2018年10月10日 (水)

北国街道 長浜~鳥居本

2018年10月4日(木)
昨日に続いて今日は長浜~鳥居本の12キロ~13キロを歩きます。午後からは雨との予報もあります。台風25号はまだ沖縄かなと思います。

Nagahama01 7時10分頃宿を出ました。駅前通りばかり歩いても面白くないので、1本南の道を歩きます。なかなかの風情です。
Dscn4840 7時28分の出発地点風景です。
Dscn4843 15分ほど歩いて、成田美術館を越えた辺りでJRの線路を潜るのですが、何の案内もありません。北国街道の案内は駅周辺の中心部だけというのも情けない話ですね。
Dscn4848 潜った後はこんな感じで、細い橋を渡ります。
Dscn4849 潜って8分で天満宮があり、中に犬塚があります。前回自転車の時も来ていました。
Dscn4855 更に5分、8時頃琵琶湖大仏です。
Dscn4860 サイカチの木とか見ながら橋を渡ると琵琶湖が見えます。
Dscn4865渡って左折しながらJRの踏切を渡ります。
Dscn4867渡って扶桑工業の駐車場に沿って歩くと、倒れた石標があり右折です。こういう史跡は倒れたら誰が復旧させるのでしょうか?
Dscn4872 例の本の絵地図に助けられながら国道を渡ります。渡って15分ほど歩くと、忍海神社という由緒ありげな神社がありました。
Dscn4879ここで曲がって、すぐ国道に出ます。 8時45分です。すぐ田村神社で、その横が田村町交差点です。8時50分。

Dscn4885 右手に長浜ドームが見えます。
Dscn4886ここからしばらくは街道歩きです。 明治天皇御聖跡というのがあったが、福田寺というお寺かな。長沢御坊前というバス停です。
Dscn4887 田村町の交差点から10分、歩道も無くなって、嫌な道になった頃、長沢の集落です。
そこを一寸右に入ると、用水に説明があります。長沢城内堀跡の説明です。9時。
Dscn4889 9時20分頃、宇賀野という交差点に着きました。米原駅も近いのですが、ここからもややこしいです。
Nagahama02_3
交差点の次を右折、そして小学校の校庭を見たら左折します。このあたり、例の絵地図が頼りです。
Dscn4897その後2・3回曲がって 飯村橋を渡ります。
Dscn4904 渡って右折し、米原バイパスの下を潜ります。潜って道なりに歩くと県道234号線に合流します。多良口バス停で、旧北国街道の石標があります。9時43分でした。
Dscn4905旧街道は直進していたようですが、今は左折して、新幹線の下を潜ります。

Dscn4907 さらに東海道線の下を潜り、今度は引き込み線か何かの上を渡ります。
Dscn4910渡った所が国道8号線で、米原高校前のバス停があります。右折して米原駅方面に進みます。左の山裾に歩道が出てくるので、そちらに移ります。すぐに山裾を左に入る道があり、それへ左折します。多良口バス停の道は、ここに繋がっていたのだそうです。10時でした。
Dscn4912道なりに 5分歩くと中山道との分岐があります。下の写真で左から歩いてきたのです。右が中山道への道です。中央のかめや旅館が目印です。私はこれから後方へ進みます。
Dscn4916Dscn4918 歩いて行くと米原曳山祭りの幟が立っていました。右手前方が米原駅になると思います。
Dscn4920 10時10分頃、米原駅前の国道に出てきました。
Nagahama03左折して10分ほどこくっ道歩きすると、左側は住宅団地、右側は童夢という会社辺りで左折します。3分ばかり歩くと山裾に親鸞会館がありました。
Dscn4923 そこから10分ほどで、また国道に出ます。角に飛騨運輸があります。
Dscn4924左折して、しばらくは国道歩きです。広い歩道があるので安心です。10時35分。
彦根市に入ったのが10時45分、近江鉄道のフジテック前駅が50分ごろでしょうか。
Dscn4926 フジテック前から3分で大きな石碑があります。 Dscn4930_2ここを左折して10m、 ここが中山道と北国街道の分岐点のようです。写真の左の道が旧道ですが、今は途中で消えているため、右の道で摺針峠に向かいます。この道は3回ほど歩いています。
Dscn4929国道へ引き返して、1軒の家の反対側を見に行くと、そこに分岐の新しい石標が立っています。
Dscn4932 右中山道、摺針・番場、左北国、米原・きのもと道と刻まれています。
Dscn4931ここで今回の北国街道の旅は終わりです。ここから中山道に入り、鳥居本宿へ向かいます。10時55分でした。
国道を1~2分で左へ入る道があります。
Dscn4933 入ると、こんなモニュメントが迎えてくれます。
Dscn4935 鳥居本宿はなかなかの雰囲気です。一寸雨もぱらついています。
Dscn4937 赤玉神教丸という薬屋さんは今も営業されています。
Dscn4940 鳥居本宿場まつりは、台風25号の襲来で中止になっていました。今年は台風が多かったように思いますねえ。
Dscn4946鳥居本駅には11時11分に到着しました。

