熊野川 三反帆
2014年5月11日
紀伊半島みる観る探検隊で熊野川へ行きました。
途中、熊野市に入ると七里御浜に鯉のぼりが翻っていました。
9時15分に熊野川のほとりにある集合場所へ。今年の紀伊半島みる観る探検隊は今日が最後です。
今回も人気で26名が集まっていました。
熊野川は三重県と和歌山県の県境で、対岸は和歌山県の新宮市、手前は過って鵜殿村でした。
今は合併で紀宝町になっています。
午前中はその鵜殿村の旧跡を訪ねます。まずは鳥止野神社(うどの)です。
「うどの」の「うと」は古来湾流を指すと思われ、新宮の阿須賀神社と共に河口を守護する神、または海の神の拝所が起源のようです。
今は少し寂しくなっていますが、以前はオガタマノキなど社叢林も見事だったそうです。
神社の奥、高台に鳥止野神社の元宮である大上神社があり、岩くらがご神体です。
この日の移動をGPSで記録しました。
神社の裏山には鵜殿城跡があります。鵜殿氏は熊野別当の子孫とも新宮別当の一族とも言われるが、いずれにせよ熊野水軍の将として活躍していた。熊野速玉大社の御船祭などは鵜殿衆の力で成立していたとか。
ここから登ります。
土塁を積んだ山城の跡です。
展望台があり、鵜殿と熊野川河口が一望できます。
河口を眺めていると、これから乗る三反帆の船が4隻入ってきました。
鵜殿城跡を後に裏山を10分ほど歩くと貴祢谷社(きねがたにしゃ)です。
神倉神社に降臨した神々が、熊野本宮大社と熊野速玉大社に移るまで、一時ここに滞在したとされる由緒ある神社です。私はこんな神社があることを初めて知りました。
近くには鵜殿氏一族の墓とされる宝篋印塔と五輪塔があります。境内や参道が非常にきれいに保たれて、地元の方がいかにこの貴祢谷社を大切にされているか解るようです。
その後河原に出て、さきほどの船に乗りました。熊野川体感塾という川の参詣道を案内する塾が運営しています。いつもは、速玉大社近くの権現河原から上流の浅里キャンプ場付近がコースのようですが、今日は特別に河口で乗船です。
一寸今日は海風が弱いので、なかなか進みませんが、それでも少しずつ上流へ進むのは感心しました。
船外機の音もなく、静かにのんびり、眠りそうです。
昔、川丈街道から速玉大社へ渡しがあった畳岩を過ぎた辺りに体感塾があります。
上陸した河原に案山子が立っていましたが、鮎を食べるカワウを脅しているのだそうです。
あまり効果無いとか(笑)。
体感塾で弁当を食べ、塾長さんの熊野川の歴史の説明を受けました。
川丈街道の貴重な古道だった宣旨帰りが一昨年の水害で、無残な姿になっている写真には息を飲みました。
この付近で水位が17mも上がったそうです。
御船島を一周したりして帰ってきたら、満潮で浅瀬まで海水が登り、船が着けられません。
さすがに全員背負うのは無理と、なんとかテトラポットに船を着けて上陸しました。
今日もいろいろ有意義な1日でした。
また来年の再開が楽しみです。
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