日光街道を歩いています。
日光街道を歩いています。帰ったら旅行記をアップします
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盾ヶ崎というのは奇岩の名勝です。神武天皇もここに上陸して、ここから3本足の八咫烏の案内で大和に向かったとか。柱状節理の岩の高さは80mとか。
近くの海金剛は150mだそうですが、海からしか見えません。
9時半頃出発しました。国道から見える山の向こうが海金剛です。
探勝路は2キロほどで、アップダウンがあり、樹林帯です。
説明によると、ホルトノキ、バリバリノキ、バクチノキ、リュウキュウマメガキなど珍しい名前の木があります。
タブニキ、イニマキ、カゴノキやヤブツバキが群生します。
サカキカズラの太い蔦が至る所に絡まっています。
またガイドの竹内さんは野鳥が好きだそうで、鳴き声も説明が入ります。
オオルリが居ないのが残念そうでしたが、シジュウカラ、ウグイス、エナガ、コゲラ、メジロなどです。
嫌われ者のヒヨドリもマイヒヨドリになれば可愛いと言っていました。
1キロほどで海岸に降りてきます。二木島湾が見渡せます。
ここに阿古師神社と言う日本書紀にも出てくる古い神社があります。
対岸の室古神社との間で行われる関船の早漕ぎ競漕は二木島祭りとして有名です。
ガイドの竹内さんも過っては漕ぎ手だったそうですが、過疎のため、3年前から行われていないそうです。
探勝路はここから登ります。その先でループになりますが、左にとると鹿が居ました。逃げません。
ほるとのきは沖縄のサキシマスオウノキと同じく大きな板根を持ちます。強風に耐えるためです。
岸壁の上に出ると海金剛に入って行く船が見えました。
木の葉の裏に臭いカメムシの仲間が付いています。
11時40分頃盾ヶ崎に着きました。何度来ても絶景です。
千畳敷からは熊野灘が広がります。
コケモモが健気に頑張っています。
日陰のある岩屋に移動して昼食を食べました。
それから、またゆっくり説明を聞きながら2時半過ぎに帰ってきました。
楽しい、勉強になる1日でした。
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朝起きて散歩に出ました。花の窟まで片道10分です。快晴ですね。先月も来ましたね。
国道311号線は尾鷲から海岸線をぐるっと回って熊野市の大泊で42号線に合流します。
この道はまさに熊野街道伊勢路のハイライトに沿っています。
八鬼山越から三木峠羽後峠、そして曽根次郎坂太郎坂、二木島峠逢神坂峠、波田須道から大吹峠を経て大泊に至る道は、本当に良い道です。何度歩いたか数えきれない道です。
今日はその途中、二木島湾の入り口に有る盾ヶ崎に行きます。
紀伊半島みる観る探検隊で9時に集合です。
それで熊野市の大泊から311号線に入りました。ここは私にバディダイビングの楽しみを教えてくれた「くまの灘ダイビングリゾート」があります。
ガイド無しで潜ると否応でもナビゲーションの技術が身に着きます。何十回も通った道です。
最近、トンネルも出来て格段に道が良くなりました。
この階段を百回以上上り下りしています。懐かしいですね。しばし海を眺めていました。
新鹿の浜辺に降りてきました。夏は海水浴客で一杯ですが、今は静かです。
二木島湾が見えてきました。この入口に盾ヶ崎はあります。
二木島への道を過ぎると大きな橋があります。橋の途中で振り返っていますが、曽根次郎坂・太郎坂方面から下って来るのが右手の階段です。国道を渡り、左手の階段を登って二木島の集落に下って行きます。
甫母町の上辺りから二木島湾の入り口を見ています。左側の向こうが盾ヶ崎です。
盾ヶ崎に続きます。
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以前、何かの本を読んで気にかかっていた所がある。
熊野市五郷町(いさと)桃崎にある桃源寺の奥の宮である「太郎坊権現」である。
滋賀県の太郎坊宮も良い所ですが。
上の図で、国道42号線は尾鷲から八鬼山の下を潜り、殆どトンネルで熊野市の大泊へ抜けている。
以前はその上、矢ノ川トンネルや大又トンネルを通る、標高380m山道でした。
太郎坊権現はさらに北の北山郷へ向かう方にあるので、今回は旧42号線を走っていった。
矢ノ川トンネルの手前、万丈橋です。
