徳山ダム
徳山ダム見学ツアーというのに参加してみた。
徳山ダムは2008年完成の貯水量日本一のロックフィルダムですが、その建設には当然反対も有り、最終的には徳山村の全人口1500人が全員立ち退くことになり、当時の新聞を賑わしました。
我家のある桑名は、木曽三川が集まりますが、その一番西側、揖斐川の上流にあり、比較的近いのですが行ったことが無く、今回初めて行きました。
揖斐川は桑名から海部、大垣を経て揖斐川町に入ります、揖斐川町では旧藤橋村を経て最奥部が旧徳山村でした。その向こうは福井県で、池田町そして鯖江市に至ります。現在の国道417号線です。
バスはまず揖斐川町歴史民俗資料館に寄りました。
揖斐川の水運を示す大きな船や、旧徳山村の民家などが展示されていました。
次いで藤橋村に入り、道の駅で昼食。ここには徳山民族資料収蔵庫があり、5890点の民具や農具が収蔵展示されています。
そして、徳山ダムの手前に横山ダムがあります。このダムは徳山ダムより早く建設されましたが、伊勢湾台風で充分な治水効果が得られず、徳山ダムの建設に至りました。
横山ダムは貯水されていないようでした。
そして徳山ダム到着は12時50分頃です。徳山ダムは横山ダムに溜まった土砂を材料にして作られたそうです。
ロックフィルダムはコンクリートのダムに比べ、材料費が安く、周囲の岩盤が余り強くなくても建設できるのが特徴だそうです。ただオーバーフローには弱いため、放水口は横に作る必要があります。
今日は個人では入れないダムの内部が見学できました。
エレベーターで130mほど下り、ゲート室や点検通路などを見学しました。
続いてダムの上流5分にある徳山館に行きました。ここはレストランと写真展示があります。
徳山村にカメラばーちゃんの増山たづ子さんが居て、消え行く徳山村の自然や生活を7万枚撮ったそうです。その一部が展示されています。ごく普通に山村の生活を営んでいた村人に、降って湧いた離村の要請。その困惑がこの写真から感じさせられます。
旧徳山村には466戸、八つの集落が有ったそうです。そのうち七つの集落が水没することになり、残る一つも離れ小島のように孤立するため、全村で移転となったそうです。
大半の方は今、岐阜県の本巣郡に移られたとか。
お土産に熊避けの鈴を買いました。良く鳴ります。新潟三条の真鍮鋳物だそうです。
帰り道、藤橋城に寄りました。
この城は一階がプラネタリュームで、新規作られた観光用の城ですが、藤橋地区は美濃と越前を結ぶ交通の要衝で、中世から近世にかけて数多くに砦や城が作られたそうです。
また藤橋村は星がきれいで有名なのだそうです。
隣には藤橋歴史民俗資料館で茅葺屋根の民家が5棟展示されています。
いや今日は結構勉強になって、充実した一日でした。
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コメント
岐阜県徳山村に住んでいた
宮崎家の皆さんお元気ですか
山口の宇部に来て50年以上になりました
親戚の村上です
住所変ってないのでいつか山口に
来てね
投稿: 宮崎ひとみ | 2021/07/28 13:55