Dscn4947 良い雰囲気の鄙びた駅で、時々近くを新幹線が通ります。
Dscn4954こんな駅のベンチで、電車を街ながら一杯やるのが旅の醍醐味なので、1本目は見送って、次の12時3分まで小宴を開くことにしました(笑)。
Dscn4951_2幸せな時間が流れて行きました。

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2018年10月 9日 (火)

北国街道 虎姫~鳥居本

下の図を見てください。当初の計画は、1日目関ヶ原から高月まで北国脇往還、2日目は高月から木ノ本まで歩き、そのままUターンして北国街道で長浜まで。
ということで長浜の旅館を予約しています。
Hokkokukaidoところが、計画変更して、椿坂から木ノ本までの16キロほどを入れたので、お疲れです。
このままJRで長浜へ行こうかと思いましたが、まだ時間も早いので一寸歩くことにしました。ということで切符を虎姫まで買いました。木之本から虎姫までは国道8号線歩きが多いので、飛ばすことにしました。
この辺りは前回自転車で走っているので、興味ある方は是非ご覧ください

さて、14時25分頃虎姫駅に着きました。正面に元三大師誕生の地との看板がありました。元三大師と言えば比叡山中興の祖と言われる平安時代の天台座主です。根本中堂へ行く道に碑がありましたね。

Dscn4758
虎姫駅を出て20分一寸で街道に合流しました。
Tora01 角に元三大師の石碑がありました。
Dscn4768前回自転車で来た時の記憶から、少し引き返して馬渡橋を見に行きました。

Dscn4769高時川に架かる橋ですが、そこに竹生島道の大きな石標や足利尊氏にまつわる、馬渡村の由来などを書かれた説明があるのです。
Dscn4772 伊吹山もきれいでした。
Dscn4777 引き返して10分ほどで国道と合流します。
Dscn4779国道歩きを15分ほどで姉川を渡ります。 姉川と言えば織田徳川連合軍が浅井朝倉連合軍を破った合戦で有名ですが、場所は昨日歩いた脇往還の野村間の宿の辺りですね。確か案内も有ったような。
Dscn4782橋を渡るとすぐ左に降ります。 降りて3分も歩くと、また大きな竹生島道の石標があります。北国街道を北上してきた旅人を竹生島に案内するのですね。竹生島には三十番札所宝厳寺がありますから。
Dscn4788 北国街道の案内も所々にあります。
Dscn4794Dscn4796 姉川橋から30分弱で国道に出ます。森町の信号です。15時55分。
Dscn4800国道を渡って、次の祇園町までの道は、狭い道ですが、車が非常に多くて危険です。
Tora02 Dscn4803 でもまあそれも20分ほどです。祇園町の交差点からは立派な歩道があります。
Dscn4804一寸歩いて祇園町南の信号で左折、JRの踏切を渡ります。
Dscn4806 踏切を越えて2本目の道が街道筋ですが、そこを越えて次の道を右折します。この辺りややこしいので、この本の絵図に従いました。
Dscn4962Dscn4961jpgc 街道筋に引き返す手前の石標です。
Dscn4807 長浜宿北の入り口、郡上神社の石灯篭。
Dscn4809 またここは武者隠し道とも謂れ、民家を凹凸にしてある珍しい街道です。
Dscn4816 現在の長濱は北国街道の宿場町というより、黒壁スクエアーと言う観光地として有名ですね。江戸時代は三十三箇所巡りの基地として栄えたようですが。
Dscn4821 Dscn4825こんな怪獣も居ました。
Dscn4826 16時45分、長浜駅の駅前どうりに着き、今日の行程は終了しました。
近くの旅館に行き、今日は旅館の夕食は断り、一寸居酒屋さんに出かけました。
Dscn4832明日は中山道の鳥居本まで歩きます。

