来間島へ
平良港の近くにはパイナガマビーチがあります。街のそばにこんなビーチなんて羨ましい。
来間島へ行く道沿いに久松という集落があり、そこに久松五勇士顕彰碑というのが有るので行って見ました。
碑の説明文を読んで驚きました。日露戦争の日本海海戦で「敵艦見ユ」の電報でバルチック艦隊の北上を知らせたのは信濃丸ですが、その二日前に宮古沖で艦隊を漁師が発見していた。そして当時の宮古島には通信施設が無く、5人の漁師がサバニ船で命がけで石垣島に渡り、大本営にしらせたそうです。ただその情報は信濃丸より数時間遅れたため採用はされなかったが、その勇敢な行為は後日表彰されることになったという。
来間大橋の手前に前浜ビーチがありますが、ここの砂は本島に細かくて気持ちがいい。
来間島は小さな島ですが、そこも竜宮展望台からの眺めは本当にきれいです。
そこから遊歩道を歩きましたが、歩く人も無いようで一寸寂れていました。
島を一周してみましたが、他には施設は無いようです。でものどかな田舎風景はあります。
ここで宿に引き返すことにしました。宿の近くにいくつか興味ある遺跡などが有るようなので、これらはむしろ歩いて廻ることにしました。3時半ごろ宿の駐車場に車を停めました。
すぐ裏が宮古神社です。西暦1600年ごろ、沖縄本島の波の上宮の神々を誘致して創建されたとあります。
その近くに、臨済宗の祥雲寺がありました。ここは1611年、薩摩藩が琉球政府に対して寺院設置の必要性を訴えて建立されたとあります。当時の石垣が残っています。
海の方へ下ると漲水の石畳道があった。18世紀に作られた道らしく90mほど残っている。
近くには今も信仰されている漲水御嶽がある。この日もユタと思しき女性が拝んでいました。
さらに近くの道路沿いに16世紀頃宮古を支配していた中宋根豊見親の墓があり、重要文化財にしていされています。近くにはアトンマの墓などもあります。
一寸離れた所に人頭税石というのがあり見に行きました。17世紀頃、この高さを越える子供には一人前の税金をかけたらしい。
宮古島の歴史遺跡の散策はこれぐらいにして宿に帰りました。
今日は日曜日で民宿は夕食が休みだそうで、近所のコンビニでおでんを買ってきて食べました(笑)。
明日は島南部を観光して那覇に帰ります。
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