熊野街道

大阪市内の熊野古道

大阪市内の熊野古道紀伊路を歩いてきました。
ビルの谷間で何も面影は残っていないと思われがちですが、意外と見所は有ります。

詳しくはホームページでご覧ください。

現在の八軒屋浜です。熊野古道の出発点です。

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江戸時代の船着場の雰囲気

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近松門左衛門の墓

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井原西鶴の墓

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四天王寺とあべのハルカス

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陰陽師 阿倍野晴明神社

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熊野 志原川の自然散策

七里御浜に注ぐ川の一つに志原川がある。
下図は三重県の河川整備計画書からコピーしたが、長尾山を水源に、河口近くで産田川を併せて熊野灘に注いでいる。

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この川は河口近くにヨシ原が広がり、志原池も有って、野鳥観察の宝庫であり豊かな自然に恵まれているそうです。

ただ、熊野灘の高波が砂利を動かし河口を閉塞するため、水が流れにくい状況にあり、大雨の度に流域が浸水しまた高波の度に塩害が起こっていた。この問題は志原川に限らず七里御浜に流れ込む多くの川に共通する問題のようです。

そこでいろいろな河川整備計画が立案されたり実施されたりするわけですが、河川流域の自然保護と両立させながら河川改修を行って欲しいと25年来活動している「あつまろらい」というグループが地元にあります。

その「あつまろらい」の皆さんの案内で志原川の自然散策をしようというのが、今回の「みる観る探検隊」の企画でした。

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上図のように志原川を船で遡り、船着き場で降りて、里山を散策するという計画です。
下の写真は左3人があつまろらいのメンバー、右は熊野体験企画のスタッフの方です。

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旧志原橋は水門と一体化して、高波時は自動的に波の力で水門が閉まり、塩水の遡上を防ぐ構造だそうです。
動力が要らないのが良いですね。

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これまで何回か渡った志原橋ですが、初めてその構造に気付きました。
今朝見た志原川の河口ですが、その沖合何十メートルかの海底に人工岩礁が埋められていて、波の強さを弱めているのでそうです。これも訊かないとわかりませんねえ。

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次に竜神塔へ行くという。今朝見てきたけど行きました。
この竜神塔は、前述の度重なる水害を治める神様として竜神が祀られているのだそうです。

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そう言えば、昨晩お参りした松原の竜宮塔の説明に、塩害を鎮める竜神は木本から新宮まで、七里御浜一帯に12箇所あると書いてありました。

10時50分頃、昔の渡し場から船に乗り込み、上流に向かいました。

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葭原の広がる川をゆっくり竿一本で上って行きます。前方は長尾山です。

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付近は270種の野鳥観測の実績があるそうです。川にはウナギや鯰も居るとか。
40分ほど遡りましたが、今の時期、水田に水を引くためか水量が少なく、途中で降りることになりました。

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昔はこの先の船着場まで農家の人達がお米を担いできて、そこで船に積み込み新宮まで運んだのだそうです。
そこから一寸里山歩きです。

写真の道はインド哲学の著名な学者が晩年10年ほど過ごされた家の近所で、志原の村人が野菜を売りに木本へ通ったメイン道路だそうです。

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この近くで昼食休憩。今日は牛丼です(笑)。

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昼食後、そのメイン道路を歩きます。

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大堤池で引き返しました。

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四国もため池が多かったのですが、この地方も多いそうです。雨が多い土地なのに不思議ですね。
例の塩害が関係するのでしょうか。

木本方面への道です。こんな道が続くなら歩いてみたいですね。

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近くに、江戸時代に木本の富豪が築いたという水路跡がありました。
木本までは6~7キロ有ると思うのですが、大したものですね。

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船着場に帰り船に乗り込みました。
途中、鯰の仕掛けやウナギの仕掛けを見たりしました。

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2時15分頃渡し場に帰ってきました。
車で通りすぎると何も気づかない小さな川ですが、いろいろ有るものですね。

