2020年1月14日 (火)

熊野古道 荷坂峠

熊野参詣道で伊勢の国から紀伊の国へ入る道筋としては、古来ツヅラト峠が有名です。伊勢神宮を参拝し、続いて熊野詣でや西国巡礼をする旅人は、この峠を越えます。ツヅラト峠に立って旅人は初めて熊野灘を見たわけです。江戸時代になるとツヅラト峠に代って荷坂峠がメインのルートになりました。荷坂峠は標高241mでツヅラト峠より100mほど低いのが好まれたのでしょう。

Nisaka01jpgc

2020年1月11日(土)

山仲間のIさんと、そのお仲間5人の女性と荷坂峠に出かけました。名古屋駅を7時46分の快速三重に乗り、多気乗り換えで梅ケ谷到着は10時50分、3時間も掛かります。梅ケ谷から紀伊長島駅は8キロ、3時間弱の行程なので、健脚の人には物足らないので、ツヅラト峠を下って荷坂峠を登ってくる人も居ます。梅ケ谷から紀伊長島は登りが少なく楽ですが、逆はしんどいですね。

まず、八柱神社にお参りしました。

Dscn7944jpgc

11時に出発して国道沿いの歩道を30分一寸歩くと、庚申さんなど3体の地蔵さんがあります。

Dscn7950jpgc

更に7分ほど、11時42分に旧道の入口です。ここには木工の趣味の店を開いて居る方が居ます。

Dscn7956jpgc

12~3分で国道を渡ります。国道は荷坂トンネルを潜って紀伊長島へ向かいます。

Dscn7959jpgc

国道から3分で荷坂峠です。登り坂は無かったも同然です。

Dscn7963jpgc

一応記念撮影しました。

Dscn7964jpgc

ここを下り始めたのが12時05分です。なだらかな道です。

Dscn7967jpgc

10分ほど下ると長島湾が見え、沖見平と勘違いしましたが違いました。

Dscn7968jpgc

右後方に国道42号線が見えます。

Dscn7971jpgc

今度は左前方下にJRの線路が見えます。

Dscn7972jpgc

トンネルが見えるとすぐ沖見平の登り口があります。沖見平まで50mです。12時25分です。

Dscn7973jpgc

ここも長島湾が見え、ベンチが2つあり、ここで昼食休憩にしました。

Dscn7974jpgc

20分ほどで昼食を終え、下り始めると、明治の道と江戸の道の標識が出てきます。簡単に言えば江戸の道は直登に近く、明治の道は緩やかなジグザグ道です。明治の道を降ります。

Dscn7978jpgc

沖見平から30分の下りで片山側登り口です。

Dscn7987jpgc

江戸の道が世界遺産の登り口になっていました。

Dscn7991jpgc

登り口から2分ほど歩くと立派な猪垣が残っています。ここまできれいなのは珍しいですね。

Dscn7994jpgc

Nisaka02jpgc

田圃に出ると鹿よけの網が並んで居ます。振り返ると今降りて来た山並みがきれいでした。

Dscn8000jpgc_20200114104101

しし垣から7~8分で一里塚跡があります。

Dscn8001jpgc

更に3~4分で国道を潜ります。

Dscn8002jpgc

潜るとすぐ立派な公衆トイレが出来ていました。一寸休憩しました。

Dscn8003jpgc

トイレから10分一寸で道の駅まんぼうです。

Dscn8007jpgc

皆さんはここで買い物の後テラスで缶ビールなど飲み始めました。私は紀伊長島のスーパーで買い物がしたかったので、皆さんと別れました。紀伊長島からの列車は14時台と15時台は1本も無いのです。2時間ほど時間を潰す必要があります。

長島駅方向の道案内に従い、片上池の遊歩道で駅を目指しましたが、熊野古道に忠実に歩くなら、図の青線がそうです。

Dscn8014jpgc

紀伊長島駅へは道の駅から15分~20分、14時32分に到着しました。

Dscn8016jpgc

ここで一寸気が変わって、以前何回か歩いたことのある、紀伊長島港付近の魚まちを歩いてみることにしました。ここは紀伊長島から尾鷲に向かう熊野古道沿いで、一時期は熊野古道を歩くハイカーを呼び入れようと宣伝を結構していました。

14時45分頃、長島橋を渡りました。海を見ています。

Dscn8018jpgc

古びた街並みの熊野街道を半分ほど歩いてみました。一寸寂れていますね。全国共通の悩み、過疎でしょうね。

Dscn8027jpgc

魚まちの地図です。

Dscn8030jpgc

帰りにスーパーへ寄って、サザエとアワビを買いました。缶ビール、お酒、お惣菜を買って駅に帰ってくると、丁度皆さんも駅に到着しました。まだ時間は30分以上あり、16時20分まで駅のベンチで小宴を開きました(笑)。

お土産に買ったサザエとアワビは翌日の夜のご馳走になりました。

Dsc_0601jpgc

アワビは1個は刺身、1個はステーキです(笑)。

 

 

 

 

 

 

2020年1月12日 (日)

高野街道2日目後半

2020年1月6日(月)

地図を再掲します。現在11時半。紀見峠から下ってきて、国道371号線の橋本バイパス入口、図の中央付近、不動堂の一寸下あたりに居ます。

Kouya10jpgc

7分ほど歩くとお寺の旗がはためいていました。街道はこの辺に降りてくるのが正解でしょう。さらに7分、11時44分に五里石を見つけました。

Dscn7841jpgc

さらに5分、清恭寺というお寺の向こうで右折し、高架道路の下を潜ります。11時50分頃です。

Dscn7844jpgc

街道は少し登りながら御幸辻駅の方へ進んでいきます。

Kouya11jpgc

御幸辻という場所があるならこの辺りだなという場所、駅の近くです。12時10分。

Dscn7850jpgc

すぐに牛頭天王がありますが、ここで一寸間違えました。

Dscn7853jpgc

牛頭天王の手前を左折してすぐ右折が正解で、すぐ国道に合流します。12時20分です。もう少し行けば食堂があったはずだと国道を歩きます。

Dscn7856jpgc

12時半過ぎ、自動車道の少し手前に目当てのラーメン屋さんがありました。人気の店みたいです。

Dscn7860jpgc

13時に店を出ました。自動車道の下を潜る道を探しましたが裏道は無く、引き返して国道を歩きました。20分ほど歩くとJR和歌山線の高架を潜ります。ここに高野街道の大きな看板があります。

