美濃路 須賀駅から清州駅
2017年5月4日
前回下図の須賀駅まで歩いたので、今日は須賀駅から清州駅まで歩きます。清州から名古屋はすでに御鮨街道あるきのとき歩いています。
8時5分過ぎ位に須賀駅を出ました。
踏切を渡るとすぐ道が五叉路になっていて、5分位うろうろしました。ここで間違うと大変ですから。
右手に「及が橋石灯篭」というのが有りました。この地方の水害時の安全を祈願したものとか。
8時40分頃、木曽川の近くまで歩いてきました。ここに大浦の道標というのがあり、説明板がありました。
どこで左折して堤防へ上がるのだろうと迷っていたので助かりました。
美濃路はここで木曽川を渡ると尾張の国になる。この付近の木曽川には三カ所の渡し場があり、定渡船場、宮河戸、船橋河戸と呼ばれた。ここ定渡船場は参勤交代の大名や大多数の旅人が使用したとか。
そこに金刀比羅神社がある。
現在は県道193号線の濃尾大橋を渡ります。
橋を渡ると起(おこし)宿という宿場になります。少し下ると前述の宮河戸跡の石碑がありました。
起宿は美濃路七宿の一つで本陣、脇本陣が一軒づつ有った。現在は脇本陣の建物が残っている。9時26分。
脇本陣から20分ほど歩くと、富田一里塚跡があるが、その手前に駒塚道道標という大きな石標があった。
一里塚跡から20分で名神高速道路を潜る。左に孝子佐五平の碑とかがある。
すぐ南の曲がり角に市川房江生家というのがあり、左折する。結構裕福な家のようです。
日光川を渡ってすぐ右折する道は県道136号線になっています。右折すると前方に萩原商店街のアーチが見えますが、その手前に本陣跡や問屋場跡がありました。
アーチを潜って突き当りを左折すると商店街の中心地ですが、本陣や問屋場を外れての商店街は珍しいですね。
10時半に名鉄尾西線の萩原駅近くを通過しました。
国道155号線を越えて右折、萩原駅から15分ほどで高木の一里塚跡があります。
朝早かったので、そろそろ空腹。今回は適当な昼食場所が無さそうだったのでお握りを持ってきました。
11時10分頃、中嶋宮の前を通りました。ここは元伊勢の一つで、先月だったか訪れています。
ここの境内で昼食と思いましたが、まだ早いし境内まで離れているので止めました。
すぐに西尾張中央道を渡ります。この辺りには食堂がいくつもありました。
11時35分頃には稲葉宿に入ってきました。津島道道標や問屋場跡の碑などがありました。
本陣跡は今取り壊されてありませんでした。稲葉一里塚跡も説明だけでした。
高御堂という交差点を斜めに渡った所にポケットパークがあり、ベンチも有ったので昼食にしました。
12時から20分ほど休憩しました。
この辺り、美濃路の案内が復活しました。稲沢市に拍手を送ります。
名鉄の踏切を渡ると国府宮の第一鳥居があります。裸祭が有名ですね。
三菱エレベーターの塔を見ながら歩いていると県道136号線は右折します。
美濃路の案内もあります。12時37分です。
洒落た造りの市民会館や市民病院を見ながらあるきます。ゴールはもうすぐです。
13時16分にJR東海道線の踏切を渡ります。
渡るとすぐ左から御鮨街道(岐阜街道)が合流します。そこに追分の碑があります。
ここから先は1月25日に歩いています。。
一応今日の目的は達しましたが、JRの清州駅まで歩いていきます。
途中に六角堂や美濃路公園があります。
清州駅到着は13時50分でした。
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