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いろいろ勉強になりました。熊野体験企画の催しは、いつも楽しいです。
一寸時間が予定より早く終わったので、予定の列車に大分時間が余りました。
内山さんが、近くの見どころに連れて行ってくれました。

御浜町の稚子塚です。謂れはいろいろ(笑)。

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最近、内山さんらが発見して、これから教育委員会が調査するという狼煙場跡

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熊野市方面が絶景でした。

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尾鷲の駅前で、何時もの焼きそばを食べて帰りました。

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熊野参詣道 浜街道

今日は10時集合で紀伊半島みる観る探検隊の志原川散策がある。
熊野YHに泊まっているので時間は充分。それで久しぶりに浜街道を歩くことにした。

朝6時頃起きて外に出ると獅子岩が朝日に吠えていた。

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そのまま近くの牛丼屋さんで朝食、弁当用に牛丼をテイクアウト。こういう店は本当にありがたい。

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一旦部屋に帰って準備して、6時40分には宿を出た。

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七里御浜は朝日に輝いていた。

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10分ほどで花の窟神社。素通りするわけにはいかないので参詣する。

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神社の前に古い道標がある。熊野参詣道はここを曲がれとある。ものの本によっては、ここで浜街道と本宮道が分かれるとあるが違うようだ。もう少し先で分かれるみたい。

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ここから産田神社方面に10分ほど歩くと歴史民俗資料館があり、そこを右折すると産田神社経由の本宮道。
直進すれば浜街道で、ここが分かれ道のようですね。

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分岐から7分ほど、立石の道標があります。左巡礼道、右本宮道と刻まれている。
浜街道は西国巡礼の道だったようですね。那智山の青岸渡寺へ行く道だったか。

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ここで斜めに国道42号線に出て、国道を越えて浜辺に出ます。
途中防風林の中にも遊歩道が作られているので、堤防道路が暑くて苦手な人はこの道が良いですね。

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今はまだ7時20分、暑くもないので気持ちの良い堤防に登りました。

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ここからは淡々と堤防を歩きます。地元の朝の散歩の人と時々すれ違います。
8時頃堤防が途切れる場所があり、堤防を降ります。

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防風林の中に入ると国道沿いにサークルKが有ったので一寸飲み物を買いに行きました。

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再び戻って防風林の道を行きます。8時5分です。

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そこから25分ほどで志原川に出ました。堤防はここまでです。

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一寸休憩して近くの竜神塔を見に行きました。

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その後国道の新志原橋の下を潜り、旧志原橋を渡ります。

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ここは江戸時代には志原尻の渡しがあった場所です。
渡って国道にでると巡礼碑があります。以前は少し離れた場所にあり、小さい石碑が少し大きい石碑の方に傾いているのが巡礼の親子の雰囲気があって人気がありました。
でも今は移設されて真っ直ぐ立っているので風情がありません(笑)。

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現在8時50分。神志山の駅で一休みして、探検隊の集合を待ちました。


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尾呂志から阿田和後半

歩き始めて2時間15分、14時15分に引作のバス停に着き、右折して尾呂志川を渡りました。

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橋の上から振り返ると、10キロ先に尾呂志の山々が見えます。

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ここから1キロほど先に、引作の大クスという三重県一のクスの巨木があるそうで、見に行くことにしました。
この巨木は明治44年に伐採されそうになりましたが、南方熊楠が柳田国男と協力して伐採から守ったそうです。

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45分ほどでまた引作のバス停に帰ってきました。そこから20分弱で阿田和の市街です。入口に阿田和神社がありお参りしました。

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尾呂志川はここから大きく右に蛇行して、波の穏やかな海岸で海に注ぎます。
さらに12分、七里御浜の阿田和交差点に到着です。

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左折して10分で道の駅です。この道の駅も、熊野古道や串本行き帰りに何十回お世話になったことでしょう。