Dscn7864jpgc

実は昨年4月、大和上市~和歌山城まで和歌山街道を歩きました。そのときここを通っています。潜るとすぐに分岐があり、高野街道の道標があります。

Dscn7868jpgc_20200112191601

ここは右へ行きましたが、必ずしも正解で無いかもしれません。ここに四里石があるとの情報でしたが見当たりませんでした。13時30分国道24号線に出ました。

Dscn7871jpgc_20200112191601

直進して紀ノ川の土手に出て、当時は渡しが有ったのでしょうが、今はありません。左折して橋本橋を渡るのが現代の高野街道です。一応直進してみましたが土手に登る道が無く、国道に戻りました。橋本橋の手前堤防に、東家渡し場大常夜燈がありました。

Dscn7873jpgc_20200112191601

四里石もここに移されていました。13時35分です。

Dscn7875jpgc

橋本橋の手前に高野七口の一つ黒河道の案内があり、平成28年に世界遺産になったと書かれていました。

Dscn7877jpgc_20200112191601

我々が進んでいる高野街道は学文路から不動坂道になるのですが、ここはまだ世界遺産ではないような。有吉佐和子の小説紀ノ川を思い出しながら紀ノ川を渡ります。

Dscn7879jpgc_20200112191601

Kouya12jpgc

渡ってすぐ右折し、紀ノ川から離れかけた所に三軒茶屋大常夜燈があります。

Dscn7885jpgc_20200112191601

そこから5分一寸、13時56分に西行庵とも言われる六地蔵堂があった。13時56分です。

Dscn7893jpgc

国道371号線の下を潜ると鎌不動明王のお堂があります。謂れは解りません。

Dscn7899jpgc

14時18分、左側に学文路天満宮の鳥居がありました。学文路天満宮は左手の山の中腹にあるようです。

Dscn7907jpgc

14時30分、かむろ地蔵尊がありました。聖徳太子ゆかりの学問の地蔵さんだそうです。

Dscn7913jpgc

その前に三里石があります。

Dscn7914jpgc

もう学文路駅はすぐです。14時40分に電車がありますが、無理しないことにしました。14時34分国道370号線を渡ります。郵便局の前に国境の碑がありました。紀州藩の領地と寺領の境だそうです。

Dscn7922jpgc

再度国道に帰ってきたのが14時37分。今回の我々の行程はここで終わりです。

Dscn7925jpgc

ここから高野七口の一つ不動坂の登りが始まります。右へ国道を200m進めば学文路駅です。

Dscn7926jpgc

走れば間に合いそうですがやめました。学文路駅に着いた時、丁度電車が出ていきました。

Dscn7927jpgc

13時15分の電車で難波に向かいました。橋本乗り換えです。途中、昨晩泊まった紀伊見荘がみえました。

Dscn7932jpgc

16時25分に難波について、お疲れ様と反省会は、いつものことです。

Dscn7933jpgc

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年1月10日 (金)

高野街道2日目

2020年1月6日(月)

今日は昨日終了した三日市から紀見峠越で高野山麓の学文路(かむろ)駅まで22キロほどです。

Kouya07jpgc

紀伊見荘を7時40分頃出て紀見峠駅に向かいます。途中、良さそうなお寺がありますが素通りです。

Dscn7752jpgc

8時10分頃、三日市町駅を出発しました。

Dscn7754jpgc

駅前のスーパーが7時半から開いていて、弁当を買うつもりでしたが、食堂まで歩けそうなのでやめました。

Kouya08jpgc

街道に入るとすぐ左手に八里石があります。

Dscn7756jpgc

街道は10分ほどで国道に合流します。旧の371号ですね。8時半頃、その国道を右に分れ、旧街道が始まります。371号線のバイパスを陸橋で越えると石仏地区です。旧街道の雰囲気を残す立派な民家もあります。

Dscn7763jpgc

8時40分頃国道に下ってきますが、ここでバイパスが左に分かれます。高野街道は右の旧371号線です。

Dscn7765jpgc

ただ国道は車が多いので、両国道の間の下を流れる天見川沿いの道を前回は歩いたようです。今回は国道を歩きます。

Dscn7766jpgc

20分ほど国道を歩いて左に折れます。

Kouya09jpgc

折れると郵便局があるのが目印です。

Dscn7768jpgc

すぐにお堂があり、角に道標があって、右こうやと刻まれています。左はすぐ千早口の駅でしょう。

Dscn7771jpgc

道は細く、街道の雰囲気があります。

Dscn7772jpgc

9時15分頃、右手に壊れかけたようなお堂があります。弘法大師のお松明と案内があります。

Dscn7773jpgc

すぐに旧国道と合流し左折します。

Dscn7776jpgc

国道を3~4分歩くと右側に七里石がありました。

Dscn7777jpgc

9時35分頃、左手に学校がありました。この付近に天見駅が有るんでしょうね。さらに10分歩くと、左からバイパスが合流してきました。

Dscn7787jpgc

右手に観世音菩薩の旗が並ぶお寺の付近で衣服調整の休憩をしました。これから峠に向けて登ると暑くなるだろうと思ったのです。20分ほど歩いた10時7分頃、旧国道との分岐に来ました。左は紀見トンネルに入って行きます。

Dscn7793jpgc

街道は旧国道で、曲がりくねりながら登って行きます。紀見峠の標高は400mなので、100mほどの登りでしょうか。

Kouya10jpgc

25分ほどの登りでトイレがあり、ここが金剛山から下ってきたダイアモンドトレイルとの合流点でした。

Dscn7801jpgc

そこから5分で紀見峠です。街道は左を少し登ります。

Dscn7806jpgc

そこに六里石があります。並んで建っているのが、世界的に有名な数学者、岡潔先生の生誕地という石碑です。

Dscn7808jpgc

そう言えば先ほどから「情緒の道」岡潔と刻まれた石碑が所々にありましたね。ちらっと見える紀伊山地の山々を見ながら3分も歩くと大きな石碑もありました。

Dscn7814jpgc

紀の国が見えるから紀見峠かと思いながら紀見峠宿を下って行きます。

Dscn7815jpgc

細い急坂を下って行くと旧国道を横断しました。10時53分です。

Dscn7820jpgc

更に下って行きます。

Dscn7823jpgc

国道から10分弱で紀見峠駅への道が右に分れます。

Dscn7825jpgc

11時8分に国道へ下ってきました。柱谷という地名のようです。右折します。

Dscn7827jpgc

国道を15分ほど歩いて左折します。11時25分頃です。

Dscn7832jpgc

入るとすぐ不動堂があります。そろそろ空腹だなと思いながら歩いて、道を間違えました。二股で国道へ行く右を選んでしまいました。旧道は食堂が無さそうに思えたのかもしれません(笑)。11時30分、橋本バイパスの入り口に降りてきてしまいました。

