« 熊野古道その3(百閒ぐら) | トップページ | 筆捨山・羽黒山 »

2015/09/29

熊野古道その4

今日はゆっくり朝風呂にも浸かって、9時前のバスです。
朝食のビールも美味しかった(笑)。

志古から9時半の船に乗船しました。

Dscn4981jpgc

上流の瀞八丁まで往復2時間ほどの観光です。

Dscn5000jpgc

旧瀞ホテルは今は喫茶店として営業していると聞きました。別館への吊り橋は崩壊していました。
この辺りは筏師が新宮から北山村へ帰る筏師の道で、かって歩いた懐かしい道です。

Dscn5010jpgc

この乗船場の建物も2011年だったかの大雨で流されたのだそうです。そのメモリアルモニュメントが建てられていました、写真のモニュメントの上の波型まで水が来たのだそうです。想像ができませんね。

Dscn5024jpgc

瀞峡観光後、新宮に帰ってきました。まず向かったのが神倉神社です。
2月に行われるお灯祭は、源頼朝が寄進したと言われる急な石段を走って降りる勇壮な奇祭です。

Dscn5029jpgc

地元の人に速玉大社のことを話しても反応は今一ですが、神倉さんにお参りしてきたと言うと、生き生きとして話してくれます。ごとびき岩がご神体です。

Dscn5034jpgc

新宮の景色が一望できます。前方の浜辺は王子ヶ浜と言って熊野古道です。その先は世界遺産の高野坂です。

Dscn5037jpgc

熊野三山の一つ速玉大社にも勿論参詣します。新宮と言う地名は速玉大社が神倉神社の新宮であったことから生まれました。

Dscn5062jpgc

歴代上皇の熊野御幸の回数を示す石屏風があります。後白河上皇の三十三回がすごいですね。
朝廷の威光も充分届かない往復1っか月以上かかる山道を、三十三回もお参りする理由は何だったのでしょうか?

源氏と平家が争う武士の世の中に変わりつつあったこの時代、公家の最後の砦として、現世の利益を頼みに通った姿が偲ばれます。

Dscn5056jpgc

最後の〆はいつもの大衆食堂と違って料亭になりました。皇室も来られたとか。

Dscn5066jpgc

ここは小さな目はり寿司が名物だそうで、菜っ葉もタカナではないとか。

Dscn5064jpgc

皆さん、お疲れ様でした。

|

« 熊野古道その3(百閒ぐら) | トップページ | 筆捨山・羽黒山 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 熊野古道その4:

« 熊野古道その3(百閒ぐら) | トップページ | 筆捨山・羽黒山 »