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飲み物とおつまみをスーパーで買って、駅のベンチで一休みです。お疲れ様。

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明日は熊野体験企画の見る観る探検隊があるので、今日は熊野市に一泊します。
熊野YHの近くには有名な獅子岩と竜神様があります。

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近くのスーパーで再び飲み物と宛を買って、今度は七里御浜で、暮れなずむ海を見ながらのんびりしました。

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明日は浜街道を一寸歩いてから、みるみる探検隊に参加します。


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熊野 尾呂志から阿田和へ

下の図を見てください。尾呂志は中央、風伝峠近くにあります。
そこから右下、斜めの青い線を歩いてきました。

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何故、そんな所を歩くかですが、熊野古道の浜街道と本宮道を結ぶ道とも言えますね。
それと図の中央を貫く緑の線は北山街道と言うか、筏師の道です。
北山村を含む北山郷で伐採された木材は筏で新宮に送られました。
その筏を運んできた筏師が北山郷へ帰って行った道が筏師の道です。

ただ筏師の道は1本とは限らず、青い線の道も使われたのではないかと言われています。
まあ、そんなこんなで、周囲の茶色や緑の道は全て歩いているので、青い道も歩いてみようとおもったのです。

熊野市駅からバスで風伝峠の登り口である「いっぽいっぽ」という変なバス停に12時頃降り立ちました。

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ここがスタートで尾呂志の集落を通り、尾呂志川に沿って南下していきます。

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ここ尾呂志は本宮道や北山街道を歩いた時、何回か来ています。
その内2回はここの舟木屋さんで泊まっています。今も営業しておられるのでしょうか。

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20分ほど歩いて振り返っています。鞍部が風伝峠でしょう。その周囲の山から、冬場、雲が雪崩のように麓に降りてくる現象が有名で「風伝下ろし」と言われます。
その「下ろし」が「尾呂志」になったとか。

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この道は県道62号線、阿田和から北山村への街道だったようですね。

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13時20分頃、特に往時の名残も無く、淡々と歩きます。牛糞200円で売ってました。

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歩き始めて2時間弱、一本松付近でしょうか、一寸休憩です。

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後半に続きます。


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熊野街道本宮道 横垣峠

2016年3月21日

今日は熊野体験企画のみる観る探検隊の企画で「横垣峠」に参加です。
土砂崩れの影響で10年来通行止めの横垣峠が、どこまで歩けるのか楽しみです。

詳しくはホームページでご覧ください。

写真は峠近くの崖の上に現れたカモシカです。
我々を歓迎して、しばらく動かずに、写真を撮らせてくれました。

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熊野古道 小辺路

3月19日~20日、山の同好会やまびとの例会で熊野古道小辺路を歩いてきました。
小辺路は伊勢路や中辺路と違って交通の便が悪いため、なかなか歩く機会がありません。

今回は十津川温泉に一泊して果無峠越えで熊野本宮大社まで歩きました。

詳しくはホームページでご覧ください。

写真は果無集落です。


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熊野街道 松阪道

松阪道?そんなの聞いたこと無いよ。そう思われた貴方は熊野古道通ですね。
その通りです。ガイドブックにもどこにも載っていません。松坂道という言葉も私が勝手に付けたからです。

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上の図のように熊野街道伊勢路は伊勢市の山田を起点にして野中・栃原を経て東紀州へ向かいます。熊野街道は伊勢神宮と熊野三山を結ぶ参詣道として栄えたからです。ところが明治に入ると東紀州の物産を松阪へ運ぶ需要が旺盛になった。参詣道から物資輸送路に目的が変わって来た。

そうすると経路は一旦伊勢に寄るのではなく、栃原から相可・射和を経て松阪へ至る最短ルートが求められてきた。その需要を満たすため道路の改修・拡幅が進められ明治19年には幅2.7mの道路が開通したそうです。また明治22年には射和と相可の間を流れる櫛田川に両郡橋が架けられ、昭和30年代に国道42号線ができるまで熊野街道として活躍したそうです。