Dscn7835jpgc

引き返すのも面倒なので、そのまま国道を歩くことにしました。

2日目後半に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年1月 8日 (水)

西高野街道初日後半

地図を再掲します。現在、十一里石下の分岐道標に居ます。13時35分です。

Kouya04

ここから道は下り坂です。おわり坂と呼ぶようです。正面に見えるのは金剛山地で、左が葛城山、水越峠を挟んで右が金剛山だそうです。

Dscn7636jpgc

坂を下り切って三津屋川を渡りますが、その手前に牛滝地蔵があります。道が判らずうろうろしていましたが、牛滝橋の袂に案内がありました。

Dscn7640jpgc

この辺りが下高野街道との合流点という話もありますが説明はありません。地元の案内図には、下高野街道は中高野街道と合流するようにも描かれています。

橋を渡って右折、街道は一寸寂しい道を通って、茱萸木(くみのき)という難しい読み方の地域に入って行きます。

Dscn7642jpgc

14時10分頃、玄昌法師地蔵、通称さけかけ地蔵さんがありました。

Dscn7647jpgc

さらに10分ほど歩くと左側に十里石がありました。

Kouya05

Dscn7652jpgc

14時25分頃河内長野市に入りました。ここからは一寸小ぶりの石の街道案内に変わります。14時30分、道が二股に分れていて案内が無いので迷いました。地図を一生懸命読んで上に登りました。ここに案内が欲しいなあ。

Dscn7659jpgc

坂道から10分っ少々、道がX字に交わる交差点に出ました。ここが中高野街道との合流点です。

Dscn7660jpgc

Dscn7661jpgc

合流点から20分ほど歩いて15時一寸過ぎ、右手に晴明塚がありました。陰陽師の阿倍野晴明に関係する塚でしょうね。

Dscn7671jpgc

ゆるやかに坂を下って15時10分、国道170号線の下を潜りました。

Dscn7673jpgc

もう河内長野駅も近いですね。潜るとすぐ旧阿弥陀寺石仏群というのがあります。

Dscn7674jpgc

街道はこの辺りで左折して1本東の道に移るという説もありますが、どうも直進が自然なので直進しました。国道371号線を渡った所に、近江膳所藩代官所跡というのがありました。この辺り、膳所藩の領地だったのですね。

そのすぐ隣に行者堂があり、そこに九里石もあります。なのでこの道が街道でいいのですが、このての道標は何かの理由で動かされるので、確証にはなりませんね。

Dscn7681jpgc

15時25分頃駅前の商店街に入ってきました。コンビニへ入ってトイレなどお借りしました。

Dscn7686jpgc

15時30分、駅前に来ました。ここまでのどこかで東高野街道との合流点が有るはずですが、説明はありませんでした。1本東の道にあるのかもしれません。ここからは西や東は無くなり単に高野街道になります。

Dscn7687jpgc

今日の宿は紀見峠の向こうの紀伊見荘に予約しています。時間もまだ早いので、もう一駅、三日市町まで歩くことにしました。高野街道の入り口には大きな案内のモニュメントが作られています。

Dscn7690jpgc

このモニュメントを見て思い出しました。実は3年前、高野山の大峰道を歩いたとき、その前日にここから天見駅まで歩いていたのです。Oさんも一緒だったのですが、彼もすっかり忘れています。お互い、歳なんですね(笑)。

5分ほど会歩くと酒蔵があります。西条合資会社だそうです。右側は店舗、左側は旧店舗と土蔵で有形文化財です。ここの天野酒は大阪が誇る銘酒だとOさんが言っていました。

Dscn7699jpgc

街道は国道371号線を横切り、登りになって行きます。別久坂と呼ぶそうです。15時40分です。

Kouya06

10分ほど田舎道を歩くと右手に烏帽子形神社があります。山頂には烏帽子形城があったそうで、楠木正成が築いた城の一つとか。

Dscn7703jpgc

高札場跡を過ぎ、神社から7~8分で再度国道を陸橋で越えました。

Dscn7710jpgc

陸橋を降りて左折すると街道の面影です。

Dscn7713jpgc

天見川を渡った所に天誅組と三日市油屋の碑がありました。16時過ぎです。

Dscn7715jpgc

ここ三日市は高野街道の宿場町として栄え、油屋は本陣だったそうです。他にも旧家はあり宿場の雰囲気があります。八木家は酒屋で一政宗宇喰っていたとか、有形文化財です。

Dscn7722jpgc

16時8分には三日市町駅に到着しました。

Dscn7723jpgc

三日市町から紀見峠駅は15分ほどです。紀見峠駅から紀伊見荘は徒歩5~6分でしょうか。お風呂に入って楽しみの夕食です。まず乾杯。

Dscn7734jpgc

さっそく例の大阪が誇る銘酒と熊野古道のお酒を頂きました。

Dscn7739jpgc

その後も紀伊見荘焼酎を飲み、一寸飲みすぎたなあ。明日の紀見峠越に響かなければいいけど。

Dscn7744jpgc

おやすみなさい。

 

 

 

 

西高野街道

京・大坂から高野山の麓に至る道は4本あります。下の写真のように、京都からは石清水八幡宮からの東高野街道。大阪からは堺からの西高野街道です。中間に四天王寺からの下高野街道、平野の抗全神社からの中高野街道です。

Dscn7663jpgc

4本の道は河内長野では1本になり、そこからは単に高野街道と呼ばれて、紀ノ川を渡り、学文路(かむろ)に至ります。学文路からの登山道は高野七口の内、不動坂口と呼ばれ、山上の女人堂がゴールでした。