309号線へショートカットして、五郷町桃崎から169号線になり、高尾谷トンネルの手前を左折して、細い道を4キロほど、高尾谷を遡上して、車道が切れた所が太郎坊権現の入り口でした。14時半頃です。
一寸、霊気漂う雰囲気です。ここ高雄谷の「トガサワラ」という木の群生が熊野市の天然記念物に指定されているという案内があった。
急な石段を5分ほど登ると、苔に覆われた広場があり、その奥に神殿があった。
明治の神仏分離令にも拘わらず、昔のようにお寺が奥の宮として管理している珍しいお宮さんです。
本地仏は十一面観音菩薩だそうです。
女人禁制となっているのも気に入りました(笑)。
桃源寺は一寸戻った大又川の川沿いにありました。
当寺は曹洞宗の寺院ですが、当初は南朝にゆかりの真言宗のお寺であったらしい。
本尊の薬師如来は南北朝時代の名作とか。
懸案だった太郎坊権現にお参りで来たので、満足して熊野市駅へ戻ってきました。
途中、鬼が城へ一寸寄りました。
熊野市YHに例の如く宿泊します。駅裏の居酒屋へ一人で飲みに行ったら、ハワイから熊野観光に来ているご夫婦とその友人グループが居て盛り上がっていたので、一寸混ぜてもらいました(笑)。
明日は盾ヶ崎へ行きます。
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国道42号線は三重県の松阪から紀伊半島を一周して和歌山で終わると思っていました。でも地図を見ると愛知県の渥美半島も42号線です。調べると静岡県の浜松が起点らしい。伊良湖からフェリーで鳥羽へ、そして松阪へは23号線と共同かな。
それはさておき、明日20日(土)に熊野体験企画のみる観る探検隊があるので、熊野に前泊することにした。
高速道路が尾鷲まで開通したので、最近は殆ど走ることがなくなった42号線を走ってみようと思いついた。
塩浜でお墓参りして、中世バイパスで松阪へ着いたのは10時頃だったかな。42号線に入って、勢和多気ICが10時33分でした。以前はここまで高速で来て、ここから42号線で熊野や串本に向かいました。
滅多に渋滞もしない良い道でした。また熊野古道伊勢路は、ここから尾鷲まで42号線と並行します。
奥伊勢大台の道の駅が10時51分、11時には滝原神宮の入り口に到着しました。
道の駅の向かいにある神宮の駐車場に車を置いて参拝に出かけました。
熊野古道は神宮の前を通っています。
神宮125社の一つで内宮の別宮に当たる当社は参道も立派です。
4つの神殿がありますが、天照大神から順に参拝します。
倭姫命の元伊勢巡幸が滝原宮の起源とされますが、元伊勢巡幸のルートには入っていないような。
参拝の後道の駅で昼食を食べました。メニューは殆ど値段が気に入りませんが、このメニューだけ500円なら気に入りました(笑)。
12時頃出て紀伊長島に向かいます。JR梅ケ谷駅がツヅラト峠や荷坂峠の最寄り駅ですが、その一つ手前大内山駅の近くに頭之宮四方神社(こうべのみやよもうじんじゃ)があります。
全国で唯一頭の神様なので、ボケ防止のため、いつもお参りしています。12時15分です。
唐橋中将光盛卿という桓武天皇の後裔を祭神とする珍しい神社です。
神蛙(かんがえる)様の口から頭之水が流れ出ます。
荷坂峠を越えるとマンボウの丘と言う展望台があります。
熊野古道を旅する古の旅人は、この荷坂峠又はツヅラト峠を越えて、伊勢の国から紀伊の国へ入りました。
また、この峠で初めて熊野灘を見たのでした。
紀伊長島から尾鷲北までの高速道路は無料区間です。
そこに出来た紀北SAに行きたかったので高速に入りました。落ち着いた外観ですね。
地場産品の品ぞろえも結構あるようでした。
太郎坊権現に続く。
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中津川ICを過ぎると国道が二つに分かれます。中山道はその間をの道で中津川に向かいます。
30分弱で上宿の一里塚跡があります。
すぐ傍に双頭一身道祖神というのがあり、こでの木坂を下ります。
この辺り、駒場村と言ったようで、お茶の工場が多いですね。
12時55分頃中津川を渡ると、道は雰囲気のある宿場町になってきます。中津川宿ですね。
枡形になり、酒蔵や栗きんとんの川上屋などがあります。
本陣跡を過ぎ、13時10分頃、これも栗きんとんの「すや」の前を通ります。
ここを左折すれば中津川駅です。
広い道を横断して直進するとすぐ、壁のような急坂にぶつかります。高札場だったようです。
階段を登って陸橋を渡り、芭蕉句碑のすぐ傍に東屋が有ったので休憩しました。
