海人(うみんちゅ)の街
昨晩飲んだ宮古島のKさんが、「自分が子供の頃言うことを聞かないと、糸満に売ってしまうぞと親父に言われた」と。
それだけ糸満の追い込み漁は厳しい仕事だったのだろう。
ミーカガンという水中眼鏡を開発し、多人数の追い込み漁という形式も開発した糸満の海人は、沖縄だけでなく日本各地いや東南アジア各地でも活躍したとか。
そんな糸満に海人の街の面影が残っているか見に行きました。
旭橋を8時40分頃でるバスに乗るとたくましそうな小母さんが数人乗っていました。
昔、海人の夫が獲ってきた魚は、奥さんが買い上げて那覇へ行商に出たという。
なので今も夫婦の財布は別だという。
そういう女性はアンマーと呼ばれ、いまもアンマー市場があるという。
ユイレールの赤嶺駅でユイレールと別れてバスは南下する。
豊見城市を縦断すると糸満市です。
どこで降りようかなあと思ったが、とりあえず終点のバスターミナルまで。
海岸を一巡りした後糸満ロータリーへ戻ってくる途中、左手が糸満漁港でその前が糸満中央市場の入り口だった。入り口の角にはアンマー市場があった。
中央市場は昔の古い市場で何でもあるが寂れていた。アンマー市場は魚市場で、当然アンマーが中心でいろんな魚を裁いていた。ここは今も賑わっているようです。
糸満ロータリーの角にお墓に入るような道があったので入ってみた。立派なお墓がいくつか並んでいたが、その中に南山王他魯毎の墓というのもあり驚いた。
三山時代の南山王の一人の墓なのだろうか。
ふと上を見上げると東屋のような物が見える。展望台が有りそうなので道を探して登ってみた。居合わせた小母さんに聞くと、ここは城跡ではなく昔からの公園で、自分が小学生の頃も遠足に来たとか。
糸満市街が一望できる山嶺毛(さんれいもう)という展望台でした。
昔の展望写真が展示してあるので、目の前の町並み風景と比較できる。
昔の町並みは沖縄風の民家の町並みだが現在の町並みは洋館で東南アジアへ行ったようです。
露地を少し歩いたあと白銀堂へ行った。ここは海人の守り神です。
今日もアンマーらしい小母さんが二人、お供えを上げて一心不乱にお祈りしていました。
私もお賽銭をあげてお祈りしました。
白銀堂の前から港に出て、水産高校の前を通って左折、しばらく歩くとファーマーズマーケットです。農産物の市場ですね。ここは近代的な市場です。
隣がお魚センターで10軒位の魚屋さんが店を出しています。
イラブーを売っていたりします。後はミーバイ(ハタ)が多いですね。
蒲鉾屋さんもあります。糸満の名物ですよね。
一寸離れた所にまぐろ基地という食堂があります。
漬け丼セット1000円と生ビールを頼みました。
サイドメニューの天ぷらでビールを飲んだだけで満腹になってしまう、すごいボリュームでした。
近くに比嘉酒造の展示館があるはずですが疲れたので帰ることにしました。
バス通りまで20分ほど歩いている間にバスに抜かれました。バス停があるみたい。
午後は県立博物館へ行こうと思っていたので赤嶺で降りてユイレールに乗り換えました。
県立博物館は以前首里城の近くにありましたが、遺跡の発掘とかで今はおもろ町にオープンしています。美術館も併設されています。
移転してからは初めての訪問です。
駅から5-6分、日銀の那覇支店の建物も沖縄を意識しています。
連休中ということで博物館も家族連れなどで賑わっています。良いことですね。
屋外展示物も沖縄の民家など充実しています。
屋内は撮影禁止で紹介できないのが残念ですが、考古学的なものから沖縄の歴史、動植物の生態など映像も交えて豊富なので、じっくり見ると半日は充分かかるでしょう。
午前中に訪ねた糸満の海人のことも詳しく紹介してあり興味深く見学しました。
隣の安里駅に移り栄公設市場へ行きました。
ここは結構賑わっている市場です。良い居酒屋があると聞いたので次回の下見です(笑)。
牧志の公設市場の近くへ移り、お土産をあさります。
最近マース屋(塩屋)が人気ですね。
沖縄だけでなく全国の塩も売っていて大勢のお客が入っています。
島らっきょう、ソーキ、ミミガー、かまぼこ、豆腐ヨウ、スーチカそして塩を買いました。
お酒は宿の近くに酒問屋があり、そこで「まさひろ」「菊乃露」の古酒を買いました。
宿に帰り、昨日の残りのつまみでビールを飲み、沖縄最後の夜はまた天地へ飲みに行きました。飲み疲れたなあ(汗)。
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