今回は、その内の西高野街道をたどり学文路までの42~43キロを一泊二日で歩きました。同行は大阪のOさんです。

2020年1月5日(日)

令和2年の初街道歩きです。朝9時25分頃、南海電車の堺駅に到着しました。初日の今日は18キロ先の河内長野か、出来れば、もう一駅か二駅まで歩きたいと思っていました。翌日は紀見峠越が有るので、すこしでも初日に稼いでおきたいところです。

Kouya01

堺駅から東へ延びる大小路通りを進み、最初の大きな交差点に阪堺電車の大小路駅があります。この南北の通りは旧紀州街道です。

Kouya02

この交差点が西高野街道と竹内街道の起点になっています。以前、竹内街道を古市から歩いて来たときは、ここがゴールでした。

Dscn7558jpgc

9時40分頃、ここを出発して東に向かいます。15分位で南海高野線の堺東駅にぶつかります。右は堺市役所です。この展望室からは仁徳天皇陵など古墳群が一望できます。交差点には仁徳天皇陵への道標があります。

ここを右折すると、すぐ左に分かれる細道がありますが、これが西高野・竹内街道です。

Dscn7569jpgc

入るとすぐ南海線を渡るのですが、その手前に、石仏がいろいろ祀られています。その中に高野街道の十三里石があります。

Dscn7574jpgc

高野山上の女人堂までの距離を表しています。踏切を渡り、少し行くと、竹内街道との分岐点があります。左が竹内街道です。10時10分です。

Dscn7577jpgc

すぐに国道310号線の陸橋を渡りますが、ここは熊野街道も合流して橋を渡ります。渡った所に仁徳天皇陵がありますが、熊野街道は御陵の右側へ、西高野街道は左側へ進みます。陸橋だけ一緒に渡るのです。

Dscn7580jpgc

Dscn7581jpgc

街道は1キロほど国道を歩きます。

Dscn7589jpgc

1キロ程で左折して、1本東の道に入るのですが、案内が無いので通り過ぎて引き返したりしました。目印はファミマを過ぎた細道で、入ると梅北町になります。1本目を右折すると案内があり、ほっとします。10時42分でした。

Dscn7592jpgc

そこから10分位歩くと、右手住宅の裏手に表塚古墳があります。

Dscn7597jpgc

中百舌鳥駅の近くを通り、11時08分に再度国道に出ました。正面は大阪府立大学です。左折してすぐまた左折します。電柱に案内があります。

Kouya03_20200108091901

Dscn7599jpgc

入るとすぐ白鷺公園が有り西高野街道の説明があります。白鷺駅も近いのですね。公園を過ぎ、鋳物工場やため池を過ぎると街道らしい雰囲気の家が並びます。公園から12分ほどの左側に十二里石がありました。お堂もあります。関茶屋という辺りです。

Dscn7609jpgc

十二里石から13分ほどで阪和自動車道の下を潜ります。更に15分、12時丁度に分岐地蔵堂と道標がありました。右高野、左滝谷金剛とか刻まれています。

Dscn7615jpgc

当然右なのですが、何故か左に行きました(笑)。誰かの紀行文に左へ行ったと書かれていたのです。この辺りで昼になると予測していたので、食堂を調べていました。ここから少しで国道を渡りますが、その国道沿いの中華料理店に近い道を選んだのかもしれません。いずれにしてもこの道は街道に並行しています。

国道を一寸左折して食堂に行き、昼食休憩しました。12時10分です。

Dscn7619jpgc

12時50分頃店を出て、元の道に復帰しました。10分ほど、その道を歩いた後、右折して並行する街道に戻りました。そこには西高野街道の案内がありました。やはり街道は良いですね。

Dscn7623jpgc

道はしばらく変化なく、淡々と歩きます。

Kouya04

25分ほど歩いた時、左から道が合流してくる場所に十一里石がありました。写真は振り返っています。

Dscn7626jpgc

直ぐに陸橋で県道を渡ります。

Dscn7627jpgc

渡るとすぐ左手に岩室郵便局跡など3個の新しい石碑があります。更に進むと、また道が二股に分れ、お堂と道標があります。今度は道標に従い、左こうやで左に入りました。13時35分です。右は天野街道というようです。

Dscn7632jpgc

長くなるので一旦終わります。続きは後半で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年12月23日 (月)

西国街道2日目

2019年12月20日(金)

今日は石橋から神戸の三宮駅まで30キロほどの予定です。

Saigoku10jpgc

昨晩は久しぶりにFさんと逢って一寸飲みすぎ食べ過ぎたので、朝はまだお腹も空いていなかった。それで朝食抜きで7時15分位に宿を出発しました。

Saigoku11jpgc

宿を出てしばらくすると阪神高速の下をくぐりますが、下の道路のさらに下を階段で2度も潜りました。

Dscn7339jpgc

潜ってすぐ右手に受楽寺というお寺が有り、大きな石碑があるので眺めてみると、落語家の桂春団治の碑でした。

Dscn7342jpgc

受楽寺を出て軍行橋へ向かうと、手前の国道171号線に浄源寺というお寺があり、境内に大きな銀杏の木がありました。そこに西国街道の案内があり、ここ下河原の目印になっていたようです。

Dscn7345jpgc

7時45分、猪名川を軍行橋で渡りました。

Dscn7349jpgc

渡ってすぐ堤防道路を南下するのですが、歩道が無く、車も多いので嫌な道です。堤防を右に降りると歩道があり、西国街道の案内も有ったのでほっと一息です。

Dscn7350jpgc

この辺り、伊丹空港からの飛行機が、ひっきりなしに飛んでいます。

Dscn7352jpgc

工場地帯を抜けて行くと県道13号線にでます。その手前右側に多田街道という案内がありました。説明では、ここ北村は多田街道(多田村に多田院というお寺があったみたい)の交差点、辻だそうです。

Dscn7353jpgc

県道を越えると急な登り坂です。伊丹坂と呼ぶようです。今回私が辿った京都から三ノ宮では、唯一ここだけが急坂でした。

Dscn7358jpgc

坂の途中に和泉式部の墓120mの案内が有ったので見に行きました。8時頃です。

Dscn7359jpgc

短い伊丹坂を登り、少し行くと大鹿という地域に入ります。坂上田村麻呂が狩りで大鹿を射止めたのにちなむそうです。大鹿は西国街道と有馬道の交差点だそうです。先に西国街道は豊臣秀吉の朝鮮出兵のとき整備されたと書きましたが、ここの説明では、平安時代に京都と大宰府を結ぶ道として整備されたそうです。

