高野街道
2013年8月28日
明日から高野大峰道を歩くのですが、今日は高野山の麓の九度山に泊まります。
その九度山に行く前に河内長野市の高野道を歩くことにしました。
「大阪府歴史街道マップ」のサイトから地図をお借りしました。
地図を見てください。高野街道は大きく分けて二つ。一つは京都と高野山を結んだ東高野街道、もう一つは大阪の堺市と高野山を結ぶ西高野街道です。
その二つが河内長野で合流して高野街道になります。その高野街道のうち河内長野駅から南海電車の天見駅までを歩きました。
10時50分に河内長野駅を大阪のOさんと出発しました。
大きな高野街道の石碑とともに吉年(よどし)邸の大きなクスノキがあります。
市内唯一の造り酒屋西条合資会社の辺りは街道の面影残す文化財です。
極楽坂を登ると古い道標が有ったが、セメントで基礎を作るのは興ざめですね。
なにか他のやり方は無いのかしら。
国道を陸橋で渡り天誅組の史跡の辺りでは、高野街道のガイドさんが研修をしていました。
この辺りは街道の三日市宿だったそうで、八木家住宅も登録文化財です。
三日市駅の近くで食堂に入りました。暑いのでつい一杯やってしまいました。
高野山から堺までは十三里だそうで、一里毎に石標が建てられました。それは十三基共に現存しているそうです。三日市駅から200mほどのところにある八里石です。高野山の女人堂までですね。
でもまた国道に合流しますが、ガイド地図の案内に従って間道に入ります。
しばらく休憩して出発します。やはり間道を歩きますが、七里石が国道脇にあるので、それは写真を撮りに行きました。
間道には向こうの国道に七里石がありますとの説明だけがありました。
14時30分に天見駅に到着しました。元気だったら紀見峠を越えて歩こうかと思っていましたが、元気じゃ無かったので止めました(笑)。
九度山の民宿に行って、早々に風呂に入れてもらい、後は例によって一杯飲むのが楽しみですね。
明日は早朝から、最低でも25キロは歩かないといけない。大丈夫かな?
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