熊野 尾呂志から阿田和へ
下の図を見てください。尾呂志は中央、風伝峠近くにあります。
そこから右下、斜めの青い線を歩いてきました。
何故、そんな所を歩くかですが、熊野古道の浜街道と本宮道を結ぶ道とも言えますね。
それと図の中央を貫く緑の線は北山街道と言うか、筏師の道です。
北山村を含む北山郷で伐採された木材は筏で新宮に送られました。
その筏を運んできた筏師が北山郷へ帰って行った道が筏師の道です。
ただ筏師の道は1本とは限らず、青い線の道も使われたのではないかと言われています。
まあ、そんなこんなで、周囲の茶色や緑の道は全て歩いているので、青い道も歩いてみようとおもったのです。
熊野市駅からバスで風伝峠の登り口である「いっぽいっぽ」という変なバス停に12時頃降り立ちました。
ここがスタートで尾呂志の集落を通り、尾呂志川に沿って南下していきます。
ここ尾呂志は本宮道や北山街道を歩いた時、何回か来ています。
その内2回はここの舟木屋さんで泊まっています。今も営業しておられるのでしょうか。
20分ほど歩いて振り返っています。鞍部が風伝峠でしょう。その周囲の山から、冬場、雲が雪崩のように麓に降りてくる現象が有名で「風伝下ろし」と言われます。
その「下ろし」が「尾呂志」になったとか。
この道は県道62号線、阿田和から北山村への街道だったようですね。
13時20分頃、特に往時の名残も無く、淡々と歩きます。牛糞200円で売ってました。
歩き始めて2時間弱、一本松付近でしょうか、一寸休憩です。
後半に続きます。
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