10分休憩して13時半に出発しました。
馬籠宿入口まであと8キロ弱。15時55分のバスまで2時間25分。間に合いそうな感じですが、疲れた足腰に登りがどの程度こたえるかですね。
ここにも白木改番所が有って、国道19号線の下を潜ると、すぐに子野の石仏群があります。13時42分です。
そこから10分一寸で子野の一里塚跡があります。
再度登った所に与坂の立場跡があります。そこから落合宿に向けて少し下りますが、遠く馬籠の手前の集落、荒町辺りでしょうか、まで見える展望の場所です。右手の赤い橋は中央自動車道の落合川橋です。
国道19号線の下を潜り、再度陸橋で上を渡ります。木曽義仲の家来であった落合五郎の屋敷跡など見ながら19号線を渡ると、5分で落合宿です。
落合宿は中津川と馬籠に挟まれ、地味な存在です。本陣も残っていますが見学したことは有りません。
馬籠宿へ急いでしまうのです。本陣は14時20分頃通過しました。
本陣から10分ほどで中央道の赤い橋の手前で落合川を渡ります。ここから医王寺までが10分ほどですが急坂です。江戸時代はもっと急坂で、付け替えて現在の道になったとか。
医王寺は山中薬師と呼ばれるが、三河の鳳来寺、御嵩の願興寺(蟹薬師)と並んで三大薬師と言われるそうです。
医王寺から5分で落合の石畳入り口です。14時45分に石畳に入り、馬籠宿まで3キロなので、15時55分のバスに間に合うことを確信しました。
ちなみに医王寺の標高は400m、馬籠宿入口で570~580mです。
石畳は1キロ一寸続きます。写真はなんじゃもんじゃの杜辺り。
15時05分頃、新茶屋に到着、一里塚跡や有名な「是より北木曽路」の碑があります。
夕日ポイントには虚子の句碑があります。新茶屋から20分ほど、ゆるやかな道をあるきます。
桃源郷のような荒町の集落です。村社諏訪神社の傍に島崎藤村の夜明け前の碑があります。
すぐに馬籠城址の案内があり、眼前に馬籠宿の家並が見えてきます。15時25分です。
そこから6~7分で馬籠宿入り口です。相変わらず多勢の観光客です。
今日はここまで、バスで中津川に帰りました。中津川までは25分ほど。4時20分には到着しました。
まだ早いので居酒屋さんは開いていませんが、無理に開けてもらって楽しみました。こんなとき人数が多いと有利ですね(笑)。
しっかり飲んだ後、前述の「すや」へ行ってお土産を買いました。
栗きんとんは勿論季節外れでありませんが、他のお菓子もおいしそうです。
皆さん、お疲れ様でした。
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山歩会の仲間と中山道歩きを再開しました。
京都の三条京阪に始まり、草津で東海道に分かれて中山道を歩いて、恵那まで先日辿りつきました。
一応、名古屋から東海道で京都へ行き中山道で引き返すという目的は達しました。
でも中山道はこれからが木曽路に入り、むしろ面白いので、塩尻まで行くことにしました。
今回はその1回目です。
9時20分に恵那駅に到着しました。総勢10名です。
恵那駅を出て、中山道に復帰したのが9時30分です。
大井橋を渡ると街道は枡形に曲がります。庄屋屋敷や旅籠の角屋などがあります。
恵那は昔、大井村といい大井宿と呼ばれました。
本陣跡を過ぎると道は上り坂になり、高札場跡や石仏群を見ながら登ります。
菅原神社、関戸一里塚跡を過ぎ、10時過ぎに甚平坂に来ました。
この坂は昔急坂で旅人に嫌われたそうです。明治天皇がお通りのとき、村人総出でなだらかにしたとか。
坂を下るとしばらくなだらかな道が続く。この辺り茄子川村と言ったそうで、大井宿と中津川宿が12キロもあるため、途中の休憩所として篠原家があった。皇女和宮も休憩した。10時38分です。
尾張藩の白木改番所、一里塚跡、高札場跡などを見ながら歩く。将監塚を過ぎると右手には恵那山がきれいに見えてくる。11時10分頃です。
六地蔵の石幢(いしどう)が一寸珍しい。
すぐに右手上に餃子の王将の看板が見えたので昼食にする。中津川ICの近くです。
メンバーが10人と多いので、こういうファミレスが適しています。11時27分でした。
12時10分に店をでました。午後に続きます。
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老人会の旅行で花桃の里へ行きました。
中央自動車道で中津川方面から恵那山トンネルを潜ると園原インターがあります。
