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2023/08/04

伊勢西国三十三札所

新聞で、こんな本が発刊されたという記事を見て、即購入したのが7月初めだったか。

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世の中の札所巡りに八十八札所と三十三札所がある。八十八は弘法大師の若い頃の修行の場を巡る四国八十八札所が草分けで、三十三は大和長谷寺の徳道上人が定めた西国三十三観音霊場巡りが草分けです。

四国八十八ヶ所は江戸時代の旅行作家真念が定めた新しい札所巡りなのに対し、西国三十三札所は西暦712年とかいうので、奈良時代の初めですね。一旦すたれて、平安時代、悲劇の花山法王が1番を那智の青岸渡寺とし、順に三十三番の谷汲山華厳寺までを定めました。

その後、全国各地に地方の八十八や三十三が生まれました。いくつあるかは知りません。私は八十八は四国の歩き巡礼の他は、愛知県の知多四国、そして三重四国をお参りしました。

三十三は西国以外はお参りしたことはありません。坂東三十三と秩父三十四を合わせて全国百観音というのはよく聞きます。坂東や秩父は鎌倉時代にできているようですね。

さて、伊勢西国三十三札所ですが、リストを見ると伊勢の国に限られているようです。

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というのは、以前、三重四国を廻ったとき、三重県のうち、伊勢の国と伊賀の国に分布していました。紀伊の国の一部、東紀州は三重県ですが、三重四国のお寺は有りませんでした。

今回は伊賀の国も除いた、伊勢の国だけの三十三か所です。調べてみると、伊賀は伊賀で別に三十三ヶ所を定めておられるようです。

上の図が伊勢西国三十三札所ですが、赤丸は三重四国と重なるお寺です。三十三と番外が二つ、元が二つ、計三十七札所が有りますが、そのうち、十四ヶ寺が重なっています。でも御朱印が違うので、再度訪れる必要はあります。

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この奉納経に三十七の御朱印をもらいに行こうと思います。

第1回目はこちらです。

 

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