2018年10月 7日 (日)

北国街道 椿坂~木之本

2018年10月3日(水)
9時13分木ノ本駅発のバスに乗り9時45分頃椿坂のバス停に着きました。
バスは折り返し木之本へ帰ります。お客が一人待っていました。
目の前が八幡神社で、一寸お参りして出発します。
Dscn4651
椿坂の先7キロほどの所に中河内という集落があります。1日4本の内2本はそこまえ行きます。でもお客から電話が無いと椿坂で引き返すと運転手さんが言っていました。
次回はここから栃ノ木峠越で今庄を目指す予定です。
今日はここから引き返して、前回の自転車道を確認しながら、木ノ本まで歩こうと思います。
Tubaki01
歩き始めて7~8分で国道に出ます。国道365号線は、そう通行量も多くないですが、歩道の無い国道歩きは嫌なもんです。幸いすぐ左の地道に入ります。川沿いの道です。
Dscn4662 入って10分ほどで北陸自動車道です。手前で橋を渡ってから下を潜ります。
Dscn4664_2 潜るとしばらくは高速道路の上下線の間をのんびり歩きます。振り返っています。
Dscn4669_2 地道に入ってから15分ほど10時20分に、また国道に合流します。雁ヶ谷のバス停があります。

Dscn4672_2 上の写真は振り返っていますが、その少し左奥に、右へ入る車道があります。前回はそれが高速を潜る北国街道の道と思って、トンネルに入ってしまいました。
その道は敦賀へ向かう下りのトンネルで引き返せず、敦賀へ行ってしまったのでした。
興味ある方は見てください


さてここからはしばらく国道歩きです。
Dscn4674_3この国道は北陸自動車道としばらく並行して走ります。かって越前へダイビングによく行っていた頃、高速を走りながら国道の風景をよく見ていました。それが北国街道だとは思っていませんでしたが。
25分弱の国道歩きで、柳ケ瀬の集落に入ります。
Dscn4679_2 ここから、賤ケ岳合戦のおり、柴田勝家が本陣を置いた玄蕃尾城などへ登れるようです。
Dscn4682_3柳ケ瀬も今は鄙びた集落ですが、過っては栄えたようで、関所跡や明治天皇の行在所などがあります。
Tubaki02_2 Dscn4686_2 明治天皇の行在所
Dscn4688_2 柳ケ瀬から国道に出て3分ほど、今度も高速を潜って左に入ります。ここからは、ほぼ国道歩きはありません。
Dscn4695 入るとすぐ道は二つに分かれますが、山側の道が街道です。ここは小谷(おおたに)と言うらしいですが、お猿が道を堂々と歩いていました。
15分ほど歩いて、ここで高速を潜りましたが、間違いのようですね。もう一寸歩いてから潜るのが正解のようです。
Dscn4700_2 道は今市の方へ入って行きます。
Dscn4704_2 佐味神社で11時40分です。もう一寸歩いてから弁当の場所を探すことにしました。
Dscn4708_2 丁度12時頃、史跡左衛門之辻という広場があったので弁当にしました。

Dscn4712_320分ほどで出発しました。
Tubaki03_3 15分弱歩くと道はカギ型に曲がります。すぐに鉛錬比古(えれひこ)神社という、難しい名前の神社があります。
Dscn4720 謂れを見ると、崇神天皇の時代(紀元前100年頃?)新羅から渡ってきた誰々がこの地を開墾し云々と有った。
そこから6分、この辺りには珍しく、一里塚跡が有った。12時42分です。

Dscn4724 この辺り、右手前方には余呉湖があるはずですが見えません。
国道と一旦出会う所が下余呉で、バス停も有るはずです。
Dscn4729 すぐまた左に分かれると、天満宮跡という石碑がありました。

