高野大峰歴史街道その1
2013年8月29日
朝5時20分に朝食を作ってもらって、6時12分の電車に乗りました。
極楽坂から高野山行きのケーブルは連絡しています。
高野山駅からバスで奥の院へは20分ほどです。
途中女人堂の前を通りますが、昨日の高野街道はここへ辿り着くんだなと思う。
図を見てください。高野七口と言って、高野山へ登る街道は古来七つ有ったそうです。九度山からの町石道、昨日歩いた高野街道、熊野街道の小辺路などがそうです。
この図は大峰口と言われ、高野山と大峰山を結んだ街道です。その昔高野山を開いた空海は、吉野で修行時代を過ごしており、この道を何回も往復していたそうです。
紀伊山地の霊場とその参詣道ということで世界遺産登録され、高野山と熊野本宮間は小辺路、吉野と熊野本宮間は大峰奥駈道としてガイドブックにも広く紹介されているのに、高野山と吉野を結ぶ道は何故か陰が薄いなと思ったのが、今回歩くきっかけでした。
図の左端の高野山奥の院前を出発し、天狗木峠を越えて野迫川村に下ります。それからは県道53号線、高野天川線を黙々と歩いて、国道168号線との交差点大塔町の小代下へ出てきます。
ここまでが17キロ、12時前に着くのが目標です。奥の院前を7時20分頃出発して山道に入りました。
山道と言っても舗装道路です。
10分ほど休憩して下りに入ります。立派な石標が建てられています。
ここからの道は最近小さなブルドーザーを入れて作ったような道です。道は広いのですが全く踏まれていません。
ここからは当分舗装道路で熱中症との闘いが2時間ほど続くはずです。
平成27年が高野山の開山1200年だそうで、そのポスターがあちこちで見られます。
今井橋の手前で県道から離れ、少し旧道に入ります。
ここで一息入れますが、12時までに小代下に着けるか微妙な情勢です。
中原の集落で県道から離れるようにガイドされていましたが、情報が古く、最近の土砂崩れで道はなくなっていました。
その辺も幸いしてか、国道との出会い小代下のバス停到着は11時45分でした。
この橋の袂で昼食弁当にしました。
国道を眺めていると車、特にダンプカーの通行量が非常に多く、午後からの前途多難を思わせました。
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