京城跡と神内の聖地を訪ねて
今日は下記のツアーに参加です。
三重県の最南端紀宝町の田代公園に10時集合です。
昨日は新宮の民宿に泊まったので朝は余裕です。
それで辺りを散策することにしました。
上の図の左下に弁慶の産屋の楠跡というのがあります。弁慶は熊野別当の子で紀伊田辺の生まれが定説と思っていたのですが紀宝町生まれの説もあるんですね。ネットで調べてみると隣の新宮市生まれで、紀宝町は産屋の楠跡なので乳母が住んでいたのかもしれませんねえ。
次にその少し下の牛鼻神社に行きました。
以前、新宮から奈良県の下北山村へ筏師の道を歩いたことがありますが、そのときも参拝しました。
由緒書きを読むと創建は5000年前で紀州地方最古の神社とされています。紀元前3千年と言えば縄文時代で、ようやく石斧なんかが作られ始めた時期です。当時からの土着の神様ということでしょうか。
この牛鼻神社のある鮒田から熊野川に沿って登っていくのが熊野街道の川端街道です。
ただこの街道沿いは平成23年の12号台風で大きな被害を受け、飛雪の滝や宣旨帰りなど立ち入り禁止になっています。
もうだいぶ復興しているかなと心配しながら、昔歩いた道を車で行けるところまで遡ってみることにしました。
街道は上流の楊枝まで20キロ続くのですが、中ほどの浅里までは車で走れました。それより上流は道路工事の人が無理と言っていました。
浅里の飛雪の滝キャンプ場はほぼ復旧工事が完成していたので、近々開放されそうな雰囲気でした。
さて10時に田代公園に集合しました。
さてここから京城跡(みやこのじょうあと)を見学に出かけます。
京城跡は1588年堀内氏が北山一揆を防ぐために築いた城で、当時としては大型の城です。
この付近では藤堂高虎が築いた赤木城や鬼ヶ城に次ぐ規模でした。
何年か前に北山街道を歩いてこの前を通ったのですが、そのときは素通りして赤木城へいきました。
そのときの様子はホームページでどうぞ。
今回は地元に詳しい方の案内や説明でじっくり見て廻れます。
城跡そのものは部分的に石垣が残っている程度ですが、横走りの敵を防ぐ尾根の濠など説明を受けるとなるほどです。
山の上からは、かって歩いた北山街道のトロトロ坂へ続いていく道が眺められて懐かしい。
午前中はここまでで、また田代公園へ引き返して昼食となりました。
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