Dscn4732 次にまた国道に接する所に、これも難しい名前の神社があります。意波閇神社です。
おはへ神社と読むらしい。境内の大きな杉が倒れていた。
Dscn4735 そのすぐ横の駐車場に数台車が停まっていたが、そこから賤ケ岳SAの食堂に行けるみたいです。逆も良いんですね。
Dscn4738 高速道路の下を潜ったのが13時30分。木ノ本駅はもう近いでしょう。
Tubaki04jpgc 山之内一豊の妻が馬を買ったのはここでっすという、馬市場の案内がありました。
Dscn4746 木之本地蔵のある札の辻へ戻ってきたのは13時45分でした。
Dscn4753 これで北国脇往還と北国街道の椿坂までが繋がりました。

今日は長浜まで歩く予定でしたが、椿坂を入れたのでそれは無理。
これから、木ノ本駅へ行って、後の予定を考えます。


2018年10月 6日 (土)

北国街道 木之本~今庄

北国街道木之本~今庄の地図を載せます。
Siodumitijpgc木之本から今庄は40キロほどあります。昔は途中の中河内などに宿場も有ったそうですが、今は有りません。以前、私は自転車でトライしたのですが、道を間違えて、中ほどの椿坂手前で敦賀方面のトンネルに入ってしまって引き返せず、敦賀に行ってしまったことがあります。興味ある方は見てください。
その時は、中山道の鳥居本から余呉湖までも自転車ではしりました。
他に考え方としては、北国街道は諦めて、敦賀経由の木ノ芽峠越もあります。
このルートは奥の細道の芭蕉も通っているようで、敦賀に一泊すれば行けます。
次回、木ノ本から今庄はどのルートにしようかと考えていると、余呉町のコミュニティバスが木之本から椿坂まで走っていることを知りました。1日3~4本ですが9時13分発があります。それに合わせて高月から歩いてきたのですが。
そこで今日は長浜まで歩く積りで長浜に宿を取っているが、それを止めて椿坂~木ノ本16キロほどを再度歩いておくことにしました。そうすれば次回、椿坂スタートで24キロほど歩けば今庄に着きます。
で、バスに乗って椿坂へ向かいました。
 
 

北国脇往還その3

2018年10月3日(水)
食べきれないほどの朝食を食べて、7時10分頃宿を出ました。
Takatuki01元の阿弥陀橋へは帰らず、線路際を左折しました。高月駅のそばを通って街道へ向かいます。
Dscn4587 高月町は観音の里というのを売り物にしています。その観音堂がある渡岸寺へ寄ることにしました。無論、まだ早いので拝観は出来ません。
Dscn4592 集落を抜け、街道があったらしい姉川の堤防沿いの道に7時40分頃到着しました。
Dscn4597 すぐに集落に入ります。入口に 「湖北の村からアジアが見える」と彫られた石碑が立っています。
Dscn4598 脇往還の石碑もあります。
Dscn4604 浅井長政の母の父親である井口弾正の屋敷跡の碑がありました。
中世から湖北地方の水利権を持つ名家だそうです。
Dscn4606日吉神社を過ぎて左折、そして集落を抜けて田圃の中を右折します。前方はもう木ノ本でしょう。
Dscn4614 8時12分、等波神社の前を左折して、木ノ本に入って行きます。
Dscn4617 この先が木ノ本です。
Dscn4619
Tubaki04jpgc
木ノ本の集落に入ると弘法水の案内があります。その2分ほど先を左折します。
Dscn4622_2 そのまま道なりに、一寸斜めに歩くと、北国街道との合流点に出ます。8時34分でした。
Dscn4626右折して木ノ本駅に向かいます。
昭和10年に建てられた、湖北銀行は今交流館になっています。
Dscn4630_2本陣薬局は文字どうり木之本宿の本陣でした。
Dscn4638 木之本地蔵のある交差点は、かって札の辻と呼ばれていました。お地蔵さんに一寸お参りしました。
Dscn4640このまま直進するのが北国街道で越前へ通じていきます。
今回は左折して、一旦木ノ本駅へ向かいました。
Dscn4645 札の辻から7分、8時50分に木ノ本駅に到着しました。
Dscn4647
北国街道に続きます。

