潜る。

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ここからしばらく県道4号線を歩きますが、歩道があるので助かります。

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振り返ると飯道山が見えます。12~3分歩くと水口から甲南に入りました。更に10分、11時06分に矢川橋で杣川を渡ります。

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渡った右手に、天保義民メモリアルパークというポケットパークがあり、大きな石塔が建っています。

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すぐそばに矢川神社という立派な神社があったので、一寸お参りしました。立派な太鼓橋と楼門がありました。

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11時20分に参拝を終え、戻ってきました。

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街道に戻って5分ほど歩くと天満宮があり、その境内で昼食休憩としました。

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長くなったので、ここで一旦終わります。後半へどうぞ。

 

 

 

2021年12月14日 (火)

矢倉沢往還その4 最終3日目

2011年12月7日(火)

昨日一寸頑張って二子玉川まで歩いたので、今日は赤坂御門まで15キロ程の行程です。午後遅くから雨の予報ですが、これなら大丈夫でしょう。

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それでも朝早く目覚めたので、昨日買っておいたサンドイッチで簡単に朝食を済ませ、6時半ごろには宿を出た。元町中華街から電車に乗り、7時20分過ぎには二子玉川から歩き始めていた。

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上の写真は二子橋袂にある自転車メーカーGIANTの店です。街道はどうも二子橋の下を潜るようなので、駅から一寸引き返してきました。

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その部分を一寸拡大してみました。GIANTの前を右折して橋を潜ります。道なりに歩くと新二子橋から来る国道246号線の下を潜ります。その辺りから二子玉川商店街で大山道の垂れ幕があります。

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しばらくこの商店街を歩きます。

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7時40分頃、小さな橋を渡りましたが、ここにも大山道と描かれていました。

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瀬田玉川神社を超えて街道は右折します。

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すぐ右手に協会があり、そこを左折していきます。広い自動車道にでるので、ここは信号のある交差点に迂回します。用賀駅方向に進むと、右からの合流点に延命地蔵の祠がありました。

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8時5分頃用賀駅前で二股を左に入ります。

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商店街を抜けて住宅街に入りますが、マンションにも大山道の案内がありました。

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8時18分、陸上自衛隊という交差点を通過。左のビルがそうらしい。

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自衛隊から10分、右手の小公園に江戸時代の旅人の像がありました。

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8時36分、世田谷通りに出て横断、すぐまたUターンして世田谷通りを渡ります。この辺りは世田谷代官おひざ元ということで売っているようです。

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3分歩くと代官屋敷が残っていました。井伊家が世田谷20ヶ村を治めた代官だそうです。重要文化財です。東京にもこんなのが残っているんですね。

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8時53分、世田谷駅前に出て右折、しばらくは世田谷通りを歩きます。15分ほど歩くと環七に出ました。

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環七を覗くと車が居ません。環七って空いているんだ。9時08分。

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更に12~3分で三軒茶屋です。

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ここを渡って左折しました。2時間歩いて疲れたので、ファミマに入って小休止しました。

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9時35分頃出発、池尻大橋を目指します。少し歩いて街道は右に入ります。再度国道に復帰した所が池尻大橋駅です。

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10時に池尻大橋駅を通過。ここからは初日からお世話になった国道246号線です。矢倉沢往還とは246号線なのですね。一寸歩くと左手に氷川神社の石段が見えました。

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氷川神社は厄除け縁結びの神様で、素戔嗚尊を祀り、8代将軍吉宗の信心が篤かったとされます。渋谷では国道から離れ、道玄坂へ廻ります。

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そして忠犬ハチ公の写真を1枚。10時半です。人出も多くなってきました。

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宮益坂を登ります。宮益の謂れは、坂の途中にある御嶽神社の門前で、宮益町と言っていたからです。別名は富士見坂だそうです。国道に復帰し、子供の国、国連大学など見ながら進みます。10時54分、善光寺の前を通りました。

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神宮外苑の前が11時11分。

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赤坂御用地の前を進みます。

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カナダ大使館、高橋是清記念講演を過ぎ、薬研坂と交わる所で右に入ります。

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入るとすぐ弾正坂があり、重要文化財の武家屋敷があります。江戸時代の老中の屋敷だそうで、重文です。先の代官屋敷とか、この武家屋敷とか、東京でも結構残っていると再認識しました。

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この先は牛鳴坂と言って、急坂です。

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国道に出ると、向かい側は豊川稲荷さんです。

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ここまで来れば赤坂御門は目の前です。青山通り(246号線)と国道4号線の合流点を、なんとか弁慶橋方面に渡って

右折すると石垣があります。それが赤坂御門跡とか赤坂見付跡とか呼ばれる、矢倉沢往還のゴールです。

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11時45分の到着でした。お疲れ様。

この後、地下鉄で銀座へ出てみました。しばらく来たことがないので、変化を見に来たのです(笑)。

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まず腹ごしらえと思ったのですが、高級料理店は無理なので、行きなれた牛丼屋さんへ(笑)。でも一寸豪華にすきなべ定食。

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新しいビルだという銀座シックスへ行ってみました。

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中へ入ってみたけど、お呼びでは無いようです。

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こりゃだめだと、今度は私に合った上野のアメ横へ。

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さすがにここは馴染めますね。昼間から飲んでる人も多くいます。

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でもここはぐっとこらえて、帰りの新幹線で飲むことに。これが楽しみですよね。出張の頃から。

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帰りは富士山が一寸、顔を見せてくれました。

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まあ、これぐらいが、身の程ですね。矢倉沢往還の前半、沼津から足柄峠越で伊勢原まで、これはまた来年に企画しましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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