大和街道4回目 新堂駅から加太(かぶと)駅
山歩会仲間との大和街道歩きの4回目です。
今回は新堂駅から加太駅まで16キロほど。加太越へ奈良道と言われた大和街道の核心部ですね。
写真は柘植駅の近くに有った勧請縄です。
疫病神が集落に入らないように張られたと言われています。
詳しくは街道トレッキングでご覧ください。
山歩会仲間との大和街道歩きの4回目です。
今回は新堂駅から加太駅まで16キロほど。加太越へ奈良道と言われた大和街道の核心部ですね。
写真は柘植駅の近くに有った勧請縄です。
疫病神が集落に入らないように張られたと言われています。
詳しくは街道トレッキングでご覧ください。
揖斐川の支流、牧田川に船附湊があります。伊勢湾の物資をここまで船で運び、陸路で中山道の今須宿へ。そして中山道を通って米原の朝妻湊へ運びます。そこからまた水運で大津湊へ運び、陸路で京へ運びました。
陸路が最も少ない、低コストの運搬方法でした。その道を九里半街道と呼びます。今回その九里半街道を歩いてみました。
詳しくは街道トレッキングでご覧ください。
コロナでしばらく開催されなかった紀伊半島みる観る探検隊が2年ぶりに開催されるので、その前日に赤倉街道を歩くことにした。
赤倉街道はガイドブックには載っていませんが、ひょっとしたら重要な熊野街道の一つだったかもしれないということで興味深々です。
詳しくはダイバー散歩でご覧ください。
写真は街道から鬼ヶ城付近の熊野灘を見ています。
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