Dscn7367jpgc

また大鹿は清酒剣菱の里だそうです。8時20分頃、兵庫県伊丹庁舎のまえを通りました。これから昆陽宿へ向かうのですが、その間にもいろいろ西国街道の案内や道標があります。

Dscn7380jpgc

Dscn7384jpgc

8時40分頃、また国道171号線に合流しました。西天神社入口とあります。

Dscn7386jpgc

左折して少し行き、県道と合流する辺りで地下道を潜りました。また左折して一旦国道と分かれるのですが、その前に近くの昆陽寺へ行くことにしました。昔は昆陽寺山門は西国街道に面していたそうですが、道路工事などで変わったのでしょうか。

Dscn7387jpgc

境内を一渡り参詣していると空腹になってきました。境内の東屋をお借りして、昨日Fさんが今日のお弁当に呉れたバッテラを食べることにしました。

Dscn7392jpgc

食べ終わって昆陽寺を出たのが9時10分頃です。一寸引き返して寺本東から街道に復帰しました。

Saigoku12jpgc

この道でいいのかなと思いながら行くと、小公園に閼伽井の井戸の案内がありました。

Dscn7400jpgc

一旦国道に出て、すぐまた国道と分かれます。街道は直進して武庫川の堤防にぶつかります。昔はここから渡し船で対岸に渡った訳ですが、今は無いので、下流の甲武橋を渡ります。ふと思いついて堤防を登り、堤防道路に出てみました。するとやはり髭の渡しの案内がありました。

Dscn7405jpgc

髭をはやした老人が営む茶屋があったので、髭の渡しと呼ばれたのだそうです。朝のウオーキングを楽しんでいる地元の人に混じって、河川敷を歩いて甲武橋まで下り、橋を渡りました。

Dscn7410jpgc

対岸でも河川敷に降りると自転車道路がありました。9時35分です。

Dscn7412jpgc

先ほどの髭の渡しの説明まで遡った辺りに階段があり、堤防道路を渡って下に降りました。一寸引き返すと、そこは報徳学園でした。甲子園でよく聞く学校でしょうか。その北側の道を行くと、西国街道の案内がありました。無いと見逃しそうな細い道です。

Dscn7413jpgc

ここからも解りにくく曲がりますが、要所に案内があるので助かります。

Dscn7414jpgc

新幹線の下を潜り、街道は門戸厄神駅へ向かいますが、途中に昔の道標が2基。甲山観音と厄神明王への参道を示します。聖徳太子ゆかり厄神さんは昔から参詣が多かったのでしょうね。

Dscn7418jpgc

門戸厄神駅からは多勢の若い女性が下りてきます。何があるんだろうと思いましたが、神戸女学院があるのでした。

Dscn7423jpgc

10時15分頃、再度国道に合流しました。

Dscn7424jpgc

右折して少し進み、青木町という辺りで左折して、海岸方面へ進みます。阪急電車を潜り、国道2号線を渡って、阪神高速の手前を右折して神戸方面に向かいます。

Saigoku13jpgc

西宮神社に着いたのは10時43分です。資料によっては東寺からここまでを山崎道、ここから下関までを山陽道と呼んでいます。

Dscn7434jpgc

お酒の神様ということで、丁寧に参詣しました(笑)。余談ですが、ここのトイレは素晴らしいですね。

Dscn7437jpgc

10時55分、神社を出ました。三宮までは、後15キロ位でしょう。ここからしばらくは阪神電車に沿って進みます。香露園駅、打出駅と通ります。打出駅前で一寸道を間違えました。

Dscn7444jpgc

芦屋駅付近で国道2号線に合流すると、まもなく神戸市に入ります。11時半頃です。

Dscn7453jpgc

一寸判り難いのですが、本山中町を過ぎた辺りに天上川と言う小さな川があります。そこを右折して、田中公会堂の前を左折するのが街道みたいです。

Saigoku14jpgc

少し行くと右手にくび地蔵という変わったお地蔵さんがあります。

Dscn7456jpgc

一寸坂を登って再度国道に合流します。住吉川を渡り、住吉駅前付近を左折します。一寸南下すると住吉公園があるので、そこを右折して、公園に沿って進みます。すると阪神電車の御影駅です。この付近は灘五郷の一角で、菊政宗など酒蔵が多いのです。今年3月に酒蔵巡りをしたので懐かしい場所です。12時05分頃です。

御影駅を過ぎ、学校の横で右折すると前方に立派な黒松があります。近づくとやはり街道の案内がありました。ここを左折します。

Dscn7462jpgc

石屋川にかかる小さな橋は一里塚橋です。昔は一里塚が有ったのですね。写真は振り返っています。

Dscn7465jpgc

一寸南の阪神沿いの道を行きます。新在家駅を過ぎ、学校で右折します。ここは学校の正門の前に、烏帽子地蔵という小さなお堂があります。学校の名前も烏帽子中学です。

Dscn7472jpgc

大石駅付近の都賀川という小さな川で右折、一旦国道2号線にでます。国道は麻耶駅付近で左折していきますが、街道は直進です。道なりに進むと前方に神戸市役所のビルが見えてきます。住友ゴムビルのポケットパークで小休止しました。ビルを越えた辺りに西国街道の案内があります。12時50分です。

Dscn7475jpgc

大安亭市場とかがあり、その前にも西国街道の案内があります。さらに進みます。

Saigoku15jpgc_20191223201201

もう三宮は目の前ですが、生田川を渡る雲井橋にも西国街道の看板が掛かっています。

Dscn7481jpgc

繁華街を通り抜け、13時丁度に三宮駅到着です。そこにも西国街道の案内があります。

Dscn7486jpgc

二日間お疲れ様でした。三ノ宮付近を一寸ぶらぶらして、新大阪に行き、そこから新幹線で帰りました。

Dscn7488jpgc

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年12月22日 (日)