北国脇往還その2

地図を再掲します。
Sekigahara02 中央の道の駅伊吹の里を11時45分頃でて、橋を渡り、すぐ左折して、姉川沿いに街道へ向かいます。橋げたが残っていましたが、ここが越前橋でしょうか。
Dscn4436そこを右折するのが街道のようです。 すぐ車道に出て左折、一寸歩いて橋の手前を右に入って行く地道が街道です。
Dscn4440この地道も心配の一つです。果たして通れるのか。距離が有るので、中途から引き返すのは嫌なのです。 でもまあ、何とかなりそうです。
Dscn4442 入って5分ほどで山田弘法水と弘法碑がありました。間違いは無いようです。
Dscn4443更に5分で周囲が開けます。
Dscn4448また森に入り、川を渡る辺りが叢です。
Dscn4452 12時半頃、地道に入って27分、開けた集落に出てきます。相撲庭という珍しい名前の集落でしょうか。隣の今荘かもしれません。
Dscn4454 車道に出て、横断して今荘に入ります。 桜並木の神社があります。
Dscn4457集落を通り抜けて三叉路にでます。右折して佐野に入ると道案内がありました。12時50分です。
Dscn4466佐野から野村へは右左折の多いややこしい道です。
Sekigahara03 この石仏群を左折します。
Dscn4470野村は正式の宿駅でなく間ノ宿だったそうです。石標がありました。
Dscn4474 13時20分、国道365号線に出ました。
Dscn4478 右折して20分ほど歩くと道の駅浅井三姉妹の郷です。浅井はあざいと読むようです。
Dscn4485 素通りして10分、右にローソンのある交差点がありますが、その少し手前から左に入って行くのが街道です。
Dscn4486 一寸飲み物を買って街道に入りました。 脇往還の案内がありました。ここもややこしい道です。
Dscn4489 案の定間違いながら歩きました。
Dscn4496 こんもりしたお墓の山がありましたが、古墳でしょうか?
Dscn4499 尊勝寺の集落に入り、国道へ出る手前の細い道へ脇往還を案内します。
Dscn4506一寸行って、工場の角を右折、車道に出る手前に案内がありました。
Dscn4508案内に従って、一応旧街道に近い道を歩きました。14時45分、小谷道分岐に来ました。
Dscn4514この小谷道も、途中に鉄砲鍛冶の国友など有って、結構栄えた道だそうです。
小さな橋を渡ると伊部宿です。
Dscn4521 本陣跡も残っていました。
Dscn4522 伊部を抜けて千人橋という石碑のある場所に来たのが14時57分。関ヶ原から25キロほどですが、今日は何故か疲れました。ベンチも有りませんが、ここで一休みしました。
Dscn4530 5分ほど休憩して元気を取り戻し、郡上宿へ向かいます。行く手に小谷城址の看板が見えます。
Dscn4534
Sekigahara04 この辺りは小谷城の城下町で、清水谷の辺りには資料館があります。15時16分。
Dscn4540 郡上宿の入り口が15時20分。
Dscn4547 郡上宿からは琵琶湖を経て日本海の若狭を繋ぐ若狭街道も分岐していたそうです。
Dscn4552郡上宿を出て、一旦国道に出ます。 横断して左に入ります。
Dscn4554 15分ほどで再度国道を渡り、山田川の堤防に登ります。15時55分頃です。
もう高月は目の前ですが、疲れているので馬上の集落でも休憩しました。
Dscn4559 昔、ケヤキのことを槻(ツキ)の木と言ったそうです。ここに欅の高木「高槻」が多いので、この辺りの地名を「たかつき」としたそうです。
Dscn4560 その後、平安後期の歌人が「月の名所」であると言ったので、「槻を月に」改めたそうです。
16時20分、高時川に架かる阿弥陀橋に到着しました。
Dscn4566街道はここを右折し、どこかで渡しに寄り川を渡っていたそうですが、特定されていません。今日はここまでとして、明日対岸の街道らしき所からスタートします。
今日は橋を渡って、JR高月駅近くの住吉屋さんに宿をとっています。
風呂に入って、美味しいビールを飲んで、早く寝ました。
Dscn4579