そこを出て5分の月川温泉郷です。
5年ほど前にも言ったのですが、その時きれいだったので、もう一度見たいとの要望でした。
花の見頃は一週間ほどなので、このように上手くいくのは珍しいですね。幸運でした。
近くの昼神温泉にも5千本の花桃が有りますが、標高が低いのでもう散っています。ここは標高850mほどあるので遅いのです。
昼食は昼神温泉の近くの下条村の「そばの城」です。1500円ならまずまずです。
午後は駒ヶ根方面に向かいました。
中央アルプスが見えます。宝剣岳と千畳敷カールです。
駒ヶ根インターで降りて、南信の名刹光前寺へ。
ここは参道の石垣の奥にあるヒカリゴケが有名です。
また霊犬早太郎伝説も有名です。
枝垂桜も有名でライトアップもされるそうですが、さすがに4月一杯です。
次に伊那食品の寒天パパガーデンに行きました。
広大な敷地にいろいろ建物がありますが、野村陽子の植物細密画館に行ってみました。
見応えありました。
この日は黄砂も降っていたのですが、この辺りは影響なく、南アルプスもきれいでした。
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2017年5月4日
前回下図の須賀駅まで歩いたので、今日は須賀駅から清州駅まで歩きます。清州から名古屋はすでに御鮨街道あるきのとき歩いています。
8時5分過ぎ位に須賀駅を出ました。
踏切を渡るとすぐ道が五叉路になっていて、5分位うろうろしました。ここで間違うと大変ですから。
右手に「及が橋石灯篭」というのが有りました。この地方の水害時の安全を祈願したものとか。
8時40分頃、木曽川の近くまで歩いてきました。ここに大浦の道標というのがあり、説明板がありました。
どこで左折して堤防へ上がるのだろうと迷っていたので助かりました。
美濃路はここで木曽川を渡ると尾張の国になる。この付近の木曽川には三カ所の渡し場があり、定渡船場、宮河戸、船橋河戸と呼ばれた。ここ定渡船場は参勤交代の大名や大多数の旅人が使用したとか。
そこに金刀比羅神社がある。
現在は県道193号線の濃尾大橋を渡ります。
橋を渡ると起(おこし)宿という宿場になります。少し下ると前述の宮河戸跡の石碑がありました。
起宿は美濃路七宿の一つで本陣、脇本陣が一軒づつ有った。現在は脇本陣の建物が残っている。9時26分。
脇本陣から20分ほど歩くと、富田一里塚跡があるが、その手前に駒塚道道標という大きな石標があった。
一里塚跡から20分で名神高速道路を潜る。左に孝子佐五平の碑とかがある。
すぐ南の曲がり角に市川房江生家というのがあり、左折する。結構裕福な家のようです。
日光川を渡ってすぐ右折する道は県道136号線になっています。右折すると前方に萩原商店街のアーチが見えますが、その手前に本陣跡や問屋場跡がありました。
アーチを潜って突き当りを左折すると商店街の中心地ですが、本陣や問屋場を外れての商店街は珍しいですね。
10時半に名鉄尾西線の萩原駅近くを通過しました。
国道155号線を越えて右折、萩原駅から15分ほどで高木の一里塚跡があります。
朝早かったので、そろそろ空腹。今回は適当な昼食場所が無さそうだったのでお握りを持ってきました。
11時10分頃、中嶋宮の前を通りました。ここは元伊勢の一つで、先月だったか訪れています。
ここの境内で昼食と思いましたが、まだ早いし境内まで離れているので止めました。
すぐに西尾張中央道を渡ります。この辺りには食堂がいくつもありました。
11時35分頃には稲葉宿に入ってきました。津島道道標や問屋場跡の碑などがありました。
本陣跡は今取り壊されてありませんでした。稲葉一里塚跡も説明だけでした。
高御堂という交差点を斜めに渡った所にポケットパークがあり、ベンチも有ったので昼食にしました。
12時から20分ほど休憩しました。
この辺り、美濃路の案内が復活しました。稲沢市に拍手を送ります。
名鉄の踏切を渡ると国府宮の第一鳥居があります。裸祭が有名ですね。
三菱エレベーターの塔を見ながら歩いていると県道136号線は右折します。
美濃路の案内もあります。12時37分です。
洒落た造りの市民会館や市民病院を見ながらあるきます。ゴールはもうすぐです。
13時16分にJR東海道線の踏切を渡ります。
渡るとすぐ左から御鮨街道(岐阜街道)が合流します。そこに追分の碑があります。
ここから先は1月25日に歩いています。。