西国街道1日目その2

地図を再掲します。左下です。

Saigoku04jpgc

12時半頃店を出て、少し行くと芥川の一里塚です。当時の木かどうか解りませんが、木も残っています。

Dscn7249jpgc

この一里塚は芥川宿の東口に有ったと説明されているので、ここから先が芥川宿なのですね。すぐに芥川でしょうか、小さな川を渡ります。その袂に橋詰地蔵とか、2.3の道標がありました。ここまでが芥川宿です。

Dscn7258jpgc

Saigoku05jpgc

橋を渡り、氷室町に入ると妙見道の道標があります。更に進むと藍野大学があります。その先の東太田4丁目の交差点を右折すると、継体天皇陵があります。

Dscn7267jpgc

更に先へ進むと右手の公園の中にも継体天皇陵がありました。二つの関係はどうなっているのでしょう。

Dscn7266jpgc

疑問は解明せず先に進みます(笑)。この辺りは既に茨木市に入っています。茨木市でも西国街道の案内が随所に有り、心強いです。名神を潜り耳原に入ります。何か由緒ありそうな地名ですね。

茨木川を渡ると中河原です。ここは戦国武将中川清秀の生誕地で、西国街道と亀岡街道が交差する、交通の要衝だったそうです。

Dscn7279jpgc

13時33分に、このポケットパークを出発、郡山宿本陣に向かいます。10分ほどで着きましたが、工事中でした。大阪北部地震とやらで崩壊の危険ありと判断されたようです。

Dscn7287jpgc

更に3キロ、15分ほどで大阪モノレール豊川駅の下を通過します。14時頃です。

Saigoku06jpgc

Dscn7297jpgc

ここを越えると、すぐ箕面市に入ります。14時25分頃、勝尾寺参道の鳥居を通過しました。

Dscn7301jpgc

今宮の交差点を渡り、14時40分頃、国道171号線に合流しました。

Dscn7308jpgc

国道423号線との交差点を過ぎ、適当に左折して萱野三平旧宅を目指しました。一寸道に迷って引き返したりしましたが、なんとか14時55分には辿りつきました。

Dscn7311jpgc

萱野三平は赤穂義士外伝で有名な話です。一寸邸内を見学しました。無料です。再度国道に合流して、牧落の交差点で、今度は右に入ります。

Dscn7322jpgc

高札場跡は説明だけです。そこは西国街道と箕面道の交差点でもあります。石橋のある池田市はもうすぐですね。

Dscn7326jpgc

この先の半町や瀬川付近は昔の馬駅や本陣の有る宿場だったそうです。

Dscn7329jpgc

ここを過ぎると池田市で、すぐ阪急の石橋阪大前駅です。宝塚線と箕面線がここで分かれます。ホテルは駅のすぐ近くです。

Saigoku07jpgc

Dscn7330jpgc

この近くに、私の母の代から家族ぐるみでお付き合いしていたFさんが居られるので、今夜一杯やりましょうと連絡してありました。

Dscn7334jpgc

Dscn7332jpgc

Fさん、いろいろ有難うございました。

Dscn7335jpgc_20191222144901

2日目に続きます。

 

 

 

 

 

西国街道1日目その1

西国街道は京都から下関まで瀬戸内海に沿って伸びる577キロの街道です。豊臣秀吉の朝鮮出兵の折に整備され、江戸時代には西国大名が大阪や京都の街中を通らず参勤交代する街道として利用されました。

今回その京都から神戸の三宮まで70キロほどを一泊二日でポタリングしました。

Saigoku000jpgc

2019年12月19日(木)

1日目は京都駅から大阪府池田市の阪急石橋阪大前駅まで40キロ弱の行程です。

Saigoku00jpgc

軽量8キロほどの折りたたみ自転車を京都駅で組み立て、7時50分頃には出発しました。

Dscn7131jpgc

西国街道の起点は一応東寺の辺りと言うことで東寺に向かいました。8時05分頃到着です。

Dscn7139jpgc

Saigoku01jpgc

平安京の時代、都の中央を南北に通る朱雀大路があり、その南の入り口が羅城門で、その東西に東寺と西寺がありました。東寺は今も健在で、その五重塔は京都のランドマークですね。羅城門は九条通りから一寸入った小公園に石碑があります。

Dscn7143jpgc

西寺は羅城門の一寸西に西寺公園があり、そこに石碑と礎石が少し残っています。

Dscn7147jpgc

それらを一応一通り見て、8時半頃、ようやく吉祥院の西国街道に入りました。入るとすぐ右手に「ひむき地蔵」さんのお堂があり、そこに西国街道の案内が建てられていました。

Dscn7151jpgc

その石碑の上面の説明に577キロが書かれていました。

Dscn7155jpgc

吉祥院を過ぎ、桂川を久世橋で渡ります。渡ってすぐ堤防を南下、愛宕大権現の参道石碑が目印で進みます。9時10分頃、JRの線路を地下道で潜り、向日町駅を通過します。

Saigoku02jpgc

阪急の踏切を渡った商店街の入り口に、大きな西国街道の案内がありました。街道筋の市町村は意外と西国街道を意識しているようです。

Dscn7163jpgc

この向日市の街道筋は石碑や道標がいろいろ建っていて、目を楽しませてくれます。

Dscn7170jpgc

向日神社を過ぎ、道が石畳の舗装になり、9時40分頃一文橋に来ました。ここにも西国街道の石碑や観光案内があります。バス停では次が一里塚です。

Dscn7177jpgc

Dscn7180jpgc

一文橋から10分弱で神足商店街に入ります。「こうたり」と読みます。JRの神足駅が今は長岡京駅と名前を変えました。

Dscn7183jpgc

商店街を過ぎると京都縦貫道の下を潜ります。ここが調子八角という交差点です。

Saigoku03jpgc_20191222091401

ここは西国街道から丹波街道が分岐する交通の要衝だったそうです。10時10分頃ですが小休止しました。

Dscn7195jpgc_20191222091601

大山崎町に入り、天王山を右手前方に見ながらす進みます。名神高速の下を潜り、すこし行くと大山崎黒門跡という、山崎合戦ゆかりの地があります。そこに石敢當の石碑を見て目を疑いました。