2018年10月 5日 (金)

北国脇往還はなかなか厳しかった

北国脇往還は前から気になっていたが、関ヶ原から木ノ本まで40キロ位有るし、ルートも不明な箇所があり自転車でも行けず、そのままになっていた。
今回、高月で一泊することにして、ようやく出発した。
Sekigahara002018年10月2日(火)
それでも高月まで30キロ以上あるし、道も不確かなので、7時38分に関ヶ原駅に降り立ちました。これならなんとかなるでしょう。
Dscn4330中山道との合流点は一寸不明ですが適当な場所から入ります。どうせ線路で遮られますから。
Sekigahara01Dscn4333陸橋で渡った左が東の首塚です。関ヶ原の合戦で戦死した武者を頬むった場所です。
Dscn4337その反対側が北国脇往還の始まりです。
Dscn4339ここには北国街道の案内も電柱にありますが、これ以後しばらくは合戦の案内ばかりで街道の案内はまったくありません。7時53分の出発でした。
合戦の史跡をいくつか見ながら国道を歩道橋で渡ります。
Dscn4344階段を降りてすぐを左に入ります。特に案内は無いですが、街道らしい雰囲気の道を歩きます。 陸橋から18分でまた国道にでました。
Dscn4349国道を渡り、 右上に登ります。7分でまた国道に降りてきました。伊吹山ドライブウエーの入り口ですが、今は通行止めです。8時27分。
Dscn4354ここから150mほど国道沿いを歩きましたが、右上に登って降りてくるのが街道らしい。
ここから左に脇道に入ります。案内は何もありません。玉(たま)という集落のようです。
Dscn4357途中で道路工事があり一寸迂回する。そこでお婆さんに訊くと、この道は昔参勤交代があった道と答えてくれて一安心。
再度街道に戻って、10分ほど歩くと道が無くなった。上の新しい道をこうじするとき無くなったようです。
Dscn4366仕方なく引き返して適当に国道へ出た。 丁度9時頃でした。
Dscn4368国道を10分ほど歩いて、木ノ本の方へ右折したが間違い。もう少し国道をあるいてから右折するのが正解でした。 
Dscn4372すぐ気が付いて、次の道を左折、街道に復帰しました。9時22分。
伊吹山がちらっと顔を見せます。
Dscn4379 お寺と神社の間に壊れた道案内があり、珍しく脇往還の案内らしいので見に行った。
寺林宿と書かれているような。
Dscn4381 八幡神社の角を左折して自動車道に出る。これを横断して直進するのが街道なのですが、ロープで遮断してある。9時46分。
Dscn4384まあ、車両進入禁止だろうと直進する。
10分ほど歩くと、草で前が見えなくなった。
Dscn4387こりゃ無理だから引き返そうかと思ったが、もう少しとやぶ漕ぎした。   
するとまた道は明瞭になり、10時頃車道に出た。鹿が居たり、熊注意の案内があったり、心配な道です。もうじき消えてしまうかも。
Dscn4391ここらで、出発してから8キロ弱かと思いますが、時間は2時間以上掛かっています。
なんせ案内が無いのが苦しいですね。
こんなモニュメントがあり、何かと思ったら「弥高いも」だそうです。
Dscn4396Sekigahara02 弥高川に沿って左折していくと、野頭という史跡があった。芭蕉の句碑もある。
Dscn4398Dscn4399これが唯一の史跡というのも寂しいなと思いながら、15分ほど真っ直ぐ歩くと春照(すいじょう)宿へ右折する。
Dscn4405脇往還の宿駅は玉、藤川、春照 、伊部、郡上に置かれたそうです。
Dscn4410またここからは八幡神社の角で、長浜への長浜街道が分岐します。10時55分です。
Dscn4414Dscn4415 分岐から1キロほど歩くと姉川にぶつかります。かっては小田橋(別名 越前橋)が掛かっていたそうですが今はありません。 道の駅へ迂回しました。
Dscn4430
牛乳が美味しそうなので、ここで弁当を買って昼食にしました。11時20分。
Dscn4427 午後へ続きます。

