安楽越京道
2011年9月10日
東海道鈴鹿峠の脇道である安楽越京道を探しながら歩いてきました。
安楽峠はそもそも鈴鹿峠の脇道で、鈴鹿の関所を通らなくても良い安楽な道として名付けられたそうですが、安楽とはとんでもない険阻な道だったようです。
戦国時代には、明智光秀を討った羽柴秀吉が、柴田勝家と連携する滝川一益を討つため京から伊勢の国へ攻め入りました。7万5千の兵を三つに分け、一軍は今の滋賀県多賀町から五僧峠越えで岐阜県上石津へ、二軍は滋賀県君が畑から治田峠を越えて三重県の大安町へ、そして秀吉自らは三軍を連れてこの安楽峠を越えて攻め入ったと言われています。その際秀吉が座ったとされる「太閤の腰掛岩」が二代目ながら石水渓に残っていました。
荒れた古道を探しながら大変でしたが、仙の石さんのサイトにも助けられ、なんとか歩いてきました。
詳しくはホームページをご覧ください。
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