Dscn7203jpgc_20191222091601

石敢當は沖縄で道の突き当りに置く魔除けですが、沖縄以外では見たことがありませんでした。写真は私の創作で、石敢當の文字は石碑の側面に彫られています。見えないので創作したのです(笑)。西国街道に石敢當が有るとわねえ。

Dscn7204jpgc_20191222091601

離宮八幡宮が10時35分頃、一寸お参りしました。ここ大山崎は桂川・宇治川・木津川の三川が合流して淀川となる水運の要衝です。対岸には石清水八幡宮があり、両社は密接な関係にあるようです。またこの離宮八幡宮の神人が、室町時代、油の独占販売権を得て、強大な権力を持っていたと歴史で習ったような。

Dscn7208jpgc_20191222091601

離宮八幡宮を過ぎると大阪府島本町に入ります。そこにサントリーの山崎工場があります。

Dscn7219jpgc_20191222091601

JR島本駅の近くに桜井駅跡があります。

Saigoku04jpgc

駅と言っても現代の駅ではなく、駅(うまや)です。奈良時代ごろから始まったそうですが、替え馬を配置した役所のようです。ここ桜井駅は室町時代足利尊氏の大軍を迎え撃つ楠木正成が、我が子正行と別れた桜井の別れで全国に知られています。

Dscn7223jpgc

11時頃、桜井駅を後にしました。島本町を出ると高槻市梶原です。ここに何かのお堂と思って通り過ぎそうですが、一里塚跡の案内がありました。道の反対側にも何か史跡があったような(笑)。

Dscn7236jpgc

一里塚跡から3キロ程でしょうか、20分一寸かかって11時35分頃、関西大学の大きなビルが左手に現れました。

Dscn7243jpgc

そろそろ空腹で街道を左折して高槻駅に行ってみましたが、自転車も置けそうな気に入った店がありません。高槻駅付近は過って芥川宿という宿場町だったそうで、その名の付いた商店街を歩いていると、「芥川仇討の辻」に出た。江戸時代初期の有名な仇討美談がある場所だそうです。

Dscn7245jpgc

この辻の近くの中華料理店で昼食休憩にしました。11時55分頃です。

Dscn7247jpgc

午後の後半に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年11月 7日 (木)

北国街道ポタリング3日目 福井~加賀温泉その2

12時10分頃昼食を終えて出発すると、すぐ吉崎道分岐でした。

Hokuriku37jpgc_20191107094101

左は吉崎御坊への道、右は旧北陸道です。右は親鸞聖人が辿った道、左は蓮如上人が辿った道です。

Dscn6232jpgc

右は当時急な坂道で「のこぎり坂」と呼ばれたそうです。

Dscn6233jpgc

10分弱のこぎり坂を登ると、一寸開けて太陽光発電があり、街道はさらに少し登ります。

Dscn6239jpgc

そこを登ると、旧北陸道の案内があり、ここから1.3キロ先の加賀境までが、旧北陸道の面影をそのまま残しているとあります。12時27分。

Dscn6241jpgc

平坦ですがガタガタ道なので自転車は押して行きました。すぐに往来安全の名号碑があります。

Dscn6244jpgc

更に10分ほどで「お国境名号碑」です。

Dscn6249jpgc

12時45分頃、右側が開けて、広大な果樹園がありました。

Dscn6251jpgc

2分も進むと左に国境一里塚跡があり、果樹園は終わってゴルフ場に入って行きます。

Dscn6253jpgc

道の両側がゴルフ場で、見とれているうちに道を間違えました。

Dscn6255jpgc

間違えた道が急な下り坂で、あっという間に国道まで降りてしまいました。13時前かな。そこでスマホの地図で現在位置を知りましたが、もう登り返す気力はありませんでした。街道が下ってくる位置まで走って合流しました。

そこから街道は高速道路を越えるのですが、道路工事で寸断され、本当にこの道で良いのか心配です。あまり変な所に迷い込むと列車に間に合わなくなっても困るので、地元の人に尋ねました。すると、「道はこれで良いが、陸橋は今、イノシシが来ないように、フェンスで閉じている。高速の反対側から登ってくれ」と言われました。

Dscn6256jpgc_20191107155001

そこで高速を潜り、反対側から登ると、確かにフェンスで閉じられていました。13時33分。

Dscn6257jpgc

街道はそこからまだ少し登ります。

Dscn6259jpgc

登った先からは、荒れた地道で、自転車は押して行きました。

Dscn6262jpgc

Hokuriku38jpgc

開けた場所には出たのですが、街道の面影が消えてしまいました。

Dscn6263jpgc

適当に下って中学校の前に出ましたが、やはり間違っていました。街道に復帰して、国道に出るまでの間に、大岩不動尊というお寺がありました。

Dscn6265jpgc

すぐに国道で、大聖寺藩関所跡です。丁度14時で、加賀温泉駅まで5キロほどなので、15時13分の列車には余裕でしょう。

Dscn6266jpgc

街道は鐘堂という建物の辺りを通っていきます。寺町というようですが。城跡も近く見たいですね。

Dscn6270jpgc

大聖寺川を渡ります。渡った所に菅生石部神社という立派な神社があります。

Dscn6274jpgc

Dscn6275jpgc

14時20分で列車まで1時間近く有るので、近くのスーパーへ寄ることにしました。スマホで検索すると、加賀温泉駅の周辺には、お店が何もない様なのです。缶ビールとおつまみ位持って乗る必要があります。

最後は一寸頑張りましたが、15時前には駅に着きました。加賀温泉駅は北陸新幹線の工事でしょうか、改札口がホームから130mも離れた場所にできていました。泣く泣く自転車を担いであるきました。

Dscn6278jpgc

まあともかくお疲れ様でした。

Dscn6279jpgc

自転車旅もなかなか快適だったので、またどこか計画します。

 

 

 

 

 

 

北国街道ポタリング3日目 福井~加賀温泉その1

2019年11月2日(土)

今日は福井から加賀温泉の40キロほど、特にアップダウンは無い予定です。多分、14時頃には到着する予定で、15時13分発のしらさぎの切符を買っています。

Hokuriku30jpgc

6時半からホテルの無料朝食がありましたが、質量共に満足できる朝食でした。エコノ福井さん、なかなか良いホテルです。7時頃出発して、昨日の松本交差点へ7時11分に到着しました。