私は2003年に伊勢本街道を歩いたのですが、そのとき相可付近で石標があり、「くまのみち」と刻まれているのを見て、ここにも熊野古道があるのかと思ったことがありました。

今年2016年1月に多気町の古寺を歩きに来たとき、佐奈駅前の観光案内図に「熊野道」の字を発見しました。また道端の道標にも「くまのみち」の字を見つけました。

佐奈駅前の案内図
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右かうや道 左くまの道
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ここまで条件が揃ってくると、熊野古道愛好者の私としては、松阪~栃原間の熊野道を探しながら歩かない訳にはいかなくなった(笑)。
それで、何か手掛かりは無いかとネットで探し始めた。

そして行きついたのが、四日市の方が作られている「松阪の道標」のページでした。そこには熊野街道にまつわる道標がいくつか載せられていて、私はその道標と道標を良さそうな道でつなぐことにしました。その結果が下の図です。松阪道と呼ぶことにしました。

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後はこの道を実際に歩いてみるだけです。
2016年2月4日、実際に歩きに行ってみました。

詳しくはホームページでご覧ください。

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熊野街道伊勢路2

JRで新宮へ、そしてバスで熊野本宮大社へ来ました。
外国人のグループが目に着きます。この写真もオーストラリアのグループに撮ってもらいました。
日本人より多かったかも。

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旧社殿の大斎原(おおゆのはら)でも白人が目立ちます。

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泊りは川湯温泉です。

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昨日は海鮮BBQだったので今日は肉にしました。松茸も入っています(笑)。

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翌日は自由行動。速玉大社、那智大社と熊野三山を廻る人、日本一長い路線バスを楽しむ人、全国各地に散って行きました。

私たち数名は神倉神社へ行きました。源頼朝が寄進したという急な石段を登ります。

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ごとびき岩と赤い神殿、そして空の色が素晴らしい。

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昼食は一寸豪華に新宮一と評判のうなぎ屋さんへ。

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食後、速玉大社を参拝し、新宮駅に戻ってきました。
駅前の銅像は神倉神社のお灯祭でした。新宮の人たちは神倉神社に親しみを持っていますね。

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では皆さん、卒部60周年まで頑張りましょう(笑)。

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熊野街道伊勢路

2015年10月5日
ワンゲルの卒部50周年ということで、平均年齢74歳の仲間と熊野古道を歩こうと集まりました。
1時前に尾鷲に集合、まずは定番の馬越峠に向かいました。

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途中、脱落しそうなメンバーもあったけど、無事に峠を越えました。

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夜は新鹿海岸の民宿で海鮮BBQ。これが楽しみで来ているのです。

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翌朝の新鹿海岸です。

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新鹿から波田須へ向かう古道は、なかなか風情があります。

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鎌倉時代の石畳のある波田須道を越えて、徐福伝説の波田須海岸を見下ろす神社にやってきました。
ここまで50分ほどです。朝の光が差し込む海は神々しいかぎりです。

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徐福宮にお参りして大吹峠へ向かう道は、伊勢路有数の絶景です。

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大吹峠は竹林で有名ですが、最近は一寸寂しくなっています。

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大泊へ降りてくると、今回最後の松本峠への登りです。橋に使われている石は、熊野古道最大とか。

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最近は有名になって、人も多くなった松本峠の東屋。今日は一寸曇って、鵜殿までは見えません。

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熊野市駅前のかね久さんで弁当を買い、缶ビールが欲しいなあと言ったら、店員さんが車で買ってきてくれました。この親切には全員感謝でした。

その弁当と缶ビールを持って、大馬神社の狛犬と言われる人面石と獅子岩の近くの海岸で弁当を食べました。

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花の窟は時間切れで割愛しましたが、健脚のメンバーが一人往復してきました。
まだまだ健在ですね。

これから熊野本宮へ向かいます。

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