注連指から獅子ヶ岳
注連指(しめさす)という地名には思い出があります。今から8年前2003年の2月に熊野脇道という熊野街道のバイパスのような道を歩きました。熊野街道伊勢路の田丸から分かれて宮川に沿って歩きます。最後は対岸を歩いて滝原でまた伊勢路に合流します。
その途中、栃原の近くで「注連指」という道路標識を見て、なにか謂れのありそうな知名だな、一度行って見たいなと思って忘れていました。
最近、友人のMotaさんの日記に獅子が岳に行ったというのがあり思い出しました。
それで今回Iさんを誘って出かけてきました。
当日は長島駅で9時前にIさんをピックアップ、高速に入りました。でも工事渋滞とかで四日市JCから鈴鹿が12キロ、90分と出ていました。
12キロはともかく90分は動いていない渋滞ですね。通常なら20分ですから。
で、朝日で降りて下道を走りました。なので勢和多気到着はほぼ1時間近く遅れて11時頃でした。
コンビニで弁当を買い、新田で左折、熊野街道に入りました。田口大橋を渡って右折、すぐ左折して注連指方向に入ります。入り口に8年前と同じ道路標識があります。
獅子が岳には登山口が3箇所あって、度会町のテクテクマップでは小萩口が一番近くまで車が行けるようで40分で山頂、日の出森が75分位、今日私達が行った注連指ルートはマップでは75分位だが実際は90分で一番遠いようです。
注連指の集落を過ぎ、日の出森や女滝・男滝への道を見送り、林道の一番奥まで車を進めます。注連指川沿いの、すれ違いは出来ない細い道です。
車を上手く駐車すれば4台位置けそうなスペースがあり、すでに2台停まっていました。
予定より1時間遅れの11時半に出発しました。標高は200m一寸です。
20分強で沢と別れ、尾根に取り付きます。ここが最後の水場ですね。
本来の道ががけ崩れか何かで通れないようで、新しい道が付けられていました。
それを登りきると平坦になり、日の出森からのルートに合流します。
12時33分でした。この辺り昼食にも良いスペースですが、頂上まで我慢することにしました。
頂上をぐるっと巻きながら10分で小萩ルートと合流、更に10分で頂上でした。
途中展望岩(獅子岩)への案内が有りましたが、獅子岩経由で頂上に行けることに気づかず、直接頂上に登ってしまいました。12時52分でした。
733mの頂上は広く、展望も良くて、晴れていれば遠く五ヶ所湾や熊野灘が見えるといいます。
スタートが1時間遅れたので西峯は割愛しました。
帰りは展望岩を経由して、休み無しで歩いて1時間弱で駐車場に帰ってきました。
さて、注連指という珍しい地名の謂れは解らないのですが、注連指には正法寺というお寺があり、そこに木造の十一面観音像があり重文に指定されています。
その観音像の謂れを調べると、1112年に平家の藤原有助が戦乱の都から仏像を守るため注連指に移したと書かれています。保元の乱が1156年なのでその一寸前、源氏と平家が争いを始めた頃なのでしょうね。
その頃に注連指という地名が都の公家なんかにも知られて、仏像を安置しようと思わせる位人も住んでいたということなのですね。藤原有助は前述の女滝のほとりに庵を建てて住んでいたそうです。
帰りも東名阪は渋滞していましたが、なんとか5時前には帰ってきました。
そんなに汗もかいていないのですが、反省会は欠かせません(笑)。
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