Hokuriku31jpgc

松本交差点の1本東を左折します。すぐ加賀口御門跡です。大国加賀藩に備える重要な御門だったそうです。

Dscn6113jpgc

10分ほど行くと、ひっそりと一里塚跡が左にありました。そこを左折しました。

Dscn6115jpgc

えちぜん鉄道の踏切を渡り、県道30号線へ進みます。事前調査どうり県道を出入りしながら高木2丁目辺りで再度県道に合流しました。そこにコンビニが有ったので、今日のお握りを購入しました。7時45分頃です。

Hokuriku32jpgc

そのまま道なりに進むと九頭竜橋に着きました。7時52分です。

Dscn6119jpgc

この橋は柴田勝家が架けた舟橋が最初で、以降明治まで舟橋のままだったそうです。明治23年、明治天皇の巡行にあたり、本橋にかけけられたそうです。

Dscn6120jpgc

橋の向こう側にも、明治天皇や舟橋、宿場などの案内があります。

Dscn6126jpgc

8時に九頭竜橋を離れました。一応上森田町で左折すると注意しながら走っていたのですが、結局通り過ぎてしまいました。住所表示で間違いに気づき、引き返しましたが、適当に曲がって、なんとか街道に復帰しました。青線が正解です。

街道に復帰したかどうかは、この辺り道案内が無いので確信は持てませんが、古い街並みの雰囲気で感じ取りました。上森田町付近は新興住宅街で解りませんでした。8時35分頃、日吉神社がありました。

Dscn6138jpgc

順徳天皇御霊御駐レン所という石碑がありますが、承久の変で敗れ、佐渡島で没した順徳天皇の御霊を、明治になって京へ送り返す際に、ここで休憩したということだそうです。

県道30号線に出て、一寸行くと追分地蔵がありました。通りかかった奥さんに、ここを左に行くとどこへ行きますか?と聞くと、即座に吉崎道ですと答えてくれました。感心して左に入りました。

Dscn6142jpgc

地名としては春江町から丸岡町に入り、地図に従い走ったが、この辺り何か大掛かりな道路工事が行われていて、各所で通行止めがある。なんとかスポーツランドの前の街道に入る。そこに十郷用水とかの案内があった。9時4分です。

Dscn6148jpgc

この辺りから北国街道では無いが、蓮如道という新しい道標が見られるようになり、大いに助けられる。

Dscn6151jpgc_20191106194501

5分ほど走った舟寄に石柱道標があった。そしてすぐ地蔵堂も。

Dscn6154jpgc_20191106194501

Dscn6157jpgc

そして道は丸岡駅に向かって1本道です。丸岡駅前には十郷橋という土木遺産があった。9時半です。

Dscn6161jpgc

駅付近の交差点を過ぎると、すぐ右に一里塚跡、反対側に「お早、良作慰霊地蔵」があった。

Hokuriku34jpgc

Dscn6165jpgc

お早・良作というのは越前では有名な悲恋物語だそうです。更に1本道を15分ほど進むと、振袖地蔵がありました。天保の大飢饉で、振袖姿の娘さんも多数餓死して、哀れを誘った慰霊碑だそうです。

Dscn6169jpgc

そして5分で石団子の碑です。これは親鸞聖人に団子のお布施を断った老婆の話です。

Dscn6174jpgc

更に7~8分進むと、田圃の中に一里塚跡があります。関の七曲りの一里塚と呼ばれたそうです。

Dscn6177jpgc

この辺りから、例の蓮如道の道標が短い間隔で建てられて、ますます助かります。

Dscn6180jpgc

Dscn6181jpgc

Hokuriku35jpgc

街道はあわら市に入ってきました。あわら市役所が10時20分です。あわら市は江戸時代は金津宿と言う大きな宿場町だったのですよね。竹田川を渡る橋に近い商店街では「六日あきん道」という表示がありますが、どういう意味でしょうか。

Dscn6189jpgc

橋を渡って一寸右奥に金津神社があります。金津町内に1500戸の氏子を持つ立派な神社です。

Dscn6191jpgc

その神社の隣に近代的な建物の金津本陣があります。図書館や資料館などが入る文化センターで、トイレを借りました。旧本陣跡か何かでしょうか?

Dscn6193jpgc

街道に戻って西に進み、県道29号線(嶺北縦貫線)の手前を右折すると「坂の下宿場口跡」があります。説明によると、金津宿は江戸時代300年に渡って北陸街道の大宿場でした。もっと前は親鸞聖人や源義経、江戸時代には参勤交代の大名や松尾芭蕉も通りました。

Dscn6197jpgc

宿場口からは一寸坂を登ります。宿場口から10分ほどで千束の一里塚がありました。10時52分です。

Dscn6203jpgc

更に5分ほど進むと道が左右に分かれます。街道は左の登り坂で、すぐ県道29号線に合流します。

Dscn6208jpgc

Hokuriku36jpgc_20191107094101

広い県道は車の往来も多く、注意が必要です。

Dscn6211jpgc

県道を15分ほど走ると「嫁威しの谷跡」があります。嫁の信心を辞めさせようとした姑の伝説です。

Dscn6213jpgc

更に5分ほどで街道は県道から左に分かれますが、例の蓮如道の道標が教えてくれます。

Dscn6217jpgc

この道筋には結構この道標があって安心して進めます。

Dscn6222jpgc

道標に助けられながら細呂木の集落に入り、観音川の橋の袂に関所跡の碑がありました。この関所は、1日目に通った今庄の板取関所と共に福井藩の南と北を守るもので、入鉄砲と出女に厳しく、明治2年まで続いたそうです。

Dscn6223jpgc

時刻は11時40分。そろそろどこかで弁当と思いながら橋を渡ります。少し行くと、「トンボやメダカを育てよう」とか書かれた池がありました。昼食はここにしました。11時45分です。

Dscn6228jpgc

午後は後半に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

«北国街道ポタリング2日目 今庄~福井その2

最近の写真

  • Dscn7944jpgc
  • Dsc_0601jpgc
  • Dscn7963jpgc
  • Dscn7956jpgc
  • Dscn7959jpgc
  • Dscn7950jpgc
  • Dscn7967jpgc
  • Dscn7964jpgc
  • Nisaka02jpgc
  • Nisaka01jpgc
  • Dscn7971jpgc
  • Dscn7968jpgc