日光街道その3 せんげん台から栗橋
2017年5月27日(土)
今日の宿は栗橋駅です。せんげん台駅からは春日部、幸手、栗橋でざっと28キロと見ています。
雨は上がりましたが、昨日の豆は全く治っていないので、その悪化が心配です。
今日も5時半頃起きて越谷からせんげん台に610分頃着きました。
昨日見ておいた牛丼屋さんで朝食をとり、街道に復帰したのは6時37分でした。
すぐ、春日部市に入りました。
今日も国道4号線歩きが長そうですね。10分ほど歩くと大枝香取神社と歓喜院が並んで居ます。
明治の神仏分離令までは一つだったのですね。
7時20分頃、備後の一里塚跡があります。一ノ割駅はすぐです。
東武野田線のガードを潜ると三叉路が見えてきます。
左へ入って行くのが粕壁宿です。7時52分です。
大きな道標がありますが、一寸読めません。
春日部駅の入り口付近で8時を過ぎ、一寸足の具合を調べました。
痛みは有りますが歩けない痛みではありません。
小休止の後出発して、大落古利根川という読めない川を新町橋で渡りました。
渡って5~6分で小渕の一里塚跡があります。
更にすぐ近くの二股に立派な道標があり「左日光道」と刻まれています。
8時半、4号線に入りました。
するとすぐ観音院という謂れ有りそうなお寺がありました。
一寸荒れていますが、立派な楼門、芭蕉句碑、役行者堂、本堂などがあります。
神仏習合の寺院だそうで、お参りの仕方も独特で二拍します。
お参りを済ませて、10分一寸歩くと杉戸町に入ります。
北緯36度線が通る街だそうで地球儀のモニュメントがあります。
この辺りまで来ると、国道の両脇も時々建物が途絶えて畑などが目に入ってほっとさせます。
40分近く国道を歩くと街道は東部動物公園駅へ左に分かれます。
分れるとすぐポケットパークがあり一休みしました。
ここから街道に並行して遊歩道が作られているので一寸歩いて見ました。
街道に戻り、杉戸町役場前が9時50分頃です。
近くに高札場も作られていました。
なんとなく街道の雰囲気を残す町並みでもあります。
10時27分、また国道4号線に合流しました。ぼちぼちお昼にしても良いなと思いながら歩きます。
15分ほど歩くと左手の食堂の一角に一里塚跡の案内が寂しくありました。
そしてすぐに幸手市に入りました。
ここで昼食をとれば良かったのですが、まだちょっと早いかなと思って通り過ぎたのが失敗でした。
10分ほどで街道は国道と分かれました。
東武鉄道の線路を越え20分ほど歩くと、スーパーにぶつかります。
ここが日光御成街道との合流点です。
スーパーの中にも食堂は有りませんでした。11時20分頃です。
志手橋を越え11時40分頃、幸手駅付近の商店街に入ってきましたが食堂はありません。
食堂は皆国道沿いにあるのでしょうね。
ここにも小公園があり、トイレも有ったので小休止しました。
本陣跡など見ながら商店街を抜け、国道と交差するとファミレスが有ったので昼食にしました。
40分ほど休憩して12時45分頃店を出ました。
直ぐに熊野神社があります。熊野街道が好きな私は、熊野神社と言うと気になります。
神社から5分ほどで街道は広い道になりますが、右手が権現堂川の権現堤です。登ってみました。
巡礼碑などもあるので、街道はこの堤を通っていたかもしれませんね。
峠の茶屋という休憩所も堤の上にあります。
1キロほど堤の上を歩くと、国道に降りて、行幸橋で中川を渡ります。
渡るとすぐ国道に分かれて左の旧道に入ります。
入って10分弱、筑波道への道標がありました。13時半頃です。
更に5分。こんどは雷電社という神社があります。街道はその左側を通りますが、一寸お参りしました。
そのうち街道は国道4号線にぶつかりますが、国道の下の側道を歩きます。
14時一寸前、一里塚跡がありました。塚の上には弁財天堂がありました。
20分ほどで新幹線の下を潜ります。
そして一旦国道に登りますが、すぐ左に下ります。珍しい劇場があります。ライブシアターと書かれていました。
30分弱歩いて、14時50分頃、栗橋駅の入り口に来ました。
もう少し歩いて利根川の橋の手前に有る八坂神社まで来ました。
ここでUターンして今夜の宿王将旅館さんに着いたのは15時06分でした。
一風呂浴びて一休みした後、駅前に有る静御前の墓を見に行きました。
奥州の義経を訪ねようとした静御前はここで病に倒れたそうです。
適当な居酒屋がなかったので、コンビニで食料を買って、部屋で夕食にしました。
今日も28キロほど歩いて、全行程150キロのうち60キロを歩きました。
| 固定リンク
コメント