2018年9月29日 (土)

近江北国街道と脇往還

北国街道を歩いてみようと思いました。
調べてみると、いろいろ街道が交差しています。
下図の北国街道、北国脇往還、小谷道、長浜街道です。
Sekigaharajpg1
 
現在北国街道と言うのは図の左端、中山道の鳥居本で分かれて琵琶湖の東岸を北上し、長浜を経て木之本を過ぎ、栃の木峠を越えて越前の今庄へ下り、越中から越後へ向かう道です。
でもこの長浜経由の道は比較的新しく、中世以前は琵琶湖の西岸、西近江街道が主力だったようです。
また、江戸時代越前の大名は、参勤交代に当たり、北国脇往還を使うのが常でした。
この道は戦国時代、賤ケ岳合戦の折、秀吉の大返しでも有名ですね。
この辺の事情は下記の本などで調べました。
Dscn4329
現在の長浜経由の北国街道は、秀吉が長浜に城を構え、その後も西国三十三箇所巡りの拠点として城下が賑わったことから、街道も栄えたようです。
それ以前は隣の小谷道が途中に鉄砲鍛冶で有名な国友集落などもあり、栄えたそうです。
で、私は5.6年前自転車で鳥居本から木本・余呉を走っています。
でも、自転車はスピードが速い性か、どうも印象に残っていません。
それで、今回は関ヶ原から北国脇往還で木本へ、そして引き返して北国街道で鳥居本まで歩こうと思います。
 

2018年9月 1日 (土)

