マレーシアの思い出
最近マレーシアへ行ったので昔のことを思い出しました。
今から50年近く前でしょうか、その頃私は合板会社に勤めていました。
フィリピン、マレーシア、インドネシアからラワン材を輸入して合板を作ります。
合板はプリント合板や化粧板に加工され、住宅の内装・外装、家具、コンパネ、構造材などに使われていました。
その頃前記3国では、自国の工業発展のため、自国に工場を作らない商社には、木を切らせないという気運が高まっていました。
それで私は今は無い某商社の南洋材部に頼まれて、現地の工場建設の採算性調査に出かけました。
その最初の仕事場がマレーシアでした。人生初めて降り立った外国の地がクアラランプールでした。
上図でマレー半島の上部、タイとの国境近くの街コタバル付近に工場を建てたいというものでした。
製品の積出港も無く、電気、メンテ部品の調達など不安要素一杯で実現はしませんでした。
ちなみにコタバルは第2次世界大戦で日本軍が上陸した土地で、その当時は記念碑がありました。
日本軍は自転車でマレー半島を南下し、シンガポールを攻略したのだそうです。
世にこれを銀輪部隊と言うそうです。
当時は1ドル=360円、ホテルも高くて出張旅費が足りずに大変でした。
その後、マレーシアのサバ州(ボルネオ島)やインドネシア、フィリピンなど現地調査に行くことになったきっかけの仕事でした。
その後、マレーシアではマハティール首相が誕生し、ルックイーストの政策の元、親日の政策が取られました。
おかげで今も日本人の海外移住希望はマレーシアがずっと一位をしめています。
続く
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