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2012/11/15

京都ぶらぶら4 新撰組と島原

友達と待ち合わせて向かった先は島原です。
御存知のように現在の京都の花街(かがい)は祇園甲部、祇園乙部(東)、宮川町、先斗町、上七軒の5花街です。
でも、昭和50年頃までは島原に太夫や芸妓が居て6花街とされた。

花街の中では島原が一番古いようで室町時代からと聞いている。
次は上七軒で秀吉の北野茶会ごろとか。
祇園は江戸時代までは非公認の遊郭だったかもしれない。

島原の置屋角屋付近
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久坂玄端謀議の跡とかの石碑が建っている。

花街と遊郭は厳密には違うようです。
花街は芸妓と舞妓、遊郭には娼妓がいます。
花街の太夫は芸妓の最高位で、踊りや唄の他に俳句や和歌の素養も非常に必要でした。
一方、花魁は娼妓の最高位で、踊りや唄は必要なかったようです。
でも、やはり江戸の遊郭、吉原の花魁ともなれば、相当の教養があったようです。

いずれにしても江戸時代以前は花街と遊郭の区別はそう厳密ではなかったようです。
芸妓も舞妓も娼妓もいっしょに居たようです。

まあ先日、先斗町のお茶屋遊びをしたので、今日はその先輩の島原へ向かったのでした。
ところで、幕末の島原では新撰組が良く遊んでいました。
特に芹沢鴨が角屋で泥酔させられ、近藤勇一派に惨殺された話は有名ですね。

ということで、今日は直接島原に向かわず、壬生の新撰組屯所へ向かうことにしました。
以前は四条坊城と言っていたバス停が四条壬生寺道に変わって一寸とまどいますが、そのバス停で降りました。
10時35分頃です。

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坊城通りを下っていくと屯所餅などを売っているお菓子屋さんがあり、その奥に旧八木邸があります。
新撰組が屯所として使っていた家ですが、私は見学したことがありません。
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隣に壬生寺があり、新撰組隊士の墓があります。
昔は無料で見学し、100円入れると「ああ新撰組」の唄が流れました。
最近は入場に100円で唄は中止になっています。
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雨の中を歩いて五条通りを陸橋で渡り、壬生寺通りを下がって行きます。
島原会館は確認できなかったけど適当に右折して島原大門を潜りました。
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島原は花街としては最も古く、公認で格式も高かったのですが、それが返って災いして、祇園や上七軒にお客を奪われ衰退していったのだそうです。
特に明治維新で都が東京に移ると急激に衰退しました。

現在は輪違屋さんというのが唯一の置屋さんで、今も4人の太夫を抱えていると聞きます。
太夫は五万石の格式があり宮中へも出入りできたそうです。
勿論一見さんお断りで、玄関には縦覧お断りの看板がでています。
大門を入ってすぐを右折するとあります。
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それ以外は角屋(すみや)もてなし文化美術館があります。
角屋はいわゆる揚屋(料亭)で明治5年まで営業し、それ以後はお茶屋として昭和60年まで営業していたそうです。
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昭和27年には揚屋建築を残す唯一の建物として重要文化財に指定されています。
平成10年から文化美術館として公開されています。
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玄関脇の刀賭け
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揚屋建築とは大きな宴会が出来るお座敷があり、広い庭を持ち、そこにお茶室があり、宴会の料理を出す大きな台所を持つなどの特徴があります。
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広庭にお茶室を3箇所持つ
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井戸の滑車が志野焼き?
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広い台所を持つ
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ここは入場料1000円で、2階は1日4回時間を決めて特別拝観(別途800円)だそうです。
我々は1階だけ見学しましたが、結構見応えがあって満足しました。

島原としての遺構はこの他に大銀杏位ですね。西門は跡だけです。
近くの丹波口からJRで京都駅まで一駅です。

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京都ぶらぶらの打ち上げに、午後1時過ぎから3時半頃まで居酒屋を2軒はしごして飲みました。
ここ数日は京都で一寸飲みすぎたなあ。
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