二見道

伊勢の山田から二見へ向かう道です。
二見浦は白砂青松の景勝の地で、その昔、倭姫命が天照大神の鎮座される地を探していた時、余りの美しさに二度振り返ったことから二見と名付けられたそうです。
Futami00
二見浦は元々神宮で使用される塩を採っていた所で、神宮125社を巡っていた時、御塩田神社へ来たことがあります。
また二見輿玉神社は縁結びの神様で、夫婦岩は有名ですね。かっては修学旅行のメッカで、私も65年位前に京都から修学旅行に来ました。
2018年8月31日(金)
明日からしばらくは雨模様なので、急に思い立って出かけることにしました。
我家から伊勢は近鉄の急行で、ざっと1時間半です。通勤や通学の時間を避けて、9時頃の電車に自転車を持ち込みました。
Dscn407410時半頃宇治山田の駅を出ました。この駅は昔皇族の方が伊勢神宮参拝をなさるときに使われるよう作られたという立派な駅です。
Dscn4075二見道は伊勢市駅から外宮への参道の途中が起点のようなので、伊勢市駅で降りればいいんですが、近鉄の駅から長い廊下を渡るので、自転車が重く、嫌なのでした(笑)。
Futami01上の図の青線が二見道です。自転車だとスピードが出るので、早速間違えてしまいました。間違えたお蔭で、山田奉行所跡の碑を見つけました。
Dscn4076山田奉行所はあの大岡越前守も勤務したことがあったような。
近鉄宇治山田駅は山田地区と宇治地区の二つの名前を採っています。宇治地区は内宮の付近で、宇治橋はそこから来ています。
途中で地元の人に道を訊いて間違いに気づき修正しました。
河崎地区は勢田川の両岸に有って、全国から伊勢に送られてくる物資を取り扱う問屋が軒を並べました。現在もその蔵が残っています。
Dscn4082伊勢地方の建物は切妻妻入で有名です。
Dscn4089河崎地区の氏神さんにも一寸お参りしました。
Dscn4083 河崎見学を終えて、二見道に戻りました。 勢田川を渡ると、朝日湯という銭湯があり、ここは江戸時代に伊勢参りの旅人が海水で身体を清めた故事にちなんで、今でも、 潮浴びの湯が有るみたいでした。11時06分です。
Dscn4091 勢田川に沿って下ると、橋本家という 立派な家があります。そこで川から離れて右折します。
Dscn4094 一旦県道に出ますが、すぐ旧道は左に分かれます。
その旧道が再度県道と合流する所が二軒茶屋跡です。今でも二軒茶屋餅を売っています。
Dscn4108 昔伊勢神宮への参拝は伊勢街道や伊勢本街道が使われました。その他に、船で参宮する 「どんどこさん」も多くいました。彼らはここ二軒茶屋へ上陸したそうです。
明治5年、明治天皇は西郷参議などを連れて、ここ二軒茶屋に上陸されました。
その記念碑が建っています.
Dscn4099_2県道を少し走ると23号線の下をくぐります。潜った後は国道42号線らしいのですが、すぐに旧道が右に分かれます。
もう少し行くと五十鈴川に出ます。 川岸に道標があります。橋は汐合橋です。
Dscn4110
渡るとすぐ右手の旧道に入ります。
旧道に入るとすぐ右手に小さな神社があり二見神社でした。
うーん、夫婦岩があるのは二見 輿玉神社だったか。こっちが古いのかなあ。
Dscn4112すぐにコンビニが有ったので、たまらず入って缶ビールを一杯空けました。 11時45分。
11時56分。三津踏切を越えました。
Dscn4114
二見ヶ浦はもう近いはずです。
Futami02 右手に明星寺というお寺があります。重文の阿弥陀如来があるとか。六地蔵もあるとか。
門前にも地蔵があります。
Dscn4117少しいくと、今度は7基の庚申さんがありました。
Dscn4118 二見浦駅のそばを通って旅館街に入って行きます。
その手前の右手に庚申さんがあります。亀甲地蔵石もありました。
Dscn4119 昔は栄えた旅館街ですが、今は一寸寂しい感じです。
Dscn4126昔、戦国時代村と言ったテーマパークも経営が何回も代わって、今はなんと呼ぶのでしょうか。
Dscn4127 二見浦海岸には明治天皇のお母さまが泊まられた由緒ある旅館もあります。
Dscn4137でも今は多くが休業しています。
12時25分、夫婦岩にお参りしました。
Dscn4145 二見道は終わりですが、引き返して国道に出て、トンネルを潜って、二見シーパラダイスへ。
Dscn4146店頭の巨大アザラシくんにご挨拶。
Dscn4152 そして一寸以前から気になっていた民話の駅蘇民へ向かいました。伊勢地方のしめ飾りに下の二つがあります。
201092613395idpocDscn4080上は「笑う門には福来る」と間違える人も居ますが違います。下を省略したのが上です。
詳しくはこちらを見てください。
ともかく、その下の注連縄に書かれた「蘇民将来」という人物に関する道の駅らしいのです。
行くと、松下社ちう神社があり、そばに蘇民の祠がありました。まあ、それだけでした(笑)。
Dscn4153 Dscn4155Dscn4157道の駅でサザエを買って、近くの松下の駅から帰りました。
Dscn4158 Dscn4161いやー、今日も一日暑かったですね。
帰りの電車の中で冷たい缶ビールが身体に浸みわたっていきました。
 

2018年6月27日 (水)

東山道飛騨支路

先日、鰤街道を歩いた時、飲み会に付き合ってくれた高山在住のSさんに、この後日程は未定だが、飛騨路を美濃太田まで歩いて中山道と繋げたいと話していた。
その後Sさんから、それも良いが、もっと古い道で東山道飛騨支路を歩いたらどうかと紹介された。
その時は、東山道飛騨支路について知識が無かったので、一寸勉強すると言って時間稼ぎした。
最近、そろそろ調べないとと調べ始めた。ネットや下の本などから、ようやく概要がつかめてきたので、ここに記録しておこうと思う。
Dscn3063
東山道飛騨支路は下図の青線です。すなわち図の下、岐阜市長良付近に有った古代の駅(まあ宿場か)方県(かたがた)で東山道と分れ、飛騨国府のあった高山(確定していないそうですが)へ向かう110キロほどの道です。
Hidazennzu
東山道と中山道はほぼ一致していますが、岐阜辺りでは少し違ったようです。
近代の飛騨路は中山道の太田宿から国道41号線に沿って高山に向かっていました。
また、JR高山本線にも沿っています。
従って、歩く場合も、交通の便が良く、宿泊先にも困らないようです。
でも飛騨支路の場合はどうか。その辺りをこれから調べて、秋ごろには歩きたいと思っています。
情報を頂けると嬉しいですね。

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