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2016/01/11

続 和歌山別街道と普賢寺

近長谷寺の本堂にこんな写真がありました。

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午後から、残り二つを廻って相可駅へ、時間が合わなければ多気まで歩こうと思っています。
ところで、近長谷寺から金剛座寺への道は地形図にはありません。
でも、ホームページに載っているんだから行けるんだろうと思って来たわけです。

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11時55分に道標の金剛座寺への道に入りました。道は余り歩く人も無いようで、踏まれていませんが問題はありません。道標も親切すぎるほど有るので道迷いの心配もありません。

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入って10分ほどで三匹田林道への道が分離します。でも誰も歩いた形跡はありません。
10年前に伊勢本街道を歩いた時、三匹田とか四匹田とか、可笑しな地名だなと思ったのを思い出しました。

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そこから7~8分歩くと三角点の案内がありました。地形図の256mの三角点ですね。一寸見に行きましたが無かったので諦めました。

金剛座寺まで7丁と刻まれた法花地蔵を過ぎ、三角点から10分歩くと、天啓の里の道が分離しました。

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その道は階段で良い道ですが、金剛座寺への道はブッシュに覆われています。

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でもブッシュをかき分けて5分も歩くと舗装道路に出ました。

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喜んだのも束の間で、すぐ左の山道に入ります。

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まあしかし、そこから5分で金剛座寺でした。近長谷寺の分岐から50分弱、12時46分でした。

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ここは7世紀後半藤原鎌足又は不比等の創建とかで、如意輪観世音を本尊とする天台宗のお寺です。
街道にも道標がある、有名なお寺のようでした。

説明を見て驚いたのですが、ここの親寺が四国の志度寺だそうで、平賀源内にもゆかりがあるとか。
去年11月に志度寺を巡礼したばかりなので、ご縁を感じました。

境内から〇〇神社へ一寸登ると、こんな絶景も見えました。

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参詣を終えて13時、境内を出ると天啓の里への道標がありました。ここで一寸迷いました。
この下に普賢寺が有るのですが、一旦下ってしまうと登り返すのが嫌になるので、普賢寺は辞めて、天啓の里方面から相可へ向かおうかと。

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でも近長谷寺での3古寺巡りの写真を思い出して、普賢寺へも行くことにしました。
道標から10分で普賢寺でした。

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玉砂利を踏む音を聞きつけたのか奥さんが出てこられました。本尊は名前の通り普賢菩薩ですが、日本最古の普賢菩薩像だそうで、初めて知ったことでした。

奥さんが、本堂を開けてくださり、仏像の特徴まで詳しく説明してもらいました。私の四国遍路の話をしたり、思いがけなく長居をしてしまいました。

ご本尊は撮影不可なので、頂いた絵馬の写真を載せますが、実に立派な普賢菩薩像です。
是非、ご覧になってください。

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ところで、この普賢菩薩像ですが、大阪で普賢菩薩展が開かれたとき、請われて出展されたそうですが、日本最古の普賢菩薩像ということで、一番奥の良い場所に祀られたそうです。

そのせいで、いろいろ参拝の方が見えるそうですが、先代住職からの言い伝えで、宣伝をしないそうで、小さなお寺なので、なかなか探しきれずに帰る方も多いそうです。でも頑張って探してみてください。

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それから、普賢菩薩は辰年と巳年の人の守り神だそうです。私、巳年です(笑)。
そんなこんなで、普賢寺で長居をしてしまい、次に行く時間が無くなったので、佐奈えきへ帰って帰宅しました。

次回は熊野道を探したいですね。


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