一応今日の目的は達しましたが、JRの清州駅まで歩いていきます。
途中に六角堂や美濃路公園があります。
清州駅到着は13時50分でした。
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塩田の常夜灯から県道に戻る。この辺りから大垣は奥の細道結びの地がテーマになってくる。
美濃路もそれにつれて案内される。
10時50分頃船町に着く。芭蕉の像が立っている。
曾良の日記によると、大垣で何日か滞在した後、曾良が迎えに行った船で長島へ行ったそうです。
ここの湊から揖斐川を下ったのか。
この辺りは観光の中心地なので詳しく案内されている。
東総門(名古屋口門)で大垣城と別れる。
11時半過ぎて空腹になったのでイオンタウンのフードコートに行く。昼食はいつもの牛丼です(笑)。
12時10分過ぎに街道に復帰しました。この辺りに三塚一里塚跡があるはずですが見当たりませんでした。
ぼんやりしていたのか、左折場所を過ぎて気が付き、適当に街道に復帰しました。
揖斐川の堤防に登ると佐渡(さわたり)の常夜灯があります。
新揖斐川橋を渡り、堤防沿いに南下します。ここでも左折すべき場所が判らず通り過ぎました。
町屋観音堂というのも見られませんでした。道案内が無いと、どうも間違えます。
ここも適当に街道に復帰しました。そこに東結一里塚跡の説明がありました。
ここで珍しく、美濃路歩きの男性と行き会いました。彼も、道が判り難いと嘆いていました。
一段上がった地形の端を街道は通っています。
一里塚跡から15分ほど歩くと長良川に近づき、墨俣の一夜城が見えてきます。途中で堤防を下り、八幡宮の傍を通るのが街道ですが、その後左折が早すぎたようです。ついでに一夜城に近づき写真を写しました。14時15分。
長良川を渡り、南下して小熊の渡しへ来ました。
ここまで良かったのですが、ここで失敗、左折せずに直進してしまいました。大分歩いて気が付きました。
右に川があるのは可笑しいなと。
スマホのソフトで現在位置を確かめながら街道に復帰しました。
小熊一里塚跡が有るかと思ったのですが見当たらず、説明だけがありました。
そのまま堤防を歩くと、堤防を降りる道がでてきます。そして親鸞聖人旧蹟と彫られた西方寺の石標があります。
15時25分頃です。
堤防を降りて県道165号線を左折します。県道1号線の手前の変電所の脇道へ右折します。
変電所の位置は地形図とは違っています。
県道を地下道で渡り、正解は少し南下してから左折です。少し歩くとまた西方寺の石標と同じ石標があり、美濃路の説明もありました。15時45分。
そこから10分で名鉄竹鼻線の須賀駅でした。1時間に4本も電車があり、便利です。
今日はここまでです。
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以前中山道を歩いていた時、垂井で美濃路が分岐し、岐阜で御鮨街道が分岐し、それぞれ名古屋を目指していた。
今年に入って下図の岐阜から名古屋までの御鮨街道と美濃路の一部は歩いたので、今回は垂井から清州を歩いて見た。
2017年5月2日、垂井駅に8時20分頃到着した。駅前には竹中半兵衛の銅像があった。
中山道に出て揖斐川の支流相川を渡る。伊吹山をバックに無数の鯉のぼりがたなびいていた。快晴です。
渡るとすぐ中山道との追分です。
ここで美濃路は大垣経由で名古屋に向かいます。8時38分のスタートです。
5~6分歩くと松並木が残っていました。美濃路ではこの付近だけだそうです。
東海道線を渡る手前に綾戸古墳が有るのを知っていたので左折しました。街道沿いには熊坂長範物見の松とか書かれていました。奥州に下る金売り吉次の一行を襲った長範が逆に義経に切られた話をもとに作られた謡曲の舞台だそうです。
図で大谷川を渡る辺りで青い線が入っていますが、そちらが正解のようです。
大谷川を県道31号線で渡ってすぐ旧道に分かれますが、そこに谷汲道標があるはずでしたが、判りませんでした。
太平洋工業の辺りでまた旧道に入り、一里塚跡を見ました。10時16分、垂井駅から1時間45分位です。
この辺りでは既に大垣市に入っています。大垣市に入ると美濃路の案内が無くなり、道探しが苦労です。
杭瀬川の手前を右折、県道を渡ります。そこに塩田の常夜灯があり、なかなかの風情です。
続きます。
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